2007年08月10日(金)  あの流行語の生みの親

出産、育児を通して知り合った方には旧姓でもある今井雅子ではなく本名を名乗っているのだが、メールアドレスがmasakoimai.comとなっているので、そこから「いまいまさこカフェ」を訪問されて、わたしの仕事や関わった作品を知ってくださる方は多い。先日、保育園で一緒に役員をされている方は、出版社に勤めておられるご主人が「いまいまさこ」という名前に聞き覚えがあるとおっしゃり、サイトで検索して「いまいまさこカフェ」を発見された。

こんな場合、抜群の知名度を誇る『子ぎつねヘレン』をはじめ名前を知っている作品名を見つけて、「観ました!」「観たかったんです!」といった反応があるのだが、この方は「あの流行語の生みの親だったんですね!」と驚かれた。わたしの書き散らした言葉を集めた「words」というコーナーの中に「コンクールに応募したコピー・標語・川柳」というページで紹介している「ハンドルとマイク握れば別の人」という川柳に反応。NHK札幌放送局が募集した「人とくるまのよもやま川柳」の入選作なのだが、当時札幌で通っていた自動車教習所で「流行っていたんです」と言う。放送で紹介されたのか、地元の新聞に載ったのか、自分の知らないところでちょっとした流行語になっていたとは、こちらも驚いた。それどころか、つい先日、NHK札幌放送局に勤めてらしたという方にお会いしたときに、「札幌局のオーディオドラマコンクールで脚本デビューしたんですよ」と話したのだが、その3年前に応募した川柳のことはすっかり忘れていた。人との出会いは、自分が知らないことも忘れていることも運んできてくれる。

2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー
2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2007年08月09日(木)  ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』

『クイール』『子ぎつねヘレン』に続く動物と人のふれあいを描いた松竹春休み映画第三弾『犬と私の10の約束』の書き下ろし原作が送られてきた。著者はヘレンのノベライズも手がけた川口晴さん。原案になった英語の「犬の十戒」(The Ten Commandments)をもとに、原作と脚本の開発が同時進行し、先に仕上がった原作の内容が脚本にフィードバックされたそう。わたしは脚本開発に声をかけていただいたものの力及ばず、採用に至らなかったのだが、犬の十戒を自己流に意訳したものだけが目に留まったようで、その一部が原作の中で使われている。台詞も一行だけ生き残っていた。映画では生かされているかわからないし、たぶんクレジットもされないだろうけれど、自分の書いたものがカケラでもカタチになることはうれしい。

本は、「今井さんに力を貸してもらったあれ、こんな感じで進んでますよ」と報告がてらプロデューサーから送られてきた。脚本家が途中で変わることも、何人かが声をかけられてふるい落とされることもよくあるけれど、少しでも首を突っ込んだ作品のその後がどうなったかはとても気になる。だけど、そこまで気が回るプロデューサーは少ないし、お金の話を持ち出されるのを嫌って連絡を避けられる傾向もある。別の脚本家で決定稿になりましたともクランクインしましたとも教えられず、試写の連絡すらなく、映画の公開を知らせる広告を見て、「いつの間にか出来上がってたんだ……」と知らされることがほとんど。だから、今回のように、きちんと報告してもらえると、あ、透明人間になっていない、と安心し、ありがたい気持ちになる。

報告といえば、昨年再演された鴻上尚史さんの『恋愛戯曲』に、わたしの書いた脚本が数行使われたときも、事前に「いいですか」とおことわりをいただいた。もともと鴻上さんが書かれた戯曲を映画化しようという計画があり、映画用の脚本を作るにあたってお手伝いしたのだが、その中で生まれた台詞やアイデアが再演の戯曲に採用されたのだった。舞台にご招待いただいた上に、パンフレットで鴻上さんと対談させていただくという豪華なおまけもついた(>>>2006年05月19日(金)  鴻上尚史さんと「恋愛」対談)。脚本を書くというのは、なかなか当たらない宝くじを買い続けるようなもの。引き出しにしまったまま忘れた頃に当選を告げられてびっくりすることもあるし、当たらなくても気まぐれに配当が出ることがあるから面白い。

