日記×エッセイ...みち

 

 

木田恵子著「添うこころ」を読みました。 - 2007年03月23日(金)

いまだ、木田さんの本を読んでいます。
…すごい、ありがたい。
木田さんの言葉は「わかるなあ」と思うことばかりだし、当てはまるパズルのピースが見つかったように、「そうか!そういう理由だったのか!」と感じることも多いしで、読むのが止まりません。
今まで自分が表現できていなかったものが、本の中に言葉として形作られていて…。
うわー、気持ちよすぎます。

うちの母を、今までわたしは自分と同じ「受身資質(0歳人)」だと思っていたけれど、違うんじゃないかと思い始めてきました。
わたしは母に、「そんなに周りばかり気にしなくていいの!」「自分は自分、他人は他人でしょ!」と昔からよく言っていましたが。

これをわたしは、「母は人の影響を受けやすい(気にする)から受身かなー」と思っていました。母もまた、リーダーシップをとってバリバリ引っ張っていくようなタイプでもないし。

でも本によれば、もしわたしと同じ0歳人だったなら、周りを気にするとしたら「自分が迷惑をかけていないか」ということに対してのようです。ふうむ。そうか、そうだな…。

母の場合は「自分が悪く見えないかどうか」で他人の目を気にする感じで。
わたしはそれはどうでもいいと考えがちなので(それも行き過ぎは問題かもしれないが)、気にしすぎでしょ!と母に言っていました…。

母が父に対してぶーぶー言ってた内容を思い返すと、うだつがあがらなくても悩まないという0歳人タイプではないなあ、確かに。。。
わたしが父の味方意見になりやすかったのも、父と考えるルートが似ていたからなのかもしれないなあ。
父が母にぎゃあぎゃあ言われてだんまりを決めるようになると、わたしが代わりに母に意見することがしばしばありました。父はそれを黙って見ていては、よくニコニコしていたのですが、「わかってもらえてる」というのがうれしかったのかもしれないなあと今さら思います。
いや、ほんとにわかりやすいんだけど。

本書に老人に対しての文で、
「耳が遠くなると声が大きくなるように、機能が衰え感覚が鈍くなったために、刺激の強い表現をするようになったのを」
とありました。
なるほど…。

母への対応についてもう一度考え直してみようと思いました。
父の立場になるのは簡単だったけど、母の気持ちに添うのはわたしにとっては少しレベルが上がるかもしれません。
でも、それが出来てうまく物事も流れるようにできたらいいなと思います。

それから全然話が変わるのですが、わたしは報道で「あいちゃん」「まおちゃん」と、選手を「ちゃん付け」で活躍を紹介されるのが好きではありません。
ペットブログを読むのは好きなのですけれど、書かれているブログの文体が赤ちゃん言葉の場合は、人気があったりおもしろいよと紹介されたものだったりしたとしても、見に行かなくなってしまいます。

それで、どうしてペットに対して赤ちゃん言葉を使いたがる人が多いのかなあと最近思っていて、これって選手の報道に対して感じることにも共通することかなと思っていて。

そうしたら本文中に、わたしの感情のその答えが。すごい!

「テレビが“チャン”という呼称を使うのは、親しみを表わすつもりかと思われますが」
まずはこれ。
選手の報道とペットに対しての赤ちゃん言葉の共通点かなと。
確かに。
もしも報道で「ちゃん付け」を使うとしても、コメントする時に言うくらいならそれは「親しみ」と受け取ります。

そして、
「それがいかにも子供をあやすような響きがあって、私には失礼なあしらいのように感じられるのです」
という言葉に、そうそうそう!とものすごい勢いで頷きました。

そしてその後に続く言葉にも納得。
…そうなんだよねえ。その親しみを喜ぶ人も多いんだよねえ。

飽きるまで、まだまだ読みます(笑)
わたしの今いちばん気になる方は、木田恵子さんですねえ。


...

お母さんと、子供の期待。 - 2007年03月13日(火)

「送電塔のミメイ」のナギさんと、それから木田恵子さんの本を読んだことがきっかけで考えたことです。
(注・ゲーム内容とはほとんど関係ありません)

木田さんの本を読むと、忘れていた過去のことをふうっと思い出します。

例えば、大きな声で怒鳴るように話している両親を見て、「ケンカはやめて!」と仲裁した幼いわたし。でも、両親は「ケンカじゃないよ、声が大きいだけだよ」と答えました。確かに地声が大きいのだけど。
そうなんだ…と引き下がったけれど、わたしは納得できていませんでした。
「2人が怒るように話している」ということが嫌だったんだなあと、今ならわかります。
言葉にできない嫌だなと感じた気持ちは、残りやすいのかもしれません。

全然そんなこと忘れていたので本当に、カウンセリングされているみたいだなあ、と思いました。

1。
5、6年前、わたしはこういう文章を書いています。

2。
去年の日記にこういう文章(↓)を書いています。
「何かをできないこととか、弱さとかを、これからできるできないに関わらず、かわいいと思うような感じで受けるんだよね…。
そういう弱い部分を認めてあげられないとか、あきらめられないとかいうふうに、年上の男性を見がちなんだよね…。
うーん。やっぱり「憧れ」なんだろうね。憧れていたいんだろう、多分。 」

3。
父が亡くなった頃の日記に、こんな文章(↓)を書いています。
「父が死んだ後で、母に期待をしていた自分、いざとなった時は自分の持つ理想の母親になってくれると期待していた自分、というのに気づいて、そしてやっと諦めることができました。もう母には期待をしません。そのままの母を見なければ、ね。江原さんが、期待は依存だと、今日おっしゃっていました。わたしはまだ親離れできてなかったのだなあと思いました。」

これらの全てが、わたしは自分の持っているらしい「頼りたいと思う気持ち」に繋がるなあと、現在客観的に見て、思いました。
母に対してはずうっと「いつかは頼れる母になってくれる」みたいな気持ちを持っていて、5、6年前にも自分のそういう気持ちに1度は気づいたのだけど、思い返すとその後もずうっと持ち続けていたようです。
そしてそれは「実際に、物や行動で頼る・頼らない」という話ではないように思います。
物質的な意味では頼らないし頼らなかったし、大体頼りたいと思わないから。(自分でやりたい)

気持ちなんだよなあ…。「気持ち」で母に頼りたいと思っていた…。頼れるという安心感が欲しかったんだなあ…。

幼い頃から話の聞き役をしていたからか、母に頼られているような気持ちはずっとあって。それと同時に「わたしが頼りたいのに」と思っていたのかもしれません。自覚はありませんでした。

父が亡くなってから、やっとそれを抜け出すことができたような気がします。やっとあきらめることができて、あきらめることで前に進めるようになるということも知りました。
今では「頼ってもらうこと」をベースにして考えられるようになっているし。

頼りたい頼りたいと思い続けて、気づけば母はばあさんになっていました。
もう相手はばあさんで、頼るよりも自分が支える側になるはずなのに、それに気づかないくらい思い続けていたんだなあと思って、わたしは自分にがっかりしたのが去年のことです。

「頼れない」と思いたくなかった。それはわたしの生命の危機だから。

でも木田さんの本を読んでいたら、もしもわたしが「頼れる」と思うお母さんの元にいたら、もしかするとわたしは自由がなかったり、支配されているように感じたりするのかもしれないなあと思うようになりました。

木田さんの仰る0歳人と2歳人(それを日記に書いたのがこちら)を比べてみると、子供を見れば親がわかるというのが理解できます。
子供に影響する行動を考えると、0歳人の子供と2歳人の子供、それぞれに影響した大人がそれぞれ同じような性格とは思えませんし、そして親と子は似たような傾向になりやすいんだなということも理解できます。

