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2005年06月30日(木) 6月のまとめ

6月に見た映画
『エレニの旅』
『マダガスカル』(試写)
『メリンダとメリンダ』
『耳をすませば』(ビデオ)

6月に見た写真展
木村伊兵衛賞のやつ

6月によかった本
佐野眞一『カリスマ』

6月の恋
友達が別れた話を聞いて、しみじみする。
「別れ話の時『今までおごった金返せ』って怒られるかと思ってドキドキしていたら、『この一年間ありがとう。ほんまに楽しかったんよ』って言うんだよ」。
人と付き合うって本当に難しい。

反省点
取材をすっぽかしそうになる
これはマジでやばい

来月の目標
『耳すま』のロケ地聖蹟桜ヶ丘に行きたい



2005年06月26日(日) 王子様からの手紙

前略



根津駅で終電を逃したから、高田馬場まで歩いた。
言葉にすると簡単な道のりに思えるかもしれないけれど、後で距離を調べたら7キロくらいあった。
1時頃歩き始めて、目的地に着いたのは朝の4時頃。
真夜中の散歩だ。

大の大人が言うのも恥ずかしいけれど、東京を知りたかったんだ。
知らない道を歩くのは、わくわくするものじゃない?



さて、君は元気ですか。

僕は、元気です。
歩いていて色々なことを思い出したよ。
体を動かしたおかげで、やっとこうして手紙が書けた。

記憶というのは不思議なものだ。
普段すっかり忘れていたことが、あるきっかけでふっと
自分の身に降りてくる。

君は、僕と歩いた東京カテドラルを覚えている?
明治通り沿いにある、丹下健三設計の教会。
道のり半分を過ぎて、少し疲れが出てきた時、
ふと目をやった道の左手に、建っていた。
暗いから、見えづらかったけれど、はっきりそれと分かった。
君と回り込んだ路地を覗き込んで、そこで話したラーメンのこと
コーヒーの種類のこと、中学時代の通学路のことが、
詳細によみがえってきた。

足にはマメができた。

それでも、思い出は止まらずに、流れ出てきた。
僕は、過去へ向かって歩いていた。
温かい気持ちだった。

目白通りをしばらく歩くと、早稲田大学の正門へ続く道に出る。
学生時代に卒業論文の製本を頼んだ店、君と待ち合わせをした立て看板の前。
僕の住んでいた部屋。
君の住んでいた部屋。
今まで左手に見えてきた月が、右手の上に移動した。

こうして記憶をたどっても、君の言葉をいくつ思い出しても、
もう僕にはそれを取り戻そうという強い希望がない。
失ったり手に入らなかったものに、興味が薄れている。
ただ、今回のように、たまに戻ってきてくれればいいと思っている。



ここまで書いて、ウンザリした。
丁寧に丁寧に、腫れ物に触るように文章を書いている。
最近の僕だ。
「歩いた道のりが君に分かりやすいかな」
「思い出を修飾する言葉は、きちんと使われているかな」
そんなことばかり考えて、気取っている。

仕事まみれの糞だ。
本当は、誰のことも思い出せずに、
自分一人でただ道を歩いてあたたかくなっている。


根津駅から馬場まで、家に着いた時にはくたくたで、
僕は本当に参っていて、
君に電話をしたかった。
ベッドに横たわって、窓の外を見たら朝日が昇ってきた。
早起きした気分で、映画を借りた。
映画には京王線の景色が映っていた。

見たこともない、坂の上から
見下ろす東京の街。僕はあそこに行きたい。
君に会いたい。
本当はそうでもない。



敬具



2005年06月19日(日) 向田邦子『父の詫び状』

武蔵小杉まで、「時代を切り開くまなざし-木村伊兵衛写真賞の30年- 1975 - 2005」を見に行く。以前、初めて森山大道の写真展に行った場所だ。東横線にことこと揺られる。電車の窓から、多摩川が見える。たくさんの人が運動をしている。



電車の中で向田邦子『父の詫び状』を夢中になって読む。「おすすめだから、今度貸してあげる」と言ってくれた人がいて、でもその人は忙しくてしばらく会えなさそうなので我慢できずに買ってしまった。夢中になりすぎて、うっかり一駅乗り過ごす。ずっと浸かっていたいなあ、と思わせる平易で温かい文章。卵や薩摩揚げやご不浄(トイレ)が頻出する生活の一折一折を具体的に、丁寧になぞっている。



人を殺したいと思ったこともなく、死にたいと思いつめた覚えもない。魂が宙に飛ぶほどの幸福も、人を呪う不幸も味わわず、平々凡々の半生のせいか、わが卵の歴史も、ご覧の通り月並みである。だが、卵はその時々の暮しの、小さな喜怒哀楽の隣りに、いつもひっそりと脇役をつとめていたような気がする。(「卵とわたし」より)



