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2005年06月16日(木)
出会いと別れを繰り返すのが人生というものだ

人は、出会いと別れを繰り返して、成長してくものだ

そう、人はいう。

ただ、僕は、必ずしもそうだとは思わないのです。私も含めて、やはり別れというものが怖く、とてもストレスに感じる人もいる。辛い別れ・・・ある種、過去の思い出との決別と忘却という、大きな作業が待っている。それは、なかなか大変なこと。自己否定の部分もあるし、人への憎しみ、くやしさの部分もある。

別れが怖いから、出会いに躊躇する。それは、もう自分のこころの奥底に出来上がってしまった公式のよう。だからといって、人と出会わないわけにはいかない。無論、出会いは、なにものにも変えられない財産だったり、自分を変えるための手段だったり。しかし、出会った人たちは、絶対ではない。こころもとないものでもあるし、ずーっと残っていくものでも必ずしも無い。

僕らは、出会いと別れを繰り返す生き物。出会いは喜びという感情を生み、別れは悲しみ・涙という感情を生む。別れがあるから出逢いがある。出逢いがあるから別れがある。

いつも、僕がこころに秘めている言葉
「サヨナラダケガジンセイダ」
そう、割り切る呪文を唱えることで、あるラインで「あきらめる」という公式を作り上げた。それは、悪いことではない。
あきらめるやさしさというのもあると思う。なにかを踏み出し、何かに懸命になる。自分自身を捧げるくらい。でも、そればかりでは、いずれ自ら疲れてしまう。自分以外のものを許せなくなる。どこかであきらめるやさしさ。
それは、人との関係でも、言える部分があるかもしれないな。

ほら、愛情とか、恋とか、りくつでは割り切れない、純粋な感情というものもある。僕はその感情がとても強い人間です。
現実を相対したとき、それらを、綺麗なものとして静かに収められるか、収められないかで、それ以降のものが変わってくるが。

出逢いというのは、どこでどうつながり、派生し、自分の人生を大きく変えるかわからない部分がある。だから、ある人は面白いとおもえるだろうし、ある人は慎重になってしまうだろうし。

こころが疲れてるときは、出逢いもおっくうになる。別れを経験すると、悪いイメージの方向軸へ向かいがち。ただね、どんなにひとりきりになっても、いずれだれかにつながる。ひとり、ふたりとつながっていくうちに、知らぬ間に、昔とは違う、可能性を感じつつ、自分自身のあらゆるものが、新しく変わっていくと思います。後から気づくことのかもしれないね。

しんどい時、疑心暗鬼のとき、自分を責めてしまう時。そういうときは、僕だってあるけれど、ゆるやかに流れていく時間に、身体を預けて、静かにしている時間も、大切なことだろうなぁ。
ある時点で、こころよくあきらめること。
出逢いと別れを繰り返すという宿命をもった僕らに課せられたことのように思う。




コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
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