-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 ファッションブランド【PUBLIC】

先週くらいだったかな、
【PUBLIC】というQueen Westにある
洋服店のデザイナー、Marie から
トロントで年に二度開かれる【Fashion Week】という
ファッション祭での ショーの舞台美術を頼まれたんだよね。

Japanese Popみたいのをイメージしてて
オイラがやったら日本人のお客さんも集められると思ったらしい。
結局、時間も無いし、ノーギャラだというんで断ったんだけど
日本人のお客さんを呼ぶくらいは手伝ってあげようと
Bitsに広告を出してあげることにした。

ただ広告出しても人は動かないんで
タダ券を何枚かプレゼントしたら?って提案したところ
何と、クーポン広告持参で、全員タダ!という
もの凄い太っ腹な答えが返ってきた。
オイオイ、Marie本気か?!
一枚$25もするのに??

要は、オイラに払うギャラ(現金)は無いけど
現物支給だったら幾らでも出来まっせ!ということらしい。
あとは、実際に日本人が動くかどうか。
一回だけの広告だし、
いくらタダでも興味ない人は行かないだろうし。
どうだろう?

オイラだったら、行かない(ははっ)
実も蓋もないじゃん。
もし興味のある人がいたらここのウェブサイト
Bits3月2日号の広告を見てね。



2005年02月24日(木)



 【ダ・ヴィンチコード】


小説【ダ・ヴィンチコード】をむさぼり読む。
それこそ四六時中
電車の中や
食事のときや
寝る前にベッドで読み耽り
昨日借りてから一日で上巻を読破。
面白いなぁ、コレ。

フィクションはフィクションなんだけど
ベースにある背景や組織なんかは
ノン・フィクションみたいなもので
嫌が王にも知的好奇心をビッシビシ刺激される。
世の中知らない事だらけだけど
よくもまぁ、こんな凄い事実を織り交ぜて
書けるもんだと関心する。

それにしてもダ・ヴィンチ=画家という認識を
完全に覆されたな。
それまで画家だけじゃなく
幅広く人体や科学に精通していた人だとは思っていたけど
画家は単なる彼の一側面でしか無かったということか。

この本が映画化されると聞いたけど
果たしてこのインテリジェンスをどう映像化するのか?
無理だろうな。
それを差し引いても、立派にエンターティメントとして
成立するだけの面白さはあるけどね。

2005年02月23日(水)



 短いミーティング


16日の日記で書いた【ある人】と
夕方に待ち合わせて初のミーティング。
ガッツリ時間を取るよりも
短いミーティングを頻繁にやる方が好みだし
実際、効率もいいので
馴染みのカフェでサクっと対面。

「二人だと緊張するので・・・」と
ビールを煽って待っていた彼女。
また意外な面を見た感じ。
旧知の仲なので、実際には緊張などしないのだけれど
改まって会うのは確かに妙な感じがする。
これまで仕事を通して
オイラが一方的に喋る側で
彼女が聞き手側だったので
それが並列に並んで何かを企てようとするのだから
その違和感は多少あるのかもしれない。

いつ
どこで
何をやるかの、
「いつ、どこで」はもう決まっている。
本題の「何をやるか」を話合うためのミーティング。
ひと口に【平和運動】と言っても
誰に向けて発信するのかで内容も大きく変わる。
思いつくままに言葉を投げていくうちに
自然と「子供たちだよね、やっぱり」という流れに。
しかし、子供たちが自発的に
平和運動の場へ足を運んでくれるわけじゃない。
その父親や母親たちが興味をもってこそ
はじめて子供たちの顔がそこに見えてくる。

好きなTV番組は、子供たちが自分で決められるけど
そもそも親がTVのスイッチを消してしまったら
そこには何も無いのと一緒。
せめてスイッチを入れさせる、
このチャンネルは見てもいいよ、
と思わせることが必要かも。

あっという間の2時間。
それぞれの考えを合わせてみて
大体の方向性が見えた。
宿題、課題もできた。
次回に日記を付けるときには
もうちょっと具体的に書けるかもしれない。


2005年02月22日(火)



 別腹(べつばら)