筆者が自分のことを書くくだりは珍しい。私はこのページに折り目を付けた。



木村伊兵衛賞の写真展は、木村自身の作品が目当てで行った。パリのカラー写真。約30年ぶりの公開だという。カフェの前で人々(フランス人)が踊っている場面を、何枚も何枚も写してある。きっと、見ていてとても愉快だったのだろうと想像した。こちらまでいい気分になった。



乗り過ごしたおかげで、行きの電車で向田邦子が終わったから、帰りは佐野眞一『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」-』。全く違う気持ちで読み始めたが、気付いたら二つとも「戦争」と「戦後」の話だった。向田邦子の慎ましさとは裏腹に、こっちのダイエー会長のどん欲ぶりはすごいな、と呆れる。先日の公的資金投入劇をあまり真面目に見ていなかった自分を反省しながら読んだ。



家に帰ってご飯を炊く間、今日渋谷に寄って買ってきた高野文子『棒がいっぽん』を開く。窓際の蚊取り線香の匂いがいい。もうすぐ夏至だとラジオがいう。



今週もこうして本を読んで、休日の一日が終わった。



2005年06月12日(日) 妄想 理想の結婚相手

色白
一生飽きずに添いとげてくれる
最後の最後に優しい
他人にあまり興味がない
安いお店でも外食できる
家電のコードの配線ができる
パソコンが得意
地図が読める
電球を変えるのが苦にならない
楽器が弾ける
「誕生日にはプレゼントを贈る」など、常識の範囲内で記念日を祝える
人並みに性欲がある
できれば長髪
できれば美しい鼻
できれば垂れ目
おしゃべり、または書いた文章で饒舌
私の顔を「見ようによってはかわいい」と思える
できれば年上
自分の好きなものについて、分からない人にもきちんと説明をしてくれる
貯金に反対しない



↓なんとなく考えてみる
■上記のうちで私の父に当てはまるものとその理由

色白(かなり真っ白)
一生飽きずに添いとげてくれる(うちはいつでも母優勢)
最後の最後に優しい(怒っているのを見たことがない)
他人にあまり興味がない(私の出た大学を知っているのか未だに謎だ)
安いお店でも外食できる(ちゃんぽん屋が好き)
家電のコードの配線ができる(ほぼ唯一の特技)
地図が読める(ついでに時刻表も)
電球を変えるのが苦にならない(2つめの特技)
人並みに性欲がある(うーん)
私の顔を「見ようによってはかわいい」と思える(「れーやんはかわいいね」といつも言っている)
できれば年上(母のいっこ上)
貯金に反対しない(おそらくお金に興味ないから人任せ)



■上記のうちで私の父に当てはまらないものとその理由

パソコンが得意(いまだにかな入力)
楽器が弾ける(愚問)
「誕生日にはプレゼントを贈る」など、常識の範囲内で記念日を祝える(シャトレーゼのバカデカい100円ケーキとか買って来ちゃう)
できれば長髪(だめ)
できれば美しい鼻(だめ)
できれば垂れ目(だめ)
おしゃべり、または書いた文章で饒舌(ほとんど言葉を発しない)
自分の好きなものについて、分からない人にもきちんと説明をしてくれる(しゃべらないから説明も何もないよね)







2005年06月11日(土) 金魚の話など、メモ

■何か他のもの

「若い頃はね、テニスとか野球とか、色々スポーツもやってたんだけど、最近はすっかり金魚だね。特に“ランチュウ”ね。弱くてすぐ死んじゃうから育てるの難しいんだけど、はまっちゃって」。

昨日仕事でご一緒したカメラマンさんが嬉しそうに話すのを、ぽかんと聞いた。猫や犬好きはよくいるが、金魚を愛でる人には初めて会った。「本郷三丁目にあるから行ってみなよ」と勧められた金魚屋さんがちょっと気になる。大人は、みんな仕事の他に、趣味やら何やら見つけて生きていっているのだな、と思う。



■彼女

(友人と)友人の彼女に会う。看護師を目指して上京し、学校に通っているそうだ。色々と質問をする。仕事でもプライベートでも、こうして初対面の人と顔を合わせて仕事のことやアルバイトのこと、学校の勉強のことを聞いていると、「みんな本当に頑張っているなあ」と素直に感心させられる。こうもみんなが全力投球しないと社会は回らないものだろうか。私などは怠惰なので、半分くらいの力で仕事できたらな、と考えてしまうのだ。しかしそんな要領は持ち合わせていないので、いつも力いっぱいか、力いっぱいでも失敗するくらいなのだが。