「送電塔のミメイ」のナギさんがお母さんとして素敵だなと思ったのは、頼れる母であり、自由を与える人でもあると感じたからです。
以下、ネタバレ含めて解釈です。↓

閑話でハナちゃんは、「結果的に」仕事を怠けていました。
ナギさんの閑話を読むと、だんなさんが亡くなった時にこっそり母親の様子を見ているハナちゃんの存在に気づいていました。
だからハナちゃんが、ハナちゃん主役の閑話の時に怠けていた、その理由もわかっているようにわたしは思いました。

それを理解しようとせずに、「最近怠けてばっかり!」と自分視線からのみしか見えなくて責めるようなナギさんだったら、育つのは濃厚2歳人のハナちゃんかもしれません。

はたまたハナちゃんを濃厚0歳人にするようなナギさんだったら、「最近怠けていたんだから、働く」という言葉は出ないように思います。
ここで「怠けていた」という事実は事実として本人に伝えられることが、0歳人寄りのわたしとしてはとても見習いたく思うことです。


勉強になるっす。


...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」とうとう3周目日記。その3。 - 2007年03月08日(木)

今日が多分に「ミメイ」感想日記はラストです。
なぜなら、今度は一旦しばらく離れてから再プレイしたらどんなことを思うかしら?という興味があるのと、それからとうとう待ちに待ったPS2「雨格子の館」を手に入れたからです。明日からやるのだー。その前に図書館から借りてる本も読まねばー。その前に掃除も…って、ゲーム始められるかが不安になりますが、まあそのような感じです。

今までの分を全て読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れ様です。「あー、同じー!」とか「わたしはこう思ったなあ」とか比べて読んでいただけたらうれしいです。

では、本日もネタバレ感想です。それでもOK!という方のみ反転してくださいませ。

(ここから↓)

振り返ると、1周目よりも2周目、2周目よりも3周目という風に、読むことに費やす時間が増えています。1周目が4時間程度。2周目で8時間くらい。3周目…12〜15時間くらいかけたかもしれない。
そして、じっくり読んだだけのものが返ってくるのがうれしかったです。


<三話>

3話から坂道を転がるように加速します。だからもう、無理だな、と思いながら読みました。客観的になんて読めなそうだ、と。

でも結局、“ああーっ!!”と叫んでしまうことになりました…。
夜刀の眼帯に叫びました。
徐々に徐々に、外されていく眼帯。

ナギさんの話に出てきた頃の夜刀は、片目で海の向こうを見ていました。
そして、山から降りるミメイを待っていた夜刀は、眼帯を取って両の目で見ていました。
送電塔の原っぱでは、両の目でミメイと話していました。
ミメイならば夜刀はまっすぐ見ることができるんだなあ…と思いました。
格子越しにミメイと指を重ねるシーンでも、もう眼帯なんてないんですよねー。きゃー。
そして、ラストシーン。これがまた…やられたー!という感じでした。
格子越しシーンもそうですが、ちゃんと、夜刀の左目から眼帯が消えていることを示すイラストなんですよねえ…。素晴らしいですねー。印象に残りやすいこういう場面で、あえて両目を描かないってところがニクい!


「私は、コゴリ鬼が嫌いだ。」
この辺りのセリフ一帯、きっと格子の中で自分に言い聞かせていた言葉でもあるように思いました。


<四話>

テツさんから鬼の話を聞く場面。
「そうだよ。あの鉄の塔の間に張り巡らされた、細い線のせいだ。」
ぎゃあーっ!
(この文章にも叫んでしまいました)
ここここ、このゲームのタイトルって思いきりネタバレじゃないの!?とテンパる始末です。「送電塔」のミメイ…。そう、送電塔があるからミメイは…。
ゲームのタイトルにすら感動しました。


「山に封じられたのは、未来を識る力を持った鬼だったんだ」
夜刀ってこの言葉を聞いている時、どんな気持ちだったんだろう…。


鬼との会話の場面。
「私はあの高い鉄の塔の上から、島中を見渡しているようだ。」
!!
…悲しいかな、3周目にして“!!”。
そうだ…読んだことある、この文章。さあて、これまでに何回読んだでしょう(苦笑)
繋げてきますねえ〜。


<五話>

そっか。コゴリ大量発生は格子越しに夜刀に会ってからか…。外に興味があるからコゴリが出るってことだ…。


1周目、2周目と、これまであれだけわんわん泣いていたのに、3周目は全く涙を流さずにこれまで来ました。
3周目に初めて泣いた場面は、ミメイが以前と同じ岐路に立って、同じ決断をするだろうけれど、同じような意識ではないところ。
「だが、もう悔みはしない。」という一行が出たとたん、ぐわーっと涙が込み上げてきました。


<終話>

杏子に空っぽの袋を貰った時も、泣けてしまいました。

今回も、これまではここで泣いた覚えがないなあ、と思うところで泣きました。
泣き所が1周目、2周目、3周目と異なっていたのがおもしろかったです。
内容を知っているから泣かなくなる、ということは理解しやすいのだけれど、内容を知っていろいろなことに思いが繋がるから泣けてしまうということがあり、それが1度や2度でないというのがね…すごいと思いました。
ただ1人の人間でさえ、感情っていろんなところに繋がるもんだなあとも思いました。


いやー。個人的にはすごーい満足度です。
そして、1回だけしか読まない方がもしもいらしたなら、それはわたしにとってみるととてももったいなく思います。
何も知らない状態で初めて読むことももちろん逃せないおもしろさ。けれど、2回目からが…これまたたまらない。
3時間読んで、ストーリーをなぞる。それはまだ楽しむための準備段階でしかないのかも。確かに1回だけでも充分おもしろいからなあ…。

考えたり謎解きとかがお好きな方には、ぜひ再読をお勧めします。



追記。

今朝、報道番組を見ていたら、「今の日本の子供は無気力」というデータが流れていました。確かに他国に比べて、無気力・無関心・冷めている感じ。
そして、いちばんそれを見ていてわたしが思ったことは、進行役の方の言葉に集約されていました。
「顔洗って、朝ごはんを食べて」気力を出してね、と子供に向かって言っていたのですけど。

これ、間違ってるなと思うんですよ。
子供に言っても、これ、意味なくない?
っていうか、子供に言っている時点で、「子供が原因」にしていないか、と疑ってしまいます。

わたしはこういうのって大人が原因だと思います。親はもちろん、その子の周りにいる大人。目に入る大人。

夢を見ることを、今って否定されやすいでしょ? しかも親の価値観での否定。
現実は現実で思ったように行くわけでもない上に、今は昔みたいに年功序列のような基盤がなくなっちゃっているし、がんばった分の見返りすらあやしかったりするし。

そして、夢を見るようなことだって、昔だったら現実がそううまくいかなくたって、今よりも許されていた部分があるような気がします。
そういうもんだろ、とか、しょうがないねえ〜、とか言われつつ、でも許されていたようなイメージ。

自分の見たい夢も否定され、現実も力が及ばなかったらそれも否定されて。
そりゃ無気力にもなるでしょうよ、と思います。誰だって、がっかりなんてしたくないもん。

そして子供をそうなるように仕向けている大人が、これまたそれを「無気力だ」とか責めるって…本当にわけがわからないです。
理不尽さにさらに無気力になるよねえ…。大人に振り回されて、気の毒で仕方がない気持ち…。

