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2003年04月30日(水) いくつの悲しみも

ルルルルルールルルルー。春っぽいハミング。

黄金色した太陽の下、黄金の週のまっただ中を。私は歩いた、ビル群に向かって。私は歩いた、明治通りを。神田川を渡り、逢い引きする男女とすれ違い、ビル風に吹かれ、そういや男もいないのに。そうだ誰かの信頼もなくして。「強い気持ち、強い愛!心をぎゅっとつなぐいくつの悲しみも残らず捧げあう」そんな歌を口ずさんでね。私は歩いた。歩いた歩いた都電に沿って。ボーダーに白いスカート、靴はマリンなローファーで。歩いてもついた先は、池袋駅だったけれど。

どこかに何かが待っているなんてのは絶対に嘘だ。だってこれだけ歩いたのに。池袋以外の何か、高田馬場から明治通りを行った時に、でてくるものは他にもあった筈なのに。

突然頭の中で、何かがぶつっと切れた。それは長い間の思いや、淡い期待や、きゃわいげや、あらゆるつなぎ止めておくと苦しいもの。それが切れた。

切れたからって次にどうしようってんでもない。でも切れたからには仕方がないからこれはこれ、あれはあれってんでおざなりに、指示語全開に私は毎日を続けてゆくのだろう。生活をつなぎ止めてゆくのだろう。

マリメッコの苺柄の鞄。鏡の前で合わせては、元に戻し、また合わせて。戻した後に列車に乗った。テレビには白い人たちと大和田獏のくそ真面目な顔。

「私はさあなたが思っているような綺麗な人間ではないの」なんてそれこそ綺麗なこと、を言ったことがあるけれども実際私は本当になんてなんて、きれいできれいですなおですなおで、どうしようもないくらいにそれがけなし言葉だってことに今更気付くなんて大馬鹿野郎だってことをいまさらこうして無印良品「無漂白種つきアプリコット」を、つまりってえことはあれだ、要するに印のない黒い杏をほおばりながら書いてるってのはちょいとああた。どうしたって気持ちは落ち込むはずなんだよな。

そういえば今思いついたのでここに書き留めて置くけれども、私のこどもの名前は「旅人(たびと)」にする。七尾旅人君からとったのもあるし、人生は旅だとどこかで聞いた言葉が非常に素敵だと思ったため。

コースケ君はまだ見てくれているのか。もうさすがにやめてるかね。



2003年04月29日(火) ゲンズブールとつきあいてえよ

ゴス(黒魔術)っぽさがない子はかわいい、乙女だ」
男の子の友達が言った台詞に、非常に納得してしまった。そんなのてめえの幻想であろうが、と蹴り倒すはずの私が。
椎名林檎のゴスっぽさよりもカヒミカリィになりてえの今更あたいはね。てのは最近オザケンの「LIFE」しか聞いていないせいか。別冊宝島の「渋谷系の時代」特集を読んでいるせいか。
いつもニュートラルに自分の好きなものを追求して、1人ひとりとときちんと向き合って劣等感を持ち過ぎずに、(傲慢ではない)自信が心の奥にしっかりとある。
だからあの子は素敵だし、だからあの人は輝いている。

東京国際ブックフェアに行ってきた。天気が良くてゴールデンウィークらしい一日が送れたように思う。
新潮社ブースの前でお祈りをし、マガハのブースから大量の『ウフ』を回収し(take freeだったのです)卒業論文用の資料を二割り引きで購入。1200円の入場料も、もとをとった感ありで帰宅したら。(つづく↓)

「れいちゃん、この間指輪がなくなったのは質屋に入れたんでしょう、それを男の子にあげたんじゃないの?」母が突然言い出した。
引っ越しの時になくしたって言う時計もそうじゃないの?定期代なくしたときも!!!誇大妄想は留まるところを知らない。しばらく外出できないです。
はあ。




2003年04月28日(月) 人はなぜ歌うのか。

永六輔がアカペラとピアノのみで歌います。という至極まっとうなようで実は相当に可笑しい企画の、しかし声を出しては笑えない、町田康に言わせるならば「ふくみ笑い」といった様相の番組に遭遇。深夜の1時に「死」「より良い終わり方」についてアカペラをしてしまう彼は何者なのか。

み〜らいーが、あ〜る〜。

ぱちぱちぱちっとまばらな拍手、私からテレビジョンの六輔へ。そうかそうか。ここは年の功、百歩譲って彼を信じてみるよ。なんてなどうでもいいことばかり書いていると生産性のある話をしてボーイズアンドガールズにもてもて作戦が少しも進まないのでとりあえず明日は合同コンパに出席することにした。嘘ばっかり書いてるからってこれも嘘だと思ってるわね。うふ。やるわ、やってやるわ。sony男と職、同時に手に入れて両手に花。妄想なしの人生にしてみせるわ。

UKかusか。NMEという読む者のやる気をそぐ英文がごちゃっと詰まっている雑誌の記事を訳すことになった。最近私はバカにされてばかりで、TOEIC785さえ本気で疑われてきているデフレ状態だ。これを脱出して「才色兼備sony男つき」となるためにはやはり、ここできっちりギャランティーとして約束されている3000円分の仕事を成し遂げねばならぬ。3000円。ルノアールで6回珈琲を飲める大金である。

どうでもいいが眠い。眠い。眠いという根元的欲求の欠乏のためにこのようなきちがい文章しか書けない日もあるのだ、このうら若き乙女にも。



2003年04月25日(金) 世界は密室でできている

起床は昼過ぎ。言い訳をすれば昨日電話をくれた女の子が
美容師との恋愛と講談社の面接後日談、私は変わっています、ということを3時過ぎまで喋り続けたせいだ。なんてなことを書くとまるで悪口のようだが実は私はみこちゃんの話がなかなか好きである。何故私にわざわざ電話をくれるんだろう、他にもたくさんいるだろうに、と思って申し訳なくなる程。いい子なんだな、根が。いつもキャミソール透けてて谷間が見えてるからみんなが誤解するんだけどさ。男も誤解するから苦労してるみたいだけど。最初は大嫌いだったの。こっちが嫌いと思っていたのに向こうが寄ってきてくれるのは珍しいのな。彼女の話は面白い。

ごはん、カボチャの味噌汁をおかわり、しらす、納豆、サラダ、はっさくは剥くのが面倒。スタジオパークからこんにちは、で秋山仁の話に感動していたら友達から電話。ヨーグルトレーズンはうまいなあ、とだらだらテンションだった気持ちが引き締まる。舞城王太郎「世界は密室でできている」(講談社ノベルズ)がすげえいい、グっとくる。泣ける。読め。明日までに読め。新潮の筆記に通ったこと。受かる、ぜってえ受かる。受からねえでどうする、っつう話。受かる、受かるうかる受かる。ああ、受験の時も唱えてたなあ。「受かってやるわ」ってオーバーオールにリュックしょって自習室に通いながら唱えてた。

昨日買った電撃hpのキャラクター小説がなかなか面白かった。脈を触ると相手の見ている世界に入れる女の子の話。さらにその超能力で他人の心の奥まで行くと人間の心の中にはもう一つの世界が広がっていて・・・という筋だったの。表現はポエマー系で嫌だったけど、と感想を述べる。「そんなに簡単に入り込むなよ、入り込めないもどかしさを描くのが文学ってえもんでありやんしょ」という非常に興味深いレスポンスがあった。ほんと、君はそういう話一つ一つを面接でしたなら内定通知が雨のように降ってくるよ心配ない。私も何かを批判することを覚えようと思った。くらたまが西原理恵子より駄目な理由とかな。

秋山仁の話すればよかった、と受話器をおいてから思った。中学受験も高校受験も大学受験も大学院受験も就職試験も失敗したというバンダナ数学者秋山仁。ひとことで「負けっぱなし」っていうけど、それがどれだけ大変なことかは少しだけ分かる気がした。負けねえ。

ずっと連絡が取れなかったクラスの友達から携帯にメール。嬉しい。嫌われたと思ってた。「就職決まらなかったらディズニーランドで働く。夢の世界から出ない」ははは。笑って、ハピネス提供してよ、あのひとはヒモになったよ、私のヒモじゃないけど。と返信。ディズニーか。テロの恐怖は資本主義夢の国にも。かっこいいディズニー批判をする気はなくて私はミッキーにでもプーさんのふくれた腹にでも甘えてえ。そういえば数日新聞を読んでいないからイラクのことも何も知らない。「日野啓三」が文春の試験に出たのは彼がなくなったからだということに今更気付く。日野啓三、山本夏彦、なくなった偉大な方の本を一冊も読んでいないことに危機感。日野氏の遺作から始めよう。

なんだねてたの? なあループ野郎 どうせあれだろう? 死んだ夢だろう 言い飽きないの? もういいじゃない 今更聞くERA。やっぱり100sよりも好きだ。ひとりで進む中村一義君はとても強くて、何かを抱えていて、それでもひとりで進んでいることそれ自体に私は共感できる。私の憧れののりちゃんが淫乱娘と付き合うことになった、だとか個人ホームページは恥ずかしいのかもしれないと思います、だとかれいこさんは駄目だしされるのが好きですよね、といった内容のいくつかのメールに返信しようと「君の声」を歌いながら思った。

貸してるお金が返ってこない!!とウェブサイトを通してワールドワイドに訴える!!!