ノブ・モーリーとランチ。
スタジオの一階【スシ・タイム】で働く友達のジョバンニが
長年働いたそこを、もうすぐで辞めてしまうので
顔見せがてらにランチを食べに行った。
デザートに抹茶アイスをもらう。

スタジオに戻ってノブが制作した
【笑和ショー】の販売用DVDのパッケージをデザインする。
と言っても、チラシで使ったデザインを
ちょこっとレイアウト変更しただけなんだけど
プリントアウトしてDVDケースに入れてみたら
これがビックリ!
ちゃんと商品ぽく見えるじゃん!?
凄い、(ダサ)カッコイイ!
二人で盛り上がる。

調子に乗って【笑和ショー】のポスターも印刷。
あのアンディ・ウォーホルとバスキアが行なった
ジョイント展覧会での通称【Boxing Poster】のパクリ。
お笑い vs アートの対決を連想させる。















ポスター用に日本語でキャッチコピーを入れよう
ということで、幾つか案を出し合った上、以下に決定。
「過去 いま 未来
  気持ちいい?」
超、意味不明。
しかし、取りようによっては深いのだ、これが。

いつの間にか、外は大吹雪。
雪がガンガン積もりそうな気配だ。
Bloor x SpadinaでR子と待ち合わせ
インド・ネパール料理を食べに行く。
彼女の奢り。
実は雑誌の懸賞で、ここの食事券が当たったのだ。
きっと二人じゃ食べきれないと見込んで
同級生だという仲のいい友達を招待。
カレーやらチキンやらを適当にオーダーしたが
予想を超えて3人でも食べ残してしまった。

止む気配のない雪を見ながら
近所のカフェでまったりする。
雪見だ、雪見。
暖かい部屋の中から、吹雪を眺める。
北国に住んでいて、本当にいいなと思えるひと時。

しかし、女の子はスゴイ。
あれだけ食べたのに、デザートにケーキを食ってる。
お友達曰く、別腹(べつばら)は実在するのだという。
TVの検証番組で
満腹の人の胃をレントゲンで撮って
それからデザートを見せたら
その瞬間、ポコっと胃に空間が生まれたらしい!
驚嘆の事実だ。
脳に刺激が云って、胃が拡張するのだ。
そう言われると思い当たる節はあるな。

胃だけに限らず、視覚から脳に伝達されて
身体の機能が反応することってよくあるよね。
レモンを見ると酸っぱさを連想して
唾液が分泌されるのとか、
それまで空腹感がなくても
美味そうな匂いをかぐと、急にグ〜っとお腹が鳴ったり。

でもオイラは、デザートを見ても反応が無い。
男の人って結構そうじゃん!?
体の摂理に反してるというか
つまんない生き物だよね、男は。
女の子の方が変化に素直な分、
人生に楽しみが多いような気がする。
食べ物もそうだけど
泣いたり、笑ったり、感情を表に出すのもね。

オイラが描く絵に女性が多いのは
男性に比べて女性の方が
感情の変化が外面的にものすごく把握しやすいから
ってのが理由だったりする。
要するに、描きやすい、絵にしやすいってこと。



2005年02月20日(日)



 昭和40年代


昭和40年代に生まれた日本人を対象に
親睦会を開こうと友人のS女史が企画。
バッチリ、オイラも40年代入ってます。
Bitsなどの誌面を利用して宣伝したら
すごい反響があったらしく
何と、30人近くが集まった。
キャンセル待ちも出たらしいぞ。
何のイベントだよ?って感じだけど。

昼過ぎからキャンバス貼り+ジェッソ塗りに
没頭しすぎたオイラは、1時間遅れの夜7時、会に合流。
うわぁ〜、すんごい。
30人も集まると、ちょっとした団体だ。
ワーホリ最終組や
学生、インターン、
もちろん移民やワークビザでカナダに滞在する人々。
全員30代ということもあって
場は落ち着いた・・というか、渋い。
渋い空気だ。
熱海へ行く温泉ツアーか何かの雰囲気も漂う。

「遅いですよー!」とS女史に怒られ
そそくさと空いてる席に座る。
ゲッ、名札付けるの!?
見れば、皆の胸にはしっかりと名札が付いている。
カズさんやジョバンニまで・・・。
うーん
こういう場では「トモレノン」と書くのが躊躇われる・・。
誰も顔は知らないだろうと思いつつ
本名を書こうと思ったら
横でS女史が
「画家のトモレノンです」
って紹介してるじゃーん(凹)
よって自動的に名札にはトモレノン。
禁酒中のためダイエット・コークを飲んでいると
「あの・・、ニューヨークでこれ見ました」と
ある女性が新聞を手に寄ってきた。
【Daily Sun】じゃぁないですかっ!
12月30日号、オイラが表紙になったやつだ。
嬉しいけど、何でそれ持ってきてんのさ?

