無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2005年08月11日(木) |
夢の中の人/『ムーミンのふたつの顔』(冨原眞弓) |
福岡市文学館(赤煉瓦文化館)に、会場の予約に出向く。 こないだ聞いたときには、受付を設置することはできないという話だったのだが、二階を全て借り切るのなら、廊下に受付を出してもよいとのこと。何分、会場が普通の劇場ではなくて「文化財」であるから、縛りはいろいろとあるのだが、それが少し緩和された感じで、少しホッとする。 まだまだ公演を打つためには乗り越えなきゃなせない壁があれやこれやとあるのだが(特に衣装)、私がやらなきゃならないのは脚本を読んだ役者のみなさんが「これなら演じてみたいな」と思えるものを書くことである。今回は殆どが劇団外部の役者さんの客演ということになるので、プレッシャーも相当なのだな。 私にプレッシャーなんてあるのかと驚かれる方もいらっしゃるかもしれないが、私にだって赤い血は流れているのであるよ(笑)。
今朝方、夢を見たのだが、夢の中で私はしげとパンフレットの打ち合わせをしているのである。今度の芝居がこれまでで一番大規模なものになりそうだから(会場は小さいが)、これまで劇団に参加してきたスタッフ、キャストのプロフィールを全員紹介しようと話し合って、見本刷りができてきたのを私は見ている(あくまで夢なんで、現実にこういうパンフはまず作らない)。
劇団を作ってそろそろ10年になろうかという、歴史だけはそれなりにあるので、関係してきたスタッフ・キャストを客演・お手伝いも含めれば30人くらいにはなる。 なのに全然大所帯になる様子もなく、キャストを集めるのにも苦労している一番の原因は、主演女優がどんどん辞めていってしまうことにあるのだが、その大半はあえて名前は伏せるけれども関係者にはバレバレな、ある特定個人のせいだったりする。 まあねえ、あの件とかあの件とか、我々も散々な目に合いはしたが、長い人生、いかんともしがたい運命というものもあろうから、今更何か文句を付けようなんて気は全くないし、少しも恨んだりしていないのである。 基本的にうちの劇団、出入り自由だから、特に申し出がない限りは正式に退団ってことはない。だから彼のこともまだちゃんと劇団員だと思っている。バツが悪くて顔も見せられないんだろうが、声をかけてくれば、元気にやってるか、くらいの挨拶はする。カネの無心は断るが(笑)。 けれども、ウワサを聞くと未だにあの件と似たような失敗ばかり繰り返しているようなのだね。いくら何でもちょっと学習能力がなさ過ぎやしないか。 もう夢なんか見てないで汗水流してちゃんと働けってば。パソコンなんて君には要らん。
夢の話なのにちょっと現実が混じってしまったが、パンフの中に懐かしい顔がいくつもあったので、ちょっとムカシに思いを馳せてしまったのである。 あの娘やあの娘は、今ごろどうしているのかなあと写真を見ていきながら、その中に一人の男の子の顔を見つけて、ハッとしたところで目が覚めた。
赤煉瓦に行った帰り道、車の中でしげに夢を見た話をした。 「K君、今頃どうしてるかなあ」 久しぶりにその名前を私が口にするので、しげは意外そうに眉間に皺を寄せて横目で私を見た。K君というのは劇団の創立メンバーの一人で、「P.P.Produce」の「パンプキン・パラダイス」というネーミングも彼が発案した。創立時のうちの劇団の中核をなしていたと言っていい。 彼にはある持病があって、当人もそれが悪化する危険を感じていながら、「今のうちにやりたいことをやるんだ」と言って、本当にエネルギッシュに活動していた。どれくらいエネルギッシュだったかというと、ピースボートに乗って世界一周の旅に出ていたくらいである。 劇団の練習に参加しているときも、エチュードをやらせれば抜群に上手く、天性の才能があると思った。贔屓目ではなく、彼がプロの役者になれば舞台であろうと映画であろうと、シリアスなドラマもコメディもこなせる個性的な俳優になれていたと思う。 第一回公演の少し前までは元気だったのだ。けれども神様はK君にたいして時間をくれなかった(だからやっぱり神様はいないのである)。病状は悪化し、劇団活動はできなくなった。それからしばらくして、K君のご家族から連絡があって、病状がやや回復したことを伝えられはしたが、それでも劇団に戻ることは期待できない状況だった。それ以来、もう十年近くが経ってしまったが、ご家族からの連絡は途絶えている。 「(ご家族も)よくなったら連絡するって言ってたし、何もないってことはまだよくないってことじゃないの?」 「やっぱりそうかなあ」 「あんた、『K君が戻って来るまでは劇団を続ける』って言ってたやん」 「言ったかな、そんなこと」 私の記憶ではそれを言ったのはしげだったような気がしたが、しげがそんなふうに思っているんじゃないかと思って、私が代弁したのかもしれない。 どっちにしろ、私もしげもずっと待っているのである。 多分、劇団のみんなでK君を知ってる人はやっぱり待っていると思うのである。 『ゴドー』だね。
