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| 2010年03月31日(水) |
台湾ゆ〜らりぶ〜らり。4/4 完結 |
※ ※ ※ ※ 台湾ではスーパーマーケット、百貨店の地下、料理屋などによく行く。 そこで売られている疑似日本食品に書かれている珍日本語が相当面白い。以下、スーパー、料理屋土産物屋で拾ってみた。
栄養豊富ビタミソ入り(ビタミン?)をはじめ、 「ホットケーモ」ホットケーキのつもりなのだろうが、ただただ笑ってしまう。 「えび入 アーモンド いわし」 海産物桜えびの袋、?
料理屋で ▽青椒肉絲の説明 「ピーマンの牛肉でした」? ▽「頂級牛 肉」(「最高級牛肉」の意味)が、「頂 いた級の牛肉」? ▽丸花生猪蹄 (醤油煮の豚の足でした。及びピーナツ) ▽orange juice →オワンジー
元の料理名は不明だが、印象に残った日本訳 ●ヌードルを持つスポンジひょうたんのハマグリ? ●半分筋肉半分肉? ●ビーフ米? ●米を持つ茎のタラの魚? ●日本様式は米を持つ魚を揚げ?
町の看板 ○全身マッサーヅ→全身マッサージ? ○修脚皮・修指甲 ネグいクマ?? ○全身油推 エツソセブヤリマる?? ○bienvenue (ビァンブニュ−フランス語・英語のwelcomeと同)→いらっしゃいません。?
この直訳とも思えない破壊的な日本語はどうして出来たのだろうか。謎である。
※ ※ ※ ※
外国から帰って来る度、空港施設を通る度に、日本はすごいと思う事毎度である。どこがとてつもなくすごいか。 案外日本人は気がついてないが、食文化の異常とも思える多彩さ。これは、世界中の空港、香港でも、パリ・シャルルドゴールでも、食の小フランスと言われる、ベルギーでも、ドイツオーストリアオランダイタリアでもイギリススコットランド他、どの空港でも絶対にあり得ない光景が、食べもん屋の、種類の多さ。 関空の中だけでも、以下、
たこ焼き屋、お好み焼き屋、ラーメン屋、蕎麦屋、洋食屋、トンカツ屋、天ぷら屋、うどん屋、寿司屋、スバゲティピザ屋、豚まん屋、居酒屋、中華料理屋、カフェバー、カレー屋、サンドイッチ屋、ブラッスリー、オムライス屋、丼専門店、創作料理屋、和洋甘味処、ファストフードハンバーガー屋、釜飯屋、喫茶店、他、二十数店がつぶれる事なく商売し、これらが重複して存在する。 言うまでもなく、フランスを例にとっても、有名なフランス料理屋の出店一軒、後ブラッスリー、ファストフード店カフェ、いずれも似たようなもの(フランス料理基準)である。ロンドンのヒースロー空港内にある、生ガキを出す丸カウンターバーがちょっと異色な存在で目立つ位である。
渡辺 京二の「逝きし世の面影」の中に、江戸時代の各店舗の多岐にわたる職種の専門店の多さに日本に来た外国人が驚き、売られている物品のその芸術性の高さにも関わらず、個人名を表記していない事にまた驚き、後のヨーロッパのアールヌーボーのきっかけになるほどに影響を与えたが、ある意味日本のそうした良さは明治で滅んだ、みたいな事を書いていたが、何の、未だ先に書いたように、食一つとって見ても、世界に例を見ない現象が依然として我が日本にはある。
200年を越える老舗をヨーロッパ中で集めて集うエノキアン協会と言うのがフランスにあり、百七十四の会社が候補に上がった。しかしそれに値する企業は、日本一国だけで少なくとも二百社以上あるのである。こんな国は地球上探したって日本しかない。
旅の終りに、台湾に旅しても、欧州に滞在してもつくづく、日本人に生まれて来て本当によかったといつも思う。
→2002年の今日のたん譚
これが一番最近の鳥っく。
永田町にいる鳥、最新情報 日本には謎の鳥がいる。 正体はよく分からない。 中国から見れば「カモ」に見える。 米国から見れば「チキン」に見える。 欧 州から見れば「アホウドリ」に見える。 日本の有権者には「サギ」だと思われている。 オザワから見れば「オウム」のような存在。 で も鳥自身は「ハト」だと言い張っている。
「カッコウ」だけは一人前に付けようとするが お「フクロウ」さんに、「タカ」っているら しい