9対1で圧倒的に女性が多く
座ったテーブルに男はオイラ一人。
これって、もしかして合コン!?
自慢じゃないですが、
生まれて一度も合コン行ったことないです。
ただ縁が無かっただけです、ハイ。

相変わらず渋い空気を
どうやって泳ぎ出そうか迷っているところに
救世主が登場!
S女史の亭主であるKさんだ。
カナダ生まれで、ほとんど日本語を話さないので
ちょっと場の雰囲気に飲まれていた彼。
音楽やアートなど、共通の趣味が山ほどあるので
自動的に二人だけの空間が出来あがる(笑)
無人島で出会った、久々の人間のようだ。

やや暫くして、一次会がお開き。
しかし20名ほどがまだ飲み足りないというので
二次会の場所探しを命ぜられる。
ここはオイラのお膝元、Queen Westだからか?
何軒かTELして、知り合いのスシ・バーを確保。
ぞろぞろと歩いて移動する。
人は何の集会だろう?と思うだろうね。

二次会でもKさんとトークに花が咲く。
タバコで外へ出る時も一緒。
周りを見渡すと、それぞれ相手を見付けて
既に打ち解けた雰囲気を作り出している。

R子から、もうすぐこっちに着くと電話が入って
それを合図に一足先に離脱する。
それまでずっとKさんとマンツーマンだったので
40年代会っていうよりは
Kさんと飲みに行っただけのような気がする。
しかし、この会は来月にも開催されるようだ。
対策を練らねば。


2005年02月19日(土)



 結婚の美術担当


友達から「結婚する」とメールがあった。
トロントで知り合った友達で数えたら
何人目になるだろう?
たぶん、右手から始まって
もう左手の真ん中くらいだ。

そして、お祝いとして絵を注文されるのも
ほぼ同数になるだろうか。
まるで映画を作るなら
美術担当:トモレノンだな、みたいな
暗黙の了解が友達の間であるのだろうか?

いずれもオイラがまだ絵で食えずにいた時代の仲間だ。
売れない頃を
彼らが支えてくれたとは言わないが(ヒドイ)
それでもポストカードを買ってくれたり
ショーの手伝いやボランティアをしてくれたり
何かとサポートしてもらってたことは
時にはお金以上のありがたさで
オイラを何度も救ってくれた。
一生忘れることはないだろう。

また、時には
周りの友達に知れ渡るまえに
こっそりと「結婚するんだけど・・・」と
絵の相談を持ちかけられたりもする。
そうなると
罰せられることのない重大な秘密を共有する
奇妙な連帯感も生まれる。

我ながら幸せなことだと、その知らせを受け取る度に思う。
一生に一度(多くの人にとって)の儀式に
ささやかながらオイラの作品が一役買える幸せ。
考えようによっては
その人の人生の一部になるのと同等ではないか。

午後、Bloorのカフェでその
半年後には新郎・新婦と呼ばれるであろう二人に会う。
トロントに来た一年目に出会った友達は
ほとんどが移民となってカナダに留まっている。
こんなに長く居て、移民じゃないのは
オイラただ一人だ。
そして年齢が違っても皆、タメぐちで会話する。
一見、「人生百戦錬磨」に見える彼女も
まだ二人で並んで座るのが照れくさいのか
初々しいほどの気遣いを相手に見せる。
へぇ〜、意外だ。
でも、一体どんな絵を二人が望んでいるのかは
その場の空気を吸うように、スッと肺に入ってくる。

美術担当は、決してメジャーなポジションではないが
ガンコな職人みたいに「オイラに任せとけ」っていう
経験で勝負みたいなところがある。
わずか30分ほどで話をまとめる。
あとは良い絵を描くだけだ。



2005年02月18日(金)