2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』
2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2007年08月08日(水)  「やきやき三輪」で三都物語の会

ここ数か月関わっているテレビの仕事は、テレビ局担当者、製作会社プロデューサー、脚本家(わたし)全員が女性。男性の中で紅一点ということが多く、女ばかりというのは初めて。脱線話のガールズトーク(ガールって年ではないけど)も新鮮で、毎回打ち合わせが楽しみだった。だった、と過去形なのは、この三人で打ち合わせをするのは今日が最後だから。もろもろの事情により、いったんチームは解散となった。それ事態はよくあることではあるけれど、なかなかない出会いなので食事ぐらいしましょう、というわけで、最後の打ち合わせの後に初めての会食となった。

テレビ局嬢がご馳走してくださることになり、「鉄板焼きなんですけど、いいですか、関西風の」と聞かれる。「歓迎です。わたし、大阪出身なんで」と即答すると、「あら今井さん、関西人だったんですか。わたし神戸です」と製作会社嬢。「ええっ、お二人とも関西? わたし、京都です」とテレビ局嬢。「三都物語ですね!」と思わずわたしが言うと、「うまいっ!」と会議室に笑いがはじけた。

お店は広尾にあるやきやき三輪。関西風のベタなネーミングとは打って変わってインテリアは妙に洗練されて都会的。プリプリの蛸の鉄板焼、コロコロステーキなどに舌鼓を打ちつつ、どんどん平らげていく。打ち合わせ後の空腹も手伝って、箸が進む、お酒が進む、会話も進む。「味が気に入って通ってたんですけど、実は業界の人がよく来る店だったんです」とテレビ局嬢。隣のテーブルからは「24時間テレビTシャツ欲しい?」「欲しい!」という会話が聞こえる。あちらが丸聞こえということはこちらも筒抜けとなるのだけれど、仕事は一段落してしまっているので、ひたすらプライベートの話。自分たちのルーツを披露しあい、思わぬ接点を次々発見。そのテレビ局に深い縁のある得意先をわたしが広告会社のコピーライター時代に担当していたことも明かされ、「それじゃあ話が早い。また連絡しちゃいます」とテレビ局嬢。解散式でありながら出初式のようになった。

今回の仕事は、脚本家としてはちょっと宙ぶらりんな格好になり、残念だったけれど、珍しく「空しさ」を感じない幕切れだった。単純な性格なので、おなかが満ちたのに連動して、「おいしかったし、まあいっか」と気持ちの隙間が埋められたふしもある。これからも企画が頓挫したり飛んだりしたとき、最後の晩餐をやるのがいいかもしれない。満腹と満足がごっちゃになって、いろいろあっても「終わりよければ」になるような気がする。

2005年08月08日(月)  虫食いワンピース救済法
2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』
2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人

呼んだかのように、響きあうように、同じタイミングで同じことを考えていたことを知って驚かされる。そういう偶然が何度も重なる人がいる。『パコダテ人』『ジェニファ 涙石の恋』で今井雅子を知って以来応援してくださっている大阪のさのっちさんも、そんな一人。『子ぎつねヘレン』の脚本に取り掛かり「ぼくがヘレンのお母さんになる」なんて台詞を書いているときに、飼育員さんがお母さん代わりになって白くまを育てたという実話の本(『人に育てられたシロクマ・ピース』)が送られてきたりする。アンテナの向いている角度が似ているのかもしれない。つい先日も、スターダストプロモーション系列の映画制作会社S.D.P.に挨拶に行ったその日、いまいまさこカフェに書き込まれた話題は、スターダストプロモーション所属の夏帆さんと林遣都さんが共演しているPVについて。交換した名刺からいまいまさこカフェを訪問されたS.D.P.の担当者氏もタイミングの良さにびっくりされていた。