このところ、アクセス解析で「日航機事故」「御巣鷹山」「川上慶子」「写真」で検索してくる通りすがりさんが結構いらっしゃって、いささかゲンナリしている。そんな写真、ここにはないぞ。つか、どうしてそんなの見たがるのだ。中にはこれに「美少女」というキーワードまでくっつけて来るやつがいるんで目的はハッキリしてるんだが。 全く、ネットってのは人間の欲望を吸引して肥大していく妖怪みたいなもんなんだなあと、三流SFマンガみたいなことを考えてしまう。 何か事件関係の感想を書くと、必ずと言っていいほど何らかの反応がある。時には何千件ものアクセスがあったりするので、「いや、うちはそういうサイトじゃないし」と困惑することもしばしばだ。ただの日記サイトなんだから、「感想」や「批評」はあっても、「情報」はそんなにない。誤解されて覗かれるのも本意ではないので、最近は事件関係については血なまぐさいのが連発していることもあって、書くのを控えるようにしていたのだ。 ところが、先日からずっとワイドショーの格好のネタになっている「自殺サイト連続殺人事件」、犯人の前上博が、「快楽殺人をテーマにした江戸川乱歩の小説を中学生のころに何冊も読み、影響を受けた」と供述していることがわかって、またもやマスコミの報道の仕方に腹を立てたんで、ちょっとヒトコト言ってやりたくなったのである。 いやね、乱歩についていろいろ言うやつがいるのはもう乱歩の生前からのことでね、正直、今更なのよ。『蜘蛛男』とか『盲獣』とかさ、今度の光文社の文庫全集版まで、「戦前に削除された部分が復活されなかった」、それくらい淫靡で風紀紊乱の罪があるってことで迫害されてきたんだからね。 けれど文学が人間の本質を描き出すことを目的としている以上、闇の部分を見通していくことは絶対に必要なことだ。だからこそ乱歩の描いてきたエロ・グロの世界は、どんなに弾圧されても必ず蘇ってきた。この世の中に「快楽殺人の欲求」を持っていない人間なんて存在しない。そこまで行かなくても、「女の首を締めたい」欲求を持たない男なんて存在しない(そこの彼女、彼氏に「あなたは私の首を締めたいと思ったことある?」と聞いて御覧なさい。もしそこで「ないよ」と答えたらそいつは天性のウソツキだから早めに別れた方が無難ですよ)。宮澤賢治にだってマハトマ・ガンジーにだってそれはある。斉木しげるだって「みなさん、女の首を締めたいと思ったことは?」とコントの中で言っている(おいおい)。 だから我々は乱歩を読み、自らの内なる変態性に向き合いそれを克服する必要があると言える。 それがまあ、テレビの報道の仕方がどうかって言うと、特定の文庫本をズラッと映し出して、いかにもこれが犯罪の元凶であるかのように演出するのだよ(もちろんそんな馬鹿な報道なんかしない局もあったが)。 我々もこれまでたくさんの事件を見てきて、事件の全体を詳細にレポートした本なども何十冊も読んできている。だから、犯人が供述する内容が実はきわめて多岐に渡っていることも、テレビや新聞で報道されるのはその中のほんの一部に過ぎないことも、充分知っているのだ。情報の取捨選択の基準となるのは、それがどれほどキャッチーか、悪く言えば扇情的な効果があるかってことに限られていて、「真実を報道する」なんてことをマスコミはこれっぽっちも考えちゃいない。 犯人の変態性欲が乱歩の小説だけで喚起されたわけではないことは明らかである。しかし、テレビは、マスコミは、常に犯罪の原因が犯人以外のどこかにあるように演出する。いい加減で、「そういう演出こそが事件を単純化し、原因究明を阻害する原因になっている」ことに気付いたらどうなんだ、とマトモな神経の持ち主は誰もが言ってることだ。なのに、マスコミは日本で一番馬鹿な連中が集まるところだからそんな批判にはキョトンとするばかりで、今後も改善の余地はまるで見込めない。 まあ、乱歩は今更この程度の横ヤリで消されてしまうようなヤワな作家ではない。かえってこれが宣伝になって、全集の売り上げが伸びてくれればいいくらいのものである。乱歩に興奮してまたぞろ犯罪に走るやつが出るんじゃないかと心配の方々にはこう言っておこう。そういう変態は生来のものだから、乱歩を読まなくてもやっぱり必ず犯罪に走るのである。かえって影響を受けて「早めに目覚める」から、早期発見、犠牲者が少なくてすむくらいだ。 今回の事件で問題になるのは、既に犯人に犯罪歴があり、その性癖が早期発見されていたにもかかわらず、示談だの執行猶予だの微罪だのってことで簡単に社会復帰させた法制度の不備と、こういう変態をぶち込んどく施設を建設しない行政の怠慢と、そもそもこいつがどうしようもない変態だと知っていて放置しといた親の罪だ。なんで早いとこ首締めて殺しておかないかなあ。 気になるのはねー、こいつ、自殺志願者を殺したわけだからうまい弁護士に当たっちゃったら殺人じゃなくて自殺幇助かなんかになっちゃってまた社会復帰したりしやしないかということなんでねー、さすがにそれはないと信じたいんだけれども、もう何が起こったっておかしかない世の中だからね、ぜひとも検察官のみなさんには頑張ってこういう変態は早めに死刑にもってってほしいのである。
