The Green Hills of Earth

日記内検索は目次ページにあります。
☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2006年04月07日(金) 新聞特殊指定制度 / 自転車の事故急増 / 名前 / 自転車のこと / 入学拒否 / 成分解析 / 賠償の必要はあるのか

新聞の価格を全国で同じにする事を定めた「特殊指定制度」について、公正取引委員会は撤廃を検討しています。
基本的に「商売」は公正な競争をするべきだとして「独占禁止法」がある訳ですが、新聞などは「特殊指定」として値段の格差を設ける事を禁止していました。「新聞を取る(配達して貰う)」と言う事が半ば当たり前の事として受け入れられてきた実情があり、情報取得の手段としてテレビと新聞しかない状態で値段の格差を容認すれば、そのサービス合戦での疲弊や、過疎地域での配達コストとのバランスなどから戸別配達制度などが崩壊する恐れもあり、それが新聞を読めなくなる事による「知る権利」の阻害に繋がると言う理屈らしいです。

「今」に目を移せば、少なくともここを読んでくれている方は、インターネットでニュースを取得すると言う手段も持ち合わせている訳で、中には「新聞なんて取っていない」という人もいらっしゃるのではないでしょうか。また「新聞を取ってはいるけれど、ニュースは大方ネットで取得する」という人も含めたら結構な数になると思われます。そう言う人も多いでしょうし、自分の周りがそうだから日本全体がそうだとは言い切れないのが実情で、実際、パソコンなんて持っていない家庭、操作できない人、興味ない人はかなり多くいる訳ですから、その人達にとってはいくら今「IT社会」などと訳のわからない定義をされたとしても、そのニュースソースは常にテレビであり、新聞である訳です。毎日新聞の調査では、特殊指定制度維持についても、戸別配達制度についても「維持すべきだ」とする意見が年代を問わず圧倒的に多かったそうです。

「何事も公平が大切だ。テレビも普及して新聞だけが情報源ではない」と主張する人もいらっしゃると思いますし、実際、そう思える状況になったからこそ公正取引委員会も撤廃の検討に入ったのではないかと思います。しかし、ほんの少数かもしれませんが、離島や北海道などの広域に渡る過疎地域など、また豪雪地帯の過疎地域などでは新聞は確かに重要な情報源であると言えます。それが維持できなくなる可能性があるというのは正しい事なのでしょうか。この問題については、「新聞は必須の情報源と言えるか」という事がキーになると思われます。インターネットを利用する人、テレビで情報を得る人は「新聞なんて読まない」と言うかもしれませんし、都会に住んでいる人は「戸別配達されなくても、必要なら買いに行けばいい」と思うかもしれません。が、別に北海道や離島でなくてもそこここに過疎地域はありますし、コンビニまで来るまで数十分という地域も多くあります。どこまでを守るためにどんな規則が必要と認識されるのか、この件はちょっと注目している次第です。


自転車の事故急増

歩道で自転車が歩行者をはねるなどの事故が急増しているそうで、警視庁は近々悪質な運転をする自転車の摘発を強化するよう、全国の警察へ通達を出すそうです。

もう死語かもしれませんが「おばちゃんパワー」というのがあって、原付自転車に子供を背負って、前後に子供を乗せ、それで一方通行を逆走して行くお母さんって珍しくありません。交番の前でも悪びれず歩道を走っていくので警察官が呼び止めて違反切符を切ろうとすると「私は何も悪い事をしていない」と言う事も珍しくありません。原付自転車を乗るからには免許を持っているはずなのにこの非常識さ。「母は強し」と感心しては居られないですよね。「おばちゃん」に限らず、渋滞した道路で歩道を走り抜けたり一通を逆送するバイクは数多くいます。免許を持っているという事で「(道交法を)知らなかった」ではすまされないのですが、そんな規則より、目の前の渋滞を抜ける方が大事という事なのでしょう。
免許を持っている人でさえそう言う案配ですから、免許などなく年齢制限もない自転車での「運転マナー」とか「規則」なんてどうやって守れと言うのでしょうね。

確かに最近は自転車で走りながら電話をしている人、メールを打つのに夢中な人も多いです。前も見ずメールを打ちながら自転車を運転して道路に飛び出した結果自動車に轢かれたとしたら、かわいそうなのは自動車の運転手だと私は思うんですけれどね。また、友達と話しに夢中で道路を自転車でふさいでいる人も結構居ますよね。