報道でそういう無気力データを出すのなら、大人に意識させる言葉も一緒に言わないとダメだと思います。
子供に向かって「困った」「無気力はいけない」と言ったって、気力を出す為のものは否定されるわけだし。その上、それを聞いた大人が「自分のせいではない」と自信を持つからさらに悪循環。そう思うから、こういうものを見るとわたしはとても居心地が悪いです。

それに比べて…。
昨日も思いましたが、「送電塔のミメイ」のナギさんは、とてもいい母親に思います。あー、ほっとする…。
っていうか、そういう物語を書ける作者さんに注目してしまいます。
お母さんにしたいです(笑)


...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」とうとう3周目日記。その2。 - 2007年03月07日(水)

昨日の続きになります。
今まで同様ネタバレ気にせずコースですので、遊び終わっている場合に反転してお読みくださいませ。

(ここから↓)

<二話>

「コゴリというのは、必ず形を持ちたがるものだ。こちらの世に在りたくて在りたくて、仕方がないのだから。」
“この世に在りたい”という気持ちが、コゴリになるのかな…。神さまでも鬼でもない者だからこそ、コゴリが出るのかもなあ…。


「ああなったら良いだとか、こうだったら嬉しいだとか…、そういう思いが目を曇らせる。」
ありゃ。総が身につまされている。そうか、自分でさっき言ってたばかりだもんねえ。総は、ミメイは自分たちと同類だと思っていたのかな。それに対して夜刀にミメイは“無意識に理解している”と別枠として言われてしまった感じか。

「どんなことにも深く自分が表れないよう、(略)」
夜刀自身が思うのと他の人がどう思うのかはまた別で、夜刀は比較的皆よりもそれができると思われているから、だから総に「夜刀ならさ、深く考えることなく、ばーっと押し入って、だーっと決着をつけられる」と言われるし、後にミメイからも同じようなことを言われる。
(ミメイは誉めた言い方をしていますが、結局は総と同じことを言っているだろうと思う)
総って、擬音語多いねえ。わたしも他人事ではないけども。

この辺りを読んでいて自分でおもしろく感じたのは、以前読んだ時と同じ文章に興味が引かれて立ち止まるのに、以前読んだ時とは違う事柄に引かれている、刺激されるということです。同じ文章なのに、違うことに対して何かを思うみたい。
2周目の感想日記でも上記の文章に対して書いている部分があるのですが、全く違うところに目が向くところが客観的に日記を読み比べてみて気づけたので、それもおもしろかったです。
“…2周目感想でも、ゲームのこの文章をとりあげて書いたなあ”と思って読み返して比べたら、見方や注目する場所が全く違っていたのでした。


「自分の恐怖や不安から生まれたコゴリ鬼ならば、喰われるのは怖かろう。」
はあー。なるほど。
怖さから生まれたものに喰われると怖い、と。
ということは、忘れられない純粋な思いから生まれたコゴリ鬼に喰われるとするならば…怖く、ないんだろうね…。
それどころか。
ううん、これはほんとうに困るね…。


<ハナちゃんの閑話>

「けれど、それではいざ決着をつけようとするときに、(略)」
ハナちゃんって鋭いなあと思いました。この物語のクライマックス場面までお見通しですよ…。

そして、それに対するミメイの言葉を読む。
「そうかもしれないが、それは私の弱さだろう。いつか克服するよ。夜刀のほうは、きっと向かって来るものに容赦はしない」
それは、克服するような“弱さ”なのだろうか…。そして、この先どういう展開になるか、夜刀はどうしたかということと合わせて読むと…、ねえ。

ちなみに、三話でナギさんに「ハナは最近怠けていたぶん、ちゃんと働く。」と言われますが、ナギさんはこの頃のハナちゃんをどういうふうに見てたのかなあとか思ったりもしました。
怠けていたことを、責めるわけでも叱るわけでもない辺りに、ハナちゃんを信頼している感じやハナちゃんをわかっている感じを受け取れます。


<ナギさんの閑話>

3周目でもまんじうが気になってしまいました。
さっさとふたつめのまんじうを手に取るナギさんのシーンに注目しました。
その時のナギさん目線の地の文。
「ふたつ目のまんじゅうに手を伸ばしながら応えると、ミメイちゃんは少し驚いたようだった」
その後のミメイのセリフが「ナギさんは、そんな頃から夜刀を知っているのか?」だったので、わたしはてっきり、ミメイが驚いたのは“夜刀をそんな頃から知っている”ことに対してだと思っていました。
思っていましたよ。
…。
“ナギさん、2個目のまんじうに行くのか!?”という驚きとして受け取るようになってしまいました。


「意味のないものだから、コゴリはひとの念を…、この世に在るための理由を求める。」
この文を読んで、コゴリってひとみたいだよねえ、と思いました。意味がないようなものにも意味を作りたがるのが人間だし。
ひとと寄り添って生きること、誰かがいるから力が出るということ、わたしは素敵なことだと思います。
ただ、これも「丸投げ」だと嫌で、人に全体重をかけて寄りかかったり、誰かの力を貰うことを期待するということが当然であったりだと、ちょっとね…と思います。
だから、薄めのコゴリは嫌いじゃないだろうなあと思ったのですが、そうか、薄めのコゴリというなら、もともとのミメイのことになるか…。


3周目は理想通りに読めています。
3周目にしてやっとですが、泣かないで済んでいますし、文章がさやさやと心地よく感じながら読んでいます。

つづく…かもしれない。



...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」とうとう3周目日記。その1。 - 2007年03月06日(火)

1周目に遊んだ時は、素のままの自分でじっくり読もうと思っていました。同作者さんの前作を遊んでいるので、1度読んだだけでは絶対に全てを味わえる気がしなかったし、読もうとしないとほんとにさりげないから見つからないってことも知っていたし。だからまずは、今できるだけの努力だけしとけ、って感じで読みました。

2周目に遊んだ時は、話がどんな流れかを知っているし、どんな性格の登場人物かもある程度把握できているので、そこから自分の感情を同化させたりして感じ取って深めよう、という感じで読みました。

3周目は2周目と逆で、知っていることがあるからこそ、なるべく客観的に見てみようと思いました。地の文に惑わされずに、客観的にその場を見てみようと。

ということで始まりました3周目。
わたしはきっととてもあほだと思うのです。
2度読んでてもまだ気づかんか!って…何度も何度も思うことになりながら読んでおりますよ…。とほほ。

えーと、本日もネタバレ万歳な感じで書かせていただきたいので、プレイしていない方はごめんなさいー。
「プレイをしました!ネタバレOK!」な方に限り、反転させてお読みくださいませ。
それから、あくまでもわたしの解釈なので、受け取り方の一例として読んでいただけたら幸いです。とりあえず現段階の解釈です。

(ここから↓)


短い間隔で話題が飛んでいきます。読み方にご注意ください。

<プロローグ>

ミメイの登場シーン。
これはミメイの本能なんじゃないかな、と思いました。夜刀の前に現れるということが、本能。夜刀を「討たねば」と思ったのも、夜刀から挑発されたからだけじゃなくて本能でもあったのかもなあ。


地の文がミメイ視線の場面。
そこを、夜刀の視線ではどう見ているかも同時に意識するようにして読んでみました。物語をミメイの目から見るのでなくて、2人を俯瞰してみる感じに意識。
ミメイの目に映る夜刀の様子を見て、でもミメイの解釈の仕方には影響されないように注意しながら、夜刀の心の動きを読もうと意識しました。
そうしたら、会話がかみ合っていない様が見えました。おもしろい!
夜刀、この会話は楽しかったと思うな。次に来るだろうと予測するとは違った言葉が返ってくるから、かなり想定外だったかと(笑)