折りよくさのっちさんからメールも頂戴したので、こないだ大阪に帰ったときは急でご連絡できなかったのですが、またお会いしたいです、と伝えると、「ちょうど東京に行く用がありまして」とまたしても打てば響くようなお返事。じゃあ会いましょうということになり、数年前に大阪でお初にお目にかかって以来、二度目の対面が今日叶った。いまいまさこカフェに足しげく顔を出され、わたしの近況も常連さんのこともよくご存知なので、共通の話題には事欠かない。好きなもの嫌いなものは少しずつ違うのだけれど、心地いい、好ましいと感じる基準がラジオの周波数のように合う。こういうことがあってうれしかったんですよ、困ったんですよ、という何気ない話が、すっと通じて説明がいらない。インターネットとのつきあい方、距離の取り方にも近しいものを感じる。メールをやりとりすれば、だいだいとういう人かわかりますよね、と話しながら、この人は最初のメールのときから印象が変わってないと気づいた。

わが家でのお茶を終えて「お邪魔しました」と立ち上がったさのっちさんは、椅子から立ち上がると、迷うことなく洗面所のドアを開けた。90度の位置に立っている玄関へ続くドアにはガラスがはめこまれ、その向こうには玄関が見えている。お酒も飲まずにこのドアを間違えるのは、堂々たる方向音痴である証拠。わたしも飲食店でお手洗いを目指しては物置きのドアを開ける常習犯なので、同志を見つけたようでうれしくなった。方向音痴ではあるけれど、好きなもの、気の合う人にたどり着ける嗅覚はしっかりしている、というのが二人の共通点らしい。

2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用

東京都にはシルバーパスなるものがある。都営交通(都バス・都営地下鉄・都電)と都内の民営バスに乗車できるフリーパスで、70歳以上の希望する都民に発行される。負担額は、区市町村民税が課税されている人で20,510円。友人で医師の余語先生のように、行動力旺盛な方だと、すぐに元は取れる。非課税の人となると、負担額1,000円で乗り放題となる。

たまがわたしのおなかにいる間に70歳になったダンナ母は、「かぼちゃ煮たから」「梨をいただいたから」「パンが食べきれないから」と言っては都営バスまたは都営線一本で行き来できるわが家へちょくちょくやって来る。「わざわざすみません」と言うと、「シルバーパスがあるから」と笑って返されるが、孫の顔を見たくてバスや地下鉄にいそいそと乗り込む姿が目に浮かぶようで微笑ましい。

ダンナ父は息子夫妻の家に足を運ぶよりは孫を連れて遊びに来てほしい、という様子だったけれど、今月70歳になるのを機にシルバーパスを持った途端、わが家への出現率が急上昇した。昨日も今日も朝8時に電話があり、「今から行く」「いやお義父さん、もう少し待ってください」という問答の後に10時前に現れると、たまを連れ出す。「テレビばっかり見てないで出かけてくれば?」とダンナ母に言われてもなかなか動かなかったのが、パス一枚でいきなりフットワークが軽くなった。

この炎天下、昼間に出かけたら暑さでぐったりするのでは、と気を揉むと、「バスに乗るから大丈夫だ」と、ここでもシルバーパスが活躍。昨日はだっこひもで出かけたが、腰に来たらしく、今日はベビーカーでお出かけ。わたし好みのオレンジベビーカーとじいじの組み合わせは微妙いや異様ではと思うが、だっこひもだって何食わぬ顔して着こなすじいじはまったく意に介さない。「バスが混んでるとベビーカーたたまなきゃならないし、そうなると、片手にベビーカー、片手にたまで大変ですよ」と言うと、「俺みたいな老人に誰も注意はしない」と強気。確かに手押し車を杖代わりにしているお年寄りをよく見かける。

何かあったら電話くださいと言って送り出すのだが、電話もこないまま2、3時間帰ってこない。何やってるのかなあ、ぐずってないかなあ、と気になり、いい加減遅すぎないか、と心配になった頃に、「いい子だったよ」とじいじもたまも上機嫌で帰ってくる。哺乳瓶の麦茶を飲み干し、赤ちゃんせんべい2枚を平らげ、だけど、おむつはまだ大丈夫。たまもすっかりじいじになついている。こっちもどーんと構えて、洗濯やら掃除やら済ませればいいわけだ。