 読書の環境


今日、R子がロンドンから帰ってくる。
空港へ行くまで時間があるので
久々にケンジントンへ足を伸ばす。
【Kara】でコーヒーを飲み、DianとKimとお喋り。
彼らの地下室が空くので、そこにスタジオを移さないか?という。
地下室といってもバレー・コート2面くらいは取れそうな広い部屋。
おまけに天井も高いし、キッチンもある。
金額は、絵のトレードも換算して
びっくりするぐらいの値段でいいという。
(今のオイラの家賃に数百ドルのプラス)

かーなり魅力的な話ではある。
一階がカラオケ屋で、深夜はちょっとうるさいというが
それでもQueenに住んでいて
24時間、路面電車の音と
週末のクラブの馬鹿騒ぎと
横のブルース・バーから流れてくる大音量に
慣れているオイラからすれば
さほど大きな問題とは言えまい。

でもなぁ、今年のオイラの目標は
パトロンに無料で住居を提供してもらうことだから
いくら広くて快適でも
家賃を払ってまで引越ししようとは思わないんだよ。
でも、話のタネに一度見に行くことにした。

夜9時、空港へ向かうには少し早いが
読みかけの本(村上春樹【シドニー】)を読破したいので
早めに行ってコーヒーでも飲みながら読書しようと
静かなひと時を求めて空港に着いたオイラだったが
何と、コーヒーショップはおろか
売店すら開いてないではないか!
こうなると俄然、空港なんて単なる陸の孤島じゃねーか
と思えてくる。
別にコーヒーが無くたって本は読めるが
喉が渇いたとか、そういう問題ではない。
ページを捲る合間にコーヒーをすするという行為、
その二つが合わさってこそリラックス空間なわけだ。
無一文ニューヨーク旅行じゃあるまいし
無機質な待合席に座って
飛行機が着くまでじーっと本を読んでるだけなら
ぐるぐると周るシャトルバスの中で読んだ方が
まだシチュエーションとしては合格だ。

ブツブツ言いながらも、結局はそこで
皮に似せたビニールシートに座って読んだ。

予定より、やや時間が経ってからR子が出てきた。
ゲートはさほど混み合ってはいない。
いとも簡単に、その小さな身体を発見。
疲れたのだろう、髪の毛の艶は失せ、
顔色もあまり良くない。
聞けば、ロンドンに飽きてアイルランドまで足を伸ばしたらしい。
とんぼ返りでロンドンに戻って、
トロント行きの飛行機に乗り込んだという。
あれだけ「アイルランドは俺より先に行くなよ、
俺の行きたい国ベスト3だからな」と言ってたにも関わらずだ。
かなり嫉妬する。

ちなみにあと2つは
アイスランドに
フィンランドだ。
3つとも【ランド】が付いてる。
しかも、みな北欧(圏)。

お土産に、今最も気になっている作家の絵本
Raymond Briggsの【スノーマン】なつかしい!を貰う。
流石、分かってるね。と言いたいところだが
これってロンドン土産かい?

オアシスで就寝。


2005年02月17日(木)



 窓辺のひまわり


「色んな事をやってますね」と言われる。
今だと特に、部屋のデザインだとか
ノブモーリーのお笑いイベントに出たり
アートと関係ない事やったりしてるし。
それでも、オイラ的には3つの柱を立ててアート活動してるつもり。

一本は自分の絵を展覧会で発表すること。
一本はキュレーションや記事を書いたり、アート自体を支援する活動。
一本は【Let's Have a Dream】に集約される平和運動。

最後の一本、長らく休止していた平和活動を
再び進めていくことにした。
「〜ことにした。」というのは
これから何か考えますということではない。
やる!見通しがついたということだ。

平和運動は他人まかせじゃ気が済まない。
そのことをNYで黒田征太郎さんに会って自覚した。
やっぱりオイラの中には、その血が流れてるんだなと
それまで蓋をして薄っすらと埃をかぶった
「平和」という名の箱を
もったいぶらずに開けてしまえ!と思ったのだ。
開けないと中身が腐っちまうぜ、と。

