ケイケイの映画日記
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2009年09月03日(木) 「3時10分、決断のとき」




素晴らしい、素晴らしすぎる!今年何度書いたかわからない、このフレーズですが、今年の私の暫定一位作品とあっては、書かずにはおられません。この作品、2008年度のオスカーでは、音楽賞と音響賞だけにノミネートらしいですが、いったいオスカー会員はどこに目をつけているのか?小一時間どころか、一週間は問いただしたい気分です。監督・作品・主演&助演男優賞、全てノミニーなしなんて、本当にふざけています。ケレン味一切無し、西部劇として堂々の正攻法で、骨太に男の世界を描いた傑作です。監督はジェームズ・マンゴールド。1957年度作品「決断の3時10分」のリメイクです。

南北戦争で片足を失った牧場主のダン(クリスチャン・ベール)。妻(グレッチェン・モル)と二人の息子(ローガン・ローマンとベン・ペトリー)の四人暮らしです。しかし干ばつが続き牧場の運営は苦しく、借金がかさみ生活は苦しいです。そんな時、悪名名だたる強盗団のベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)が逮捕される時に、偶然居合わせたダンは、三日後ベンを裁判所のあるユマ行きの列車まで護送するのに、名乗りを挙げます。表向きは報酬で借金を返済することでしたが、ダンは自分の人生を賭けた、ある決意を胸に秘めていました。

ラッソーが本当に素晴らしい。彼が名優であるというのは認めていますが、正直苦手だった私が、今回文句なく惚れました。冷酷非情な悪党の面を露わにしても、それを凌駕する魅力がいっぱいです。類まれなガンさばき、聖書の一節をそらんじたり、人物をクロッキーするエレガントで知的な風情、逮捕されても全く動じず泰然自若な様子は、圧倒的な男としての自信に充ち溢れています。それらを立証する数々のエピソードを挿入しており、それは残虐であったり華やかであったりするのですが、一貫してウェイドの器の大きさとカリスマ性を描写しています。ラッソーはこれらを見事に体現したのですから、惚れるなと言う方が無理。私の気持ちは、酒場の女や妻、息子たちで代弁されていました。

対するダンですが、確かに甲斐性がなく、妻子の信頼は薄れ、難しい年頃(14歳)の長男には秘かに反抗され、立つ瀬がありません。しかし私には過剰にダンが自分を卑下しているように感じます。男なら誰でも自分の愛する妻子に、裕福な暮らしがさせたいでしょう。それを出来ない腑甲斐無い自分を責める男としてのプライドは、痛いほどわかります。でも確かに所帯やつれはしていましたが、女の私から観て妻のアリスは、不幸な妻には見えませんでした。それは子供たちとて、いっしょ。妻子は心の底では、夫・父親を、もう一度信じ信頼したいからだと思いました。それが何故なのかは、最後のダンの告白で理解することが出来ました。演じるベールは、私は大好きな人なのですが、ここ最近の「ダークナイト」「ターミネーター4」と、たて続きに超大作の主演を張るも、あまりの存在感の薄さ華のなさに、可愛さ余って憎さ100倍、もうファンなんか辞めてやる!の心境でしたが、こういう地味で切々とした男心を演じさすと、本当に上手。大物ぶりを発揮するラッソーに対して、受けの演技が要求されたと思いますが、一歩も引かない好演だったと思います。

不始末を仕出かした手下を始末した時、「油断したからだ」と言うベン。ベンが逮捕されたのも油断したからでしょうか?直接の原因は、会話を引きのばしたダンの機転でしたが、私はその前から始まっていたと思います。

ベンが酒場女のエマをじっと見つめる様子は、私には性欲とは感じられませんでした。あれは女の人肌を恋しがっている目、ではなかったでしょうか?緑の目の女が好きだと語り、ここをいっしょに出ようと、エマを誘うベン。ならず者に決まった女は不似合いでしょう。彼女が緑の目をしていたから、ベンは心が動いたのでしょうか?ベンの眼差しは、アリスにも向けられます。アリスにも緑の目の女が好きだと語るベン。それはもしかしたら、彼の母のことだったんじゃないかと思うのです。

