ビー玉日記
きのう  もくじ  あした

2005年08月31日(水)  同姓

お隣の部の三人のうち二人は同姓。
そしてうちの部署の女の子はその二人と同姓。
つまり、どういうことになるかというと、
「○○さーん、お電話です」
「はい」(三重奏)

それを避けるために「男性の○○さん」とか「××部の女性の○○さん」とか呼びかけなければならず、なかなか難儀している。

そこで。
今日はみんなで呼び名を考えてみた。
「○○ちゃん」「○○くん」「○○さん」

課長さんに「○○くん」ってどうなんだ。
さすがにそれは失礼なので、「○○課長」と呼ぶことにした。

実は、お隣の部長は配属された順に「1号」「2号」「3号」と呼んでいたが、「2号は誤解されます」という本人からの申し立てにより、2号と3号を入れ替えた。
かえってわかりにくい。

「次に人を増やす時は○○さんを収集してください」、とみんながおもしろがって期待している。

以上、どうでもいい話でした。

2005年08月30日(火)  もがき

世直し将軍みたいな仕事はいやだよー!!
……心の叫び。

人の問題を指摘するってことは、
自分も完璧にしてないと何言われるかわかんないわけで。
そんな完璧は私には無理なわけで。
浮き草の私は、本音を言うと、
会社がよくなろうと悪くなろうとどうでもいいと思ってたりするわけで。
言ってることと思ってることがまったく違ったりするわけです。

通常業務の何倍もくたびれますー。

2005年08月29日(月)  お金の価値観

時事ネタだけど、
「銀行勤めの派遣社員が12年で預金10億を着服」ってやつ。

12年で10億。
しかもこのうち7億4千万円は既に使われていたそうだ。
12年で7.5億使うって、豪快。
億を越えた時点で私には数えられない数字です。
サマージャンボの前後賞と100番違いだった、という貧しい会話をしている私には手の届かないお金です。

例えば私が会社のお金を横領をしようとしても、今の職場では請求書発行か使った分を経費として支払ってくれるだけなので、銀行のようにはいきません。
お金を扱う仕事はコワイ。
私だって目の前をお金が行き交ってたら、
「これって私がもらっちゃってもばれないんじゃないの?」
って魔が差してしまうことは有り得ると思う。
計算が苦手なのでたぶん粗があってすぐ見つかるけど。

会社でもこの話は話題に上った。
ちょうど「5000万円の資金の捻出をどこかからなんとかしろ」という難題に頭を抱えていたAさんに、私は言った。
「私が10臆着服できたら、1億あげます」
……どう考えても1000円だって入手できそうにないんだが。

2005年08月28日(日)  Thank for everything

昨日は入院中の叔母のお見舞いに行った。
幸い手術はうまくいったし、経過も良好らしい。
火曜には退院とのこと。
胸を切っても一週間で退院できるなんて、
私の盲腸の時みたいなお手軽さでびっくりする。
何はともあれ、元気そうで安心した。

あるものは割と何でも使ってよい病院だそうで、
叔母がお茶を出す時に持ってきてくれた紙コップは、
まさに尿検査のコップ。
これに緑茶を入れると、かなりリアル。
まあね、清潔といえばかなり清潔なんだよね。
私はどこか別の病院でも「コップがあればいただきたいんですけど」と言ったら看護婦さんから「はい」と平然とこのコップを差し出された記憶があったし、おもしろがるくらいで普通に飲めたけど、叔父は一度で懲りたらしく今日はペットボトルを持参していた。

少し痩せた叔母が亡き祖父に似ていたので、率直にそう言うと、
叔母は笑って、
「そうなのよ。でも、お母さん(私の祖母)にも似ているのよね」
と言う。
確かに、目は祖母の遺影にそっくりだ。
逆にうちの母は、目が祖父似、鼻から下が祖母似で、
子どもの頃、いとこたちと祖母の遺影を手で隠して
「こうすると、おばさん」「こうするとおかあさん」
なんて発見して笑ったものだ。
私自身も外見や体質、思考は父系の血がどっぷり入ってると思う一方、
友人に「笑うと(お母さんに)似ているね」などと言われたりする。
(一見どこも似ていないにも関わらず)
本当にちゃんと両親から半分ずつ遺伝子を貰い受けてるんだから、
生物って不思議だ。

本当は9月から叔父がボランティアで単身赴任をしている南米のある国に行く予定で、今月の初めに母と姉妹二人で九州の親戚の所に行き、何年ぶりかでお墓参りをしたところだった。
今回のことがあって叔母の移住の話は無くなったらしいけれど、いつも気をつけて検診をしているのにこのタイミングで病気が見つかるというのはお墓参りの効能だったんだろうか。

先月仕事で福岡に行った時、本当はお墓参りをしてゴミくらい拾っておきたかったんだけど、結局できなかったのが実は気になっていた。
母が近いうちに行くからまあいいか、と思ってはいたものの、やっぱり今度近くに行く機会があったら、立ち寄りたいと思う。
意外とこういうことって大事だよなあと最近つくづく思う。
ドジな私がここまで無傷で生きてこられたのも、たくさんの見えざる手助けがあったお蔭だし。
(改めて考えるとぞくっとするほど危険な失敗をいくつもやっているわけで。ホントによくぞ無事でここまで。)
なぜか重なるもので、周囲の人もそういう話をする。
そういう偶然は一種の暗示というか何かのメッセージなのでしょう。
困った時の神頼み、だけじゃいけません。……わかってます。
いつも私たちを見守ってくださってありがとうございます。

2005年08月27日(土)  自宅の隅で助けを叫ぶ

よく晴れた夏の朝。
さ、今日も一週間分の洗濯物が私を待っている。
さわやかな気分で網戸をがらりと開けた。
しかし、これが人生最悪の朝の幕開けだったとは、
誰が予測しただろうか。

嵐で薄汚れたベランダの洗濯機を水で洗い、
台風のために部屋の中に山にしていた(いつもは洗濯機の中で待機)洗い物を洗濯機に投げ入れる。
この前飲み物をこぼして汚してしまった床のラグも洗おうっと。
と、そこに黒光りする生きた化石がぴたりと張り付いていたではないか!