それでいて、約束をしたら「ウソ」に見え 身体検査をしたら「カラス」のように真っ黒、 疑惑には口を「ツグミ 」、 釈 明会見では「キュウカンチョウ」になるが、 頭の中身は「シジュウカラ」、 実際は単なる鵜飼いの「ウ」。 「キジ」にもなる 「トキ」の人だが 日本人にとってあの鳥は日本の「ガン」だと。
→2007年の今日のたん譚 生きたるきけぇ(又はききゃぁ)
→2008年の今日のたん譚 南京の真実(虐殺など無かった)を伝える映画 京都上映
| 2010年03月02日(火) |
台湾ゆ〜らりぶ〜らり。4/4 の前半分 |
台北駅の向かい新光三越の南、かって台湾で歴史上唯一のお城(台北城)があった跡地に、二二八和平公園がある。ここの北側に国立台湾博物館があって、 入口は襄陽路(じょうようろ)に面している。博物館に向かって左側歩道脇に何と、明石元二郎総督墓地鳥居と、乃木希典母堂墓地・乃木夫妻御遺髪奉納地にあった鳥居が道路脇にむき出しになって設置されている。普通は鳥居をくぐると神社があるが、ここはベンチなどを設置して公園のようになっているが鳥居の意味も何も無い。ただぽつんと「立っている」。 この鳥居はもともと、晶華酒店(グランド フォルモサ リージェントホテル)裏の、旧共同墓地跡(現、変わった形をした噴水のある康楽公園)にあったのが現在の場所に移されたようだ。
案内板らしきものはあるが、公園の門がわりのひどい扱いである。乃木大将の母堂は、乃木台湾赴任時に、大変な地に一人やらして家族が日本でのほほんと過ごす訳にはいかないと、一家で台湾に引っ越して来るも、その後数ヶ月で現地の風土病だったマラリヤに倒れ亡くなり、後に祀られ建立されたものだ。
二二八祈念館では、高年の紳士が日本語で話しかけて来た。今日は一緒についてお話し出来る時間が所用で持てないと言いながらも、手短に自分の兄がやられた事、自分も危機一髪で殺されそうになった事、などを流暢な日本語で話してくれた。 知識が増えるにつけ、頭の「バカの壁」が取っ払われて、以前見えなかったものが見えて来る。今回は、黄文雄と言う現在日本にいる評論家で作家と同姓同名で、あの蒋介石の息子、蒋経国(中華民国第6期総統、別にロシア名を持つほどの共産党員だった。ロシア名はニコライ・ウラジーミロヴィチ・エリザロフ、正式のソビェト共産党員)を暗殺実行しようとした、実の妹の結婚相手の身代わりとなって実行(未遂)し捕まった、黄文雄逮捕時の写真も展示されていた。
祈念館を出て、となりに併設されている喫茶店の庭にあるテーブルの席に着き、家人が注文しに席を外している間に、老人が家人の椅子を持って行こうとしたので、「もう一人来ますので」と、つい日本語で言ってしまった。 と、「君は日本人か」と聞かれ、その人は王さんと名乗った。
それから実に二時間、日本時代がどれだけよかったか、同胞(王さんはそう信じていた)なのに同胞を殺した白色テロの話、少数民族の話、こちらの次の予定の時間が来ても話は絶えなかった。次の時間の予定があると告げて初めて、また会いましょうと言う事になって分かれた。王さんにとっての二二八白色テロは、まだ生々しいついこの間の事のようだった。
王さんは、やはり戦前の日本時代に郷愁を持ち、戦後のへなちょこ日本を恨んでいた。話を聞き終わって、日本人として本当にすまなく情けなく思いながら、やっつけ仕事で日光東照宮の左甚五郎の仕事の足下にも及ばない、園内のアリバイ工作用支那まがいもん建築を横目に、公園を後にした。
歩いていると裁判所横では、台湾建国派が、緑と白地に台湾の地図をデザインした「国旗」を掲げてストをしていた。出くわした時はわずかに数人だけだった。大きな運動にはなっていないんだなと言う実感だった。
→続く4/4後半
今週の火曜日(平成22年2月2日午後2時)、日比谷公会堂で「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会、そして 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会に参加するため前の日から東京に入った。 京都から冷たい雨が降り続き、この集会の大将である田母神俊雄さんが、以前、これからはアパホテルを利用してくださいと言っていたので、日本橋のアパホテルに宿を取って、ついでに銀座の画廊に挨拶をしに行き、ホテルまで歩いて帰る頃には風をはらんだ冷たい雨が本格的に降り始めた。