2003年04月24日(木) 両親の結婚記念日

日常のどこか一点を切り取って物語のようにすることばかり考えていたものだから、こうしてひたすら記憶をたどり、それをなるべく忠実に再現することだけに注意を払って文字に刻み付けてゆく作業がこれほど楽しいとは知らなかった。

6時半起床。昨日一日眠っていたせいでついよいっぱりをしてしまい、その弊害で結局これほどの早起きは困難を極めた。しかしJTBという名前を言えば誰でもわかってくれる会社に入りたくないわけはないから海風を感じるりんかい線で天王洲アイル駅まで。昨日のプロジェクトXで「男たちの努力が、通勤ラッシュを救った」とやっていたが、正直埼京線は自動改札を開発していただいたにもかかわらず何の改善もしていませんよ、とトモロヲに呼びかけながら揺られる。

「旅」のどんなところが好きですか、と聞かれて思ったままを答えたけれどこれはだめだな、という時の手ごたえ。「いい話ですねえ」と言われるときは必ず怪しいのだ。一体いつになったらここから抜け出せるのだろう。一般企業の内定が出だす4月、5月ころが自分との勝負なのです、と先生が100回くらい言っていた理由がようやくわかる。今日会った子も生保に内定をいただいているとのこと。母は「いいじゃないその会社」と私が最終に行った小さな会社をたたえている。どちらにしろ過ぎたことは考えない。扶桑社も宣伝会議もこれからなのだ。

先週やむをえず休んだ坪内祐三先生の授業に出席。おお、男前。しかし昨日からの疲れで何故か居眠り、つまらなかったわけではありません。授業の後に「お酒やさん行きますけどお暇なひとはどうぞ」という奇跡的なお言葉を聞くがESがあるため参加できず。非常に口惜しい。立派な人と御飯を食べたり話をしたり、そういう機会はまわりに幾らでも転がっているのだ。しかし、自分がそこに並べるようになるまでには近いようで非常に遠い道のりが待っている。だから履歴書を書く。

メディアワースの雑誌を買うために芳林堂(高田馬場の書店)を訪れ、「どれがそうですかね」と店の方にお伺いを立ててる。「電撃がついてるのがそうですね」「あ、電撃がそうですか」電撃をいくつか買い込む。電撃萌王(でんげきもえおう)、電撃姫、電撃hp、電撃プレイステーション。女の子に耳が生えている。電撃。ああ、この世界に入ってしまったら楽で楽で抜けだせないの分かるなあ、萌え〜って何となく分かるなあ、分かるのか、分かるなんて人のことを簡単にいってはいけない。「分かると頷いたのは分かるような気もしたから」ああよかった。ここでクラムボンの歌詞が出てくる私はきっとポップな女の子だ。

髪の毛が腰まである女の子の後に並んで会計を済ませ、私も腰まで伸ばしたいと思っているけれど私のはカヒミカリィに向かって伸ばしているわけで、電撃姫とは断じて違う。違うのにゃ〜♪♪(@_@)絵文字が書けない。お腹が空いたので初めてモスのディナーを食べてみる。スープ。電撃hpの「夢界異邦人」という読み切りの小説にはまってしまい、すっかり「紅美」の気分。まわりは雪・・・。雪♪ホームページのコンセプトが変化してきた気がする。



2003年04月23日(水) 祝え

中国 香港 カナダ アイルランド。私を狙ってSARSは近づいてきている。咳は止まらない。

そんなわけでお釈迦になるまで短い時間、私の儚い「いのちの記録」「たましいのノート」として今日も東京リアルライフをお送りしようと思ったが、すこし考えてみたら埼玉リアルライフでることに気付いてしまう。なんだかだっせえな、あれだな、「空っぽな郊外」とか言っておけばいいのかね、なんとなくかっこよけりゃあ誰か読むんだよな、いくらかっこよくてもrelaxの波だけの特集は売れているのか。写真集によりも安いからいいんだけど。popeye黄金期の波乗りブーム再来なのか。よく分からないがあの雑誌がやると何でもとにかくかっこええんよね。「relaxのうまいところは”〜なかんじ””〜な気分”をうまく作り出しているところだ。厳密な定義なしに展開される特集。届きそうで届かないライフスタイル。それらがスノッブな感じの読者を引きつける」というのは私が尊敬している方が昔おっしゃっていた弁。どこからかの引用の恐れもあり。

昨日は学校のパソコンルームで徹夜したので朝帰り。田舎の駅から自宅に向かって逆戻りする時のけだるい感覚は何度やっても悲しい。まして、きらめく女子高生たちの「おはよー」という挨拶に遭遇してしまった時などは、cutieを読んでファッションで天下とるんだと本気で考えていた当時が偲ばれてなんともやりきれない気持ちになる。明るい太陽。上から徐々に薄くなってゆく美しい青い空が眼前にこれでもかというくらい広がり、私のうちの方向にある富士電機の工場へ向かうパートのおばさんが「昨日の風で雲は流されたのねえ」と嬉しそうに言った。

帰宅。母は怒らなかった。「お疲れさま」の返事は何と言えばいいのだろうといつも非常に迷うけれども「お疲れさま」と同じように返す。HAPPY NEW YEARにHAPPY NEW YEARと返すのは間違っているらしい、という英会話で学んだ豆知識を思い出しながら。正解は、I'm fine, thank you.朝ご飯を用意して頂いたのでありがとうございます、と思いながら腹に入れた。ごはん 味噌汁 しらす 伊予柑。お茶を飲みきってしまった後に「薬は?」「あ、そうだ。お湯ちょうだい」。

眠いのでコンタクトをとってベッドに倒れ込んだ。中村一義君の「金字塔」をかけておいたが「ど〜お?」が始まる前に眠りに落ちてしまった。

記憶が一切ない。

母が昼頃に「もうお昼だよ、でも疲れたから寝てる?」と聞きに来た時に自分が何とレスポンスしたのかも知らないのだ。こうして自分のしたこと、考えていたことをすべて忘却の彼方に置いてこられることの何という快感であろうか。

記憶が一切ない。再びだ。結局夕ご飯の前まで眠り続け、「もうおきなよ」と母にせがまれて起床する、結局。携帯電話に不在着信と「お休みでしょうか」というメールを頂いていたので寝起きだがかけ直し、「資料は今日取りに行くのやめました」と堕落してしまった一日を簡単に告白した。夕食、何故だろうか、全く記憶にないのだ。メニューも話したことも。食べていないのだろうか、いや、「お昼食べないでお腹空いちゃったでしょう」と心配されたのだからたっぷり食べたはずなのだ。テレビジョンといくつかの電話。メールに返信を行い、金曜日には楽しい予定が入ったのでこれからの日々が少し輝くのかもしれない。しかしそれは一瞬の、すぐに消えて儚い全く意味のないきらめきなのかもしれなかった。意味深に隠すこともない、予定というのはみおさんとのお茶。

プロジェクトxの途中で用があったので(その用自体が何だったかの記憶も消えている)二階に上がり、ふと中村一義君のERAが聞きたくなったので結局10時過ぎまで自室にいた。久しぶりに聞くジュビリーは本当によかった。そう君ん中に溢れ出す世界に、決して消えない場所が。それに光あて、赤く染め返せ!君に出会いたいから。踊ったりギターを弾くまねをしたりしながら跳ねた。田淵ひさ子が演奏する真似をして、かわいいかしらとひとりで格好をつけた。こうして一人、部屋で踊ることは出来るのに何故人前だと楽しそうに出来ないのだろう。だから快感のポイントがないように思われるのかもしれない。別に誤解されているから云々、などという言い訳をする気は少しもなくて、人前で気持ちいい音楽に反応できない、というのはそれはそれでひとつの快感の発表方法=快楽のポイントに対する姿勢の違いが生じているということなのだろう。イベントやレイブについて悩むのはいつもそこだ。正直。

夜中に編集者希望の学生たちが集う学校で知り合った友達から久しぶりに電話があったけれども出ない。何故でないのだろう。何も害はないはずだ。内定が出たとかそういう話でも別に構わないのに。そう考えると70%ほどの確率で生産性のない会話しか展開されない私からの電話にでる人々というのは本当に偉い。出ていただけるのだから、やはり電話するからには生産性のある話やドラマのような日常でも発表するべきなのだろう。皆はどんな話をしているのだろうか。正直。