■思考停止

2003年4月22日の日記がよかった、という感想をもらった。「文章を読んでいて画が浮かぶんです」という。嬉しかったので、昔の日記を振り返って読んでみた。ちょうど就職活動中、しかも苦戦している頃の文章だ。1日毎に遡っていく。多くの日記が、物事を深くまで掘り下げて書かれていた。実際には掘り下げられていないのだが、一生懸命悩んで掘り下げようという努力が見えた。「こんな難しい本に、大学3年生が偉そうに感想を述べてしまうのか」と赤面し、呆れる日もあった。

日々のディティールを凝視せよ。目の前にあるものをじっと写し取れ。そう思って今は書いている。「思想」や「国家」や「世界」について、私は言葉を持たないと気付いたからだ。しかし、悩み続けたゆえに「思想」(もちろんそれは空回りで薄っぺらく、発表するにはあまりに恥ずかしい類のものであるわけだが)をぶちまけていた2003年4月の私に比べて、今の文章が思考停止していることは否めない。つまらない大人になるってこういうことかしら。ぞっとした。



2005年06月05日(日) 『エレニの旅』

映画『エレニの旅』パンフレット、監督テオ・アンゲロプロスのインタビューから印象的な言葉の引用。

「この世の中で、人間が喚起する疑問に対して、本質的な答えを返してくれるものはもう何もない」

グレーの川に、じめじめと雨が降り続ける暗く、絶望的な映画。傑作である。



2005年06月04日(土) りかちゃんとナカガワくん




夜の12時に仕事が終わって、それから高円寺でりかちゃんと、りかちゃんの同期のナカガワくんの飲みに合流した。中華料理店で、朝の四時まで話した。店が閉店したので、中野のナカガワくんの家に押し掛けて、さらに話した。

りか「犬はかわいい」
ナカガワ「うん、犬はかわいい。すげえかわいい。老犬がいい」
私「はあ」

内容は上記の繰り返しだが、とても温かい会だった。

ナカガワくんは、出張の時に買って以来独学で覚えたという沖縄三線で、『涙そうそう』や『島唄』や、『さとうきび畑』を弾いてくれた。私が音痴な歌で「ざわわ ざわわ ざわわ〜」と歌ったら、「なんでわざわざ生演奏の音とずらすの?」と少し怒りながら、それでもまあいいやっていう顔で、さらに色々弾いてくれた。

りかちゃんは、冷蔵庫の中身をうーんうーんと見た後に、チーズ味の焼きカレーうどんを作ってくれた。ものすごいアイデア料理なのに、きちんと味がまとまっている。だしの味がちゃんと麺にからみついている。私が作ると、うどんと味付けが分離するのに。ナカガワくんと二人で「おいしいおいしい」とお母さんを褒める旦那と子どもみたいに食べた。どうしてこんなに美味しいの?と聞いたら「隠し味はコンソメ」という。

同期揃って、器用な人たちだ。
同期揃って、うまく人と話せないくせに(文章は恐ろしくうまいんだけど)。

「常に自分を『こういう人間です』ってプレゼンテーションし続けないといけない環境は疲れる」。りかちゃんの言葉にうなずく。日々「社会」というものを生きていると、そういう場面ばかりだと感じる。

私が三線に飽きていたら、ナカガワくんが今度はギターを出して弾いてくれた。また、音痴な声で歌を合わせた。気持ちがよかった。奥田民生の『野ばら』のときだけ、黙って聞いた。とても好きな歌だから。





『野ばら』

雲行きが気になって見ていたら
君んとこは昨日から下り坂
まだ空には星光ってる
風は西からひゅう

天気予報の確率が高まれば
君の機嫌がある程度わかるのだ
そういうわけにはいかないかなあ
いい調子でやってるか

机に野ばら飾って暮らす
たまにサンダーが小雨を降らす

君の声を欲しがってる
風が強くなるひゅーー

机に野ばら飾って暮らす
たまにサンダーが小雨を降らす
時にウインターはせつないけれど
そばにあんたがいないのだけど



2005年06月03日(金) 書道

小学校1年生から、書道教室に通い始めた。毎週月曜日は「習字の日」だった。本町4丁目の先生の家まで、田んぼの中を自転車で通った。

どんどん字がうまくなった。小学校2年生のとき、初めて書き初め展で金賞を取り、3年生では作品がクラス代表になった。4年生から6年生までは、毎年県展に出品された。5年生、6年生は県展で「特選」に選ばれた。

練習が好きだった。練習すればしただけ、うまくなるのが楽しかった。書き初め展の前は、一日100枚以上書いた。買っても買っても紙が足りなくなるので、冬の夕方、父に車を飛ばしてもらってよく大きい文房具屋さんに行った。100枚、200枚単位で売ってくれる店が、家の近所にはなかったから。