田母神大将推薦のこのホテルに備えてある本雑誌が面白い。普通は聖書か仏典が置かれているが、まずだ〜れも開きもしないだろう。ところがアパには「報道されない近現代史 著 アパの社長」だとか、アップル(コンピュータとは関係なし)タウンという月刊誌が置かれていて、この雑誌の特集が面白かった。
張作霖爆殺日本軍説を否定した、ロシアの歴史作家、ドミトリー・プロホロフを日本へ招聘してのインタビュー記事や、田母神大将が自衛隊を首になる(表向きには定年退職だが)きっかけとなった、「真の近現代史観」懸賞論文の第二回受賞者の表彰式などの記事(記念すべき一回めの受賞者が田母神大将、今回二回めが旧皇族の竹田恒泰)他が満載。
(と、ここまでは完璧なのだが、真っ向反対を行っている「朝日新聞」が、玄関一階エレベーター横に、百部くらい山積みに置かれてあって、無料配布していた。どういうこっちゃ?筋としては「産經新聞」でしょうが。)
気分が良くなった所で、屋上階に大浴場サウナ露天風呂があると案内書きがあったので、早速浴衣のまま(このホテルでは浴衣のままで良いと書いてあった。)で大浴場へ向かった。 まず体を洗った後、水風呂に一分。全身に緊張がみなぎった所で、湯へ。 湯気で曇ったガラス張りの向こうに露天風呂があり、早速行ってみた。先に一人入っている人がいたので話しかけたら「北海道から就活(就職活動の略らしい)に東京に来ている」と言った。 話が弾んで喋っていると、牡丹雪が沢山降って来て大雪になった。 じっと湯船につかっていると、溶けた雪で頭が濡れる位になったが、都心にいてまるで山間の温泉にいる気分になってとても愉快だった。
この後、部屋に戻って朝まで、「さらば吉田茂(改訂版は日本永久占領)」の著者、片岡鉄哉が、何度も何度もその死まで読み返していたと言う本、血液の権威、千島喜久男博士の千島学説を紹介した本を読み続け、気がついたら朝になっていたので、眠らずに靖国神社に行き、遊就館の零戦の前で待ち合わせた友人と昇殿参拝をした。 雪の靖国神社は空気が張りつめていて、本殿までの床の冷たさに気持ちが引き締まった。本殿で正座し、玉串を捧げて礼拝した。
九段にある、北大路魯山人とも縁あったと言う蕎麦屋で、めづらしいトリフを練り込んだという蕎麦を食べて時間を過ごし、午後二時から日比谷公会堂にて開かれた「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会& 日本解体阻止!外国人地方参政権阻止!全国総決起集会に、参加した。
予約席がほぼ埋まっていて空いている席が演壇中央前から三列目しか見当たらなく、仕方なしに着席した。ところが背後の壁一杯に貼ってある巨大な日の丸の赤が登壇者を包み込み、視野一杯に目に入って目がチカチカし、正視出来ない。 三時間我慢した(映画アバターは15分くらい我慢したが、ついに途中退館した。多分いつも対象につかみ掛かるように見て描いているせいか、眼鏡をかけての受け身な上に、文字の部分の3Dと画の部分3Dがふらふら不安定で気持ち悪くなった)がついに二部を待って、椅子席を辞して最後列の入り口近くに立ったままで傍聴、後半三時間を過ごした。各出席者の熱い思いはあっちとこっち同じであった。
帰途、東京駅まで乗ったタクシーの運ちゃんは、この二千人以上の大集会があった事も知らなく無頓着で、「 日本の政治も警察もCIA(がコントロールしている)なんでしょう?」と言った時は、なぜか悲しくなった。
| 2010年01月23日(土) |
メリージェーンは健康に悪いか |