しかし
やった事がある人なら分かると思うが
平和運動にはお金が掛かる。
プラカードを持って、ビルの前でデモをするわけじゃないのだ。
それなりの費用と、時間と、労力を投入しないと出来ない。
【Let's〜】を休止しているのもそのためだ。
自己資金で賄えるくらいに自分がビッグになったら再開しよう
そう思って、蓋をかぶせて押入れにしまっておいたのだ。

トロントに帰ってから暫く考えた。
自分のやりたい事と、出来ることをすり合わせるため。
今の自分が出来ること、出来る範囲で
小さいながらも継続してやっていけるものを。
その小さな流れが、やがて【Let's〜】という大きな潮流になり
いつかは【ノーベル平和賞】を・・・
史上初の辞退!してやるんだという意気込みで(マジで)。

そしてオイラはまず、ある人に連絡を取った。
文字を書くことを仕事としている人で
内面にある種のドグマを抱えている人だ。
彼女の書く文章はとても詩的で、時に幸福、時に絶望を味わう。
まるで誰も見たことのない世界の果てを
ファインダーで覗いてしまったかのように
彼女の文章は剥き出しに綴られている。
常々、いつになったら本気で
この才能を自分の名刺に刻み込むんだろうと思っていた。
その名刺で世の中に出て行くべきだと
言うチャンスもなくここまで来てしまったけど。

それから幾度かメールをやり取りし
おぼろげながらも着地点を見い出したところだ。
オイラ、文章を書くのは好きだけど
それが人様にお金を払って頂くほどのモノではないと自覚している。
餅は餅屋で、自分は絵という専門分野で表現し、
この人が文章を受け持ってくれるなら
今考えられる最高の条件で平和運動を再開できる。

開けた平和の蓋が閉じてしまわないように
ひまわりの種とともに窓辺に置く。
きっと夏頃には見事な花を咲かすだろう。


2005年02月16日(水)



 Gladstoneホテルの葛藤


Gladstone ホテルにて第一回目の打ち合わせ。
アシスタントとして建築学校に通う隣人アツシと
そのまた卵、マスミを連れて行く。

それまで電話のみで話していた
責任者のスワンと初対面。
作業着に身を包んで
いかにも【現場監督】って雰囲気を漂わせている女性。

いよいよ実際に部屋を見て
どの部屋を手掛けるかを検討する。
もう館内大改装といった雰囲気で
職人達があちこちで作業をしているけど
以前とは見違えるほどキレイになった館内に驚く。

歩きながらスワンと打ち合わせを続ける。
オイラの【巨大繭玉】のアイデアは
会議の段階では絶賛だったらしいのだが
物理的な問題で断念する方向へ傾く。
え!?そうなの?














主だった理由として
破損した場合に取替えが効かないことと
日々のメンテナンスが難しいことが挙げられる。
確かに、宿泊客がどういう行動に走るかは予測できないし
あのデザインがそれを誘発させる可能性は否定できない。
数日間のアートショーだったら完璧だけど
実際にそこに人が泊まり、
何年も同じコンディションを保つのは
確かに難しいだろうね。

壁面のペインティングも「キュートすぎる」という理由で
縮小もしくはデザイン変更を要求される。
うーん、【巨大繭玉】もダメ、壁面も変更となると
オリジナルのコンセプトからどんどん遠ざかってしまう。
せっかくアーティストを使って部屋をデザインするのなら
そのくらいは飲んで欲しいよな。
ちょっとイライラする。

3、4階の各部屋を見て廻り
それぞれに順位を付ける。
他のデザイナーとバッティングした場合の予備だ。
オイラが一番気に入ったのは
南向きの明るい窓と、レンガの壁がある408号室。
広すぎず、狭すぎず丁度良いサイズだ。
しかし、コンセプト自体が変更されるので
自分でもハッキリと確信が持てないまま
単に好みだけで選んだような気がする。












一階ラウンジに戻って
今度はテーブル上で議論する。
インテリアデザイナーではないので
専門的な事はよく分からないが
お互いの求めている事が相対するものであると認識する。
オイラはコンセプトありき、だ。
Room designed by tomolennonと表記される訳だから
やっぱり一環したコンセプトに基づき
自分で恥ずかしくないデザインをやりたい。
それはホテル側も理想とするところだ。
しかし、理想と現実は違う。