夜刀視点の時の「避けること適わぬその力は、神仏か化け物か。」という文も素晴らしいなと思いました。
神仏にも化け物にもどちらにもなれなかった者ですもんね…。

そしてその後に「…おまえは、人間か?」と夜刀が問う言葉。
自分と同じように鬼なのか、鬼の能力を持つ者なのか…?という意味で聞いたのかとわたしは思うのですが。
そういうシリアスモードで問うているつもりで読むと、その後のミメイのセリフは…なかなかいい具合に気が抜けます(笑)
夜刀とともに、わたしもなんともいえない表情になります。

「喰う?コゴリ鬼を?美味いのか?」というセリフも、誰があんなのを口に入れるんだ…って感じだろうねえ。

「おまえも、鬼か…」「ならば、どうする?」とどこか楽しげだったのも、“おまえも、か…。やはり俺と同じ…!”といった感じだったのかなと。
「こちらの動きをうかがっているのか、男は斜めに刀を構えたきり微動だにしない」も、“さあ、どう出る?俺の動きを読めるのか…?”といった感じだったかな。
なのに、どうも夜刀が緊張感を持つそのままの展開でいかないのであるね。

「俺の先に、何が見える?」とミメイに刃を突きつけて聞く場面。
それまでの自分が「人の、助けられない未来」ばかりを見てきた悔みや罪の意識みたいなのをずっと持っているから、もしも同じ能力を持っているのならば、そんな自分の未来はどのように見えるのかと、つぐないのような気持ちを持ちながら尋ねたのかなと思ったのだけど。
これまた。そんなシリアスモードでミメイのあのセリフ…。変な顔にもなるわな(笑)
夜刀が意表をつかれる時の気持ちを一緒に味わうのが、これまたおもしろいです。


3周目プロローグにて、夜刀が怒っている意味も、警戒した眼差しで睨んでいる意味も、ミメイの解釈にまかせてはいけないと思いました。
この後一話の方でも何度かそう思いましたが、ミメイが勝手に察することは、大抵が間違っている(笑)



<一話>

ミメイの持っている知識は、ミメイ自身の持っている知識になるのかしら。
としたら、化け物が最近現れだしたということも知っているということか…?
どうだっけ…。←3周目…


遥か昔から、コゴリ鬼はいたのですね…。
コゴリを出し続ける日々の長さを思うと…辛いですね。そんなに長い時間、うつうつとコゴリが出てしまう気持ちを持ち続けていた…。


お、一話で夜刀がミメイに興味を引かれている様子がわかりますね。ミメイの受け答えの突拍子のなさがいいのですかね。
「つまらなくはないし、わからんでもない。が、やっぱりおまえは阿呆だなあ」
夜刀のいう阿呆は、損をしやすい、って意味なのかな。話の意図が読めないって意味もありそうだけど。
故郷に錦を飾りたい。「立派なことだ!」と誇ったり自慢したりする人もいる一方で、それをあっさりつまらないものとしてしまう辺りが損をしやすそうかなと。


夜刀、がっかりされるとムッとするところがかわいらしいですね。
化け物ができることが自分にできなくとも別にいいじゃないか(笑)
そしてこれ、子供の頃からの夜刀の質に繋がっていますねえ。「何かをしないと」って思いやすいものをずうっと持っているんだね。


夜刀がかなりミメイを気に入ってきていることもわかりますね。っていうか、ミメイは気づいてないけれど、すでに嫁にする勢いのようにも発言の意味が取れますな。深読みしすぎでしょうか?


そしてハナちゃん。
もう、この頃もハナちゃんは…、と思いました。夕方はコゴリ鬼が出てくる時間。
1周目、2周目と、「夜刀ちゃん!」とうれしそうに手を振る笑顔のハナちゃんの印象が強くて、…ほんとに気づきませんでした…。ごめん、ハナちゃん。


さて、…テッちゃんは本名はなんでしたかね。


ミメイがコゴリ討ちに島に来たと行った時に、危ないよ、逃げないとだめよと気遣ってくれるハナちゃん。
…危ないと知っているけれど…それでもハナちゃんは…と思うと唸ってしまいます。

人は自分の聞きやすい言葉の意味で物事を聞くわけで。
ミメイが「大丈夫だよ、心配ない」と言った後のハナちゃんのセリフを聞くと、ハナちゃんは「コゴリには近づいちゃだめ」って自分にも何度も言い聞かせているんだろうなと思いました。すでに夜刀に助けてもらったこと、一度は近づいてしまったことがあって、でも怖くて泣いてしまって「お父さん」を見ることはできなかった。それもあって、ずうっとそれからもハナちゃんの中に残っていたのかもしれないなあと思いました。


「本島の人は物腰が違う」と総が言っていますが、少し変わった雰囲気を持つ子だなと早々に気づいている感じですね。

ナギさんもミメイに興味津々ですねえ。夜刀が本島から女の子を連れて帰ってきたのかー、へえー、あの夜刀がねえー、上出来だ!って感じかな(笑)


「自分でも気づかぬうちに、早くお役目を果たさなければと焦っているのかもしれない。」
おおー!この焦りは本能由来ですね…。
本能からの焦りの意味だとすると、焦らせるものはコゴリ鬼討ちではなく夜刀…。


総を家の前で待っている時に夜刀が現れましたが。
ミメイの後をくっついてくるし、夜刀、一体何しに来たの?と思いました。普通にミメイに会いに来たのか、これは(笑)


「何しろそこは時間もないような場所ですから」
ふうむ。千本格子から出てから、時が動き出す…。


夜刀の知っている鬼の話と、総の語る鬼の話は、どうしてこんなに違うんだろかとふと思いました。
夜刀の方は文書にしてあるというのが大きいのかなあ。いちばん境野の人間が頼られていた、その背景というのもあるだろうし。
総の方は、口伝えなのかもねえ。大体、総の家系は結構アバウトそうであるし、途中で意味がずれてもそんなに気にしなさそう…坊主でも神官でもどっちでもいいような感じだったみたいに。


コゴリ鬼を祓ったことがないという総。
「でも、本当に俺は気にしていないんですよ。別に誰に何を言われても、どうでもいいことです。」
でも、総のそのことについて気に病んでいる杏子のことは、どうでもいいと思わなかったのかもね。


2周目で、総と杏子が祓歌をうたっていることのミメイへの影響に気づいたと先日の感想日記に書きました。
その前に杏子と夜刀がやんやとやりあう場面が出てきますよね。3周目のそこの場面に来て、…あれ?このシーンって杏子は確か…と思って、恐る恐る注意してみたら…やっぱりですよ。
ここでもミメイに歌が影響してるっ!
くわーっ!自然すぎるっ!うあー!気づかなかったっ!


総はぬえの声を聞いて、宿主がさっさと誰なのかを気づいていたんだなあ…。(これまた今頃実感した感じです)


「こういう寂しくて暗い場所が、私は何より怖かった。」
わたしは黙ってしまいました。寂しいよねえ、怖いよねえ。…なにげなーく繋いでありますよね、ほんと。


「小さな可愛い子」
神隠しにあった子を杏子がこう言うわけですが。
ぷぷっ。可愛い子っ!