じいじばあばにはいい運動になるし、孫は遊んでもらえるし、お互いに出かける口実ができて、シルバーパスってありがたい制度だ。「財源確保が大変かもしれないけど、廃止しないでほしいなあ」とダンナに言うと、「考えようによっちゃ、都の財政にとってもプラスだよ」とダンナ。出かけることで足腰は鍛えられるし、ボケ防止になるし、心身ともに健康なお年寄りが増えるわけで、結果的には病気が減り、医療や介護関連の支出が軽減される。さらに、お年寄りが出かけた先でお金を落とすようになるので、景気回復につながる。加えて、ベビーシッター効果も期待できるとなれば、出生率アップにも貢献するかもしれない。

2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ

ビリーズブートキャンプなるものを知ったのは、DVDの爆発的ヒットを受けてビリー氏が先月来日した際なので相当世間からは遅れているが、活字から情報を得るばかりで、映像はまだ見たことがなかった。今日、ご近所仲間のK邸を一家で訪ねたら、「見ます?」と言われ、拝見。この手の流行ものに飛びつかなさそうなK氏が、同僚の腹筋が割れたのを見て効果を確信し、購入したのだとか。「私もほんとに腹筋が固くなってきまして。まもなく6つに割れそうです」とK氏。早速ダンナがやる気を出し、テレビ画面のビリー氏とその生徒たち(皆すでに腹筋が割れている)とともにエクササイズ開始。5分も経たないうちに「ひ〜きつい〜」と音を上げはじめた。

傍で見ているたまは、筋肉を震わせながら上下左右に揺れ動くパパに興味津々。「もっとやれ〜」とけしかけているのか、「がんばれ〜」と激励しているのか、「おうおい」と言いながら手を振っている。ビリー隊長の檄よりも愛娘の声援のほうが発奮効果があるらしく、ダンナはそれから20分ほど持ちこたえた。K氏がところどころ早送りして、とくに効きそうなエクササイズを選んでくれたので、「きつい〜」の連発となった。

帰宅してからもDVDの内容を思い出し、たまをおなかに乗せて腹筋、背筋。もともと、たまは腹筋背筋を見るのが大好き。どうやら顔が近づいたり遠ざかったりするのが楽しいらしいのだが、「たまちゃん腹筋」と称してダンナがときどき筋トレと子守を兼ねてやっていた。その割にはビリーDVDでは早々にばてているので、たまちゃん腹筋で強化されるのは父娘の絆だけなのかもしれない。今のところ、わが家はビリー隊長にお出ましいただかなくても、へなちょこタマーズブートキャンプが相応のよう。年頃の娘になったたまが「パパ、おなかたぷたぷでかっこ悪〜い」と言い出す頃には、すでに懐かしグッズとなった大量のビリーDVDが破格で出回っているだろう。

2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』

ラジオな日々』の書評を新聞で見つけたとき、これは読まなきゃ、と思った。著者の藤井青銅さんは、わたしにとっては、NHK-FMで毎年恒例の「年忘れ青春アドベンチャー」の作者としておなじみの人。一年の出来事を笑いにまぶして振り返るこの企画のノリと勢いに舌を巻いていたのだが、いつデビューしてどんなものを書いてこられたかという作家としてのルーツは存じ上げなかった。

70年代の終わりに放送作家になった藤井氏が、80年代のラジオでどんな仕事をしていたかが活き活きと描かれた自伝的クロニクル。千本ノックを受けるがごとく書きまくり、少しずつ認められ、採用率がぐんぐん上昇し、80年代のラジオを書きまくる。デビューしたときからずっと書きまくっているのだが、ペンで道を切り拓いていくがごとく、書くことで出会いを呼び寄せ、新たな仕事を獲得し、活躍の場を広げていく過程には冒険活劇のようなスリルと躍動感がある。実名がバンバン登場し、エピソードは具体的で、目の前で「あの頃はね」よ語りかけられているような臨場感もある。