外には「アーティスト達がデザインした部屋」と理想を謳うが
内情は、いかにリスクを減らし
実用的でメンテナンスに手間の掛からないものにするかを
第一優先で考えているようだ。
それだったら、いっそのことアーティストになんか
デザインさせなきゃいいのに。
でも、分かるのだ。
【それ】をリニューアルの売りにしたいんだから
今更「普通」のデザイナーに発注は出来ないと。

プロ、アマ問わず70組以上の候補者の中から
わずか14人だけが最終的に選ばれた。
その一人として、オイラは恥ずかしくない仕事をしたい。
ここで

「やっぱ辞めるわ」

と言えたらどんなに楽かと思うけれども
一方では、与えられた条件の中でツッパッて
最高の仕事をした方がカッコイイと思うところもある。

5年前、英語も喋れずにトロントに来たオイラが
今ではアーティストとして飯を食っていけるようになって
今また、ホテルの部屋をデザインするなんていう
その分野の人が聞いたら嫉妬するようなチャンスに恵まれて
これ以上、文句なんて言ったら罰が当たる。
何に対してツッパるか?が昔と今では全く違う。

そう思ったら、何故かポジティブな気持ちになってきた。
【巨大繭玉】はダメになったけど
壁面の縮小プランと、第二候補として温めていたデザインを
この代替案として提出することにして
今日のミーティングは終了した。

カフェに立ち寄り、建築を勉強している2人からの
アドバイスを受けようと
どんなデザインがいいか?
また、自分だったらどんな事をしたいか質問をする。
自分で言うのもイヤラシイが
オイラの発想の豊かさには誰も敵わないな、と思った。
2人に対してだけでは無い、
これまで色んな異分野の人と交わってきた中で
オイラよりも斬新で、現実的で、なおかつ速く
いくつものアイデアを出せる人なんて居なかった。
居たらもっと謙虚になれてたはずだ。
ホント嫌な奴だね。
でも
人がオイラに対して
「根拠のない自信満々」と言うが
根拠はそこなのかもしれない。
人がどう言おうと
オイラが自分の将来を信じて疑わないのは
その発想力がケタ外れだからだ。
この妄想は年々ひどくなっていく。
10年後には、妄想を通り越して
それで食ってるかもしれない(笑)


2005年02月15日(火)



 自信と不安


レンタルビデオで【松紳】を借りる。
言わずと知れた松本人志と島田紳助のトーク番組だ。
初めて観た。
紳助のトークってすごい。
面白くない(笑えない)のに説得力がある。
なぜだろう?
松っちゃんは、ずるいタイミングで笑いを取る。
いつも通り。
ふんふん、と観ていると
驚くべき発見があった。
二人に共通する喋りの理論ていうか
文法みたいのがあるね。
同じ仕組みやん!ていうのが。
ま、天性なんだろうけどね。
その理論通りに組み立てても
喋る人が違ったら全然ダメかもしれないし。

さて、昨日はちょっと休んだし
今日からまたバリバリやらねば!
NYへ送らなければいけない絵が二枚ある。
一枚はもう完成間近で
あと一枚はまだアイデア出しの段階。
二つとも、あっちでお世話になった方達からの注文だ。

オイラが絵を描く時も
ある程度、理論ていうか仕組みみたいなものがある。
これまで積み上げたものに乗っかって描くタイプの絵と
そこから離れるためにチャレンジを課すタイプの絵だ。
行き先が決まっている場合
おのずと守りに入ってしまいがち。
それはやっぱり、相手が求めるものに答えようとするから。
これには、あまり当たり外れがない。
言ってみれば鉄板だ。
一方で、チャレンジしたやつは
己の満足感とは裏腹に
どこか自分では無いような薄ら寒さが付きまとう。

でも、過去の作品を見返すにつれ
そういった「薄ら寒い」作品こそが
キャリアの幅を広げ、境地を開拓してきたことが分かる。
別の言い方をすると、オイラの歴史のポイントとなる
大事な作品になっているということだ。
だから今回、NYに送る作品は
チャレンジしたやつでいくことにした。

自信満々で描いたものは
以外とすぐに色褪せてしまう。
「あれ?大したことないかも・・・」って。
その時は不安でしょうがないモノに限って
後々、それが大きな自信になったりする。



2005年02月14日(月)
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