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2009年11月20日(金) 台湾ゆ〜らりぶ〜らり 1/4



 今日で台湾から帰ってもう一週間経ったなあと言ったら、家人があきれてもう十日近く経っていると言われて、初めて変な錯覚を起こしていた事に気がついた。 よく思い起こしてみると確かにそうだった。帰った次の日は殆ど眠っていて、その次の日もそうだった。その間の二日間が頭から消えていた。
 それはさておき今月の五日から十一日まで台湾にいた。
今回は、インターネットでやれるものは全てやってみた。早割格安の飛行機予約、台湾新幹線の座席指定の予約、全行程中利用するホテルの予約、新幹線などの一部支払いなど全部ネット上で出来た。便利になったものだ。行く予定の所は、グーグルアースで歩いてみたりした。

 夕刻、台北の駅前のホテルに予定通りついて、駅を見下ろしていると、ホテル全体がゆらりゆらりと揺れた。地上17階での初めての地震を経験した。
 嫌な予感がしたのですぐ駅地下二階の新幹線乗り場にネットで予約した新幹線のチケットを手に入れるために向かった。
地下二階は先ほどの地震の影響でかごった返していた。ああ、情けない事に少しの英語仏語は出来ても、台湾語北京語は皆目出来ない。全ての自動発券機などは英語で、使用出来ませんの警告が赤く点滅していた。
列ぶにしても人が多すぎて訳が分からない。
その時、さすが台湾、こちらが日本人だと分かったのか親切にどうしたと話しかけてくれる人がいた。残念な事に日本語ではなく、英語ではあったが嬉しかった。結局列んでいる所に間違いは無く、メールで台北高速鐵道から送られて来た、領収書兼引換券ナンバーを提示したら、あっという間に、明日の高雄行きの搭乗券が手に入った。
ごった返している百数十人近くの人々は、どうやら当日券を希望して、その発券の有無、再運転を待っている人のようであった。
 台湾南部は明日にはつつがなく動く事を確かめて、ホテルに戻った。この時、三年前、そして二年前西村眞悟さん(前衆議院議員)を長とする日台同盟推進訪問団にくっついて行った時にも見た、土産物屋免税店などに異変が起っていた。

土産を買う習慣は無いが、一応隈無く見ることにしている。台湾の名物、パイナップル饅頭、からすみ、干し肉、茶、ハンドバッグやブランドものの商品が必ずホテルの売り場や、免税店にある。その一角を占めて人形三・四十体が固まりとなって置いてあった。その二頭身の体形をした三人の人形共は皆むくつけき男共で全て禿げていた。かなり異様な光景である。
近寄ってみると、なんと、毛沢東孫中山(孫文)蒋介石のマンガチックな全身像。手に取らなかったので、石膏像か木製陶器製かは分からなかった。
何でこんなもん今台湾にと思ったが、すぐに、馬の政権下でこういうレベルでも着々と台湾の支那化が進んでいる事を悟った。
毛沢東のバッジなど、支那では段ボール一杯二束三文で投げ売りされているのに、何が悲しうて毛沢東の人形か。孫中山こと孫文は両国(台・支)で国父と呼ばれている、幾度も革命に失敗しては日本に逃れ、日本の同志に数え切れないくらい世話になっているにもかかわらず、「日本は銀の国、アメリカは金の国」と言ってのけた人物である。
 蒋介石は台湾に逃げ込んで亡命政府を名乗り、その目は常に本土(支那)にあった。その軍隊はのちに二・二八事件を起こす。孫文はともかく、後の二人は大量虐殺をした者共の親玉である。蒋介石の嫁の宋美齢は、戦後アメリカに住み、全国行脚して日本の悪口を言って回った。姉の宋慶齢は孫文の嫁はん。
そういった人物達の人形が売れていると言う。多分観光に来た中国人が買うのだろう。


 ある日の午後、いつ行っても十数分待ちの鼎泰豊(ディンタイフォン)で、小龍包を食っている時に、馬に会った。馬とは馬英久現総統だ。といっても本人ではない。目の前の壁に飲食業営業許可のサインに馬英久の名があった。多分台北市長時代、権限で出したものだろう。途端に小龍包が不味くなった。早々にごった返す店を出て、目の前の信義路を真東にある台北101タワーに向かってひたすら歩く。信義路弐段と新生南路との交差点にある大安森林公園のベンチで午後の日差しを浴びながら、公園に遊ぶ人を眺めつつ大休止。

 後また大通りにでて歩く。通りの看板のあり方小汚さははどこか犬の小便臭いパリに似ている。似ていると言えば、テレビのコマーシャルを見ていると放送形態、音声もどこかフランス語のイントネーションと似て、思わずおやっと言う感じになる。
 日が落ちる頃、二時間近くかけてタワーに着いた。安いので帰りはタクシーで帰ったが、降りる段になってわずかの小銭が足りなかった。そしたら、運ちゃん(日本語が台湾語にそのまま転訛、運転手の意)が、「いいよ、いいよ。まけとくよ」と言って聞かない。いや、そういうわけにも行かないよと言っても、「いいよ。いいよ。」という。両替するほどの額でもなかったので、有り難うと言って車を降りた。これがフランスなら絶対にあり得ない!
 一度ミュンヘンのホテルからタクシーで早朝に空港に向けて出発し、降りる時になって小銭が無いのに気がついたがどうしようもないので、例えば600円の支払いの所、1000円札しか無いのでチップだと言って車を降りたら、二十四五才と思える運転手の兄ちゃんが、しばらくして追っかけて来た。何事かと思ったら、運転手にこのチップは多額すぎると差額を返しに来た。この時、何故か分からないが、こんな堅物、真っ正直がナチスを生むのかもしれないなと思った事があった。
この、運ちゃんとも台湾の運ちゃんはちょっと違う。日本及び日本人が好きなのだ。
これは、行く先々で毎度感じる事だった。


→続く。
  


→2001年の今日のたん譚 星を造る人


→2002年の今日のたん譚 キャパにはなれない。










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