私の住処の近くに小さな公園があります。公園の中には「芝生に乗らないでください」とか「スポーツ禁止」「自転車乗り入れ禁止」「ペット禁止」など立て札が並ぶ公園も多いです。しかしここはその類の看板は一切ありません。昼には小さな子供がサッカーをしたり、キャッチボールをしたりしていますし、自転車も適当に入ってきます。朝夕は犬の散歩コースになっています。しかし、中にはそこを犬のトイレと定めて居る人も居ますし、駅で買った缶ビールなどを飲みながら歩いてきて、この公園の草陰に投げ捨てて行く人も居ます。
公園に「投げ捨て禁止」「ペットの糞は持ち帰りましょう」そんな立て看板をしなければ、「禁止されていないからやって良い」と思うのでしょうか。いや、まぁそう言う輩は例え看板が立っていても平気でやる輩なんだと思いますが…

自転車は手軽な移動手段として免許もいらずに乗る事が出来る訳ですが、その公園と同じで、禁止されていないから何をやっても良いとか、免許を持っていないし弱者だから、こちらが何をやっても、守るべきは車の方で自分たちは何をやっても良いのだと言う事にはなりません。モラルとは与えられるものではなく自主的に発露するものです。禁止されなければ何をやっても良いと思う人というのは、本当に精神的に幼いんですよね。自分の事だけを考えて、自分だけが良ければ他の人なんてどうなっても良い。そう言う浅ましい考えはどうか自分の家族の中だけで発揮して欲しいものです。そして、そう言う考えの人には優しくない社会であって良いと私は思うのです。

ペットを「自分の家族」と言い切る人が増えています。私はとても危険な事だと思います。例えば犬は人間より寿命が短いので、一緒に生活をする上で、子供が命を考える貴重な材料となると言う意見もあり、私はそれも一理あると思います。しかし、別の見方をすれば「家族である犬は、他人よりも大事である」と言う意見に繋がります。自分の家の犬が他人に迷惑を掛けても、自分の家の犬を叱る事が出来なかったり、他人の迷惑にまで頭が及ばなかったり…それはその「家族」と思う事が悪いという以前に、人間として失格している友言えるのでしょうけれど、兎に角、冗談抜きでそう言う考え方をする人がいるのです。同様に今の若い子供の中には「友達は大切だけど、友達じゃない人はどうでもいい。どうなってもいい」と言う気持ちがあるように思えます。メールや電話で友達と繋がっていたいけど、どこかの知らないおっさんなどは殴ったり蹴ったりしても平気。その人達も自分と同じに痛みを感じるなんて思いもしない。それはちょっと極端な例ですが、「自分と身内かそれ以外か」と言う切り分けで「それ以外」を全く思いやれない人が多いように感じています。そう言う事がこの自転車の事故にも繋がっているように思えます。人を人と思う気持ち、人とペットを区別する気持ち。そんな人としての基本的な情緒までが失われているのではないかと重うとちょっと怖い世の中ですね。

自転車の話とかけ離れてしまった感じですが、自転車だから何をしても良いのではなく、どうか規制をされたりする前に、守るべき事は守って欲しいものと思います。「自由」を「自分勝手」とはき違えないようにしてくださいと祈るばかりです。


名前

私が今ここで名乗っている「Lunatic」はgoo辞書によれば
━━ a., n. 気の狂った(人); 常軌を逸した, 気違いじみた(人), ばかげた, 大ばか者.
となっています。
まぁ3日続くかどうか判らないし、こんな名前でいいやと思って付けたのですが…