この所立て続けによく大麻(マリファナ・ハシシ)使用または所持で、高校生、タレントから元塀の中の仲間、公務員、果ては自衛隊の隊自体の汚染が新聞やテレビで報道されている。 「大麻」は絵描きと切っても切れない仲?なので黙って無視するわけには行かない。 大麻とは何か? たん譚の出身は阿波の徳島、徳島にはあの有名な坂東捕虜収容所(第一次世界大戦期に中国の青島で俘虜となったドイツ兵士約1000名が収容、1918年6月1日に日本で初めてベートーヴェン「第九」交響曲演奏会が開かれ歌われた)がかって存在した。今はその記念館がある。 ここの裏に大麻山があり大麻彦神社がある。 「おあさはん」と呼んでいた。ここの頂に灯っている御神灯の光が見える範囲に限って、徳島名産「すだち」が出来ると小さい頃からよく聞いていた。また、もう二年になるが難しいダウラギリで死なずに槍平の平坦地での滅多に無い雪煙雪崩であっけなく死んでしまった後輩の登山訓練の場所でもあった。 で、話は「大麻」にもどる。 何で大麻山と名前がついているか。古代から麻の産地だったからである。日本では伊勢神宮とも関係が深い「麻」が、なぜ「痲」薬又は覚せい剤扱いされているのか。
突然麻を「痲」薬扱いし、禁止し、させたのは*GHQの仕業である。ようもまあ何から何まで、干渉ありがとさんと言いたくなるほど見事に干渉している。
今は昔、アメリカでは馬鹿な法律,簡単に言うと「何人も作っても売ってもいけないが、飲んでもよい(政府専売と言う事でもない)」と言う自家撞着の禁酒法でアル・カポネを生み、命をかけて取り締まったFBI の人々が出現した。(実際には小さな販売する所、酒屋の取り締まりが主) この法律は当初から無理があり、やがて廃止される。実にこの後、数年で大麻を問題にし始める(大麻課税法)のである。 なぜか? 一つはこの時生まれた大勢の捜査員の仕事を作ったと言う人もいる。 差別社会のアメリカは、煙草が買えない貧困層、奴隷、二等三等国民(後からアメリカにやって来た人々、ドイツ人やアイルランド系、ヒスパニックなど)が、廉価な麻の葉を巻いた煙草代用品を愛用してきた、それがよく売れている事に気がつき「税(大麻課税法)」をかけた。だから大麻は当初課税法ではあったが、禁止法ではなかった。 もう一つは、服飾業界が、麻から綿(コットン)、合成繊維(ナイロンの発明)への移行時期で、それを売り出すための新たな利権が絡んだものでもあった。
この法律をそっくり、日本占領期に持ち込んで、以後度々改正されたりしているが、大麻「悪」は変わっていない。
で、絵描きとの関係に戻る。絵を描くには筆絵の具画布がいる。この中の、画布は一般に麻の織物でキャンバス(Canvas)と言われている。 ギリシャ・ラテン語のcannabisから来ている。絵描きと大麻は切っても切れない仲なんである。
一部大麻の問題が起こるとされる物質はカンナビノール(詳しくはテトラヒドロカンナビノール Tetrahydrocannabinol)という成分で、茶と同じように薬効あり(中国の漢方薬書「神農本草経」)として使われていた。しかし、日本で栽培されている麻には、殆ど効能としてのカンナビノールは含まれていない。ゆえに吸っても効かない。効かないのに売れるし商売になるのは現在でも健康食品として訳の分からんものが売れているのと同じ。
インドのごく一部の麻には含まれているらしいが、WHO(世界保健機関)では、問題にしていない。 吸っても効かないのに何故こうも問題にされるのか。もし取り締まるのなら、覚せい剤「カンナビノール」と名称を変えてとりしまるべきで、何でもかでも痲薬とするなら、阿片は芥子(けし、の開花後の未熟果から樹脂をとる)からとるのだから、花のポピーもひなげしも栽培している奴はすべて逮捕しないと筋が通らない。当然七味唐辛子に入っている、けしの実も取り締まらないといけない事になって、うどん屋でうどん食ってる奴が七味かけた途端、踏み込まれて全員逮捕、清水坂の七味唐辛子屋は麻薬売買の元締めで当然逮捕となる。
何で「大麻」だけ十把一絡げなのだ。
耐性の獲得とは、阿片に見られるようにだんだん効かなくなり、使用量が増えて行く事をさす。
上の話とは関係無いが以下はたん譚の解釈