明日持っていくエントリーシートの記入を行う。まさか筆記に通ると思わなかったものでもう少しでゴミ箱行きになるところだった。「コース設定」があったので給料が高い方のコースを選択する。ああ、私にしっかりとして経済力があったら、少しは誰かにとって頼れる人間になれるのだろうか。しかし主夫を抱え込むつもりは毛頭無いのだからそういうところで頼られ度を増すのは別に無意味なことだ。それではどこを治したらいいのか、誰も教えてくれないのは私に意地悪をしているとしか思えない。

これだけ寝たのにまた眠い。ずっと眠っていられるのならいくらでも生きてやろうと歯を磨きながら不老不死について思いをめぐらせた。



2003年04月22日(火)

「起こして」と昨晩に頼んだので母がしつこく布団をはいできて、7時半に目覚め。頼んでおきながら申し訳ない、という気持ちはけだるさと寝ぼけた頭に敗北し、「うるさい」と一喝して再び目を閉じる。シーツはまだ冬物の毛布生地のものだから寝床はぬくぬくと温かくここに入ってさえいれば何も怖いものはないのに、とそんな高等な思考が寝起きからできるほど私も頭がよくなれたらいい。

母はくじけずに「7時45よ」「8時よ」「れいちゃん、「9時過ぎたわよ」最後は掛け布団をベランダに干しだされ、結局1時間半ほどの格闘の後に私はベランダを降りた。

顔を洗って初めて、昨日コンタクトのこすり洗いをせずに就寝したことを思い出し
憂鬱な気分になりながらたんぱく質つきっぱなしのそれらを無理矢理目に貼り付ける。毛糸などが混入すると生老病死に匹敵する苦悶が訪れるのが一般的だがなかなか今日はつるっと入った。つるっと入るかどうかで朝の私の機嫌が決定する。良好。

おきるのが遅れたためひとりで朝食。
納豆 ご飯 味噌汁 のり 母の育てたブロッコリーにマヨネーズ いちご
このいちご、4パック600えんよ、安いでしょう。母にうん、と頷きながら600÷4を暗算するがなかなか出てこなかったので「あー割り算できない、でも安いね」と適当な返事。そんなに安いのにいちごは甘くておいしかった。ブロッコリーは買ったのよりも格段に柔らかく、「うちで作ったのは違うね」と母を誉めておいたら「アスパラもぜんぜん違うから今度とってくるね」。嬉しそうでよかった。無農薬栽培に感謝していますよ、それからやりたいことにすぐ手をつけてしかも長続きするってすごいなあと頭の中で考えながらロイヤルミルクティー。緑茶で花粉症の薬を飲む。意味があるのかないのか、と飲むたびに思うが飲んでいなかったらもっとひどいのかもしれない。

父のノートパソコンをこたつまで運ぶ。「4月ってこんなに寒かったっけ」いらだったので口に出してみた。メール2通。活字でクールな人というのは本人もクールなのだろうか。文章のみで、この人から受けるイメージは透明だ。ホームページをチェックする。好きなページは復活していた。

母が掃除機を書ける間、ひとりでごろごろと横になり、眠ったり主婦の友のホームページを開いたり。後悔先に立たず、気づけば12時だった。「いいとも」で豊胸美人を探せ、をやっていたら「あんなの絶対癌になるんだから。やめなさいよれいちゃん、おかーさんいいの、胸なんて」と意味の分からないことを繰り返し始めたので完全無視。コーヒーに牛乳を入れた。

昼食はトースト。「バターとって」と台所に向けて大声出したのに、母が皿に盛る前にもうぬってくれていた。気づかなかったのよ、裏を見なかったから。また大声。バターは溶けたほうがいいでしょ、と得意げなのはなんとなくいけ好かないのが事実なので突っかかるつもりはないので黙る。

黙りながらチャンネルをいじりつづけるが面白くないので昨日買った新書「童貞としての宮沢賢治」(ちくま新書)の続き。抑圧された文学少年の性欲に興味があったので購入したものの、あまりこのような話ばかりについて論じられた文章を読んでいると気分が悪くなり、自分が至極汚い人間に思えてくる。次はプラトニックな恋愛小説を読もうと決意しながら、「いやしかし、文学と性は切っても切り離せないものであるのだからして、目をそらしてはいけないのだ」半ば自制心が働き、読み進める。それでは自分が小説を書くときは如何にすべきか。私はセックスを含んだ物語は書きたくない。断じて。

昼間からくだらないことに思いをはせているうちにテレビ。母の意向がはたらいて瀬戸内寂朝に画面が切り替わった。「この人って講話にお金取るの?」「気持ちくらいは取るのかなー、お賽銭みたいなものかね」「俗世から離れてるって気がしないんだけど。お母さんも聞いてくれば、寂庵のやつ」「だって簡単に入れないでしょう、大人気で」「こういう癒される人が一人いたら楽になれるんだろうなー」「いいよね」「でもさ、前アテネの修行僧のドキュメンタリーあったじゃん。実際にすべてを捨てるって、ほんと大変なことなんでしょきっと」

「れいちゃんもう1時半だよでかけないの」
2階でスーツに着替えてストッキングをはいた。先日フジテレビの情報番組で見た、”スローストッキング”=ちゃんとした体勢でストッキングをはけば一日快適でいられますよというのを実践するなら今だ、とふと思いつき、ベッドに腰掛けて足首をくるくる回したりひざの当たりでしっかりずれを直したり、とにかくスローにはいてみるとありゃ大変。伝染してるよ。2度目にはきなおす際もここでてんぱらないのが大人、てな具合にスローにしてみる。やはりさすがスロー、なんといってもむくみが取れますねという即効的な効果ははき終わった時点では分からなかった。しかしスローライフ全盛の今の時代、スローストッキングが市民権を得る日も近いはずだ、こんどよしかちゃんに教えてあげよう。

14時21の新宿に止まる電車に間に合わせるためなかなか慌しく眉毛を描く。チークを入れすぎたので派手な印象を与えてはまずいのか、等についてしばし考えるが、電車に遅れると乗換えという至極退屈な作業をしなければならず、そのときの自分の倦怠感も予想ができたので急ぎを優先する。

電車の中でまた「童貞〜」。自慰について1章を使い論ずる作者。桶川を過ぎたあたりで眠りにつき、赤羽の手前でよだれがたれそうになった反射神経で目を覚ますも結局新宿まで熟睡。この時間を有効に使えたらもっとすばらしい人間になれるかもしれないけれどでも眠るほどに楽な行為が人間界どこを探してもあるとは思えないので特に無駄とは思わない。

電車の中で、  の企業セミナーメールがくる。帰ってからでは満席な恐怖におびえ、友人に電話。予約を頼む。今までこうして頼めば皆やってくれるとなんとなく分かっていたけれど、それでもなぜか、こういうことは一人で向き合っていきたいと考えていた。都営線に乗ろうとしたらさらに転送メール。  社の面接と先ほどの予約が重複し、もう一度友達に電話。こんな我が侭を頼める人がいて本当によかった。結局こうやって、許してくれる人に私は甘えているのかなど、怠惰な自分について深く反省をするうちに電車は神保町駅に滑り込んだ。

小さな会社の最終面接。ほとんど相手が話す。マガジンハウスが第一志望だったという。ポパイ黄金時代の編集長、木滑さんに会ったと。おおー。それでも今の仕事も満足していますと。ここの会社には持ちねたがかれはてるほどにすべてを話したので何の悔いもない。伝えたいことをすべて伝えても、受け入れてもらえないことというのはしばしばある。というかそればかりのように思える。伝えたいことがつたわらないもどかしさ、等というものは要するに技術技巧の問題であって、私の欠陥の本質はそんな小手先云々のところにはないのだ。だからこそ問題なのだ。「きみに悪いところなんてない、嫌いじゃない」と一体何度言われたろうか。就職だって同じことだ。おそらく。小手先でうまくやれるなら別だが。小手先というと言葉が悪いが、実際技巧の部分でどうにかできるのであればそれはそれでやってしまいたい。私の作文がレトリックだらけで何も含んでいないことを、誰も気づかなければいいことなのだ。

セミナー予約を二回も頼んだ友達にありがとうの意味でご飯をおごることになり、高田馬場へ。東西線では初任給の話をする若い男女。竹橋で乗ったから、毎日新聞社だろうか。凄いなあ。読売ウィークリーの中吊り、特集は「眠れない女たち」。この紫と黄色のデザインをどうにかするだけで部数が伸びるのではないかと心底思うが、そこにはえらい人たちのさまざまな意図が隠れているのだろうということに頭を丸め込む。差別化の方向性が間違っていはしないか。

芳林堂で待ち合わせてひとまわり本を見て回るが、毎日買っているので今日こそはと思いとどまり、友達はノベルズを一冊。焼肉かるび先生がいくらだっけと考え抜いた末にまあタイ料理でということになりグリーンカレー。思い出話。タイでタイ人に口説かれたことや日本人男の屈折=楽しみの幅の広がり、について。あ、チャーハンがよかったのにいい間違えた。おかわりのご飯は友達に譲って私は辛味に耐えつづける。「だって扶桑社に入ったらいきなり松尾スズキに近づけるじゃないですか」「そうだけど、うーんあんまり期待しないようにします」「そんなこといってないで」「うん、頑張る。そうだよね、松尾さんの本を出していないところだったら開拓するところからはじめないといけないのだものね。SPA!なら懇願すれば担当になれるかもしれないもの。筆記だなあ」