スローモーションでヤツは白いラグと共に洗濯機の中に吸い込まれていった。
「うわあああー」

なんということだ。
もう既に洗濯機には下着やらお気に入りのカットソーやらが投入され、
水もどうどうと滝のように洗濯槽に流れ落ちている。

頭の中でその後のことを考えた。
このまま洗ってしまおうか。
でもでも。
 このまま洗う→ヤツの羽や触覚が散らばって洗濯物とシェイク

ぎゃあ。
それは大惨事。
ゴキブリオンナになるのはいやだ。
「森崎さん、なんかついてますよ」
って親切な誰かが服の背中についた触覚をつまんでくれたら。
触覚ならまだしも、羽なんかだったら。
……失神する。もうお嫁にいけない。

一度洗濯機の蓋を閉め、網戸をぴたりと閉じて、胸に手を当てた。
落ち着け。
心の中では、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」のCMのシーン。
「助けてください!」
でも、悲しいことに誰にも頼れない。
今なら洗濯機のヤツを拾って捨ててくれた人には一万円払ってもいい。
でもそんな誰かが現われる可能性は0よりマイナス。
自分でやるしかありません。
闘え。闘うのだ。
なぜか頭の中は「北斗の拳」のテーマ曲。(こんな自分がイヤ。)
ホントに「お前はもう死んでいる」だったらどんなにいいだろう。
でも水に濡れたくらいで死に絶えるヤツだったら、
人間より遠い昔から生き残っているなんてことは有り得ない。
もしかしたらヤツらは泳ぎがうまいのかもしれないし。

台所から割り箸とビニール袋を持参し、ベランダに向かう。
あーあ。これが洗濯機じゃなきゃ、見なかったふりとかできるのになー。
台所だったら排水溝に追い込んだり、なにかしら方法はある。
よりによってなんで洗濯機なんだよ。(怒)

水を止め、問題のラグから次々に引き上げて竿にひっかけていく。
ヤツめ。
私の下着の上に、触覚をゆらゆらさせて余裕で鎮座しているじゃないか。
許さん。
むかつき度100%。
私の闘争本能に火がついた。

えいっ。と思い切って割り箸を使うが、敵もさるもの。
私のとろい箸使いなどものともしないでするりと身をかわす。
しかもちょっと飛び上がりやがった。ぎええ。恐怖。
(羽が濡れているので滞空時間は短いらしい)
私はコイツはなかなか手強いと悟り、作戦を変更した。

投入した服を全てバケツの中に引き上げ、水攻めといく。
水が溜まったところで水槽の中を見るが、予想に反してヤツの遺体が上がることはなかった。
私の思う以上に知能レベルが高かったのだ。
通常通り水を入れたのでは届かない水槽の一番上の溝に忍者のように張り付いて、やはり触覚をゆらゆらさせている。
やるなあ。

ここまでくると知恵比べだ。
私は洗濯機につないだホースを外し、水を直接水槽に流し込み、ハイターを動員。
たっぷりの水とハイターに託して洗濯機のスイッチを入れた。
ハイターの容器の「まぜるな危険」と「除菌」の文字だけが頼みだ。

祈るうちに、かき混ぜと脱水が終わった。
洗濯機の蓋を開けた。
ぷんとプールと同じ塩素のニオイ。
これは効き目がないはずがない。

ところが、洗濯槽の内側に何かが張り付いている。
げ。触覚。まだ生きておったか。
……と思ったらそれは私の髪の毛だった。
ヤツの姿はどこにもなかった。
完全に消えていた。
一体、どこに。

恐怖、再び。
絶対に網戸は開け放しにすまい、と心に決めた。
「ラストサマー」でも「13日の金曜日」でも、
ちゃんと怖いヤツは生きていてカムバックしてきたじゃないか。

ああー。いやだ。気持ち悪いよー。
誰か助けてくださーい。


★豆知識★
調べてみたら、ゴキブリは人間の食べ物だけじゃなく、泥や紙も食べるそうだ。
食べ物を出しっぱなしにしなくても、本があるだけで居座られるということか。
しかも水さえあれば餌がなくても1ヶ月は生存でき、電話機の中とかコンセントの中に住み着いて火事を誘発することもあるらしい。
恐るべし、ゴキブリ。

ちなみに、「コガネムシーは金持ちだ」の歌の「コガネムシ」はゴキブリのことなんだって。
お金持ちの家に現われるってことか。
でもちっともうれしくないぞ。

2005年08月26日(金)  残暑の怪談

「この前、青木さやかの除霊の番組、見た?」
「見たー。怖いよね」
「あたし、下師とか江原さんに一回見てもらいたいんだよねー」
「なんで?」
「絶対なんか憑いてると思うんだよ」
「そういえば赤ちゃん抱くと、なぜか絶対首の後ろ見られてるよね。じーっと」
「そう! この前○○のとこのAちゃんにも見られたの」
「ひえーっ。やっぱ何かいるんだよー」
「何がいるのかなー。確かになんか時々視界の中に何かある感覚はあるんだよね」
「何それー」

その時、友人の後ろにすうっと黒い人影が近付く。
「わーっ!」

「あ、あの、お客様、グラスをお下げしてもよろしいでしょうか」
店の店員さんだった。

勝手に怖い話で盛り上がって勝手に驚く迷惑な客ですみません。

彼女の場合は彼女の親族か何かが見守ってくれてるんじゃないかと思うんだけど、違うのかな。
久しぶりに会った友人とそんな話で盛り上がって、
今度、出雲大社に行く約束をした。
若い女二人でどういう会話なんだか。
まあ、霊的な力の話と結婚問題が融合した結果ということで。
目に見えない世界に興味がありつつ、どこか現実的なのが私たちらしくておかしい。
だけど、「今度」というのがいつのことかは、神様にだってわかるまい。