国を想う、つのだ三兄弟(長男漫画家、次男欧州古典楽器リュート奏者)の三番めミュージシャンのつのだ・ひろが歌っていた「メリージェーン」は少し薬効?のある、マリファナ恋しの歌ではないかと想っている。当然作詞者は日本人ではない。 メリージェーンはマリファナの隠語。 メアリー・ジェイン(Mary Jane)、メアリー・ワーナー(Mary Werner。マリファナを二つに割って、女性の「姓」「名」に掛けたもの。
ぼくの心の中のメリージェーン 君を思い出すたびに泣き叫びたくなる 長くて悲しい夜は 君が去って久しいというのに
ぼくの心の中のメリージェーン ぼくの唯一の愛 ぼくの心に君が今も残るのが不思議さ 大切な君がいないのが淋しい
以下略。
*GHQ…「連合国最高司令官総司令部」あるいは「連合国総司令部」実質はアメリカ占領軍 。GHQの指令によって日本名「麻薬原料植物ノ栽培、麻薬ノ製造、輸入及輸出等禁止二関ス ル件(昭和20年厚生省令第46号)」が出され、ここに日本列島では歴史上初めて「大麻は痲薬」であるとされた。
参考文献 武田邦彦「大麻ヒステリー」光文社新書(表引用)
謹賀新年 国旗を玄関先にあげる。仕込んだお屠蘇とおせち雑煮。 「あけましておめでとさん、また元気で今年もよろしゅう」の挨拶。 子供の頃もらいっ放しで育ってしまった「お年玉」を京都に来ている母上に渡す。ちょっとびっくりして帰ってから仏前に置くと言う。 んな、大げさな!
→2008年の今日のたん譚 →2007年の今日のたん譚 →2006年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚 →2004年の今日のたん譚 →2003年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
今年は蕎麦の出来が悪く、商売に障ると複数の蕎麦店主から聞いた。毎年大晦日に年越しの蕎麦を打っている。そういえば信州から送ってもらった蕎麦粉も値が少し上がっていた。今年の蕎麦は水回しがよくなかったのか、15センチくらいにしかつながら無かった。つなぎの小麦粉を入れないのが習慣となっているが蕎麦を捏ねて延ばして折り畳み、切る。ところが折り畳んだ所から切れる。久しくなかった事だ。 味には別状はなく美味しくいただいたが、こんな事はいままでなかった。初心者の頃には全くつながらない事が一度だけあって、今から思えばもったいない事だったけれど、腹を立てて捨ててしまった事があったそれ以来の事だ。
日本もこの蕎麦のように、バラバラになってしまう予感を覚へ、ちょっと寒気がした。除夜の鐘を聞きながらスペインのCAVA、龍馬の故郷の米を*永田農法で作ったと称する酒とでそばを食べながら静かに過ごした。
*永田農法…永田照喜治(1926年 - )が創始した農法。現在の農法と違って必要最小限の水と肥料で作物を育てることが特色であり、「断食農法」、「スパルタ農法」、「緑健農法」、「ルーツ農法」などの呼び名がある。
→2008年の今日のたん譚 →2007年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚 →2003年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
| 2009年12月22日(火) |
珍痴苦林の二賢人の会話 |
客「寒いねぇ、外国では寒波で沢山死んでるらしいよ、うちの実家も雪が40センチ積もって年寄りは出歩けないと言ってた。」
タクシーの運転手「大丈夫、世の中温暖化で来てるから、どもない」
客「温暖化ってほんまかな?」
運転手「これからエコカーがメインに販売されるようになるから大丈夫」
客「え?何がどう大丈夫なんですか?」
運転手「あのさ、石油燃して走ってる今の車を電気車にするんやろ。その燃料の電気を作るには石油燃して発電するやろ?それから蓄電もせんと。売るスタンドも建てなあかん。俗にこれを電気スタンドいうんや。わははは。で、新しい電気自動車を作るのもエネルギーの大半は電気の力で作る、左様な事で、至る所で電機作れ電気作れで、どんどん石油燃すから、温暖化に絶対なるんよ。せやから、雪降ってそれで人死んでも、たとえ寒冷化してても温暖化来るんよ」
客「な、なるほど!?で、温暖化来たらどうなるんやろ」