ルノアールでエントリーシートを仕上げることにする。ミルクティーで胃をいたわった。コーヒーには耐えられない。ほかのお客がいないのでアルバイトが雑談していて本当に集中できない。いまどき風の、毛先だけカラーリングした男とそのおとこに敬語を使う女。学生だろうか、なぜルノアールにしたのだろうか。制服がかわいいから私も経験してみたい、などとはおくびにも出さず作文を仕上げようとするも努力はなかなか見を結ばない。盗み聞き。「おれのおやじリモコンのことスイッチって言うんだぜ。おかしくねえ?」とかそんな。おかしいわ、それ。12時ぎりぎりに郵便局に駆け込んだ。同じ人が5人ほど。久しぶりに走って、長距離呼吸法がどんなものだったか、(鼻ではいて口で吸うのが原則だが、鼻が詰まっていたりすると、鼻水が流れ出てしまうので本当につらい、その場合は口で代用することになるためのどにかかる乾燥という負担が大きくなり、呼吸困難になることが多い)思い出した。あの、持久走大会の匂いがする。

早稲田大学へ向かう道すがら、一人暮らし時代にここをしばしば歩いたことを思い出し、ビデオ屋とコンビニエンスストアをちらりとのぞいた。しかしこれも記憶であって「物語化」された信用ならぬものだ。そんなことを思いながら六本木ヒルズ周辺で亡くした指輪の行方を考える。ものが消えるときというのは必ず覚えていないものだ。2万円のものでも100円のものでも。ああ、それにしてもあゆみブックスは優秀な書店だ。信号無視をしたさきに、学校のパソコンルーム。たどり着くと安心するのは少しいけない。たどり着いて書き始める。しかし一日を何の脚色もせず、切り口も交えずにこうして書き付けることの何という退屈さよ。これでも確実に、どこかで切り捨てられている情報はいくらでもあるわけで、人間が言葉を交わすことを前提とした生き物であるときにその捨てられた部分はどこへ行くのかという大いなる疑問。捨てられた部分を真実と取ったならば人っ子一人信用できなくなるのだ。おやすみなさい。





先日ネットサーフィンをしていたら、「恋愛日記」というのを見つけた。
女子高生が、彼氏とのメールのやり取りを中心に日常をつづったものだ。
「おはよ〜」
から始まる生産性ゼロのやりとりと、
それに連なる本人の不安、戸惑い、喜びが赤裸々につづってある。

自意識のサイトという点では、ここと変わらなかった。
しかし、おもしろくて夢中で読んだ。

「おはよ〜」「テストガンバローね」
(おそらく)脚色のために削ったり、嘘をついたりという
私のような姑息な手段は使っていない。
それなのに読ませる、日常生活自体の面白さがそこにはあった。

私の一日を、記憶のままに綴ったらどうなるのだろうか。
少し興味があったので試した。
最後までたどり着く人がいるのかと心配なほど、
陳腐で退屈で、読めないものになった。

「世界はノイズであふれている」。
松尾スズキが書く。
ノイズをカットせずに一つ一つ拾い上げて
ノイズだらけのエンターテイメントを作るのがいかに難しいということ。
そういう仕事を生業としている彼の仕事のすばらしさを、改めて思う。



2003年04月21日(月)

もうどうだっていいのよね。
昔っからそうよ。

小学校の時に賞状を沢山もらおうと思ったのは
あのちっちゃなちっちゃな小学校で、
(でもそこは私にはおっきくておっきくて
それがすべてだと思ってたんだけど!)
ただ朝礼で呼ばれるとなんだか有名人になれたみたいで嬉しかったからだし
別にあのメダルとか県知事最優秀賞はどうでもいいのよね。

だから帰りに賞状折って帰ったもの。
貰ったらいらないんだもの。

あら、こんなのってちょっとあれ?
浜崎あゆみ2万字インタビューみたいかしら。
「おとーさんはあゆをおいてでてったんだ」みたいかしら。
トローマに苛まれてるようだけど、
実はトローマなんてかけらも無いんっちゃね。

ごめんなすって。

そうそう、
私がどうでもいいつうのはね、
もう生きてることにも死んでることにも
明日私がSARSで死ぬることにも
(最近ずっとこの考えにとらわれているのはげえっつう
痰が絡んだじじいの死に際みたいな咳がとまんないから!!)
何の意味もないんだから
別に飯食っていけたらいいのよ
死ぬまでに一回くらい男と寝られたらいいのよ。

こいつ寝てねえのか、ってここに反応する可愛い人とかは
挑発に引っかかってるわけよ。
これがもてる秘訣ってわけよ。

だからね、実は自己の実現なんてちゃんちゃら建前で
もうさ、今が辛いからそんなこというんじゃなくて
ちゃんちゃらおかしいことは
その、小学校で賞状貰ってる時から気付いてたわけ。

受験は3教科でいいのに
5教科も9教科もどこでも一番とるために
保健勉強しちゃうとか、そういうむなしい感じがあったのね。
しかも体育も4て訳にはいかないから5にするために
先生と仲良しになるとかそういう汚い人間なのね。

気付いてたんだけど
やってきたのは何でかって、
自意識が過剰だったからってそれに尽きるんやねん。

だから本当はね、
どうだっていいし、
こうやって誰だか分からない人に向けて書いてるのとかも
ちゃんちゃらおかしいわけよ。

どうだっていいなら書くこと無いわけよ。
マシンの心なら。

リンクリンクでつながって、
実は輪が閉じてて
「君の書き込みあそこでみたよ」って
すげーめんどくさい人間関係とか出来て
そういうのどうでもいいんだけど
でも書いてるわけよ。
勤勉なわけよ。

ちゃんちゃら自意識。

ああ、そうだ。

こんなに突然むなしさが襲ってきて
背中に「空虚」ってやくざみたいに入れ墨入れた感じになったのは
上野駅で寝ている方と
私のあいだにどんな違いがあるのか分からなかったからでござった。
「個人破産アメリカ経済がおかしい!」見たらさ、
もうクレジットカードでセントジェームス〜とか言ってる場合じゃねえなって
そう思った訳よ。

ああ、愛が欲しい。
っていうこの自意識、どうにかしてくれろ。

子供が電車で「ねえ、マーマ、マーマ、見て!みーて!」って
ずーっと気をひこうとしてんのがさ
なんの恥じらいもなくて、
自分を見てるようでもう、恐かったんだ。

もうどうだっていい、
でも今日の説明会も新聞記者さんはかっちょよかった。
結局そういう人間なんかね、あたいはね。

愚痴愚痴書いたけど
これは私じゃないわけ。

だから平気なわけ。

私はこんな、どっこのチューブで誰とつながってんだか知らない
画面に向かって必死で書いてるような白みに耐えられないような
あたしじゃないの。
断じてないの!

甘えてえ。

甘えてえんだ。
もてヘアでももて唇でもなんでもやるからよ。



2003年04月19日(土) マシンの心

175R(イナゴなんとかと読むことを初めて知った)がオリコン一位、
キンキより上ぇ?誰が買っているのか、本当に本当に分からない

オリーブって他がやらないことちゃんとやるいい雑誌だ

定期を買うためにもらったお金を紛失、指輪を紛失でもうこれ以上失うものがないと思っていた私もまだまだ「持てる者」だったのかというどうでもいいことを実感

「北欧系だよおまえは」と、もう知り合って丸3年になる女の子みたいに仲がいい男の子に言われて大変嬉しい、はやりだし

保田圭がテレビ最後、ってミュージックステーションで歌っていて、
ちょっと泣けた 私ならあの子を、彼女にしたいね

面接で隣だった子が文藝賞の最終候補までいったという
もうこっちは書きたいとか言うのやめよう、恥ずかしいもの
というような体験をした
ロッキングオンは山崎洋一郎、鹿野淳レベルの面接まで行ったの
もう話せたからいい、と
デジカメ持っていったけどやっぱだせないねえ(そーれはすごいな)
うんうんそうだよね
私もダイジローと奇跡的に話した時はほんと、握手を求めたかったよ
でも恥ずかしくて出来ないんだよね、あれってなんだろうね
まあとにかくお互い頑張ろうね、と別れた
あの子をesで落とす講×社や新×社や×川書店は一体どういうつもりなんだかな

と、こんな具合に色々と思うところはあるけれども
今日のぼんやりとしたメインテーマというか
帰り道に決意した一番のことは、
「心がない男を主人公にした小説を書こう」ということ。

比喩ではなく、物理的に心がない人。
誰も愛することが出来ない、
本当に心からは笑えない、
苦しめないし、悩めない可哀相な男の話。





2003年04月18日(金) 白昼にスーツを着たまま幻を見る。あっち側の私を。

海、変わる。
海かわるといえば。

Beckの「シー・チェンジ」がShe change だったことを
某サイトで知って、Sea changeだと思ってた私はもう、
ほんとにこの頭が情けなくなっちゃったけど