力を発揮した総と杏子を「当たり前だ。(中略)あれは小僧や小娘のように見えても、」と誇らしげに言う夜刀。
ほほえましいです。
うらやましく思っていた部分もあったろうけれど、それだけじゃなくて誇らしいんだなあって思ってほほえましい。

「あいつらの祓歌ではコゴリ鬼しか祓えんからなあ」
3周目、ここを読んでぶほっと吹きだしてしまいました。
今まで何回も読んでいたのに、何も思わなかったけど…、この時点でコゴリ鬼説ははっきり消えますね。
うむー。
すごいー。


というか、わたくしこのゲーム、3周目でございます。
プロローグと一話だけで、どうしてこんなに新鮮に「おもしろいと思ったもの」が出てくるのか…そしてそれを長々と書けるほど出てくるのは果たしてどうなのか。
うれしくもあり、楽しくもあり、情けなくもありです(苦笑)

多分続きます。



...

フリゲ「送電塔のミメイ」の感想つづき。 - 2007年03月05日(月)

エンディング動画を何度も見てしまいます。曲、いいですねえ。歌声も好きです。

そして。
やっぱり3周目になにげなーく突入してしまったのだけど。
…すでに2周読んでいるにもかかわらず、やっぱり気付いてないところが1話の時点ですでにありまして。
(ちなみに書いておくと、ハナちゃんと初めて出会った時のハナちゃんの様子から受け取れるもの)
作品に対しては非常にうれしく、そして自分に対しては非常にがっかりです。

ハアッ!(気合いを入れなおす)

というわけで、なにげなーくではなく、もう1回、ちゃんと最初から読んでみることにします。
(今までもちゃんと読んでいたつもりではあるんだけど…まあそれは置いておこう)

しかしまあ。
今度は、「雨格子の館」発売日までに自分の気持ちを落ち着かせるのは間に合うのかな、という不安。
あほですね。なんなのですかね(苦笑)

とりあえず。
おお!と目をひかれたり、うわーんと泣かなくなるまで読みたいものです。
こころにさやさやと、爽やかな風が吹くくらいの感じになってほしいです。ええ、自分の中で。

といいますか、わたしはどうやら「自分がおもしろいと思うもの」に対する満腹中枢がブタなんです。もしくはぶっ壊れている。
ブタって、満腹中枢がない動物なんですって。だからあるだけ食べてしまうんですって。
「言ノ葉迷宮」さんのゲームを遊んだ時もそうでしたけれど、「送電塔のミメイ」もわたしにとって好みまっしぐらだったため、「1話でご飯50杯はいける!」という感じで。
50杯いけるんだったら、大切に少しずつ少しずつ味わって、ちまちま食べればいいのにもかかわらず。
「うまいっ!うまいぞう!」とぱくぱく止まらずに大量に食べてしまうわけですよ。いけませんわ。
そして気付けば、お腹いっぱいになりすぎて動けなくなってうんうん言うようなことに(苦笑)

このサウンドノベルで、確実にわたしの中で「ゲーム」というものの意味も変わりました。変わったというよりも、はっきりしたというべきか。
わたしにとって、この作品はおもいっきり「ゲーム」です。選択肢なんてないし、はたまた入力するわけでもなく、遊び手は読むだけであるのに、これは確実に「ゲーム」だと思いました。

選択肢があれば「ゲーム」なのか。
今のわたしの場合、選択肢があっても「ゲーム」ではないものはたくさんあるように思います。あららららら。

はあー。そっかー。
わたしにとって「ゲーム」って「考えられる」「判断しようとする」ことなんだなあ。
それは頭だけでなく身体を使うことでも同様かもしれない。

おもしろいゲームを遊ぶと、ゲーム自体以外のことも思うことができるので、それがとてもわたしは楽しいです。


追記。

この日記をアップした後、マウスが爆発しました。
バクッという何かが破裂した音がして、その後、ミミミミ…と変な音がマウスからします。そして変な音がしたのに、マウスは使えます…。手の中でミミミミ…と言っています。

とはいえやっぱり怖いので、すぐに電源を切ってマウスの中を開けてみたら、あらら、乾電池が破裂していました。そして汁がミミミミ…と出ていて。
汁をふき取って新しい乾電池を入れてみたものの、もはやマウスはうんともすんともいわない状態になりました…。
ということで、即行で量販店に行って新しいマウスを購入してきました。今度は爆発しないようにとコード付きのものを購入(苦笑)
しばし、誰かに狙われているシチュエーションを味わいました…。


...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」2周目遊びました。その2。 - 2007年03月04日(日)

前回の続きです。読まれる方は、前回から読んでくださいね。
今回もこれまたネタバレ満載の為、プレイしていない方はごめんなさい。プレイした方のみ推奨です。
…といいますか、プレイしていない状態で読んだとしたら、なんのこっちゃらわからない部分も大半のような気がたいそういたします。どちらかといえば、興奮を皆と分かち合いたい的な文章ですので…。
だからこのページを読む前に、ぜひぜひこちらからDLしてゲーム本編を読んでいただける方が、わたし自身も本望でございます。

もうプレイ終えたからネタバレでもOKよ!という方は、どうぞ反転して読んでみてくださいね。
今回も長いので、その辺はご注意を。

(ここから↓)

<三話 山姥>

「八束、というその名は、どこかで聞いたような気がしていた。」
うおー。

「見ているこちらがぞっとするほど恐ろしい眼差しでコゴリを睨むこともあり、また、消えていくコゴリを憐れんでいるように見えるときもあった。」
うおー。

初っ端から感想というより、吠えているだけで申し訳ありません。どちらも2周目のヒットポイントでした。

「コゴリ鬼は自分が何なのかを知ってしまったら、消えていくしかないんです。」
きゃー、えらいこっちゃー。(2周目で慌てるわたし…)
そうか…、だからか。だから、夜刀の昔話を聞いたらミメイが…。そして杏子の書いた祓歌の入ったお守り袋の威力…。そして、徐々にはっきりしてきている夜刀の鬼の記憶…。それらの全てが繋がっていく…。

千本格子の前って…あー!!ミメイはそんな所にきていたのか…ひええええ。と、2周目に思う。
(気付くのが遅い)

ミメイのことをばあさんに、夜刀はどういう風に話していたのかなあと、1週目と思ったラブ♪な意味とは違った意味で思いました。

「おばあさんの手は、乾いているけれどあたたかかった。」
こういう細やかな視線の表現に、わたしはとても弱いです。実際に自分が触れたように感覚が浮かぶ表現の仕方。(そして、2周目ゆえまた泣く)

「まぶしいところでは、いろいろなものが見えた。けれど、恐ろしいものを見るよりも、そのまま動けなくなるほうが嫌だったから出てきた」
この気持ちはとてもわかるなあと思った部分でした。過去に自分が書いたこの文章の自分とも重なりました。
そういえばわたしも幼い頃、押入れの中って好きだったなあ。暗くて、押入れにしまってあるふわふわの布団に触れてじいっとしているのは、とても心地よかったということを思い出しました。(胎内の記憶に通じるのかな?)

