ケイケイの映画日記
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2011年11月13日(日) 「恋の罪」

本年二度目の園子温監督作品。東電OL殺人事件は、たくさんの表現者たちの感性を刺激するようで、本作でもこの事件にインスピレーションを受けての映像化です。監督の談話に寄ると、男性目線にならないように気をつけた、と言う事ですが、前半はあまり功を奏しておらず、これは男の妄想だよと言う場面が多く、くだらないなぁと思っていました。しかし、後半は息を吹き返したように俄然盛り返してくれます。う〜ん、でもなぁ、登場人物全ての女性は理解出来るし、嫌悪感もないのですが、共感出来る女性が一人もいないのです。同じように愛が欲しく壊れてしまった女性を描く「人が人を愛することのどうしようもなさ」では、あんなに自分と置き換えて観られたのにと思っていたら、ふと気付いた事がありました。それも書いておこうと思います。

東京のラブホテル街にある、廃屋のようなアパート。猟奇的なバラバラの女性の遺体が発見されます。刑事の和子(水野美紀)が担当です。頭部が発見されず、遺体が断定出来ない中、エリート助教授美津子(冨樫真)と、作家菊池(津田寛治)の貞淑な妻いずみ(神楽坂恵)が、捜査線上に上がります。和子自身、夫と子供のいる幸せな家庭がありながら不倫しており、この事件を通じて、自分自身の心の闇と向かい合うようになります。

三人三様、自分の持つ女の性に翻弄される様子は充理解出来る理由です。いずみがあれよあれよと言う間にAVに出演させられ、自分の中で仕舞い込んでいた性の淵へと流れ着くのがあっと言う間の様子は、「冷たい熱帯魚」の社本が、村田の口車に乗って詐欺や殺人の片棒を担いでしまう様子に似ていて、とても納得出来ました。和子の場合も、冒頭あんな凄い遺体を、眉一つ顰めず検証したあと、家に帰れば食事の用意が待っている。それを淡々とこなす彼女には、浮気という非日常を作らねば、自分の精神を保てなかったのでしょう。「マイレージ、マイライフ」のアレックスと同様の理由だと思いました。一番東電OLを彷彿させる美津子は、やはりエリート稼業のストレスのせいで、と思いきや、その奥にもっと根深いものがありました。

じゃあ何が男目線だと感じたかと言うと、いずみの造形です。あんな幼稚で未熟な30前の女、いるんでしょうか?作家の夫は朝7時から夜9時まで別宅で執筆。ご飯を作ることもなく、唯一夫のためにすることは、毎朝起こして定位置にスリッパを置き、夫好みの味の紅茶を入れること。セックスはなし。これで夫を疑う事を知りません。こんなボンクラいるか?私は始め、この夫は官能的文芸作家なのに不能なんだわと思っていました。が!風呂場で「久しぶりに僕の裸を見ていきなさい」だと?あげく局部を触わっていいぞ(映画ではそのものズバリの言い方)、嬉しいか?だと?あー、気持ち悪い気持ち悪い!いずみは泣きながら「夫がピュア過ぎてついていけない」と号泣しますが、いやいやあんたの亭主は、自己愛が強くて変態なだけだよ。それを満面の笑みで触って「ハイ、嬉しいです」なんて言う30前の女、いないって。

段々と性に大胆になり、あの男この男に体を開くいずみですが、その描写がなぁ。「淫売と言え!」と言われて彼女が興奮している様子とか、夫に電話させて挿入して、悟られないように必死によがり声を我慢させるとか。正直失笑しました。和子も浮気相手から「このビッチ!下品な女だな」と言われるまま、テレフォンセックスで和子が興奮する様子が描かれます。いや東電OLだって実際の事件なんですから、そういう女性もいるんでしょう。でも二人ともって、どうよ?これじゃ女はみんなそうですよ、と言う風に受け取れます。女性がそういう言葉を吐くとき、それは相手がより興奮するからと言う「親切心」があると思います。電話のプロットはよく使われますけど、「子宮信仰」が強すぎる気が。普通の女が性に翻弄されると、みんなにマゾっ気が起きるはずはなく、女王様になる女も描いて下さいよ。