(やっぱり日本語訳ないとだめだ。輸入盤じゃ、レコファンじゃ。HMVの二枚フェアじゃ。だめ。
タイトルは流石に間違えたらいけねえて話でやんしょ。
ロッキンロッキン、なんてなことをサイトの表紙近くに書いてしまう資格について再度検討)

でもでも「キッチュ」をキャッチュと思ってて、口に出して
薄々気付いてはいたけど
おめえ、おめえおめえってやつはやつっあぁ・・・
って素敵な彼に思われた瞬間よりはすこっしも恥ずかしくなんかないわ。

ないわないわないわないわないないないないなない。

「シーチェンジ」ってカナで書いたらいいのよ。
だってだってだって、
失恋の歌じゃない。
潮の流れがひくみたいに
気持ちが変わっていってしまった悲しみを歌い上げた作品群だと
本当に思ったのよ。

なんてね。実はこれって唐突な前置き。
文章に人を引き付けるための生産性のない前置き。

今日はね、あなたとオープン前の六本木ヒルズに潜入!
ふふ。
危険なドキドキも、中学の時に屋上いった時より
薄れちゃって哀しいねって彼が言うの。
悲しまないで、だって私が一緒だものって。
そしたら笑っていうの、それで僕はもっとドキドキになるんだよ。

警備員なんかへっちゃらよ。
だってふたりを邪魔するものなんて、
東京タワーの展望台から眺めた”東京心象風景”みたいにないんだから。
あ、でももしかしたら、
もしかしてもしかしたら
あの奇数回と偶数回で乗るエレベーターが違うっていう、
歩いてる人が全員クリエイティブに見えるっていう
恐ーいビルのほうが
高い?
東京タワーより、あの天下のタワー様より高い?
26階は霞がかってた。

負け!
負けを認めた後も二人の愛は、
少しも、全く変わらずに手を繋いで池袋まで歩いたわ。
セントジェームスのボーダー着たあたしと
スメドレーのニットじゃ暑いよって文句をいう彼。
上質なニットにやぶれたジーンズがすてきよ。
あなたったらなんだって、自分色に染めてしまうの。
そんなのってきっと才能よ。
ルイヴィトンもかないやしないんだから。

髪の毛をアップにしていったら、「いいね」って照れながら、彼。
いいね?いいねなの?
いいねだけー。
いいね。
いい?いい?いい?
ごねごねしたら髪を撫でて、「可愛いね」、彼。
にゃーにゃー。

春の日ざしが、暖かい風が、
ビルの間の六本木の匂いが、
私のえりあしにさあっとかかる。

こんな幸せがずーっと続いて、
もうこれでもかってくらい続いて
絶対に終わらないで私がSARSかなんかでいつか死んじゃうまで
(先ね、先よ、絶対)
二人は愛しあって、他の誰も代わりにならないくらいに
深く深く深い愛がお墓に入ってもハートが墓石から立ち上っちゃう。

繋ぎあった手には、
きらきらかがやくダイヤの指輪よ。
誕生石はトルコ石だけれど、あなたがくれたその意味はね、二人の愛は永遠よ。

えー嘘。
永遠も本当も指輪の輝きも、なにそれなに?
あるわけないからさ、ちょっと考えりゃ。
こんだけからっぽですかすかで機械みたいなとこにそんなもん、あるわきゃないから。
あったらおかしいから、ごまかしだから。
幻だから。
じゃあ幻以外って何?

なんだかしみったれた演歌みたいでいけすかないわ。
ダイヤとか永遠て、なんだか野暮ったいわ。
他の言葉ないの?
他の象徴ないの?
それで
彼にまた、チュって
もらったのよ。

あたしのまっしろなほっぺは桜散っても桜色!
キス!
ああ、なんて、素敵で可愛くって
ダイヤや永遠や、失楽園ぽいしめっぽさや
山崎まさよしの失恋ソングよりも
ずうっと美しいの。

キス!

ずっとチュってしてね。
そんな恥ずかしい話しながら歩いたら
ビルは遠のいて高田馬場の温かさにたどり着いたから
何となく笑いあって、
レッピーで乾杯した。
ほっとしたね、って笑いあって、乾杯して
キスして
あたしはまた赤くなって
僕だってSARSで死んだってハートマーク飛ばすんだ、
って宣言した彼に手を振った。


She change(ed?)



ごめんこれは全部幻。
じゃあ何が幻以外?



2003年04月17日(木)

前略 王子様

変な咳がでます。
私はSARSにかかったようです。
残された時間であなたに手紙が書けることを幸せに感じます。

思えば短い21年間でしたが
何の悔いもありません。

あなたが見た「世界」の片隅に、私は入っていたでしょうか。

山手線を待つ朝
部屋に帰って冷たいお弁当を開く時
缶ビールのお金を払う瞬間
村上春樹を読みかえし
タクシーから降りる深夜
誰かに振られて泣いている部屋の隅
ベッドであの曲を聴きながら
誰かの仕草の向こう側に

私が不在のままでも
「世界」は続いてゆきます。
もしお時間があったら病院に果物をむきに来てください。
ピンクグレープフルーツが好きです。

かしこ



2003年04月15日(火) 遺書の後に

■竹書房のエントリーシートに取りかかろうとした深夜、
NHKスペシャル(再放送)「逃げるなあきらめるな」が偶然始まり
目が離せなくなった。

そごうの再建を壮絶に描いたドキュメンタリー。
何度も何度も社員に直接語り続ける和田社長の姿が印象的だった。
徐々に回復する数字、裏腹に早期退職していく社員は後を絶たない。

「うちはだめなんだからさ、どうせ」
そこから人を立ち直らせるということがいかに難しいかということ。
最も心に響いたのは
やめてゆく社員たち(おそらく妻子持ちの年齢)ひとりひとりへ店長が挨拶してまわるシーンだ。
カメラに映ったのは改革をし、数字のばしたトップの優秀さ、強さのみではなかった。

「逃げるな、ごまかすな、あきらめるな」
社長が番組の最後に繰り返した言葉に、
社会人になろうとする自分を重ね、身を引き締める。

「売れるとかじゃなくていいもの作れば」、そういう言い訳がある。
私もよく使ってきた。
しかし番組の中で時を経、生まれ変わった現在のそごうは
売れるもの=いいものをなのだろうな、そう思える店だった。

出版業界を追ったこんなドキュメントがあったら面白いのになあ。
個人的思いつきをぼやきながら履歴書を開く。
私はまだ、社会という土俵にも立てていない。



■先日友達に、「なぜバンプオブチキンを聞かないの?」と聞いてみた。
「じゃあどうして君は好きで、聞くの?」
私は藤原君の思っていることが、自分の思っていることと
同じだからだと答えた。

自分の境遇とロストマンの詩を重ね合わせて
勇気をもらったという(まあもっと複雑に書いているんだけど)
文章を、あるサイトで見つけた。
結局バンプは、私を含めたバンプをを好きな人たちにとって
そういう役割を果たす音楽なのだと思う。

本人たちがどういう意図で作っているかはよく分からないが。

「『ああ、こんなあたしとおんなじこと考えてる人が居るのね、
私って生きてていいんだ!癒される』ってそういう音楽に俺は興味がない」

客観的に他人の文章を眺めたら、
友達の言うことが納得できる気がした。
だけどまだ少し、
スーパーカーで踊るよりもバンプで泣いてしまう私。




「あの人は今、どうしているのだろう」ということを、たったひとりでもいいから一年以上会わなくても誰かに思っていてほしい。私がタジマに思うように。 - 昨日からひどい花粉症で、(女性ホルモンのせいだ)
風邪までひいたのかのどはからからだし
体はだるいしだからって熱はないから食べ物は入るけれど美味しくないし
しかも今日は病院に行く日で
耳鼻科で鼻にされた麻酔がのどに流れて感覚がなくなるし
むせてむせてじじいみたいな「ぐぅごっ」という咳が出るし
ここ数カ月というか数年、話が分からないとひたすら言われまくるし
21の生娘特有の色恋沙汰はないし
ちょっとあってもうまく行かないし
とか書いてるけど実は見栄をはっているだけで何もないし
そんなこんなで
任天堂のエントリーシート締め切りも無視して眠った。
もういい、事務職だし。言い訳だけど。
なんてなことを思いながら夕食の親子丼が用意されるまで
ひたすら熟睡に熟睡を重ねる。



そうしたらからになった末に少しは運が戻ってくれたのか
いくつか「面接にお越しください」との電話、速達を頂く。
OBの方に2勝1敗で行けと言われた難関3連戦は、
1勝2敗で終わった。
一番自信のなかったJTBが通ったのが不思議。
妄想半分で「旅」が作れたらどんなに素敵だろうかと考える。
妄想半分というのは
4月までの現実を反映してのこと。