誤りなく正しい未来識。それが見えることは、意味がないことなのか。
意味を持たせるも意味を失くすも、使い手次第だとわたしは思います。未来の結果が変わらなくとも、変えられるものはあるから。
それは、その変わらない未来に対して、自分がどう思い、どう行動するかということ。
例えば、わたしは人間なので確実にいつだかに死ぬ時が来る予定です。それは変わらない未来。人間以外の他の動物は、いちばんヒトに近いサルであっても自分の未来の死を思うことができないそうです。だから、人は誰でも未来識を持っているともいえます。だから、人間だから出来ることがあるんじゃないか?と思います。意味を持たせるならば。
そして、それは他のことに対しても思います。自分の未来は識れないというミメイ。識れない未来が、未来へのカギであるということ。

「私は、コゴリが嫌いだ。」と続くミメイの言葉に胸が痛みました。
鬼のコゴリに対する気持ちがそこに重なりました。

1周目では、おばあさんの持ってきた眼帯の意味もここではわかっていなかったなあ…と思いました。なんだろ?なんだろ?ととても思っていました。
そして、2周目でもおばあさんが静かに目を閉じるシーンでは、涙がぼったぼったでした。


<四話 夜刀>

三話の最後で、「おばあさんっ!おばあさん!」と追いすがる気持ちがたくさん出ていたので、話が変わるごとに地の文の主人公が変わることは、とても助かりました。とてもほっとしました。

ばあさんがいなくなった後、床から起き上がれるようになったミメイが泣くシーンがあるけれど、わたしはここで、「さあ!俺の胸で存分に泣け!」という展開でないところがとても好きです。
夜刀はやさしいなあ、ととてもこういう些細な部分で思えるのがうれしいです。

1周目、鬼の能力を知った時に、がーんとショックを受けました。これって…もしかして…ミメイは…と、わたしはここで初めて思ったのですね。
(これまた後、その時のわたしの推理が実際とは少し違うことがわかるストーリーなわけで…すごいですよねえ…)

今更ですが。
このゲームは頻繁に立ち絵の表情が変わるから、文だけからの情報ではなくて、表情を見て「あ、今嬉しそうだな」とか「ちょっと得意気そう」「表情に出さないように堪えているな…」とか確認しながら受け取れたことが楽しかったです。
初めは自分のペースで読みたいために、1ページ分を一気に表示させていましたが、次第にその表情の変化と共に読みたくなって、文字表示速度を最速にして、1クリックで表示される文章量は通常のままにすることにしました。
文字で隠れて後ろの絵が見えないのは残念だけれど、文字の隙間からちらりと見える表情の変化に、頭で補完したり、次の文に移る時の文字がなくなる瞬間に集中して今の表情を見ようとしたりして、それを楽しく感じながら遊びました。

「俺は、母を止める心残りにもなりはしなかったのだろうか。」
うわあ、そうか!と2周目のここで、ナギさんの話の夜刀につながりました。ハナちゃんは、ナギさんを止められる心残り…。
無駄がない…あざやかです。

夜刀目線の甚八さんを見ていると、甚八さんに自分と似ているところを感ずるわたしは自分の失敗の仕方がよくわかります。
そういうところに配慮できるようになりたいねえ…。気付かないんだよねえ…。

「そんなことをしてはいけないよ。あれは、家に明かりを灯すための塔なんだ。」
ぐるぐると回っているみたいに、今度はこの言葉が先ほどの現在の夜刀の思いとつながります。

「外に出たら、私は先のことが今よりももっと見えなくなってしまう。」
「それなら、俺が手を貸そう。」
ああ…。もうだめだ…。うー。 (T^T)

「今まで何も知らずに鬼を罵っていた自分が、何より許せない。」
このまま外に出て忘れるということは、許せないと思う自分にこれから「なる」ということ…。

「俺は、八束という。境野、八束。覚えておけ。」
…。うん、覚えていたね…。
そして、覚えておけと言ったのだ…。この名前を呼ばれる日が、また名乗れるようになる日でもあるということだね…。


<五話 凝り夢>

コゴリ。
人の念とはこういうものなんだろうと思います。フィクションにもかかわらず、この物語がわたしをこんなに揺さぶるのは、きっとそのベースとなるものが深く納得できるものであるからでしょう。
もともとが良い種類の思いだったとしても、閉じ込められたらコゴリとなって出て行くしかなくなる。
「出すな!皆が困るんだ!」と言われても、言われた本人も困ってしまうというもの…。出さないようにとすればするほど、思えば思うほど、念がこもって溢れてしまうから…。

夜刀と大量のコゴリ戦にて。
すごいなあ、コゴリって…。何を相手が気にやんでいるかって鋭く感知する受容体であるなあ。何かに利用できそう…なんて思ってしまいました。利用するにはミメイを閉じ込めたままでいなければいけないので、すぐに考えるのをやめました。

「自分はいつでも、自身の呪いを晴らすためだけに動いている」
物事を知れば知るほど、目を背けることができないことが増えるものです。
「何かをせずにはいられない」
うん…。
「ひとを救おうと思ったことなど、きっと一度もないのだ。」
うん。とてもわかる気がしました。
でも、それでも、辛いことが増えても、今、力が及ばずに辛いと思うことが辛くならないようになりたくて、わたしはもっともっと知りたいと思ってしまいます。
行くしかないのだなあ…、前へ。

1周目、五話の最初も訳がわからなかったなあ…。
「夜刀をし損じた」って何だろう…と思っていました。

記憶から消えるのはなぜだろうともこの頃思いました。
できそこないのコゴリ鬼でさえも皆の記憶に残っているのになと。宿主だけが覚えているって訳でもなさそうだし、と。
このことは、2周目で総の「ミメイさん、お気をつけて」というセリフを読んでから考えたことなのだけど、これが「聞こえた気がした」だけでなく本当に総が言っていた言葉だったなら、記憶が消えるのは、夜刀を討てなくてタイムリミットで姿が消えるからではなくて、コゴリ鬼らしさ(本能か?)が強まってミメイらしさが陰に隠れたからではないかなあと思いました。
ミメイらしさを取り戻した証が、杏子のお守り袋、そして総の言葉、そして後に繋がる皆の記憶なのかなと思いました。
記憶がなくなるのは、本当のミメイが別にいるからなんだろうなあ…。そして、「ミメイ」がミメイに伝えることができたことによって、皆の記憶として残ったんだろうなあ…。存在する人になったんだろうなあ…。

2周目では、なぜ今まではミメイはコゴリ鬼に見えなかったんだろうな、とも考えました。
それだけ純粋に会いたいという想いだったってことなのかな…。他の想いが入るほどに化け物になるようだし…。

お互いがずうっと忘れずに、お互いが「会いたい」と思い続けることでできたコゴリ鬼。
自由で、触れられるくらい近くにいる人がいて、光を存分に浴びることができる「ミメイ」。
そして、結界の奥の本人からの情報も得て、本人の思いも含んだ「ミメイ」であるから、夜刀を討てなかったんだろうなあ…。

すごいねえ。
クライマックスの夜刀とミメイが戦うシーンは、最初の頃のシーンと重なりました。最初の頃、コゴリ鬼は夜刀だったなあ…とか思ったり。

2周目もわんわん泣いていましたが、1周目に比べたら泣きませんでしたよ!(なぜか自慢げ)
頭でいろいろ整理して考えながらだったからと思います。でも、そうであっても、いろいろ整理して繋がってしまうからこそ、1周目とは全く違うシーンであっさり泣かされたりしました…。おおう。

背にミメイを負ぶってコゴリを討つというのは、夜刀にはかなり気持ち的にキツイことだろうな…。コゴリもミメイだもんな…。すごいよ、夜刀。

ミメイはばあさんの100歳、200歳年下か…。まだまだひよっこね。

そして。
とどめかと思うくらいキタのは、2回目の、約束の意味を知っていての金打。
もう、その高く響く音が自分の身体にも響いて聞こえてくるように感じて、打ちのめされるくらいに参りました…。
特に2周目…。わたしは、もう、なんか、ぬけがらに…。

さらに。
エピローグで「ミメイ」の生きていた証が見られることで、また泣いていたりして。

ちなみに。
ゲーム仕様として提示されてあるプレイ時間は3時間でありますが。
1周目は確か4時間くらいで読んだのですが。
わたしは文章を読むのは早い方だとは思うのですが。
2周目は…、泣きながらに加えて考察しながら、メモを取りながら、そして感情が収まるまで次の文章に進まなかったりとかしていたので、読むのに8時間くらいかかりました。
満足です…。

今度は自分の考察と比べながらまた読みたいなあ、なんて思っています。
まだ気付いてなかったり、考え方として違う見方もあるかもしれないとか、思ってしまうのです。
恐ろしいゲームです(笑)



...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」を2周目遊びました。その1。 - 2007年03月03日(土)

さあて、ストーリーの全貌が見えたところで取りこぼし回収&1周目の自分との比較のために2周目!