ユマに到着するまでの道すがらは、西部劇らしい馬での追いつ追われつの様子や誰が生き残るのか?という銃撃戦、お約束の山間での野宿、インディアンまでアイテムとして上手く使うという、実にオーソドックスな作りながら、常にベンが、何をしでかすかわからない不敵さを匂わせているので、緊張感がずっと持続します。

ユマに到着してから、ホテルで待機してからの展開は、本当に秀逸。私はオリジナルを知らないので、本当に手に汗握りました。ベンの実力からしたら、例え手錠をかけられていたとしても、一人で逃げることは、いつでも出来たと思います。寸でのところで意外な人物が助けに入ったりしますが、それは目くらましで、私はダンがどこまで出来るか、ベンが確かめたかったから付いてきたように見えました。それはベンの家で食事を取り、平凡な家庭の姿を観た時、決めたのでしょう。油断ではなく、家庭への郷愁がそうさせたのではないかと思います。

絶体絶命の危機に、自分の気持ちをベンに語るダン。そこには妻子に男としての良心と誇りを見せたいダンがいます。その事にベンは気付いていたのでしょう。奇妙な連帯感が生まれ、お互いを思う心が会話の中で交錯します。そして息子たちに対する最大の気持ちを語るダンに、私は息を飲みます。

ダンは父親。私は母親。同じ親でも私はダンが抱く気持は、思ったことがないのです。父親と言う生き物は子供を選別し、優秀な子を引き上げる本能が備わっている。対する母親は、分け隔てなくどの子も愛する本能が備わっている。そう書物で読んだことがあります。父親の子供に向ける厳しい本能は、実は父親自身にも向けられているのだと、まざまざ感じました。

その言葉を聞いた時、ベンの気持ちが決まったのではないかと思います。俺の飲んだくれの親父だって、ダンと同じ気持ちを持っていたのだろう、でも叶わなかった。ダンのような気持ちを持ち続ける男が父親ならば、例え甲斐性はなくとも、母親は俺を捨てなかったのだ、アリスのように。付いてきたダンの息子は、ベンの男としての器量に憧れていました。その息子の前で、お前が憧れるのは俺なんかじゃない、お前の立派な父親だと、見せてやりたかったのだと思います。それは幼かった自分への慰めの行動でもあったでしょう。

サム・ペキンパーは、虫けらのようなアウトローたちの崖っぷちの男の意地を、凄惨な暴力描写を使って描き、観る者の心を熱くさせ、カタルシスを感じさせてくれました。悪党は悪党同士、深い絆がありました。しかし最後の最後、ベンが取ったような行動は観たことがありません。所詮悪党は悪党、絆などまやかしだと、ベンは語っているように思えます。「本当に悪い奴しか、ボスになれない」と、ダンの息子に語っていました。しかしそれは同じ悪党に向けた言葉なのでしょう。「良くやった」とダン見せた笑顔は、同じ悪党には決して見せなかった笑顔だと思います。

この作品のレビューをちょこっと読むと、「この男くさい世界、女性にわかるのか?」と言う男性諸氏の懸念の言葉が並んでいました。御心配めさるな。男を描くと言うことは、それを通して女は男を見つめている、と言う事です。私はダンにもベンにも、心打たれて泣きました。女だって充分理解出来ますよ。

この映画のことは伝えず、夫にダンの言葉を尋ねました。「父親なら、誰しもが思う事やろう。」という答えが返って来ました。ごめんね、お父さん。お父さんがそんな気持ちをずって抱いていたなんて、全然知らんかった。至らぬ妻で本当にすみません。この気持ちがあったから、夫は恵まれない時も自暴自棄にならず、ずっと真面目に生きてくれたのだと思います。ダンのように。


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