2005年08月25日(木)  台風

台風がやってきました。
なんか最近確実に関東地方ヒットしてるなあ。
前と比べて北よりのルートを台風が通っていく。
これも温暖化の影響か。
東京の夏の気温も異常に高い(連日30度以上)のが普通になってるし、
10年経ったら熱帯夜どころか灼熱夜になってるかも。
天気予報では、
「灼熱夜注意報。今夜は暑いので外に出ず
必ず室内でクーラーをご利用ください」なんて言ったりして。
笑えないけど。

今、午前2時18分。
たまたまちょっと目が覚めたのでNHKを見つつ、この日記を更新している。
NHKのレポーターたちは今夜は不眠不休らしい。
お疲れ様っす。
さっきまで窓の外を吹き荒れていた雨風の音も、今は少し落ち着いている。
台風なので、激しいのと小康状態とが交互に続くのだろうけど、この分だと通勤時間には大分落ち着いてくれるのではないかと期待。
朝からびしょ濡れだけは避けたいものだ。
テンション下がるから。

テンション下がる、と言えば、先日のお台場の未来館の入場券発行機の声(お金を入れると、券の購入をするボタンを教えたり切符が出てくることを案内する、機械に吹き込まれた声)はやたらテンションが低かった。
未来館だから「はーい、ようこそ!」みたいに異常にハイテンションくらいでもいいかなと思うのに(それはそれできっと笑っちゃうけど)、
やたらと冷静な低い声で案内されると「はい。神妙にまいります」と妙に真面目に畏まってしまう。

2005年08月23日(火)  東京・名古屋

名古屋出張。
ラッキーなことに今日は涼しかった。
一時期に比べたら人が減った気がする。
それでも新幹線のホームは行きも帰りも山手線のような混み具合。
5〜10分刻みで東京方面行きが出てるのにすごいなあと思った。
席もほぼ満席だし。
都内近郊の交通の便が悪いところに行くより、名古屋の方が近い感じするもんなあ。
1時間半なら充分通勤圏内だし、名古屋から東京に毎日通勤している人がいても不思議じゃない。

2005年08月22日(月)  PCからの挑戦状

このところ会社のPCの調子が悪い。
作業中に突然PCメーカーのロゴが表示されて、それ以上操作ができなくなる。
仕方が無いから力づくで電源スイッチを触って再起動させる。
起動してくれるものの、立ち上がるなり、
「致命的なエラーから回復しました」
というメッセージが表示される。

私の使い方はかなりPC本体に負担をかけているだろうということは自分でわかっている。
大きなファイルをいくつも開いて、ひとつが考え込んでいる間に違うファイルを編集したりする。
PCにしてみれば「オーバーワークなんだよ、コノヤロ」と悪態の一つもつきたくなるだろう。

しかし。
「致命的なエラーから回復しました」
とは穏やかでない。
つまり、「命に関わる傷を受けたけど、なんとか持ち直しました」
と訴えているのだ。
誉めてほしいの?
それとも「もっと労われよ」って心の叫びなの?

同じ部署で二人、同じモデルを使用している人がいる。
一人は最近ディスクが壊れて修理送りになった。
もう一人も調子が悪いと言っている。
そろそろ4年近く使っているPCなので、皆「できることなら新しくしたい」と思っている。
もちろん会社の予算がそんなワガママを許さない。
新しく買うよりは安い以上、高い修理代を払っても直してもらわなければならない。
「致命的なエラー」なんてメッセージを出すより、
「あと1ヶ月以内に新しいPCを購入してください」
とか言ってくれないかなー、と三人して願っているのだが。

そんなことを言いながらも、愛着のあるPCなのでできるだけ頑張ってほしいなあというのも本音。
矛盾してるけどね。

2005年08月21日(日)  知的な日曜日

噂のプラネタリウムを体験しようと、るな嬢と連れ立って
お台場の未来館に出かけた。
フジテレビのイベントに比べてこっちは思ったほど混んではいないなー、と思っていたら、
入り口に「本日の(プラネタリウムの)予約は全て終了しました」の文字発見。
がーん。マジで。そんなに人気なの。
ごめん、るな嬢。私が遅刻したからかも……。

でもせっかく来たので、未来館を見学していくことにした。
子どもの頃、皇居の「科学技術館」とか大手町の「逓信博物館」(だっけ?)とかに年に1度ほど連れて行ってもらったけど、未来館もそれに近い。
人体とか細胞とか遺伝子の仕組みの解説とか、スペースシャトルの内部を再現したものとか、地震のメカニズムとか、ICタグの体験とか、電子メールを送信する仕組みとか、まあそんな知的な時間が過せるところだった。
あまりにも細かすぎてわからない(理解不能な)ところはすっとばしました。(そこが文系)
客は当然子どももいるんだけど、半分以上は大人だった。
私もちょっとは賢くなったかしら。

自分が前と比べて成長したなと思ったのは、
人体模型に平然と触れたり分解したりできたこと。
中学でも高校でも、生物は大の苦手。
理解できる、できないより先に、感覚的な好き嫌いが問題だった。
特に人体は、自分の内臓なんかを想像してしまって、毎回気分が悪かった。
蛙の解剖なんかは平然とやっていたくせに、教科書の心臓の絵は見るのもイヤだった。
そもそも血を見るのは苦手なのだ。
それが詰まっている内臓なんか想像したくもなかった。
実はそんなナイーブなところもあった私が、いまや人体模型なんか「へぇ、よくできてる。こんな構造になってるんだ」と何の感慨も無く分解したり組み立てたりできるんだから、おかしい。

だけど、置いてある人体模型の内臓を、小学生くらいの女の子が、お父さんお母さんと一緒になって次々につかんで眺めている図は、ちょっとホラーな感じがした。
人間なんてららーらーららららーらー……。