先日面接中に本音でだめにだめをだされ、
次の日に
「そりゃあひでえ、
何言ってるかわかんねえ。
メディア論の本でも読みやがれ」
と友人にも落ちそうな太鼓判を押された面接(実際その通りだった)が
通っていたのは大変意外だったが、少し嬉しい。



まだまだスタートラインだ。立てないよりはいいだろう。
走れることが嬉しくて仕方ないという高橋尚子を
「スタートライン」という点で見習ってみる。
できれば小出監督なしでいきたい。
きもいから。
尚子とできててもきもいから。
できてなくもきもい。
千葉真子とは本当にできてそうで嫌、
悪口言ってごめん。



今日、大宮赤十字病院の帰り道に、
だるい体をひきずって大宮のLOFTに向かい
ジュンク堂で明日面接の会社の雑誌を探すもことごとく見つからず。
お友達が作っているという雑誌をチェックし、
「おおークレジットに載ってるよ」と感激。
買いそろえようかな。
いたって普通のところで学生同志として知り合い、
全く編集云々でおつき合いをしていたのではないのに
このようなお仕事に就くことになった方がまわりに計3人。
あと、こーれは受かるでしょ絶対、と思う人がひとり。

にたもの同志とか、そんなんで集まったのではないのに不思議だ。
本当に凄いわ。みんな。

「やってるだけじゃ凄くねえべ、
じゃあおめえ、どこがよかったか言ってみろ
つうても読んでねえんじゃ埒があかねえから
ちゃんと読みやがれ」
てことをよく言われるのもその通りだと思うので
私もなんつうか、
自分の担当した、たった一ページでもいいから人に見てもらって
あすこはまずいっしょ
ひどいからどうにかしなよって
駄目だしでもいいから評価を受けられる日が来るといいな。



結局、舞城王太郎「熊の場所」(講談社)を購入して帰る。
あ、414はタジマ君の誕生日だ。
いつ以来会っていないのだろう。



2003年04月14日(月)

「君の話からはちょっとおしゃれでアンダーグラウンドな女の子ですって
そういう主張の為に松尾スズキが好きだと言っているようにしか聞こえない」

ああ哀しや。
そして私は今日、私よりもずっと松尾狂と思われる女の子に会ったのだ。

彼女はとても素敵な人で、少しも狂人などでは無く
(そういうところが松尾さんにとても似ていると思う)
Tシャツときちんとプレゼント用の包装をした漫画をくれた。
ああ、こんなに私だけの為の何の見返りも期待しない贈り物もらったのいつ以来だろう。
大学二年生の夏に、男から「カレー」って
私の名前入りの米粒携帯ストラップ(すけこましださいやつ)貰った時くらい泣けた。

私が「凄いぜ」と位置付け、劣等感を抱くものに何の反応も示さない。
松尾スズキに会ったことも、
そりゃあ、すけこましすけこまし価値のあることなのだけれど
それは知っていて、前提として、
でも「凄くないよ」と言う。
凄くないんだよそんなこと、
という至極常識的な価値観をしっかりと持っている。

俺の思っていることはみんなが思ってるんだぜ、
なんてそんな(しばしば私が考えるような)傲慢さを
私が素敵だと思う人たちは少しも見せない。

こういう出会いがあるたびに、
立ち位置のしっかりとした大人になっていきたいといつも思う。
男にばかにされたりおめえといてもデッドエンドじゃ、と言われても
「は?何何?
だって私ここにいるんだし。
ここにいるんだっつうの。
行き止まりとかってそんなの壊してけばいいし
私といればいくらだって行き止まりなんか壊せるし
どこでもドア出してやるよばーか」
そう返せるような、
要するに今日会った女の子のようになりたいと素直に思う。
彼女がそんなこと言ったわけではないけれども。

「私はこれが好きだ」
「私はこれでやっていく」
今私がはっきりと宣言できるものは松尾スズキしかない。
だから進むのだ。
そこへ向かって。
進むしかないのだ、進むという表現は松尾さんには似合わないかな。



2003年04月13日(日) 「冬構え」

町田康「権現の踊り子」「夫婦茶碗」。
なんてだめな一日。

きちんと好いとう女性がいて、
金銭的に養ってもらっている実務的彼女もいて、
という男のもとにヒモのヒモ、という感じにごろごろと転がり込み、
私はお金を貸せるわけでも、
面白い話題で素敵な世界を開かせてあげられるわけでもないのに
だめをだめにこすりつけたあげく
「私を褒めよ、可愛いと言いなはれ」などと宣い
さらに「可愛いぜ」と無理にいわせた結果
ひどくむなしくなって思ってねえだろ、とすねるというくだらないことを
繰り返した。
とこんなドラマのような話は嘘っぱちである。
以下すべて。

うそっぱちぱち。

デニーズで飯を奢り、お金など貸してしまった。
貸してしまった、と今言ったが
私は独り立ちしているわけでもないから
それは父が公務員という非常に堅実な毎日を送り続けた末に手に入れた金。

すべて、このような行動の源というのは
私の劣等感によるものだ。
「コレットのパーティーに行ってひどい客層だった」とか
そういうなんというか、業界に対する劣等感。
コレットに行ったことに対する恨めしさとコレットをバカに出来る羨ましさ。
可愛くて話もうまい彼女や
独り立ちしている人たち。
そういう劣等感だ。

要するに私はかっちょええ職業に就きたいだけなのだろうか。
腰を低くすればするほどなんだか偉そうに見える肩書きが欲しいのかえ。

男になぜなぜしてもらったり、してもらえなかったり
かっちょええ職業の名刺なぞ持っていたり
ちょっとなんだかクリエイティブな人と飯を食ってみたり
洒落た服着たり洒落たカフェ行ったり
可愛くマスカラで睫毛を伸ばしてみたり
昔は頭よかったんだぜと言ってみたり
そういうのを全部取り除いても
私はここに居るのだという何かきちんとした肯定されたものが欲しい。

それがない限り私はずっと、
だめにだめをこすりつけて生きていくことになってしまうのだ。
ぞおとする。
反吐が出る。

自分が自分の足でたっている。
自分は自分の何か、を生かしてお金をもらって飯を食っている。
つうとこに生きたいな。

BSで笠智衆。
家族と、こういうドラマがなくなったねえという普通の会話をしながら
茶を飲みのみ。
老人が自殺の旅に出る。
びしょびしょとした話。涙。
涙涙のびしょびしょさ、しみったれさ。
じじい(笠智衆)の演技にうなる。

自分のだめを少し忘れて、
刹那の楽しさに酔いしれる。
ああ、町田康の小説と笠智衆か。
昭和の人間か、私は。

男の誕生日に、何か贈答品をと思う。
贈答品を選ぶ時間は大変幸せだから。
それだけのことで。時間を埋めるだけ。

思うところは色々あるが結局このように陰鬱な語り口になる自分に結局のところ嫌悪感。
たのしくたのしくやさしくね、と
たのしくたのしくやさしいく生きていきたいだけなのになあ。

明日素敵な女の子に会ったら
少し何かが変わるかもしれないと
また私は人に問題をこすりつけようとして。

ちょっと乙女風味の女の子になりたいのあたしは。
生産性のある話を出来る自立した可愛げのある輩に。
「この星の一等賞になりたいの俺は、卓球で」風の倒置技法。

おまえの話は分からないから
それを生かして倒置技法でも使ってみやがれという
アドバイザーの指示により書くに至る。
と、いうとなんだかお褒めの言葉を頂きほほほほほほ、という感じがするか。
バッキバキのだめ出しをされたんだよ俺は。
要するにまた問100、という感じに
つう俺っつう一人称は何だよ。

就寝。せずにまだ笠智衆。
岸本加世子。

アクセス解析なんてもうやめる。

嘘っぱち。



2003年04月12日(土) 自分の中にある、圧倒的暴力性?