精魂こめて書いた脚本が、収録が終わったスタジオの床に散乱しているさまを、祭の後を眺めるように見ている若き日の藤井さんが目に浮かぶ。拾い上げら脚本の断片を見て、「そのゴミ捨てときましょうか」とアルバイトの女の子に声をかけられ、「ゴミ?」と引っかかる気持ちに深い共感を覚える。一瞬一瞬が刺激的だったに違いない「ラジオな日々」は藤井氏の記憶に新鮮なまま保存され、四半世紀の時を経て、熟練の筆に乗って見事に再現されている。ラジオに今よりもっと引力があった80年代を懐かしんだり、自分がラジオでデビューした頃を振り返ったりしながら読み、やっぱりラジオっていいなあと何度も思い、ラジオが聴きたくなったり、書きたくなったりした。

放送作家ならではのサービス精神なのか、ラジオドラマをどのように着想していたか、どんな直しを受けたか、といった手の内も気前よく明かされ、シナリオを勉強する人、とくにラジオを書いてみようという人には実用書になる。デビューするよりも作家として仕事し続けることのほうが大変、とはよく言われるけれど、書いたものが採用されるために藤井氏が実践したあの手この手の創意工夫は実に参考になるし、その意欲と情熱には大いに励まされる。

この本をこれから読もうかというときに、広告会社時代に机を並べていたアートディレクターで、今は独立してイラストや装丁を手がけている名久井直子さんとひさしぶりにメールをやりとりしたら、「最近やった仕事は『ラジオの日々』の装丁」と書いてあって、手元にその本がある偶然にうれしくなった。ぐいぐいと一気に読んでしまった読みやすさは、もちろん藤井氏の文章のなせる業なのだろうけれど、活字ひと文字ひと文字にこだわる名久井嬢のいい仕事も貢献していると思う。そういうわけで、今、すすめたくてたまらない一冊。

2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2007年08月02日(木)  ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』

ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』来日公演を観る。会場の渋谷東急bunkamuraオーチャードホールは、わたしの二本目の脚本映画『風の絨毯』を東京国際映画祭でワールドプレミア上映した思い出の場所。満席の客席には、お母さんと女の子という組み合わせが目立つ。夏休みの絵日記に今日のことを書くんだろうな。この物語の主人公は、元気いっぱいの高校生の女の子・トレイシー。彼女のパワーを受け止める肝っ玉母さんも登場する。

新聞で紹介記事を読んだときから、わたし好みのにおいがプンプンしていた。まず、「おチビでおデブでポジティブ」なヒロインが、自分の高校時代と重なった。一年のアメリカ留学で20キロの増量に成功し、150センチ足らずで60キロ余りというチビデブ体型を手に入れて帰国したとき、わたしは人生最高体重(妊娠しても記録は破られなかった!)にして、自己肯定度も人生最大に達していた。髪や肌の色の違いに比べれば体型の長い短い太い細いは誤差のようなものだったし、「あなたの肉付きって、とってもチャーミング」などと褒め上手なアメリカンのおだてにも乗り、おデブはおチビをキュートに見せるアクセサリーのようなものだと信じていた。身に余る体重と体脂肪が、過剰な自信のエネルギー源になっていた。

留学時代の実感が、「しっぽが生えたって自分は自分、しっぽは欠点じゃなくてチャームポイント」という映画『パコダテ人』につながったのだが、その発想は「人は見た目じゃない」という『ヘアスプレー』のメッセージにも通じる。ヒロインはジャックリーン・ケネディ顔負けの個性的なヘアスタイルが自慢で、誰が何と言おうと、これがいい、と信じて疑わない。そして、体型や髪型と同じように、肌の色が違ったって、みんなそれぞれいいじゃない、その違いで区別するのはおかしいじゃない、と訴える。彼女の主張の象徴のような存在感たっぷりなヘアスタイルを固めるための小道具が、タイトルにもなっている「ヘアスプレー」。身近なモチーフと人種差別というテーマの組み合わせの妙が興味深い。