★今日の教訓★
お台場に出かける際は、水と食料を持参すること。
さもなければ、ウェンディーズに1時間以上も並ぶことになります。

Link:
Lunaria@blog August 21, 2005

2005年08月20日(土)  メンテナンス

気になることはそのままにするな、ということらしい。

先月会った時、言いかけたのに言葉にしなかった。
ただ私がふっと思っただけのこと。
いつもの気のせい。
わざわざ私が言うまでもないこと。

だから、母の口から叔母の名前が出た瞬間に
なんだかわかってしまった。
そしてそういうことにばかり気が回る自分ってイヤなやつだなと思う。

そういうことが現実になると
驚くというより自分が悪かったような気になる。
思ったことを言ってみてもよかったんじゃないか。
そんなに大したこと言おうとしたわけでもないのに。
私が訊いてみるまでもなく自分で行ったんだろうし、
結果的に見つかったんだからよかったけど。

おばあちゃん。
私は元気だから、これからは叔母さんの側にいてください。
あれだけ苦労したんだからこれから楽させてあげてください。


今年は、そういう年なのか。
ちょっといつになく多くてびっくりする。
でも、人生の節目には、こういうことが起こりやすいのかもしれない。
体も次の活動準備に入るということか。

私自身で言うと、同じ歳の既婚者と比べて体内のバランスが悪くて
リスクが高いと思う。(子どもを産んでないから)
たとえただの事務仕事であっても体力落ちたなと実感することあるし、
少し前より責任の重さを感じる分、ストレスにさらされることも多いし、
ここ一年でちょっとした体質の変化を感じる。
私もこのあたりで体の確認作業または修理をすることは必要なんだろう。
次のステップに入る前に。
母にも釘を刺されたので、病院嫌いな私もさすがに検査の予約を入れた。

ネットで調べると、20歳以上は検診対象なのか……。
会社の人間ドックの対象者は35歳以上。ちょっと遅い。
というより、自分の身は自分でなんとかしろ、ってことだ。

2005年08月19日(金)  信じる者は救われる、と信じてみるのです

住宅街の普通のご自宅の中で開店しているカフェでランチ。
住宅街と言っても高台にあるので、窓の外には空が見える。
知る人ぞ知る、って感じなので、お客も少なくて、とても静か。
(来るのは二度目だけど、うっかり道に迷いかけたくらい、わかりにくいところにある)

居心地のいい音楽がそうっとかかっている。
いかにも夏っぽいからりと晴れた青空を見て、
ゆっくりゴハンを食べて、アイスティー飲んで、
他愛ないおしゃべりをして、すっかりリラックス。
お昼休みとは思えないくらいのんびりした気分になってしまった。

やっぱり、「あれしなきゃ」「これしなきゃ」って
自分を追い立てるのはよくない。
のんびりいきます。心にゆとり。これだよ。
ムラのある性格を直して大人になることにしたのだ。
……まあそこそこフラットになるよう努力できるようになればいいかな、と。
なんかずっと言い続けてるような気もするけど。


今日もよい月夜です。
今度引っ越す時は、窓から月がよく見えるおうちにしよう。
更に東京タワーが見えたら最高だが。
信じると本当になるって言うし、無理だと思わずに無心に毎日信じてみるぞ。

でもそんな家に住んだら、まともに働かなくなっちゃうか。
窓の外見てぼーっとして過すだけ。
うわー、夢みたい。そんな生活したーい。
怠け者め。

あとちょっとで何か生まれそうな気がする。のに、形にならない。
喉まで出掛かって言葉にならないみたいな感じ。

……ホリエモンなんかどうだっていいがな。
「ナッティ・プロフェッサー」は暑いエコルームではあまり見たくないので、
冬にやった方が視聴率いいんじゃないか、
と思うのは私だけでしょうか。←今やってるテレビ番組の話。

2005年08月18日(木)  月夜の物語

十三夜の月の光が澄んで見えた。
満月もいいけれど、なぜか少しいびつなこの月にもひかれる。
見ているといろんなシーンが頭に浮かぶ。
イマジネーションをかきたてる月。
これから満ちていこうとする月の力なのか。

月の明るさと夜空の深みを見ると、
少しずつ秋に向かっているのがわかる気がする。
来月は中秋の名月。



宮が職の御曹司にいらした頃のこと。
8月10日過ぎの月の明るい夜、
宮は右近の内侍に琵琶を弾かせて、
廂近くにいらっしゃる。

他の女房たちはおしゃべりして笑ったりしているのに
私一人が廂の柱に寄りかかって物も言わずに控えていたら、
「今日はどうしてそんなにおとなしいの?
何かしゃべって。なんだか物足りないじゃないの」
と宮がおっしゃるので、
「ただ秋の月の心を眺めているのです」と申し上げた。
宮も、「そうね。この場にぴったりの台詞だわ」とおっしゃる。

『枕草子 森崎流』

2005年08月17日(水)  明日

猫は明日を考えることがないって本当だろうか。
今の空腹を満たすことができるだけで満足ってことだろうか。
もしそうなら猫になりたい。

明日までにやらなきゃいけないことが終わらない。
朝早く行かなきゃいけない。
でも、ホントは、そんなことどうだっていい。
やらなくったって大勢に影響ない。
頑張っても幸福感が得られるわけでもないし。
むしろ不公平感が増すだけだし。

……逃げたい。夜逃げしたい。何もかも捨てて。
脳みそスポンジになってもいいからどこか広いところで
一人でぼーっと何もしないでいたい。

ま、もちろんそんな度胸はないし、
こんな考えに至るのはPMSの影響だという自覚はある。

明日のこと。その先のこと。
それはそれで大事。でも気にしすぎて今日を疎かにしたらもったいない。
確かに義務もある。でも義務だけじゃつまんない。
義務なんかじゃ満たされない。

先日見たTVで月心寺の村瀬明道尼が言ってた。
「私は尼の規律を守らないけど、自分に嘘はつかない」って。
それとこれとはまったく次元が違うし、自分の責任を投げ出すこと、逃げ出すことを言うのではない。
ただ、自分の気持ちをごまかしてただあきらめたりしたくないと思う。
そこは忘れないようにしよう。
過ぎていく今日はもうやり直せないんだから。

