ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月14日(金) 反応の変遷 DVD-R/RAMドライブを買ったので、メディアも10枚ほど買ってきたのですが、悲しいかな本棚にそれを収めるだけの空きスペースがありません。今度の資源ゴミの日には、忘れずに雑誌や本を捨てるようにしないといけません。破砕ゴミの日にも、不要になったプリンターやらパソコンの部品を捨てないと、暖房器具を置くスペースがありません。
ところで、形式はともかく、ある病院にAAのメッセージを運びつづけてもう6年半になります。最初の1〜2年は、まさに「死にかけた」人々しか入院していなかったように憶えています。病気に対する否認もとても強くて、「誰が何と言おうと、退院したら酒を飲む」とか「ともかく節酒というのをもう一度試してる」とか「こんなところに放り込みやがって」などという話が患者さんの口から飛び出すのが当たり前でした。でも、とにもかくにもそれが正直な気持ちだったのでしょう。建前ではなく本音の話ができるという意味では一種の爽やかさがありました。
そのうちに、病院の位置付けも変わったせいか、それほど酷くない人々が増えてきました。内科も含めて初めての入院で、内科病棟から移されてきたような人も混じっていました。彼らはAAメンバーの経験を聞くと、「なるほどあなた達の話は本当でしょう、でも自分はそれほど酷いとは思えない」と言い、「酒を止めるためにそこまでする必要はないと思う」という感想をたくさん聞きました。これもまた、正直な感想だと思いました。
最近では、何度かの入院を繰り返す人が増えてきていて、「今は病院の中にいるからいいけれど、退院したあとも、本当に飲まないでいられるか、いつまで飲まないでいられるか、そして飲んでしまったらまた入院するしかないのか」という不安を語る人々が増えてきた気がします。これもまた偽りのない意見だと思うのです。こうした話をする人々は、以前のような何もかも失う寸前の「死にかけ」の人々とは違い、まだ失うものがたくさんあるからこそ不安も大きいのでしょう。
こうした不安に対して、「AAのプログラムをやっていれば大丈夫です」と強く言い切るだけの自身が自分にはまだありません。それだけの実績があるわけじゃないし。僕のやってきたことは、「ともかくミーティングに出ること」が中心です。ところがそれだけでは失敗していく例のほうが多いわけです。もっと具体的な回復のプログラムを手に携えられれば、不安の話を聞いても、自分も不安にならずにすむと思うのですが・・・。
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