先月末をもってニフティのパソコン通信サービスが終了しました(link)。
私も一時期はかなり利用させて貰っていただけに、1つの時代が終わったんだなと感慨深いものがありました。その頃から「ハンドルネーム」と言うもう一つの自分の名前とつきあってきた訳ですけれど、どうせネット上の事だからと変な名前を付けているとオフ会などで恥ずかしい思いをすることもある訳ですが、じゃあ普通に呼ばれても恥ずかしくない別名ってどんな名前だろうと考えてみました。鈴木一郎とか山田太郎とか如何にもという名前は別名としてはわざとらしすぎますよね。自分の子供の名前を考えるようにすればいいのかもしれませんが、自分の子供にならいろいろな願いや意味を込めて名前を付けるのも楽しいですが、自分の名前だとちょっと恥ずかしい…まぁ小心者ですので…そんな訳で、手っ取り早く考えるとしたら、例えば実在する別人(友人など)の名前だったり、漫画や小説に出てくる人物の名前だったり、歴史上の人物の名前だったりするのかなと思います。しかし、「坂本龍馬」とか「徳川家康」なんて歴史上の人物の名前を付けたらやっぱり恥ずかしいかなと思ってしまいますし、友人の名前を勝手に名乗った場合は、それがその友人にばれた時も嫌な思いをするでしょうし、何か落ち着かない気がしますね。そうすると本や映画などの登場人物の名前を貰うのが一番手っ取り早いのかななんて思うのです。作家などが使っているペンネーム、中には如何にもわざとらしいペンネームの人も居ますけれど、多くの人は自然体でしっくり来る名前をペンネームにしているじゃないですか。そんな風に考えていると、やっぱり作家って凄いなぁと変に感心してしまったと言う事で特にオチのない話でした。


自転車のこと

先に書いた自転車の話、私は注意を呼びかけると言うものだと思っていたのですが、もしかして、自転車にも道路交通法を適用して、違反者に違反切符と反則金の納付を促そうとしているのでしょうか。だとしたらそれはとんでもない暴挙だと思います。
自転車も道路を走るものですから、道路交通法の下で走っているのは間違いないのです。例え免許を持っていなくても、自転車は軽車両ですから速度は原動機付き自転車と一緒で30km/hまでとなります。(私はねずみ取りで停められた経験があります)
しかし、多くの自転車にはスピードメータなどついていませんし、免許を持っている訳ではないので、自分の自転車がどの車両区分にはいるのか、スピード制限があるのか、そして標識にどんな意味があるのかなど判らずに乗っている人も多いはずです。運転免許を持っている人は、その免許を持つことで安全運転義務を有し、道路交通法も熟知して遵守する義務があるので「知らなかった」は言い訳にもならないのですが、自転車だけを運転する人は免許など持っても居らず、道路交通法を知る機会は与えられていないのです。それなのに、それを道路交通法違反で取り締まる対象にするというのは明らかに間違えている事ではないでしょうか。そうするのであれば、それより先に「自転車運転免許」を作るべきでしょう。

私には、運転免許を作るにしても、自転車にも違反切符を切って反則金を取るにしても、結局は建前は「自転車の事故急増に対応するため」ですが、本音は「もっと国民から金をふんだくれ」ではないかなと思えてしまいます。

唐突に話は変わりますけれど、飲酒運転の取り締まりなどをよく見かけますが、私はあれをなぜ飲み屋さんの目の前でやらないのだろうと不思議に思います。大がかりな設備は不要で警察官が二人組になって駐車場を持つ飲み屋さんの出入り口で待っていればいい訳です。運転をしている人が酒を飲んでいたら反則切符を捕まえるだけでかなりの違反者を捕まえられるでしょうし、そう言う行動に出ることで抑止力も働こうというものです。ところがねずみ取りの入り口を誰でも脇道に逃げられる穴だらけの場所に設置して、逃げた時の為の白バイだの大人数を掛けて、慣れた常習犯を取りこぼしているのですから役所仕事はダメだと言われる訳ですよ。渋滞の元となる駐車違反を取り締まらずに、捕まえやすいバイクを狙って信号が赤の時、黄色車線で車の脇をすり抜けて来るバイクを捕まえることに精を出したり、結局警察のやっていることは、盛大に時間と人を無駄に使って手当を分捕ることと、自分たちの宴会費用となる裏金を作るためにだけ精を出しているのか!とヤジを飛ばしたくなるようなことばかりです。取り締まりをやることが市民のためになるのであれば歓迎ですが、取り締まりをするためには、その取り締まりを正当化できる位、堂々と逃げられる道を造ってからやって欲しいものです。
どうか、愚かなお役所にしか通用しない理屈での資金調達などより、住みよい環境作りを心の底から目指して欲しいものです。


入学拒否

オウムの松本被告の息子が、私立中学校に合格していたにもかかわらず、松本被告の息子であることを理由に入学を拒否された事で、生まれによる差別を受けたと学校を訴えました。