…と意気込んだのですが、恐れていた通り、たいそうおもしろかったです。恐れるというのは、「…これは一読目で気付いてもいいのではないだろうか」と思う事象も多かったからです。とほほ。
ちなみに、気付けば2周目も睨むようにして読んでいました…。(特に戦闘時)

2周目感想はネタバレを気にせずに自由に書かせていただきたい、ということで、この先は最後までプレイ済みの方のみ推奨です。
読まれる方は、反転させてくださいませ。

(ここから↓)


なるべく時間軸に沿って書いてみます。

<プロローグ>

まず冒頭部分。
1周目では、何か含みがありそうだけど…わからないね…、とぼんやりと読んでいた部分です。1周終わってもう1度読んだら、ぎゃー!という感じです。作者さん、最初から出してきた…。というか、誰の目線で書かれている地の文かというのがごっちゃになっていたかも…、と1周目の自分を振り返りました。
そして、空き巣にぶつぶつ言っている夜刀にも笑った。(←修正。空き巣発言は一話ですね。)


<一話 ぬえ>

1周目では、夜刀に対しては「意外と親切な人」という印象でしたが、2周目になると「やさしく、面倒見がいい人」と、自分の受けた印象が少し変化しているのに気付いておもしろかったです。人に対する印象って、そういうもんなのかもしれないねえ。

「どうして知っているんだ。俺はあんたを知らないのに…」という総のセリフも、ふふふそれはね…と読めました。

「自分を閉じ込めた人間を恨み続けている」と鬼について語る総と、それを聞いている夜刀の様子を窺うのも楽しかったです。

この人から見えたものが正しいものではなくても、そういう答えになることがおかしくないな、と思うことも結構多くてそれが興味深かったです。例えば、杏子から見る総とか、シンさんからみるアトリさんとか。

総と杏子が祓歌をうたう時も、「あー!ミメイに影響してる!」って2周目で気付きました。
…全然、何も、気付いていなかった。こんなにはっきり書いてあるのに!

総が杏子のことは「どうでもいい」ことではないんだねえ、と思ってうれしくなりました。

1周目の初めの頃ずうっと、コゴリ鬼ってなんだあ〜?、と思っていたことも思い出しました。人の形をしていたり、ぬえの形をしていたりだし、見分け方って何かなあって。夜刀がコゴリ鬼って信じるのはミメイだからなのか一般的にそういうものなのか…とひどく高めの保留感のまま読んでいたなあと、2周目プレイにて思い出したりしました。


<二話 節の穴>

わたしはミメイ同様、頓着なく自分の髪を切る方だから、ぐるぐると夜刀が考えていることを読むのはおもしろかったです。夜刀、いいやつだなあ。
でも2周目では後に出てくるミメイの長い髪の姿を見ているので、ミメイにもっと頓着があって欲しいと思いました。(勝手)

「生涯違えぬと決めた約束の証」
金打。ああ、いいですねえ…。偶然とはいえ、好きですよ。

「傘。なぜ傘なのだろう。」
そうですねー。傘もなるほどでしたねー。なるほどというか、とても好き…。

なぜ夜刀は皆を「知っている」のか。これも後に繋がった時、おもしろかったです。

1周目で、アトリさんのことは、皆がアトリさんがそうあり続けて欲しいという願望で見ていたのかもなあ、とも思いました。そうしたら、2周目でそれに関する言葉も見つけて、驚きました。
総のセリフ。「アトリさんに近いところに居すぎて、(中略)余念というか、期待というか、そういうものがありすぎるんだよね」
強い思いだから長く続くものかといえばそうではないだろう。思いの深さと執着とはまた別のものに思う。執着してしまう理由があるのだと思う。

「相手がコゴリ鬼だとしても、恋人に会えたらうれしいものだろうか。」
この問いを1周目で読んだ時、わたしは、多分うれしい、と思いました。でも「象った人の性質をそのまま写す」コゴリ鬼であるからこそ、その分、一緒にいたら寂しくなるような気がするなあと思いました。
そして、2周目で同じ問いを目の前にすると、同じ問いにもかかわらず、たとえ仮の答えだとしても、初回のようにすぐには答えられませんでした。でも、多分うれしい、と思いました。困ったなあと思いました。

「ああなったら良いだとか、こうだったら嬉しいだとか…、そういう思いが目を曇らせる」
あああ…、夜刀、自分に向かっても言っているのね。

「どんなことにも深く自分が表れないよう、完全に客観を貫かなければ、正しいものは見えないだろう」
うむ。そして、正しいものに対して自分が納得できるか、どうしたら納得できる状態になるかを考える、ということに続く。

「俺にもできないのだから、ミメイにはもっと無理だ。」
その代わり、ミメイには納得できる状態になるにはどうすればいいか、と進めるに抵抗がない質がある、と思いました。つきはなさないで物事を見られるって素晴らしいことに思います。

総が夜刀に「ミメイさんが大変なのはわかったけど…」というセリフ、うまいなあと思いました。総、いろんな意味を含めて言っていますね。わたしもここのシーンで言ってました。こーの朴念仁がー!

「それでも…あれは、家に明かりを灯すための塔なのだ。そう思うと、黒くわき上がった衝動が、急にふっとおさまるのだった。」
おさまるんだね…。大切にしているんだなあ…。心がさやさやとしました。

「あるいは自分を見ているのは鬼ではなく、自分自身なのかもしれないと思った」
夜刀の地の文ですが、2周目にこの文を読んだら、わたしの中ではそれだけの意味に収まりませんでした。

鶴を折るシーン。
「全く楽しくない。そもそも叶えたい願いがない。」
じゃあ、1日1羽、楽しく折れたのだなあ…。素振り千本より苦行のものを(笑)
「元旦から折りはじめたなら、(略)」
1000羽折ったのかなあ…。

「いろいろな風景の夢だ。不思議なもので、そんな土地には行ったことも見たこともないのに、(略)」
うあああ…。それは…。
「きっと心根の清いものの目を通すと、景色はああいう風に見えるのだろう」
2周目、不覚にも感動してしまいました…。そして不覚だったため、3周目をしたら逆に笑ってしまいたい…ともこれをまとめながら思ったりして。ぷぷっ、心根が清いだって、って夜刀にツッコミたいなあ…。(自覚ないけどね)
「夢は願望の表れ」
…。2周目、これまた黙ってしまいました。

「自分のように、優れていることと劣っていることでしか、物や人の良し悪しが判断できないものにとって、己の不出来を認めるのは恐ろしいことだ。」
でも、自覚が出来ていることはすごいことだと思います。わたしはその自覚がなしに発せられる言葉の方が周りを傷つかせることを知っています。
そして、自覚が出来ているならばわたしはそれでいいんじゃない?と言ってしまうなあと思いました。劣っているからこそ難なく見えやすいものがある、という価値が見えれば、己の不出来を認める恐ろしさというものは、ただ単に自分を脅かすというものではなく、なんというか、頼りになる先輩みたいな存在になるんじゃないだろうか。