今日は母親と喧嘩いたしましたので、
目が腫れています。

芸術新潮を床に投げてしまいました。
ごめんなさい。
ほんとごめんね。

ああ、喧嘩慣れしたいなあ、お母さん以外の人と。



2003年04月10日(木) 決意を固めている間にも、リトルモアが休刊に 凄い業界だ

就職活動。
1ヶ月程、ひどく後ろ向きで
何もしない日々が続いていた。

何かはしていたが、何かに向けて努力はしていなかった。
私がしていることは正しいのだという
自分を肯定する力をすっかり失っていた。

就職活動をする人で、「どうせ受からないから」という人を見ては
受からないと思うのに何故志望するのだろうと
不思議に思っていた、去年の今頃。
私にはしっかりとした夢があるし
その為なら私は幾らでも何かできるのだといつも自信があった。

私が希望の仕事に向いているのかは知らない。
向いていない仕事だったら、出来ないのかもしれない。
社会の中に、私の為の天職などないのかもしれない。ひとつも。

それでもしっかりと何か努力をして、
手を抜かなかったとはっきり宣言して
どこかへ向かいたいと思う。
まだ四月なのだ。
やろうと思えばまだできるのだ。





高校三年生、受験終盤のころの日記を読む。
1/28(金)

いい大学を出ること、痩せること、もしかしたら服を着ることさえすべて、人に勝ちたくてやっているのかもしれない。そんな人生でいいのかなあ、もっと楽に生きたいなあといつも思う。

私は受かるのか 生きていけるのか 
完璧人生が欲しくて、でも自分が全くそこに追いつけなくて、もがいて、醜くて、かっこわるい。私はかっこわるい。

本を読みたい。文が書きたい。そうしたらまた何か、積み重なっていく気がする。

泣きたい程辛い。でもいざと言う時泣けない。胃も痛くならない。死ぬとかいって絶対死なない。分かりません。


2/13(日)
立教が終わって、落ちたらどうしようといつも不安になる。このマイナス思考をどう振払うか色々考えたけれど、誰かに打ち明けて済むものではない。こうして文に書くことで、こんなにも癒される。そのことを忘れていた。

勝てると思えば勝てると思う。あと10日くらいで入試が終わる。

「プライドだけ高くて能力が追い付かない、それで悔しがる人はかっこわるい」いつもそう言い放ってきた。でも人に勝つのが気持ちよくて、プライドを捨てるなんて一生出来ない。





まわり中の人全員が敵だと思っていた当時の私には、
こんな日記を人にみせるだなんてとんでもないことだったろう。

大学に入って、素敵な出会いがたくさんあった。
それが私の大きな転機だった。





「自分で選んで上に上がろうとしてるくせに、勝手に苦しんでるやつをすごい憎んでた」
衝撃的な一言が、変わりたいと思うきっかけだった。

私の必死でしがみついてきた狭い世界の色々なものは
一体なんだったのだろう。
自分の嫉妬や情念、どろっとした敵意をもう、
すぐにでも捨てたいと思って、大学生活を生きた。
日々、どうやってからっぽになれるか
あらゆる俗っぽいもの、汚いものから距離をおいて生きられるか
そのことばかりを考えた。

自意識の舞台から降りて降りて、降りまくった。
可愛い舞台
おしゃれ舞台
努力する女の子舞台
学歴舞台
作文で賞をとる舞台
降りに降りて、降りて降りて
だめだーとか言いながら落ち着くところが出来て
私はそれなりに納得していた。

就職活動で私が
「色々な人の生き方を見てきたからマイペースでできるはず」
と繰り返し述べてきたのはそういうこと。

「降りる」という選択を
私はもう怖がらないよ、ということだった。





最近、何も努力をしない自分を傍観しながらこれはかっこわるいな、
とようやく気付いた。
私は、「降り」られない人間なのだ。
落ちかかってても
というか最悪、最後はもし落ちてしまうとしても
必死でしがみつく努力の仕方しか出来ないのだ。

欲がないひとを、うらやましく思う。
まわりは敵だぜ!とかいって戦う私のような人間に違和感を覚える人を
とても格好いいと思う。
村上春樹作品の主人公ような、嫉妬をしない体になりたい。

でも、出来ないから
3年間かけてそっちにいこうとしたけれど
どうにもこうにもうまくいかないから私はまた醜く醜く
どこかにぶら下がりながら上がろうとすることにしたよ。





全部だめだった時、意味のないことを
言わないようにする為の知恵くらいは、
たしかこの三年で身につけているはずだから。



2003年04月09日(水)

拝啓 王子様

今夜は嵐のような天気で、
朝までに美しい桜が散ってしまうのかしら。
胸が痛みますね。
三日ほど前に神田川沿いを歩いておいてよかったと、
自分の小さな幸運にポリアンナのように喜んだ私です。

お元気ですか。
ご無沙汰していますが、お変わりありませんか。

私のほうは、大学の授業がまだ始まらないため
四年生になったという自覚もないまま
新学年を迎えました。

実をいうと最近少しまいっています。
就職では勿論、なのですがそれは予想していたことなので
敢えて書くことはしません。

他の理由というのは
友達を何人か、私の落ち度で失ったように思うからです。
原因は、約束をドタキャンしてしまったとかそんな小さなことです。
身勝手なことをしても許してもらえるだろうという甘えが、
いくつかの別れにつながりました。

何度も謝ったけれど
溝は埋まらないのかもしれません。
溝というものがなんなのかは存じ上げませんし、
人と人の距離を測ることなど出来ないのは存じているけれど
たとえてこのような表現を使わせて頂くなら
ということですが。

しかし、離れていくのを無理矢理引き留めるわけではありません。
何故か諦めてしまいます。
自分でも何故なのか、よく分からないのですが。

それからもうひとつ。
大切な日記を、他人に見られてしまいました。
鍵をかけてそっと戸棚にしまっていたけれど
本当に見られたくないのならいつも携帯していればよかったのよね。

自分でも、自分のしていることがよく分かりません。
よく分かっているのだけれどよく分からないことにしているのかもしれない、
そこが自分でもまいっているところですが。

深夜に「木更津キャッツアイ」の再放送を見ながら書きました。
映画化されるんですってね。
今日の手紙は、切れ味が悪いですね。

結局何をやったって「分かる」なんてことはないのだから
それを承知でどこかに立ち位置を決めなければいけないというのに。
皆が、そうしているのだから。

また、書き直しますので今回は末筆ですがお許しください。
あなたの気が変わらずに、今も日本にいらっしゃることを祈ります。

かしこ

れいこ



2003年04月08日(火) 中原昌也の文章(愚痴コラム)に影響を受けてきていて、まずい気がする。

会社説明会の後にカフェーでお茶していたら(ごく普通の所です)
となりでエロ本の契約がかわされていた。
500部売り出すといわれて
500万部と勘違いしている女の子が痛々しかった。



将来について考える。
どうにもならない気がしてきた。
でも今の時期にそういう気持ちになることも分かっていたので
別に驚きもしない。
驚きもしない自分も予想できていたような気もする。



2003年04月07日(月) もう戻ってこない。

メモ
(って書いたら面白いことを書かなくていいかな、という弁解。
 疲れてやる気ないのにゃんにゃん)



■表紙の「村上春樹」「松尾スズキ」につられてダ・ヴィンチを買った。
あんまり関係なかった。

宮台真司が、「戦場のピアニスト」のレビューを書いていたので
(社会学的に考察していたので)
頑張って読んだ。

言っていることが、よく分からなかった。
ものすごく頑張って読んだけれど
東大卒の頭にはついていけなかった。
とりあえず宮台がひどいトラウマを抱えて今のような人になってしまったことは
よく分かった。

それにしても「社会のありそうもなさ」って何だ。
誰かに教えてもらおう。
教えてくれるといいな、もったいぶらないでよ。



■「奪っちゃった〜ファーストキスだったりして」
生茶のコマーシャルを見て、
ちょっと松嶋菜々子いいかも、という声をまわりでよく聞く。
男子から。

ああたたち、おしゃれ系が好きだったんじゃなかったの?

中谷美紀とかカヒミカリィとか緒川たまきとか
麻生久美子とか(ああ、げーが出そう)
なんだっけ、今月のHの表紙の子とか。
ついでにCHARAとかYOUとかさ。

もういいよ。
何だっていいんでしょ。よく分かったよ。
松尾さんはね、でかい女が好きなんだ。
奥さん170超えてるらしい。
169の私には、それが希望なの。
そこにしかないとも言えるの。
うふ。

ちなみに最近、近親憎悪を覚えるタレントを考えてみたら
鬼束ちひろと浜崎あゆみだったという
大変恐ろしい事態に陥っている私である。



■朝日新聞の筆記試験を受けていたら、
突然戦争がすっっごく遠くの出来事に思えて
なんだこれ、と思った。

今私、カーターの演説読んでるけど
何?これ、
よく分かんないけどunprecededの意味をずっと考えている。

デモが目の前で起こっている時に、
どうしたらいいのか分からなくなるのよりも
もっともっと分からなくなった。



■週刊ブックレビューを見ているにゃ〜(と一応ぶりっこ)。
今日は高橋源一郎がいないのか。

池沢夏樹「イラクの小さな橋を渡って」(光文社)が紹介されている。
私はこれを読んだ時に
村上春樹の「アンダーグラウンド」と「約束の地で」を
思い出したのだ。

ああ、読まなきゃな本が沢山あるのに
なかなか最後までいかない。
最近私は、自分の傍若無人のせいでごろんごろん友達を失っているのだけれど、
本はいつも側にいてくれるからすこしは良かった。
のかな。
今日もまんまる花まるうどんは美味しかったよ。