確かに生まれを理由に差別することは良くないでしょう。でも、それを私立の学校に求めるのは間違いではないでしょうか。私立の学校は元々学校が選んだ人だけを入学させる施設でしょう。選択基準が学力なのか、容姿なのか、それとも親の金なのか、それとも血液型がB型であることなのか、それは学校側が決めることです。
オウムが事件を起こした時、この子供はまだ1才だったそうで、確かに親が何をやったかは自分には全く関係のない事と言えるかもしれません。しかし、あれだけの大事件だったのですから、そこにいじめや偏見が入ってくることは否めません。それを考えたら私立の学校が、わざわざ問題の種を引き受ける事を拒否するというのは充分正しい判断だと思われます。教育を受ける権利は公立学校で享受できるでしょう。私は、その子供が及ぼす周囲への影響を考えたら、効率の学校でさえ拒否しても当たり前だなと思います。
物心も付かない内に、親がやった事で差別を受けると言うことは確かにおかしいことですが、その事件の大きさを考えたら仕方ないことだと思わざるを得ないのではないでしょうかねぇ。


成分解析


kimuchimilkさんの所でやっていた「成分解析」…こういう事は個人的に楽しんでも公表するつもりはなかったのですが、結構笑えたので公表しておきます。

lunatic
「86%の気合と7%のマイナスイオンと5%の言葉と2%の心の壁」で出来ている
Lunatic
「77%の希望と13%の純金と7%の成功の鍵と3%の心の壁」で出来ている
本名(姓と名の間にスペース無し)
「97%の夢と 3%の歌」で出来ている
本名(姓と名の間に全角スペース)
「79%の乙女心と10%の波動と7%のミスリル(ってなに?)と4%の理論」で出来ている
本名(姓と名の間に半角スペース)
「72% の下心と9%の理論、9%の言葉と6%のミスリル、4%の気の迷い」で出来ている
だそうです。

「Lunatic」の時が一番良い答えっぽいですが、「lunatic」の時と「本名半角スペース付き」が自分のことだなぁと思えました。
友達の名前を入力してみたところ姓と名の間に全角スペースを入れたら「80%の小麦粉と9%の白い何かと7%のミスリルと4%の心の壁」と出ました。うんパンが好きな彼女にはぴったりの答えだわと思わず納得。まぁこれで何が出たって「だから何?」ってなものですが、まぁ癒しにはなりました。

あ、ミスリルって指輪物語にでてきたものなのね(link)。指輪物語なんて四半世紀も前に一度読んだだけだから忘れてしまいましたわい。


賠償の必要はあるのか

2003年8月青森県の十和田八幡平国立公園の奥入瀬渓流の遊歩道を歩いている時に、落ちてきたブナの枯れ枝に直撃され下半身麻痺になった茨城県在住の女性が、国と県を相手取って「安全管理が不十分だった」として約2億3千万円の賠償を求めた裁判で東京地裁は「事故が予測できたのに枯れ枝伐採などの管理を怠った」として国と県の責任を認め1億4800万円の支払いを命じました。

これは、とんでもない暴挙というか、裁判官の暴走だと思います。
事故があった場所は国立公園内であり、確かに国が管理をする場所です。しかし、この場所はあくまでも自然が優先であり、その中に入って観光をするのは個人の責任に置いて行うべき場所です。もし国や県に責任があるとしたら、国立公園の中に遊歩道などを設け、このような自分の責任で物事を行うことすら考えられない未熟な人間を自然の中に入れ事を許してしまったことでしょう。日本では、国立公園や河川、海山などで責任も取れない阿呆が勝手に起こした事故もその事故には管理者の責任があると考える不思議な風習があるようですが、その考え方は愚かで間違っていると思います。人間がどれだけ考えても自然災害がなくならないように、自然の力の前では人間の力は無力です。だからこそ、国立公園のような自然を残すことが優先される場所では、自分の責任で行動が出来ないような人間を安易に入れるべきではないのです。その場所で自然の力による災害があることを理解して、それに巻き込まれたなら自分の責任だと思えない人は国立公園に行くべきではありません。その資格はないです。そんな幼稚園児のように誰かに引率されることを当然と感じるような人はどうか町中から出てこないで欲しいものです。このような悪例が覆ることを願ってやみません。


目次(検索)前へ後へHomePage


リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。
mail address
COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010