2007年04月19日(木)  焼きたてのパンのにおい

わたしの書くものには食べものがよく登場する。食べることが好きだから、つい登場人物にも何か食べさせたくなる。好きな食べもの、思い出深い食べものを好んで書く。映画『子ぎつねヘレン』とドラマ『快感職人』第五話で登場させたパンは、とくに思い入れのある食べもの。子どもの頃、母親と一緒にパンをつくるのは、どんな遊びよりも楽しかった。パンだねの手ざわりとあたたかさ、部屋いっぱいに広がる焼きたてのパンのにおい、思い出すだけでしあわせな気持ちになる。『快感職人』では、パンのぬくもりを体温のぬくもりに重ね、リストカットを繰り返していた少女が援助交際をやめ、パン屋でバイトをはじめるストーリーにした。

去年、オーブンレンジを買い換えたとき、決め手になったのは「PAM発酵」「かんたんパン」というボタンがついていたことだった。「パンが手軽に焼けます」とビックカメラの店員さんに言われ、ひさしぶりにパンを焼いてみよう、と思った。そんなことをすっかり忘れるほど、子育てでばたばたしていたのだが、保育園がはじまって少し時間にも気持ちにも余裕ができ、パン焼き機能の出番となった。昔は車の中やらこたつの中やらパンだねの入ったボールをあちこちに運んで発酵させたものだけど、レンジでふくらむとは便利。おまけにレシピもとっても簡単。ビニール袋に強力粉と塩と砂糖とドライイーストをまぜ、溶かしバターに水を加えたものを流し込み、しっかりこねて一次発酵、成形して二次発酵、そのまま「かんたんパン」ボタンを押せば、温度も時間も勝手に調節して、いい感じに焼き上げてくれる。こんなに手抜きでうまくいくのか、とおっかなびっくりだったけど、ちゃんとふっくらもちもちして、思いのほかおいしい。固くなってしまったチーズ、ぜんざいを作る前に冬が終わってしまったゆで小豆など、これどうしましょうな食材をくるんだアレンジパンも、いける。こしょうとごまと松の実とバジルソルトを混ぜ込んだパンは、肉料理のおともにぴったり。オリーブオイルをつけて食べてもおいしい。焼きたてのシズル感と「うちで焼いたパン」という特別感がお客様にも受ける。

焼きたてのパンのにおいに包まれていると、学生時代にバイトしていた老舗のパン屋さんのことを思い出した。休憩で出されるパン目当てにバイトをはじめたのだけど、一日に菓子パンを6個食べたこともあり、食べすぎで一気に太った。バイトは若い子たちばかりで和気藹々としていて、妙に楽しかった。何より、メロンパン(その店では「サンライズ」と呼んだ)やフランスパンやホテルブレッド(MKタクシーがホテルへ届けるパンをお迎えに来ていた)やドーナツ、いろんなパンのにおいが混じりあった中で調理パンを袋に詰めたり、レジを打ったりする時間は、時給に換えられないぜいたくを味わわせてくれた。できることなら卒業するまで働かせてもらいたかったのだけど、「また応援団の合宿で一週間休みます」と告げたら、「その後もずっと休んでいいよ」とクビを言い渡された。応援団活動を優先させるくせに、食い意地だけは人一倍なわたしは、雇い主にとっては手の焼けるバイトだったと思う。今もあるのかな、京都の山田ベーカリー。

2005年04月19日(火)  ありがとうの映画『村の写真集』
2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g


2007年04月18日(水)  マタニティオレンジ107 子どもの世界の中心でいられる時間 

ここ数日の大きな変化。保育園に通い出した娘のたまが、人の顔をじーっと見て、知っている人と知らない人を区別するようになった。毎日会う保育士さんには「知ってる知ってる」という顔をし、初めての保育士さんには「知らない」という目を向ける。そろそろ人見知りが始まったのかもしれない。そして、わたしのことも、はっきりと認識し、他の人たちと差別化している。保育園へ迎えに行っても知らんぷりでおもちゃに夢中になっていたのが、わたしの姿を見つけると、ぱっと目を輝かせるようになった。まだ言葉を話せない子どもが、瞳を見開き、両手を広げ、「ママ!」とまっすぐに訴えてくる。この子に母親として認められつつあるんだ、とうれしさと誇らしさがこみあげる。一日中離れていても、ちゃんと覚えていて、とびきりの笑顔を見せてくれる。なんてけなげな、愛しいヤツ。「やっぱりママがいちばんなのねえ」と言いながら、保育士さんが引き渡してくれる。