2005年08月16日(火)  地震発生

また地震があった。
会社のビルは風が強くても揺れるビル(耐震構造っていうの?)なので、かなり気分悪い揺れ方をした。
隣のビルのアンテナがびょんびょん揺れていた。
私自身には何事もなかったし、オフィスの中は何も変化なかったけど、社内では棚から物が落ちたりして片付けの必要な倉庫もあった。
震度4がこう立て続けに起こるのは今までに無く異常な感じだ。

いつものことだが、9月大地震説がまた出てるらしい。
このまま震度4レベルくらいで少しずつ発散して済んでくれればいいと思うけれど、この揺れで富士山が刺激されて噴火でもしたらたまらないな、なんて話もした。

会社にいる時はともかく、1人で家にいる時に何かあったら、自力で問題解決できるんだろうか。
動けない状況になった時、ちゃんと見つけ出されるんだろうか。
こういう時、やっぱりそういうことも考えてしまう。

2005年08月15日(月)  日記の効用

朝、目の前をトンボが横切った。
昼、蝉の声が変わった。
夜、夕立がやってきた。
夏が通り過ぎていきます。


この日記は2000年10月末から続けてる。
意外と長い。
私にしてはがんばっている。よし。
まあ途中何ヶ月か、何日か、ぷつっと抜けてるけど、そこが私らしい。
これだけ長く書いていれば、それなりにいろんな単語や話題が凝縮されている。
通常あまり使われない言葉もある。
職場で使う仕事用語なんかもある。

この日記ページは「エンピツ」にお世話になっている。
「エンピツ」には読んでいる方がどんなリンクをたどってこの日記にたどり着いたのかがわかるようなログが残っている。
(ホームページの裏側の話で恐縮だけれども)
もちろん私のホームページの入り口、「エンピツ」の何らかのリンクから訪問される方がほとんどで、気ままなペースで好き勝手なことを書いているのにも関わらず毎日コンスタントに来客があるというのは素直にうれしい。
心の励みになる。
(皆様、ありがとうございます。)

実はそれ以外に、言葉の検索でひっかかることも多い。
(多いと言っても1日10件くらい)
一体どんな言葉にひっかかるのかが興味があって、時々そのリンク元(つまり検索画面)を見てみる。

よくひっかかるらしい言葉 ベスト3
(私の印象。数を数えたわけじゃない)
第1位 「ねずみにひかれる」(2004年12月8日
第2位 「電話のかけ方」、「ビジネス英語」、「挨拶状」など仕事関係の言葉
第3位 芸能人の名前、歌の名前など、芸能関係

これでまた今日の日記ページもひっかかるのか……?
検索結果として、非常にくっだらないことを書いている日記が表示されたりして、何か知りたいことがあって検索されたであろうどなたかのご足労が申し訳ないこともある。
そもそもこの日記が検索結果として役に立っていることがあるのだろうか。
永遠の謎である。
役に立たないまでも、「バカなこと言ってるやつがいるよ。ふっ」と一瞬でも和んでもらえたんなら本望だ。

それにしても興味本位で人の検索内容をのぞくなんて、悪趣味でスミマセン。

2005年08月14日(日)  ある夏の日曜日の午後

カレー煮込み中。
最近ようやく自分の生活を反省し、乱れきった食生活も見直そうと
「1人生活向上活動」を実行中。
それで作ってるものがカレー、と小学生レベルなのはまあご愛嬌ってことで。
夏はカレーがいい、とDrコパの言葉をちらりと小耳にはさんで、
「そうだ、カレーにしよう」と思いついただけ。
単純すぎます。
夏は辛いもので暑さに対抗しようじゃないか、
ということでいいんじゃないの。
今夜はきのこのカレーです。

さて、Blogの女王と巷で有名らしい眞鍋かをりさんのページを覗いてみました。
そこからリンクされていた恋愛成績表と恋愛力診断を私もやってみました。
(ここから暇人度もわかるな)

恋愛成績表によると、私の精神年齢は実年齢と変わらず。
成績はよいらしい。
現実にはそんなもん通用しないけど。

恋愛観レベルは「高校生」レベル。
財力軽視、というのが現実的じゃないからか。
恋愛スタイルは「長期低テンション恋愛型」だって。
それはわかる。というかなるべくそうしてる。
本来「熱しやすく冷めやすい」を地でいく方なので、最初からスパートをかけるとあっという間に終わってしまう。
それを知っているからなるべく抑え目にするように気をつける。(しょうもない)
自己犠牲の精神が自己犠牲より損得勘定、
許容と束縛が束縛より放任・無関心に
やたらと偏っていてそこが人と違って変、という診断は正解。
結局わがまま、自己中心的、ってことだ。
放任主義に偏りすぎているのは知っている。
つまり自分が束縛されたくないからだ。
この点でバランスの合う人はあんまりいないだろうなという自覚はある。

私の放任主義は、30歳以上の男性から見ると「変」と判断されているが、
18歳以上30歳未満の男性から見ると「可」となっているところを見ると、
年下の男性の方が私の感覚に近いのかもしれない。

だけど、こんなコメントが。
「一般レベルよりも放任主義に偏っています。当然好まれるタイプですが、それは都合が良いからです。彼氏彼女がいつのまにか消えたことがありませんか? 包容力があるのか我慢強いのかはわかりませんが、どちらにせよ帰巣本能のある異性と付き合うことをおすすめします」

都合のいい女か……かもな。


物好きな方は相性診断をどうぞ。(誰もやらないって……)