運転手「そりゃ、ええでえ、ねえちゃんスカート短いままで、胸おっぴろげで年中おるわな。おまけにシベリアの永久凍土が溶けて緑の大地になったら高う売れまっせ。ええことずくめや、ハワイあたりはさしずめもう、まっぱだかになっとんちゃいまっか。南極のペンギンは涼を求めて北を目指す、言うても四方皆北や、迷う事無いから南極は便利や。」
客「ほんでもなんか悪い事起こるような気がするけど。世界規模の病気とか」
運転手「病気になって発熱して一杯死ぬやろ、焼き場でまた石油一杯燃やすなぁ、土葬の所は一杯埋めたら微生物が分解する。そしたらまた熱出る。また温暖化や、嬉しい事に世界的に人減るがな、夏でもパスの中でべたべたひっつかんでええやん。な?やっぱりええ事尽くめや。」
客「ほな、世間はなんでそないに温暖化騒いでんの?」
運転手「騒いでンの日本だけや。騒いでエコやエコや言わんと新しいもん売れへんし、作れへんやろ?エコバッグ大売れや。こういう商売の仕方をエコギな商売ちうんや。」
客「座布団一枚!…、やっていいんか?」
COP15 ↑コップ 1/5 (日本)
今日、支那の招かざる客(臭・禁屁)が、突然多分、箔を付けるためだけになんと天皇陛下に会いにやってくる。「謁見」と書かなかったのは当人はそんな気持ちは微塵もなく、只々自分が次期の支那の親玉候補(と言っても共産党序列第六位)でその下準備のためだからである。
天皇との謁見はその一ヶ月前から伺いを立てなければならないというルールがあるにもかかわらず、朝貢先で毎度おさわ(小沢)がせ男が勝手に決め(注−首相が決めたとお騒がせ男は言っているようだ−09.12.20)て、強引に宮内庁に異例の妥協をさせた。お騒がせ男はニュースで、「民主主義だろう?」とむっとしていっていた。アホか!天皇はすでに憲法が出来る前から自然に御存在し、憲法民主主義とは何の関係もない。我々が一票で選ぶのとは次元の違う存在であって、後に出来た憲法他で当てはめられるものではない。勘違いも好い加減にしたらいい。
謁見について言えば、例えば隣の会社の部長が、我が会社の会長にあうのに一日前に打診してきて其れが通るよりも破廉恥な出来事で、これで続々と他国がそういうことなら俺も一日前にあわせてくれとごねた場合どうするのか。
全体主義の危機を予感し、その遺書に「ご家族には申し訳なく私怨はないが、公のために行動する」と言って、当時の*社会党の浅沼稲次郎代議士を襲い死に至らしめ、逮捕後、収監され獄中、溶いた歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と壁に書き残し自刃した山口二矢を思い出した。 今山口がいたなら起っただろう。
最後にこういう訳のわからん一党を選んだのは私達である。江戸から明治に移る時、全人口の数パーセントしか武士はいなかった。選挙制度も民主主義も無かった。長州藩の*足軽クラスが役人になってその弊害が汚職や行きすぎた西洋かぶれを作ってしまったが、日本の昔からの規範は守られていた。 小沢の「民主主義だろう!」にはそれがどうしたと返したい。「契約」を言いたいなら、日本にも昔から「契約」は有るのだ。 もう一度言う。現政府は「我々日本国民が選んだ」
*社会党…この事件を境にその人気は急速に衰えていき、現在は消滅。ここから新社会党が出来るが社会に与える影響力というよりも笑いものとしての大将?になっている *足軽…士族とは区別される。 足軽は忠誠心に乏しく無秩序でしばしば暴徒化し、多くの社寺、商店等が軒を連ねる京都に跋扈し暴行・略奪をほしいままにすることもあった。 山縣 有朋などは武士を憎んで、軍隊(陸軍)にも日本刀ではなくてサーベルを選んだと言われるくらい武士を嫌っていた。
→2002年の今日のたん譚 プロヴァンスのハーブで
| 2009年12月12日(土) |
鳩(ハット)トリック |
クローンが責める。呵々。
→2004年の今日のたん譚 ついに猪出没す →2007年の今日のたん譚 アリマキとブフネラ (2/2)
→アリマキとブフネラ (1/2)
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