自分の書いたものがどう評価されるかには、あまり興味がなかった。ただ、手本を見て繰り返すことが気持ちよかった。「気持ちよかった」というほど何かを考えていたとも思えない。手本を見て繰り返すことを、ただ、していた。続けた。



中学になっても高校になっても、毎週月曜日には赤い「お習字セット」を下げて自転車を走らせた。部活の後に練習に行くのは疲れて、面倒くさかった。だからたまにさぼった。でも、辞めなかった。老後は書道の先生になるのだと、漠然と思っていた。



書道で大切なのは、「線の厳しさ」と言われる。初めはぼたっと、たるんでいた線が、書き込むうちに鋭くなる。線は、どんな時でも鋭くなければいけない。筆遣いは、迷いなく、速くなければならない。

「迷いなく、速く」は意外に難しい。手本に忠実な、基本の文字の形を覚えていなければ、筆は速く動かすことができない。

線がある程度鋭くなってから、その人の個性が出始める。先生は私の線を「れいこさんの線は品があるのよ」と褒めてくれた。「鋭いんだけど、柔らかいのね。ふわっとしてるのね。ただ厳しいだけじゃなくて」。

高校生になったくらいの頃、1万円以上する羊毛の筆を買った。今まで使っていた人工毛のものとは違い、柔らかく、根本までふにゃふにゃ曲がるので非常に書きづらかった。しかし、スピードを持って筆を走らせると、思いがけない枯れ(墨がかすれること)やにじみを生み出してくれる。美しい「枯れ」は、100枚、200枚、1000枚書いた後、偶然に生まれる。ようやく生まれたその一枚を大切に、展覧会に出す。時には1000枚書いても出ないこともある。そういう時は、1100枚、1200枚、とまた書き続ける。書けば書くほどいいものができる日もあれば、迷走して行き詰まってしまう日もあった。



教室には、ライバルがいた。スズキくんと言った。私と同じ、小学校1年生から書道を始めた男の子だ。同い年の子で、高校に入っても教室を辞めず、「師範」の目前まで行ったのは彼と私だけだった。彼は、繊細で細い線を書いた。創作が得意だった。

私の通っていた教室では、正月の展覧会があった。検定とは離れて、自分の好きな文字を、好きなように、遊び心で書く。彼は、そうした場面での作品が群を抜いていた。

「夢」と一文字、線は細く、決して主張しないのに、人の目を引く。余白を大きく取った紙の真ん中に字面は上品に、しかし伸びやかな個性を主張しておさまっていた。

制服にピーコートを着た高校生の私は、展覧会を訪れ、嫉妬を覚えた。スズキ君の作品よりも大きな文字で、ぽってり女性的な丸みを帯びて書かれた私の「新春迎淑景」という臨書(古典の一部を、そのまま手本として真似て書くこと、書かれた作品)は、「上手な字ね」という感想以上を抱かない、平凡な美しさで額に納まっていた。負けたと思った。そして、書道があるレベルを超えてからは芸術である以上、私はこの人に勝てない、とその時の私は悟ったのである。



推測が、正しかったのかは分からない。今、スズキくんが師範を取っているか、書道教室を続けているか、私は後のことを何も知らない。

高校3年生の9月、「受験が忙しいから」と言って私は書道教室を辞めた。「また戻ってきます」と先生には言ったが、きっとこれが最後だと、自分では分かっていた。当時は思春期だったので、親には「どうせ長く生きたって仕方がないんだから、老後に習字の先生をやるなんていう希望はナンセンスだよ」と格好をつけた。



ほとんどパソコンの文字で人とコミュニケーションを取る日々の中で、たまに「字が上手だね」と褒められた時、私はふっと書道教室のことを思い出す。真冬の廊下で1000枚書いたときの、墨の匂いが、甦る。「自分が一番になれないなら辞めるしかない」と言い訳をして、打ち捨ててきた沢山の過去のひとつを、惜しそうに眺める今の無能な私がいる。



2005年06月01日(水) いい加減な5月のまとめ

■今月見た映画

『さよなら、さよなら、ハリウッド』
これで4本分、と言えるほど素晴らしい映画だったので数をあまり見られなかったことはよしとする。

■面白かった本

夏目漱石『文鳥・夢十夜』
町田康『告白』(まだ読書中)

■反省

仕事、女性ホルモンに追われることによる精神不安定
走れなかった
阿川佐和子のようなウイットが足りない(『クロワッサン』読んだ後)

■よかったこと

昇給した
ゴールデンウイークは全部休めた

■来月の目標

部屋からこたつを撤去
目の下のくまを直す
走る
風鈴とすだれを買う


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