無責任賛歌
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突然できちゃった連休なので、日がな一日、ホームページの原稿書き。短く書こうとしているのに、コンテンツも日記も、なぜかどんどん長くなる。なぜかしら。 しげも仕事は休みなので一日ゆっくり。夜、映画に出ようかと思っていたのだが、ここのところの疲れが溜まっていたしげが「明日にしよう」と言い出したので、結局一日中、のんべんだらり。こういう一日のほうが、書くことあまりなくて日記に時間がかからなくてすむので助かるのである(^o^)。
日本映画専門チャンネルで、『他人の顔』『心』など。 ここのところ毎日朝の時間帯に文学原作シリーズをずっとやってくれているのだが、だいたい1950年代を中心とした映画が多い。思いきり古い谷崎潤一郎製作の『蛇性の淫』とかやってくれないものだろうか。ってフィルム残ってないんだけど。川端康成の『狂った一頁』は現存してるんだから、そういうのに目をつけてくれてもいいと思うんだが。 『心』は漱石原作の映画化だが、原作に忠実な市川崑監督版ではなくて、現代に舞台を移した新藤兼人監督版のほう。主演が松橋登と辻萬長とでは、漱石の雰囲気は全然ない。 それまで寝ていたしげが起き出して来て、「なにこれ?」と聞くので「『こころ』だよ。漱石の」と答える。ふと、「おまえは『こころ』を読んでたっけ?」と聞いたら、「途中まで読んだけど、鬱陶しくなったんで後ろは飛ばし読みした」。しげにかかっては漱石も鬱陶しいの一言で終わりである。 あれは、漱石自身、構成や人間心理に難があったと失敗作であることを認めているし、弟子の芥川龍之介からも「未だし」と斬って捨てられている作品である。国語の教科書などでは古今未曾有の傑作のように紹介している例が多いが、無批判に受け入れているだけではなかろうか。もっとも、面白い部分がないわけではなく、「先生」が「奥さん」に向かって、「お嬢さんをくださいくださいぜひください」「急ですねえ」「急に貰いたくなりました」と迫るあたりの描写は、ユーモリスト漱石の面目躍如といったところである。高橋留美子もここに大ウケしていたっけな。 しげ、映画を見ながら、「あれ? この二人、『奥さん』を取り合うんじゃなかったっけ?」とまた記憶違い。「未亡人取り合ってどうするんだよ。『お嬢さん』の方だよっ!」と訂正する。
DVDで『五辨の椿』。これもホームページに批評を書こうと思っているが、原作にかなりムリのある作品なので、ちょっと意あって力足らずの感。
せっかく昼間は家にいられるのだからと、しげと『牡丹と薔薇』36話を見る。 先週、後半は見ていなかったが、ぼたん(大河内奈々子)は失恋の痛手から立ち直って、もう新しい男・清原由岐雄(西村和彦)と婚約まで行ってるようである。で、やっぱり香世(小沢真珠)と三角関係になってるのだな(^o^)。 で、香世は由岐雄に振り向いてもらいたいために、由岐雄の友人で、自分は好きでも何でもない賢太郎に身を任せてしまうのだ。いや、そんなことされても振り向く男はいないと思うが。 当然、由岐雄の気持ちは変わらないので、香世は処女の上げ損である。効果がなかったと知ると香世は途端に賢太郎を邪険に扱い出す。 「愛してるって言ってくれたじゃないか!」 「肉体関係を持ったからって愛しているなんて勘違いしないでよ、この猪野郎! 私はただあなたと寝れば由岐雄さんが嫉妬してくれるかと思っただけなの! 私はあなたが嫌いなの、気持ち悪いの!」 と、こういうセリフを衆人環視の喫茶店の中で大声で叫んでるのだな。恐るべし香世! で、次に香世が取った手は、「私だけが汚れたままなんて許せない。ぼたんも汚れるべきなんだわ!」と言って、友人の不良たちにぼたんのレイプを頼むのである。 いや、処女じゃなくなったのが汚れたのかどうか、解釈は勝手だけど、自分からしたことでしょう。先週は「許してぼたん!」とか言ってたのに、女の顔はコロコロ変わるなあ(^_^;)。 いつもそうだが、こういう事態に男は常に無力である。止めろよ由岐雄。 しげに、「『昼メロ』って凄いなあ」と言ったら、「いつもこんなもんだよ」と平然として言う。いつもこんなの見てるのか。主婦の教育上、頗る悪いと思うが、子供番組の規制を云々する人たちは、一度、昼メロやワイドショーを御覧になってみたらいかがだろうか。
2003年02月23日(日) オタクアミーゴス in 九州 V(ファイブ)�� 2002年02月23日(土) トンデモさんが一杯/映画『カタクリ家の幸福』ほか 2001年02月23日(金) 哀愁列車/『ちょびっツ』1巻(CLAMP)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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