わが道を行くヘアスタイルも、わたしの思い出と重なる部分があった。大学生の頃、何を思ったか「アフリカの赤ちゃんみたいにしてください」と美容院でオーダーしたら、パンチパーマとしか形容しようのない髪形にされてしまったが、「あなたらしい」「似合っている」という苦笑交じりの反応の言葉だけを鵜呑みにして、「こんな難しいヘアスタイルをモノにできるのは、わたしぐらい」だと妙な自信までつけてしまった。あの頃のわたしは今よりもずっと「自分は自分、好きなものは好き」がはっきりしていた。恥ずかしくもあり、眩しくもある。

そんなこんなで気になっていたら、招待券が2枚手に入った。観劇の友に誘ったのは、会社時代の後輩営業・ユカ。ニューヨークで歌とバレエを本格的にやっていた彼女なら喜んでくれるだろうという読みは当たり、「こないだニューヨーク行ったとき見逃しちゃって!」と飛びついてくれた。二人して体でリズムを取り、よく笑った。客席と舞台がひとつになった総立ちのカーテンコールは、もちろんノリノリで踊った。人種差別をテーマにしながらも決して重く暗くはなく、ネガティブを吹き飛ばすヒロインのポジティブパワーが強烈に伝わってくる。理不尽をひっくり返すのは理屈じゃなくて勢いなんだ、と歌とダンスの力強さに説得される。ハッピーがハッピーを呼ぶそのドライブ感が気持ちよくて、ビタミンカラーの水しぶき(スプレー)を吹き付けられたような元気と爽快感をもらった。

2002年08月02日(金)  「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」


2007年08月01日(水)  バランスがいいこと バランスを取ること

最近立て続けに読んでいる向田邦子さんのエッセイの一冊、『夜中の薔薇』に収められた「男性鑑賞法」と題した一編に「らしく、ぶらず」という言葉が出てきた。落語家の橘家二三蔵さんを紹介する中で、文楽師匠の言葉として登場するのだが、「落語家らしく、落語家ぶらず」ありなさい、ということらしい。家のつく職業同士ということで、「脚本家らしく、脚本家ぶらず」と置き換えてみると、なかなかしっくりくる。職人の腕や心意気は感じさせたいけれど、下手なプライドは持たないように気をつけたい。「らしく、ぶらず」の微妙で絶妙なさじ加減が求められる。

さらに、橘家二三蔵さんを「七分の粋と三分の野暮」と表現するくだりがあり、調理師の小田島実氏を取り上げた一編には「自信と謙虚」が同居するさまが描かれていた。足りないとなめられるけれど、過剰だと鼻につく。何事も押し引きのバランスが肝心だなあと感じる。ちょうど、少し前に紹介されて会った映像製作会社の方から「バランスのいい人」という第一印象を受けたと言われ、そんな風に見えているのか、とうれしくなった矢先だった。

ところが、今日の読売新聞の夕刊で原惠一監督のインタビューを読んで、はっとなった。「作り手であるがゆえにかかる病気」というくだりがあり、「面白くするためにみんなで知恵を絞らなくてはならないはずなのに、他のスタッフを納得させるのはどうしたらいいか、という考えになってしまう。その結果どんどん角が削れて平板になる」と語っている。自分のことを言い当てられたようで、新聞の前で背筋が伸びた。打ち合わせの席でのわたしは、テーブルを囲んでいるプロデューサーや監督を納得させることに気を取られ過ぎていないか。まず社内を説き伏せ、得意先を説得してはじめて視聴者にメッセージを届けられるという広告会社時代の「丸く納め体質」がしみついていないだろうか。120度ずつ違う方向を向いて収拾がつかなくなっているスタッフの意見を交通整理して、皆が納得するアイデアを出して喜ばれて、自分もいいことした気になる。でも、バランスを取ることが、作品にとっていいこととは限らない。誰が何と言おうとわたしはこれをやるんだ、こうしたいんだ、と突っぱねるものを持っていないと、作品は熱や勢いを失ってしまう。鬼から角が取れたら、ただの人間だ。「一人の頭のおかしいやつが突っ走って作った作品が持つ、一種の”いびつさ”」が映画の本当の魅力なんじゃないか、と語る原監督。まさにそうだと思う。