恋愛力診断 相性チェック
>>私との相性チェック&恋愛力診断

2005年08月13日(土)  生き抜くということ

珍しく真面目な話が続いてますが。
土曜に家にいるのが珍しいこともあって
今日の夜はTV漬けになってしまった。
興味深かったので記録。

まず、一つ目の番組から。
「人はなぜ逃げ遅れるのか」

去年の年末のスマトラ沖地震を例にとり、
なぜ人間は逃げ遅れるのかを説明していた。
スマトラ沖地震では、あれだけ犠牲者が出たにも関わらず、
動物の死体はほとんどなかったのだとか。
つまり、人間は人工的に作り上げた環境に慣れきっていて、
野生の勘を働かせたり少しでも危険を察知したら逃げる
という行動を起こさなくなっている、ということだ。
実験で、火災報知器の音、消防車のサイレンを聞いた時、
人がどんな反応をするのか、をやっていた。
驚いたことに、結構みんな動じない。
しかも集団でいる時には周りが動かないと誰も動きださない。
部屋の中に煙が入ってきた時ですら立ち上がって
外の様子を見に行こうとしなかったりする。

でもこれ、正直私も経験がある。
今住んでいるアパートの一階が飲食店だった頃、
廊下の火災報知器が突然けたたましく鳴り出した。
下がお店なだけに充分有り得ると思って玄関に行って、
とりあえず覗き窓から外の様子を見てみた。
煙や火は見えない。ただベルの音だけが響いている。
誰も出てこない。
あんまり鳴り続けるので後でもう一度見に行ったけれど、
やっぱり外の様子に変わりがないので、誤作動か点検か、
と思ってやり過ごしてしまった。
本当に火事だったら、間違いなく焼け死んでいたか煙にまかれていただろう。

地震なんかでも、日本人は、特に東京の人は慣れきってるから、
多少揺れてもそれほど動じない。
「あ、またか」で済んでしまう。
でも、ほとんど体験したことのない外国人は
ほんの少しの揺れでもびっくりしてすぐに立ち上がったりする。
本当はそれが本来あるべき行動なのだ。
びびってると思われるのが嫌だからって逃げ遅れちゃしょうがない。
生き延びたいなら、少しでも危険があるなら
ぱっと行動に移さなきゃいけない。
危険に対してもっと敏感になろう。
それにしても、災害心理なんて研究があるのね。知らなかった。

2つ目。
終戦後30年間フィリピンのジャングルの中で戦い続けた小野田さんの半生を描くドラマ。

現地の住民の言葉、日本からの捜索隊の言葉、ラジオ番組などからどうやら戦争は終わったらしいと薄々感じていても、それを敵の陽動作戦だと信じて戦い続ける。
上官からの次の命令が無い限りは任務を終えて日本に帰れない。

頑固者だとか、わからず屋だとか、そんな風に思うこともできる。
こういう人が職場にいたら融通が利かなくて面倒そう、なんてことも考えた。
でも、小野田さんの考え方は間違っていない。
上官からの命令により任務としてそこにいる以上、次の命令がなければ勝手にその地を離れられない。
それは正しい判断なのだ。守るべき規律を守っただけにすぎない。
身をもって「戦争とはこういうものだ」と教えてくれたのだ。

何かを強く信じなければ、よりどころとする何かがなければ、
孤独の中で生き抜いていけない。
何のために生きるのか。
目的がなければ生きようとする意志を保てない。
生きていくって厳しいことだ。

2005年08月12日(金)  最期の声

日航機墜落事故から20年が経ったそうだ。

あの時私は小学生で、生き残った女の子と年がそう変わらなかった。
両親の故郷を訪れるのに(当時航空運賃が高かったので基本的に新幹線か船だったが)飛行機を使うこともあった私にとって、年の近い女の子が家族と一緒に乗った飛行機で墜落事故に遭ったということが他人事と思えずショックを受けたのかもしれない。
毎朝毎晩、この事故の記事(身元確認、事故原因推測、目撃情報、犠牲者のエピソードなど)を新聞で読んだことを覚えている。

今日、TVでこの事故のドキュメンタリー番組があった。
犠牲者は520名、と聞くと、この前のJR西日本の事故の5倍にもなるのだから本当に大事故だったんだなと今更ながら気付く。
見つかった遺体は、指1本、歯だけ、という犠牲者の方もいて、一層リアルに事故現場の凄まじさを物語っている。

ボイスレコーダーのコックピットの会話。
以前ニュースで公開された時にも聞いていたのだけど、こうして改めて聞くと涙がこぼれた。
飛行機のコントロールが自由にできず、アラームが鳴り続ける中、機長、副機長、機関士の方が必死になんとかしようと格闘している様子が声だけで伝わってくる。
機長の口から「もうだめだ」という声が漏れるのは山にぶつかるほんの一瞬前。
どうにもならない状況でも本当に最後の瞬間まであきらめないで闘うってすごいことだなと思う。
プロの仕事だ。死力を尽くす、ってこういうことを言うのだろう。

何かの利害とか組織とか、そんなもののせいで事実が曲げられてはいけない。
事実は事実として明らかにしないと教訓が生かされないままになってしまう。

2005年08月11日(木)  自爆メモ事件

今週も長いなー。まだあと一日ある。
でも、同じことを言ってる間にまた一週間過ぎている。
掌から砂がこぼれるみたいにやたらと無意味に時間が過ぎてるような……。

先日、会社で、こんな伝言メモをもらった。
「エロビジネス部門 ○○様に電話してください」
何度読み返しても、そうしか読めなくて、
隣の男の子に「どう思う?」と聞いたら彼も目を丸くした。
一体何のビジネスをしている部署なんだ……?
あやしすぎる。

なんだかメモを書いてくれた方に聞き返すのも気が引けて、
とにかく書いてあった電話番号に「とりゃっ」と気合でかけてみた。

「A社の森崎と申します。いつもお世話になっております」
「お世話になっております」
「恐れ入ります、○○様はいらっしゃいますか」
「あ、はい。少々お待ちください」
……ふー。とりあえず、番号と名前は間違いないらしい。
(社内か社外かも不明な書き方だったので、社名を言うのも緊張した)

「○○です」
「お世話になっております。A社の森崎です。先ほどお電話いただいたそうですが」
「はい。××のことで教えていただきたいのですが」
「あ、その件ですね。製品は何でしょうか」
「×IOです」