いずみ自身は未熟でも好感の持てる女性です。元々夫を愛していると信じているいずみ自身、本当に愛しているのは「夫に愛されている幸せな自分」です。これも自己愛だけど、こういう錯覚は若い時にはあるものです。私がいずみを好ましく思ったのは、「セレブ妻」だから幸せではなく、「愛されている妻」と言う部分です。この感覚は大変品性が良ろしくってよ。退屈だから何かしたいと、日記に認めますが、「何か」と言うのはセックスなんですね。このままセックスなしで女が30迎えていいものか?と、日記にさえ書けない、いやいや自分でも認めていない風情は、慎ましく感じました。

と、いずみは好きだけど退屈だべと思いながら観ていましたが、今作のメフィストフェレス役・美津子が出てきてから、俄然活気を帯び、サスペンスフルな展開に。カフカが出てきたり、わかったようなわからないような「城」の引用、言葉は体だ、みたいな一見哲学風ないずみへのお説法は、あんただって観念でしか、わかってないんだろうと思っていました。

この見方は当たったようで、美津子の母親(大方斐紗子)が出てきてから、一層加速。美津子の神経を蝕んでいた原因は、実は母親との確執でした。それも実の父親を挟んでの女同士のドロドロの嫉妬。亡くなった父親の方も相当なもんで、あんな卑猥なポーズで娘のヌードを描くのですから、娘に欲望があったと思います。しかし瀬戸際の理性が鬼畜にさせなかった。そのせいで愛する者からの愛は生涯得られず、それが美津子の精神を蝕んだ一端です。美津子が可哀想なのは、そういう夫を観て、普通は女より母親が勝って離婚騒ぎになるはずが、この母は普通の夫の浮気のように相手の「女」を責めるのですね。これがため正常な大人になれなかった美津子。変態だけど相当切ないです。

女優はみんなすごく好演で、とても満足しました。圧倒的だったのは冨樫真。舞台女優さんだそうで、本来なら手足の長いモデル体型と羨ましがられるはずが、とても貧相に感じる全裸を晒し、表と裏の人格まで様変わりする様子を、声まで替えて大熱演。すっかり魅せられました。「冷たい熱帯魚」以上に体当たりの神楽坂恵は、決して美人でもなく演技も上手くなく、でもこの裸が使えるならば何でもしようという女優根性が天晴れ。とにかく一生懸命でいじらしいほど。私はこの子好きです。自分の「愛」の正体を観てからの演技は壮絶で、特に印象深いです。水野美紀は二人の堕落していく女性たちを、観客といっしょに見つめて行くという役柄を理解しての、抑えた演技が良かったです。

と、ここまで自分なりに咀嚼出来ているのに、何で私は誰にも感情移入できないのか?「人が人〜」の石井監督は、この作品の女性たち以上に名美をいたぶっていました。でも石井監督はいたぶりながら、自分も名美と一緒に地獄に落ちてもいいと思っていたんじゃないかしら?愛していたと思います。今作の女性たちは、世間から淫売と罵倒される女たちで、汚らしいセックスもたくさん出てきて、でも決して彼女たちは下劣には感じません。その辺に園監督の彼女たちへの敬意は感じるのですが、何というか冷静なんだな。決して冷徹ではないけれど。女が素っ裸なのに、傍らにいる男性が冷静だと、大変居心地は悪いわけで。一緒に地獄に落ちてはくれなさそうです。私は救ってくれないなら、一緒に地獄に落ちてくれる男がいいな。

それとも監督は、女が性に翻弄されて地獄に落ちるのはダメだと思っているのかな?和子の相棒の刑事のゴミ出しをする主婦のお話、覚えて置いて下さい。そして最後までエンディングを観て下さい。園監督、過激な作風の割には、案外倫理観はしっかりしている人なのかも。

田村隆一の詩、「帰途」の引用が何度も出てくるのは良かったです。本当にこの詩を理解したのが、全てから開放されたいずみだったと言う描き方も。昔亡くなった森瑤子のエッセイを読んで、英国人の夫を持つ拙い英語しか話せない自分が夫婦関係を継続出来て、現地人と遜色なくフランス語を話す妹が、フランス人の夫と離婚したという記述を、思い出しました。

それにしても女性の性を扱う作品は、男性は品性下劣か変態かボンクラばっかり。一度女の性を救う崇高な男性を見てみたいもんです。年齢や性別により、見方の変わる作品だと思うので、色んな方の感想が拝読したくなる作品です。


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