インタビューを読みながら、2002年の宮崎映画祭でお会いしたときの監督の印象を思い出していた。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』をひっさげて参加されていた監督は、『パコダテ人』で映画脚本デビューしたばかりのわたしの話に、じつに楽しそうに興味を持って耳を傾けてくれた。余計な気負いを感じさせず、ただ作品を作るのが好きだというまっすぐな気持ちが響いてきた。自分の作品をしっかり愛し、人の作品にも敬意を払える、「らしく、ぶらず」の監督だった。バランスのいい人が意見のバランスを取ることより自分の意志を貫いた場合、それは暴走とは受け取られないのかもしれない。そうして生まれた作品には、でこぼこやごつごつが均さずに残され、観た人の心にも引っかかりを残す気がする。そんなにおいが感じられる原惠一監督最新作の『河童とクゥの夏休み』を観なくては。

2002年08月01日(木)  日傘


2007年07月31日(火)  マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント

ダンボールハウスとほぼ時を同じくしてわが家に現れたもうひとつの家、娘のたまの11/12才誕生日を祝って建てられたクッキーハウスは、すぐに食べてしまうのが惜しくて、しばらく冷蔵庫に落ち着くことになった。子どもの頃、冷蔵庫の中に住んでいる小人を夢想したことがあったけれど、扉を開くたびに目に入る小さなお菓子の家は、その想像が現実になったような幸せな錯覚をもたらしてくれた。

「あまり長期保存すると、『冷蔵庫の味』がついてしまうかも」と施工したみきさんに言われ、28日の土曜日に解体することに。ダンナ父立会いのもと(先約があったダンナ母は前日に見に来た)、ビデオを構え、クッキーのかけらまみれになってもいいようにオムツ一枚になったたまの前にクッキーハウスを置き、「さあ、好きに壊していいよ」と促す。箱でも電話機でも壊しにかかるのが大好きなたまだが、「ダメ」と止められれば燃えるくせに、「どうぞ」とすすめられると尻込んでしまい、なかなか手を出さない。

しばらく見守っていると、屋根をなで、庭先のたけのこの里をひとつずつ取り外していく。口に入れる前に取り上げ、皿に移す。固めのクッキーをたっぷりのアイシングで固めた家は耐震構造になっていて、ドアはなんとかもぎとったものの、屋根と壁はちょっとやそっとたたいてもびくともしない。ゴジラよろしく家を持ち上げたたまが床に落としても、ひびも入らない頑丈さ。手ごたえがないと見ると、たまは飽きてしまい、ほとんど損傷のないまま15分ほどで解体イベントは終了した。

大人が無理やり屋根を剥がし、ばらばらにした家を食べた。幸い冷蔵庫の味はまだついてなくて、ぎりぎり噛める固さのハードクッキーは、建材とは思えないおいしさ。アイシングのついていない部分をたまにも分けると、口の中でじっくり溶かして食べていた。家一軒を食べ尽くすのは歯が立たないので、ダンナ父に半分持ち帰ってもらう。家のかけらを見ながら、ダンナ母に報告してくれたことだろう。

クッキーハウスはみきさんのダンナさんのお母さんがレシピと道具を提供し、みきさんの実家がオーブンを貸し、両家のお母さんを巻き込んだ騒ぎになっていたと聞く。ちょうど8月1日で結婚一周年を迎えるお祝いのパーティで両家が集まった席で、11/12才会のことを報告したとのこと。ダンナさんのお母さんからは、「素人にしては、屋根の角度を欲張り過ぎ、もう少し鈍角にしても良かったかも」とアドバイスがあり、「次回は、もっと生地も薄く焼いて重量を減らし、もう少し角度の優しい屋根にしたいと思います!あと、冬っていうか、やっぱり暑くない時期に作るほうが良いかもですね、成形段階の生地もすぐフニャフニャしちゃうし。そしたら、きっともっとベッピンさんになるはず」とみきさん。そうすれば、壊し甲斐のある家になるかもしれない。たまがお手伝いできるようになったら楽しいだろうなあと想像する。

2000年07月31日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)

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