謎は解けた。
カタカナの「エロ」じゃなくてアルファベットの「IO」か。
しかもその前が思いっきり略されてるし。(なぜ略されてるかは不明)

電話を切った後、しばし笑い転げて、電話をとることができなかった。

2005年08月10日(水)  タイムトラベラー

朝のラジオでNew Kids on the Blockの「Step by Step」がかかった。
なんとなく懐かしい曲だ。
曲の後でDJが「ちょうど15年前の曲ですね。当時の中高生に人気でしたね」とコメントしていた。

まさにその頃高校生でしたとも。
私にも女子高生だったことがあった、と思い出す一方、
自分自身ではその頃と何一つ変わっていないような気がするのに、
少なくとも見た目はもう年を重ねて違う人間になってるんだなと思うと不思議な気分だった。

2005年08月09日(火)  午前11時にしていたこと

午前中、仕事のあれこれを片付けながら、お昼は何にしようかな、なんて考えはじめた。
ふと、時計を見ると午前11時30分になろうとしていた。

長崎に原爆が投下されたのは、午前11時2分。
この中途半端な時間が一層リアルだ。
こんな時間に爆弾が落ちたんだな、と気付いてつくづく怖いと思った。
年に2度くらい、その時のことを考えるのは、無駄ではないと思う。
地震だって起こったら怖いけど、
それ以上に、人間の仕業で大量殺戮が行われることほど怖いことはない。

テレビで、アメリカの高校生たちが広島で被爆者の体験談を聞いて、
「教科書や授業で習ったのと違う。
原爆は戦争を早く終わらせるのにとても有効だった
と聞いていたので驚いた」
「帰ったらみんなに今日聞いたことを話します」
と感想を述べていた。

教科書問題は日本以外にもあるんだなあ。
事実には説得力があって、どんな前知識があったにしろ、
誰でも「こんなことは二度とあってはならない」と素直に思えるということだ。
誰が悪いとか誰がやったとか、そんなことは関係なく、
実際に起こったことを自分の目で見て、聞いて、知ることが大切だ。

2005年08月07日(日)  No More Hiroshima

昨日は広島に原爆が落とされてから60年目だった。
朝寝坊の私も一応TVで平和式典を見た。

当時の広島を生き延びた人もどんどん年老いて少なくなっていく。
記憶は薄れていくもの。
でも、引き継いでいくことはできる。
できるだけたくさんの人が本当のことを知ることが大切だ。

もし、日本ではなく他の国が原子爆弾の体験をしたとしたら。
もしかしたらその後にあるのは報復と憎しみの連鎖なのかも。
無差別テロ、アフガニスタン、イラク、
全てそこにあるのは報復と憎しみだ。
宗教とか人種とかそんなどうでもいい分類のせいで。

日本の敗戦がほぼ決定していたあのタイミングで原爆が投下されたことについて、最近は人体実験だったという可能性も指摘されている。
それは私もありえると思う。
巨額の投資をして作ったものをそのまま一度も生かさずに眠らせることはできなかっただろうし、試してみたい、という心理が働いても不思議ではない。
でも事実そうだったとしても、過去は過去であって、今更アメリカを恨むとか憎むとか嫌うとか、そんな感情は日本人の誰の胸にも芽生えてこないのではないか。
日本人にあるのは、「二度とあってはならないこと」という思いだけ。
そんな風に考えられることを誇りにしていいのだと思う。
日本がこの体験をしたのは、日本人なら次に起こることを止められる、日本人にしか止められない、という何かの意志によるものなのかもしれない。


戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。
この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。
この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
(故・教皇ヨハネ・パウロ2世 広島『平和アピール』
広島にて 1981年2月25日 より抜粋)

カトリック中央協議会

2005年08月06日(土)  夏休みっぽい休日

踊りのお稽古が2週連続でお休みなので、
気分的には夏休みである。

髪を切った。
暑さにまかせて
「この辺も切っちゃってください」
と適当なことを言ったら、ショートっぽくなった。
ん? これはショートの範疇か?
ま、いいや。暑いから。

午後、父と弟と三人でランチをした。
父には朝、近所に行くからついでにゴハンでも、と連絡をしていたのだけど、
偶然にも弟が午前中にやってきて、合流することになった。
母は夏休みで旅行中なので留守番組の一家団欒である。
弟とは年に一度会うかどうかという感じなので、非常に珍しい。

夜は友人と花火大会に行った。
晴れていたし風も適度にあって、天候はばっちり。
やっぱり夏は花火。
どんと胸に響く一番大きな花火がやっぱり好き。
私はああいう人騒がせな、打楽器っぽい衝撃音が好み。
音で言うと、「どん」以外に、小さな光が落ちながら消える時に立てる「ぱちぱちぱち」という泡のような音も好きだ。

大きくて派手な花火が上がると子どもたちが興奮して「キャーッ」と奇声を上げる。
小さい子どもだけでなく、時に充分育った男の子が同じように甲高い奇声を上げる。
私と友人は「猿がいる」と苦笑したものだが、花火には人間の心の中に住む野生を引き出すものがあるんだろうか。

2005年08月05日(金)  長い一週間の終わり

今週はなんだかやたらと長かった。
毎朝「あー。今日もまだ休みじゃないや」とのろのろ起き上がって仕事に行っていた。

でも。
ようやくお休みだ。わーい。
しかも2週続けて踊りのお稽古がお休みなので、
本当に土日2日ずつ休日にできる。
はー。幸せだ。
明日の朝は早速美容院の予約をした。

なんで最近こんなに仕事に行くのに気分が重いのかというと、
自分より経験も年も重ねている人たちに指摘をしたり
もっとよいやり方に変えてもらうようにする仕事をしてるからだ。
自分自身にだっていろいろ問題ありなのに、
人の欠点を見つける仕事なんか。
人に言うってことは、それだけ自分に間違いがあっちゃいけないから
何をするにもいつもより何度も確認をして気を使う。
メールの送信にしたって、リターンキーが核爆弾の発射ボタンに思えるくらいの緊張を強いられてる。
(先日送信先を間違えたばっかりだし)
もっと気楽に働きたいよー。