「アトリさんは、ミメイの冷たく見える外面を見ずに、」
この文が!
うわー、うまいなあ!
この文でわたしは簡単に、目が見えないゆえの世界を思い浮かべなくさせられました。うおー、ここで気付けやー(苦笑)
そして、自分でそれを違和感として気付く前に、すうっとその仕掛けをなだらかにならしてわからなくするかのように、「想像や気配で見ている」と思わせるようにその後の部分では表現されていて…。うおー。
ちなみに、アトリさんちにその後にコゴリ鬼を討ちに行く時の夜刀とミメイの会話で、1周目やっと気付いた人…。気付いたといってもちゃんとわかっていなくて、その後の帽子に笑ったことに対しては何も思わず…。ちょっと…。
しかしまあ、帽子の件もこれまた「伏線の道具」として無駄がなく、かつ自然エピソード…。

「そればかりではなく、ひとが抱えた忘れられない想いからもコゴリ鬼は姿を得る。その鬼に喰われるならば、宿主は本望なのだろうか。」
その後の展開を思うと、これも胸が切なくなる疑問です。
1周目ではこの言葉で、コゴリ鬼が愛情の証みたいに思われやすいもののような気もして、それはなんだか嫌だなあと思いました。2周目でもう1度この場面に来たら、こう思ったものはその後のハナちゃんの話に続いていることに気付いて、お見事、と思いました。

杏子がミメイを想う気持ちが出ている夜刀との会話を読んだら、泣けてしまいました。これも2周目ゆえですね。


<閑話 ささぶね這子>

ハナちゃんの、素直で夜刀やミメイの人となりをちゃんとわかっているところがわたしは好きです。
そして邪気のない言葉も(笑) ハナちゃんもっと言えー、という感じでした。
そして、「昔の話だ」と答える夜刀。うおー。それ、昔でもないー。はつこいのひとー。うわー。(この辺りは興奮しすぎでした)

ハナちゃん、大好きです。


<閑話 混じり水>

そうなんだよねえ…。子どもって親のことを見ているんだよねえ…。心配している時でも、そうでない時でも、親を見ている…。

「いろいろなものをたくさん見てみたい、と答えた」夜刀の、その時に持っている決心に思いを馳せました。知っていても助けられなくて、助けたい気持ちだったのに逆に守られて…、そうして暗い場所に閉じこもった後の決心。

「ナギさんの中の思い出だけでなく、あらゆる人と物に残っている記憶から知識を得て、コゴリはナギさんの念じた人の姿を写す」
とすると「ミメイ」はミメイと夜刀から生まれたのだな…と2周目で読んで思ったら、ちゃあんとそれもコゴリは結界の奥から情報を得たことが後に書いてあって…。
かー。気付かん自分よ!
というか、読んでいても頭がこの時に整理されてないままということがよくわかる!(笑)

「少しでも不安や迷いを抱えて念じれば、コゴリは化け物の姿を現す」
ほおー。あの人たちは、そうか、不安や迷いがあったねえ。

「けれど、純粋にただ会いたいと願えば、(略)」
おおー。そうか、純粋な想いの人たち…。

ナギさんの持つ相反する思い。泣きました。
そして、その後にほっとさせるのが上手なのよね。だからわたしの涙は乾きます。…話が進むほどにだんだんとそのローテーションが短くなるので、翻弄されてしまうわたしはなかなかしんどいですが、でもとても楽しいです。

「ミメイちゃんは、強くなっていざというときにわたしを助けてくれると言うけれど。本当は今でもじゅうぶん、私はミメイちゃんに助けられているのだ。」
ひとが救われると思うことって、いろんなことで起こるものだよねえ…。

まんじう。
ハナちゃんがかわいくて仕方ないわたしは、ハナちゃんが食べられることを切に願いました。夜刀が最後の1個に手を伸ばした時、「だめー!」とこんなほのぼのしたシーンでなぜか前のめり(笑)
夜刀がミメイの後についていった時は、ああ食える…とほっとしました。でもまだ油断は出来ませんでした。ナギさんが4つ全部食べてしまうかもしれない…(笑)と思っていたら、ハナちゃんが起きてきて食べたので、とてもうれしかったです。
まんじうの件では、ミメイが聞いていて感極まってしまうような過去の話をしながら、ぱくぱくとまんじうを立て続けに3つも食べていることでナギさんが過去のことはふっきれているんだなあと嬉しく思う反面、まんじうをミメイに食べさせないための攻撃だったのだろうか…なんてことも思ったりしました。(4つお土産に持ってきたなら、ひとり1個と思うのではないの…?とぼうっと思ったりw)


感想、長いですねー。
すみません、それでもまだまだ続くので2つに分けます(笑)
気力体力のある、ネタバレ感想OKの方は次回もどうぞ。


...

フリーゲーム「送電塔のミメイ」を遊びました。 - 2007年03月02日(金)

えぐっ。えぐっ。
さ、サウンドノベルです。うぐ。

紹介文引用。
「廃墟離島と呼ばれる小さな島。そこでは古くから形のない化け物がわき、人々を襲う。役目を負って島を訪れ化け物退治に挑む娘と、島に住む人々の暮らしを描いたノベル。」


…またもこの作者さんの作品で大泣きしてしまった。しかも何度も…。涙が乾いたと思ったら、その度に泣かされるというありさま…。

なんなのー! なんなのよ、この作者ー!
と照れ隠しというか逆ギレというかで暴れたくなります。

えーとですね。とにかく素晴らしいです!
前作も良かったですが、さらにさらに!パワーアップ!という感じ。
音楽も絵も文も演出も、何もかもいいです。今回もまたムービーが美しいですな…。
これは…ちょっとやそっとのゲーム作者さんは気落ちしてしまうかもしれない、と思うくらい素晴らしいです。

プレイ中に、「好きすぎる…タースーケーテー」とメモっています。わけわからん。
終話では、自分の服をぎゅっと握りながら読んでいることに、途中まで気付きませんでした。かなりのめりこんでいた模様。

そんなわけで。
まいったな…何から書いていいかわからないのだけど。(今回も興奮気味)

またも、伏線が多分にたくさんあると思われます。怖いです。1度目で全く気付いていないものがまたもたくさんありそうで…。これから読み返すつもりなのですが、…何が出てくることやら。あああ。

甚八さん好きだなあ、と思っても泣きました。惹かれる理由が自分でわかるので泣けてきました。自分とたくさん重なる方だったんですな。
何かをしなければ甚八の子どもでいることはできないと」という部分に、切なくなりました。
条件なんていらないんだよ、もしも仮に条件があるとしても、きっとそういうものじゃないんだよ、って言ってあげたい…。
ことさらに何かをしなければいけないと思うことはないんだよ
そういうことなんだよなあ…。

「同じものが見えている」と知った時も泣きました。

見えない理由がわかった時も「なるほど!」と膝を打ちました。

ミメイの想いを読んで、ミメイに間違っているよ、って言いたくなったシーンもありました。
わたしも昨日知ったばかりなんだけど、あんたの想いはあんただけでできているんじゃないってことだよ。
そしてその後のひとり泣くシーンを見て、うん、そうだよね、そうなんだよね、と思いました。

未来が見えるのに、未来がない。
「夏が来たら、魚を釣ろう」というセリフにも泣きました。
そして、未来が見えなくなった時、未来は。
ああ…もう…すごいですね。

好きだと、紹介がうまく出来ません。

…っていうか、これがフリーでいいのかーっ!
落ち着いてきたらそんな気持ちに。
お返しに何かできることがあるならいいのだが…。応援だけでもとにかくいたします。


...




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