2003年04月06日(日) たこやき少女

WOWOWのニンゲン御破産(録画)を見ながら
書いています。

こんばんは。

唐人お吉の話も
桜田門外の変も
歴史の出来事は、お芝居だったの?
そんなめちゃくちゃ入り組んで複雑で、凶暴で、
ナイーブな作品でした。

「芝居という芝居」という芝居。
「演技しているふり」の演技。

松尾スズキという人にはどこまで騙されているのか全く分かりません。
私もあんな風に生きてみたいと憧れます。

「本当の君が見えないよ・・・ベイベー」
というべたーっと気持ちの悪いポエムのようなことが言われてみたいものです。
言われてみたくありません。

ポエム。
ポエムといえば興味深い本に出会いました。
「少女民俗学」大塚英志(光文社カッパサイエンス)。

今ではもう絶版なのでしょうか。
実はお友達が「これあげる」と言って
古本屋の100円コーナーで手に入れたものを
(しかも他の100円の本を一冊だけ買うのは恥ずかしいからと言う理由で買ったものを)
私にくださったのです。

「なんだか、いろんな意味で私に合った本ね」
と話してはいたものの、
ここまで自分のことを書かれているような
居心地の悪い本だとは思いませんでした。

特に「ポエム」の章。
ポエマーポエマーとバカにされる度に
違うわ、私は賢い女の子よ!と言い続けてきましたがもう限界かもしれません。

私は少女ポエムに
日記を書き始めた中学時代から侵されていたことが判明したのです。
大塚英志によれば。

>叙情詩にとって大切なのは、恋の相手が誰であるかと言うことではない。
>描かれるのは、自分の気持ちが相手に届かないという感傷そのものであり、
>この感傷に酔いしれることが叙情詩の魅力なのである。
>この少女性の時空に成立する「感傷」のための「感傷」であり、
>具体的な事実をもとにして描かれるものでは決してない。

まあよく分かりませんが
私がこういう「民俗学」や「社会学」の本が
(居心地が悪いと言いつつ)大好きなのは
自分のやっていることにひとつひとつ理屈をつけて整理してくれるからです。

違っているのか合っているのか、それは知らないし
様々な仮説を考えてみるべきだという学問上の云々もあるのだろうけれど、
もう規定してくれるならそれでいい、あなたでいいよと思うのです。

要約するなら
「君はこういう人だよね」と
誰かに言ってもらいたいのだと、そういうまた気持ち悪いところに
帰着するのかもしれません。

とにかく、時代のずれはあるにせよこれは大変面白い一冊だったということを
繰り返し述べておきます。

テレビではニンゲン御破産がようやくカーテンコールにたどり着きました。
私も、お芝居でもやれるような美貌か感性でもあったなら
松尾スズキさんに直に会えるような素敵な日が
もっと増えたのかしら、
なんて「感傷的な」結びで終わりにしたいと思います。

おやすみなさい。




2003年04月04日(金) 気がついたら柔らかい雨が。

メモ

■「絶対に諦めなければ夢は叶うんですね」

『わたしはあきらめない』(NHK)で田村亮子が話していた。
彼女は片思いし続けたオリンピック金メダルを手に入れるまで
18年間かかったという。

どこまでも勝ち続ける人というのは本当に偉いと思う。
昔の自分を思い出すと、
それがどれだけ辛いことかを少しは想像できる。

だからやわらちゃんは、私の憧れの女性だ。
谷君はいいなあ。
あんな素敵なお嫁さんはいません。

だめ人間云々といつも言っているのに、
完全無欠な金メダルにに手を伸ばしたくて仕方ないんだ。



■深夜、久しぶりにNBAを見る。
小学校のミニバス時代には
シカゴブルズのBJ(ベンジャミンアームストロングJr.)に夢中で
小さな体から繰り出されるスリーポイントに興奮していた。

練習後に一日100本打っていたあの頃の努力を、
最近私は忘れている。

春の関東大会、
終了間際の逆転ジャンプシュートが、何度もフラッシュバックする。
小学校のプライドをまだひきずっているのかしら。
人間て恐い。



■「魔界転生」のコマーシャルに
麻生久美子が出ていて吐きそうになった。
もうだめ。
見るだけでげーってなる。
あの人が松尾さんの劇に出たらどうしよう。



■アーミッシュをとった写真集、
「The Gift To Be Simple〜シンプルという贈り物〜」
が大好きだ。

一年くらい前に買って、
友達に「とっても素敵なの」という話をしたら
「君の話からは一体何がいいのかが全く伝わってこないよ」
とだめ出しをされた。

それ以来ずっと、
どうして好きなのかを考えてきたのだけれど。

結局、外人てかっこいい!ってことなのかな。
そんなものかな、私の感性は。
綺麗事の理屈をつけているうちに、よく分からなくなったよ。



■今日はだるくて一日中眠っていた。
モチベーションがどん底にある。
私の気持ちを持ち上げるために
4/4の「ニンゲン御破産」放映があるのかもしれないと思うと運命を感じるけれど。

ああ、可愛くなって、男を手玉にとりたいなあ。
なんだかとても弱気。

夜中に香港の英語ニュースを見ていたら
レスリーチャン自殺をやっていた。



2003年04月02日(水) 中原昌也が「リロアンドスティッチ」で泣いたというから私も見に行って排泄してこよう。

今日はダーリンと目黒川沿いをお花見して歩いたわ。
私たちもう大人だし、
べたべたなお花見はどうなの?
いいわよお庭の先にピンクが見えるじゃない。
春が来たって大騒ぎしないで
風の匂いに初恋の淡い思い出を懐かしむ年頃じゃなくって?

ってわたくし何度も申し上げたのだけれど、
彼ったら、どうしてもどうしても君と花見をって聞かなくて
お休みまでとってくれたの。

茶巾寿司のお弁当を作ったわ。
今デパートで1000円出せば買えるっていうけれど
わたくしが耐えられないのよね。
せっかくの一日じゃない。
あーんして食べたいじゃない。

晴れた目黒川には
入学式帰りの新入生や近所のナカメ系カップルがたくさん。
私たちもついつい腕組んで歩いちゃったわ。
彼ったら「君も若い子に負けず劣らず可愛いよ、でも今は桜に僅差で負けてるかな」
ですって。

失礼しちゃうわ、って
ぷいと横向いたら
ちゅってリトルキスをくれた。
きゅん。
少女に戻ったわたくしの頬はきっと桜よりも
桜色だったはず。







果てしない妄想の最中にも
何故だか私は腹痛をもよおしていて、
ついでに頭痛と吐き気もする。
それは多分エントリーシートの為に東京の郵便局と
埼玉を往復する気持ち悪い旅のせいだという気もするが
気付かない振りをして
今日は眠るとしよう。

何に望みを託して日々をやり過ごせばいいのか。

「ああ世界はおしまいだ」
松尾さんが書く。
いっそおしまいにしてくれ。
と、書いてはみるものの実は全くの虚言だったりする。



2003年04月01日(火) 「あなたの言い訳や嘘は何の役にも立たないがらくたのよう」(リリィシュシュ「飛べない翼」)

■高田馬場から新宿まで歩いたら
学習院女子大学前の桜が三分咲き?くらいかなあ。
晴れてる日の明治通りは最高に気持ちいいの。
痛快うきうき通りよ。

ラブアンドピース!
ってこんな感じのことを言うのね。



■髪の毛をトリートメントした。
少し可愛くなったかしら。

うふ。

ねえ、どう?どう?
誰か気付いて、気付いて。
このつやつやに。

どこから見てもラブリーで素直で屈託がない
私のこの笑顔を受けいれられないだなんて、
世の中の人々は本当に不幸だわ。

あ、男子はきっとどきっとしてるはず。
でもね、乙女心はそんなに簡単じゃないの。
相手にして欲しかったら恋文でも書くことね。
文法がなってないのはお・こ・と・わ・り。



■「君の話は何を言ってるのかさっぱり分からない」
電話で延々言われて、
ちゃんと説明するまで少しも許してくれないで
ずっと黙られるものだから
もう、つらくって泣いちゃったわ。
そんな、相手には鼻水すすっている音しか聞こえないくらい
そっとよ。

ひくひく。

でもそんなこと言ったって、2人はとっても仲良しなの。
うまくいってるの。

この間見た、「しゃべり場」の話。

君の話には前提が欠如しているって。

あーあ。私の言ってることなんて、
きっとなにひとつ、今まで誰にも正確に伝わったことなんてないんだわ。
でも受け取った人によって誤解が繰り返されることで
それぞれの人たちにいろんな私の像が伝わっていくって
なんだかとっても素敵。

会話なんて
誤解とコミュニケーション不全以外の何で成り立つっていうの?



■舞城王太郎「阿修羅ガール」。
お友達が勧めてくれたから読んだら
これがもう、とんでもないおもしろさだったわ。
途中まで読んで、ふーんまあこんな感じかって
悟ったのが大きな間違い。

衝撃的。

世界の終わり〜的ワンダーランドを感じたのよね。
傑作よ。
この人を掘り出した私のお友達ったら天才。
この本を掘り出した子をお友達に持つ私もじゃあ天才なの?

そんなそんなー、
そんなことないけど
でもでもでもね、
舞城さんはとにかく天才だからこれからどうなってくかって
ちゃんと見てなかったら損してごみばっか生み出す人生になっちゃうわよ。



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