それにしても、なぜみんなそんなに自分で考えないんだろう。
配布物の希望数を確認したら、
「どのように配ればいいでしょうか」って逆に訊かれて、びっくりした。
なぜそんなことを私みたいな小娘に訊くのですか。
役職について自分のテリトリーを持ってるということは、
言うなれば一国一城の主でしょ。
好き勝手したらいいじゃん。
私たちの言うことに反論したっていいし、嫌なことはやらなきゃいい。

なんか最近そういう人が多いのかな……?
ちょっと怖くなってきた。
言われたことはやる。でも自分で決めたり考えたりしない。
そりゃあ楽でしょう。
面倒なこと考えないで人の言うとおりにしてれば。
でも、そんなの、気持ち悪くない?
こんなことを思う私がおかしいのか。
……うん。やっぱ私がおかしいんだろう。
無駄なことは考えるのやめよう。

もしかして少しずつ宇宙人が本物の人間と入れ替わって地球を乗っ取っているのかもしれない。
それとも、一部の人はコピーロボットを持っていて、自分が遊びに行っている間はコピーロボットに働かせているのかもしれない。

そろそろ次の仕事に移りたい気になってきた。
でも今その選択をするのは嫌なことから逃げるコトだってわかってる。
わかってるけど、こんなことがずっと続いていくのかと想像すると、
あんまり楽しくない。
明るい未来が少しでも見えたらなぁー。

2005年08月04日(木)  本音トーク

わからないことはわからないままにしない方がいいし、
質問するのは悪いことじゃない、と思うものの。
なんでもかんでも1から10まで許可や判断を求められるのはさすがに困る。

あんまりそういうことを感じてはいけないなあと思う一方、
自分で考えてどんどん進めてくれたらな、と切望するのも本音。
自分が決めることに不安だったり自信がなかったりするんだろうけど、
多少失敗しても問題ないし、問題あったらそこはフォローくらいするのに。
完璧主義なのか、心配性なのか。

人によって見方や考え方、ペースが違うから難しい。
でも、だったら自分がもう一人いたら楽になるかというとそうではない。
例えば自分自身と同じ人間と一緒に仕事をしたら、
絶対お互いにぶつかると思う。頑固だから。
大雑把な私と正反対に神経質だから、
組合せとしてはバランスがいいのかもしれない。

最初の頃に比べれば大分要領がわかってきたみたいだし、
助けられてる部分も多いのだけど、
もう少し応用がきくと助かるな……と思うのは欲張りってものか。
でも、たぶん上司もそう見てる節がある。
そろそろ、少なくとも与えられた仕事は自分の力で処理をすることと、
与えられたことだけじゃなくて自分で気付いたことをどんどん形にしていくようなことができないと、次の段階の評価につながっていかないと思う。
もちろんそれは自分で気付かなきゃいけないことだから、
心にしまっておくだけで言わないけど。

私が他の業務に時間をとられて予定通り進んでいない仕事をもっていると、
彼女にやらせればいい、って上司は言う。
今はこれで手一杯、というのが見ててわかるし、
少し自分で調べて工夫しないといけない仕事でもあるので
私の手元に残しておいたんだけど。
うーん。どうする。やってみる? やってみっか。

2005年08月03日(水)  ジンギスカン

ふー。食った食った。
数年ぶりにジンギスカンを食べました。
会社の偉い方にご招待いただきました。
昨日突然予定を聞かれた時には
「げ。話題ないし、どうしよ」
と心配したんだけど、それは取り越し苦労。
なんとかなるもんです。
一人じゃなかったし。

夕方から、頭の中は「ジン、ジン、ジンギスカーン」の曲が
リピート。
想像力貧しいなあ……。
(それほど楽しみにしてたという意味ではなく、
約束の時間までに仕事を終わらせるのに必死になっていた)

ニオイのする肉だったらどうしよう、とも思ってたけど、
それも取り越し苦労。
おいしかった。
お野菜いっぱい食べたし。

最近忙しかったので、お気遣いいただいたのでしょう。
ありがとうございます。
ごちそうさまでした。

2005年08月02日(火)  久々に。

やってしまった。
メールの宛先間違い。
しかも、メールの内容が内容だけに、
受け取った相手の方から厳重注意のメールが送られてきた。

以前は結構注意していたんだけど、
最近あわててよく見ないでボタンを押すことが多かったのは確か。
やっぱり何事も、一つ一つ確実に確かめないといけないなあ……。
反省でした。


そういえば、先日のミステリー劇場の結末が違っていた。
本当に海外からのゲストのおみやげだった。
アメリカから日本に帰ってきた人が配ったものだったのだ。
それにしてもおみやげがビタミンCって、
何かすごい効き目のあるビタミン剤なのかも?

2005年08月01日(月)  8月の予感

あっ。もう8月だ。
早いなあ。

子どもの頃から毎年8月1日になるといつもこう思ってた気がする。
8月1日がきたら夏の終わりはあっという間。そんなイメージ。
生まれつき怠け者の私は、夏が好き。
欲張りだから四季それぞれ好きなんだけど、それでも夏は特別。
なぜなら長いお休みがあるから。
社会人になって、休みを取るなら夏でなくても冬でも春でもよくなったけれど、やっぱり暑いうちに長く休みをとるのが好き。
夏休みの間は、日が長いために冬より門限が一時間遅くしてもらえたり、夜はお祭り、朝はラジオ体操、で普段家にいる時間帯に外出することが公然と許されるし、九州の田舎に連れて行ってもらったりして、非日常の予感にわくわくした。
その感覚が今でも全身に染み付いていて、意味もなく何かがありそうな気がするのが、8月という月。

今年は9月に大型連休を計画中につき、8月は無休です。(土日を除く)
それでも好きだな、8月。
今日なんか海行ったら最高だっただろうなあー。
想像するだけでも楽しい。本当は行けなくても。


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