冨原眞弓『ムーミンのふたつの顔』(筑摩書房)。 筑摩なら、いつか文庫になるだろうから、それを待ってもよかったかと思うがつい買ってしまった。ムーミンファンも長いと、ちょっとでも目新しい本が出るとつい買ってしまうのである。 『ムーミン・コミックス』の翻訳のほか、ムーミンシリーズに深く関わった著者による「ムーミン概観」というべき本で、単に作品の紹介に留まることなく、作者のトーベ&ラルス・ヤンソンの小史も付し、世界でのムーミン受容史も可能な限り紹介しており、文化史的にムーミンをどう捉えればよいかを考察するためのよすがとして、非常にうまくまとまっていると言える。 もちろん、一冊の本にムーミン史をまとめることなど容易なことではないので、物足りなさを覚える面はある。アニメからムーミンに入った世代としては、日本では絶大な人気を誇る「スナフキン」の造形に深く携わった監督の大隅正秋(現・おおすみ正秋。言わずと知れた『ルパン三世』第一シリーズの監督でもある)の名が全く出てこないのが残念でならない(アニメシリーズの流れを概観はしている)。引き合いに出されている『となりのトトロ』(もちろん、「トトロ」の語源となった「トロール」は、「ムーミントロール」のそれと同じものだ)の宮崎駿の名前は出しているのに。 けれども、逆に「アニメのムーミンしか知らない」日本のファンにとっては、ムーミンが「様々なふたつの顔」を持っていることに驚かされる内容になっている。以前、日記に書いたことがあるが、アニメしか見たことがない人が小説に「ノンノン」が出てこないことに驚いたということがあるのだ(原作ではあくまで「スノークのおじょうさん」である)。 私とて、アニメのムーミンが初体験であるから、原作小説のいくつかを読んだときにはその「暗さ」に驚いたものである。本書でも内容が詳しく紹介されている『この世のおわりにおびえるフィリフョンカ』では、神経症に罹ったとしか思えないフィリフョンカの姿が描かれ、そして驚いたことに「偶然にも」彼女の不安は的中して、突然の竜巻で彼女は全ての財産を失ってしまうのだ。しかし彼女はようやく「これで破滅の不安に襲われずにすむ」と思い、笑い出してしまう。およそ児童文学には不似合いなブラック・ユーモアで、小学生でこれを読んだときの何とも言葉にできない違和感は、未だに鮮明に脳裏に蘇ってくる。 作者のトーベ・ヤンソンは、自らのこうした「暗い作品」に「子供向けではないのではないか」と批判が寄せられたときにこう明言している。「説得力のある児童文学とは、象徴や自己同一視や自己執着に満ちていて、幼い読者とは無縁の代物だ」と。簡単に言えば、「私は自分の好きな世界を書く。子供に媚びる気はない」ということであろう。媚びた文学はかえって子供からそっぽを向かれることもしばしばだ。この姿勢があったからこそ、ムーミンシリーズは人間の原初的な感性と感情とを、登場するさまざまな得体の知れないモノノケたちに託して象徴的に描くことが可能だったのだろうと思う。 日本のファンで、トーベ・ヤンソンがフィンランド人であることはかろうじて知っていても、実は彼女がフィンランドの少数民族であるスウェーデン系フィンランド人であり、ムーミンシリーズが全てスウェーデン語で書かれていたという事実まで知っている人はそう多くはないだろう。そういった作者の出自と、ムーミン一家がムーミン谷に至るまで、家族離散の中で放浪の旅を続けていた事実とは決して無関係ではないと思われる。小説によって、ムーミンたちが一般的な「明るいムーミン」と「寂しく暗いムーミン」のふたつの顔を見せているのは、ヤンソン自身がいくつもの「ふたつの顔」を持っていたことに起因しているのに違いないのだ。 ヨーロッパのムーミンと日本のムーミン、明るいムーミンと暗いムーミン、ラルス・ヤンソンのムーミンとトーベ・ヤンソンのムーミン、児童文学のムーミンとコミックスのムーミン、そして児童作家としてのヤンソンと、大人作家としてのヤンソン……。いくつもの二項対立を積み重ねながら、筆者はムーミン世界の多様性を詳述していく。 ムーミンシリーズの開幕作品『小さなトロールと大きな洪水』が上梓されたのは1945年。今年は戦後60年というだけでなく、ムーミン生誕60年でもある。小説のムーミン、コミックスのムーミン、絵本のムーミン、ヤンソンのほかの大人向けの小説、自伝などが今でも全て読めるのは本国フィンランドを除けば、世界では日本だけである。この中のどれか一つしかムーミンを知らないという人には、本書はそのサワリだけでも触れることができるきっかけになると思う。
2004年08月11日(水) ウソツキは恋の始まり 2003年08月11日(月) 水がまた来る/『さちことねこさま』1巻(唐沢なをき) 2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダム�供〃邯�蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか 2001年08月11日(土) 代打日記 2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|