思い出したのは、数週間前に読んだ新聞記事。4才と1才になる幼い兄弟を置き去りにして、交際相手の家へ向かった女性がいた。1才の弟は餓死してしまったけれど、4才の兄は生ゴミや冷蔵庫の調味料で飢えをしのいで生き延びた。そして、ひと月ぶりに姿を見せた女性に飛びつき、抱きついたのだという。このくだりを読んで、わたしは「えっ」と不意打ちを食らった。同じシチュエーションを脚本に描いた場合、「ぐったりと弱りきって動けない男の子」や「心を閉ざし、母親に背を向ける男の子」を思い浮かべただろうが、「抱きつく」は思いつかない。死んだ弟と二人きりの閉ざされた家の中で命をつないでいた兄は、そんな状況にあっても、なのか、そんな状況だからこそ、なのか、母親を待ち続けていた。母親にとっては子どもが世界のすべてではないけれど、幼い子どもにとっては母親が世界なのだ。置き去りにした女性は、それが重かったり煩わしかったりしたのかもしれない。彼女が家に戻ったのは、子どもが心配になったからではなく、荷物を取りに帰るといった個人的な理由だった。とっくに死んでいると思っていた息子が生きていたことに、彼女は驚いたそうだ。記事にはそこまでしか記されていなかったけれど、抱きついた子どものあたたかみと重みを受け止めた彼女の中で、眠っていた「母親」が目を覚ましたかどうか、気になっている。

間もなく8か月になるたまは、これから言葉を獲得し、歩くようになる。「ママ、ママ」とつきまとい、追い回すようになる。だっこさえしていればごきげんな今とは違い、「やだ、やだ」とだだをこねたり、あれしたいこれしたいと主張したり、やっかいな生き物になっていく。そうなったとき、わたしにも、娘を煩く思うことがあるかもしれない。娘が生きている小さな世界に占める母親の大きさを忘れないようにしたい。子どもの世界が広がるにつれ、お母さんの存在感はどんどん小さくなっていく。全身で、全力で頼られるのは、とても短い時間のことなのだと思う。

2005年04月18日(月)  日比谷界隈お散歩コース


2007年04月17日(火)  作詞をしませんか

「作詞を引き受けていただけますか」と音楽制作を請け負う会社より問い合わせがあり、会うことになった。食品ソングなどを手がけている会社で、『冷凍マイナス18号』からわたしにたどり着いたそう。具体的な話はまだなく、何か動きがあれば声をかけます、ということで、今日は顔合わせのみ。食べることは大好きだし、作詞ももっとやっていきたいので、食品ソングだったらよろこんで、と答える。歌詞の開発のためにはまず味を知ってから、なんて言って、おいしいものにありつけたりするんだろうか。楽曲はJASRAC登録し、著作権使用料を保証してくれるという。PRソングの類はCDを無料で配るケースが多いが、「無料配布CDでも著作権使用料が支払われる」ケースがあることをはじめて知る。有料の場合とは違う計算法があるらしい。

自分のサイトを持っていると、脚本だけでなく、作詞の仕事まで向こうからやってくる。せっかくだから、これまでに作詞を手がけた作品をまとめておこう、といまいまさこカフェにページを作った。メニューバーのwordsからどうぞ。

2005年04月17日(日)  ティッシュちりぢり映画『コーラス』


2007年04月16日(月)  祖師ヶ谷大蔵で小さな旅

聞いたことはあるけど、行ったことはなかった街、祖師ヶ谷大蔵へ仕事で行く用ができた。昨日鎌倉で感じたことだけど、日常を過ごしている街から出て他の街を訪ねることは、それだけで立派な旅になる。行ったことのない街ならなおさらだ。

待ち合わせより一時間ちょっと早めに駅に着き、「キヨビスカ」という自然食レストランでランチ。素朴というか質素というか、素材勝負の野菜中心のおかずが並ぶ。華はないけれど体には良さそうだ。200円プラスでごはんを「アドボ丼」に変更。持ち前の思い込みで「アドボ丼=アボカド丼」だと決め込んでいたのだけど、肉を煮込んだようなもので、これまた茶色く、地味。アボカドをわざわざアドボと呼んだりするわけないか。でも、アドボって何だ? 隣のテーブルでは大学生のカップルが就職活動の話。彼女が面接用の自己紹介を彼氏に聞かせると、「バカっぽくね?」と彼氏。でもわたしは、「わたしはわたしが大好きです!」という謙遜のないバカ正直さに好感。店を出るとき、ベーコンとチーズの入った手作りイングリッシュマフィンを買う。

お昼を食べ終わっても、まだ40分ほど時間が余っている。キヨビスカの向かいに雰囲気のいいティールームを見つける。店の前に出た看板は紅茶とスコーンに自信ありと語っている。明日の朝食用にスコーンを買って帰ろう、と店をのぞくと、「これから焼くので17分ほど待ってもらえます?」とカウンターの奥の女主人。それなら自慢の紅茶を飲みながら待たせていただきましょう。小さなお店には、先客の女性が一人。「あら、面白い服」と裾に鍋敷きみたいな刺繍の花をぶら下げたわたしのスパッツに目を留める。「近くで見せていただいていい?」と席を立ち、わたしの足元まで来てかがみ込み、手を伸ばして興味津々。「ご自分でなさったの?」「いえいえ。買ったときにはついてました」「へえー。初めて見たわ」「大阪の人がデザインしてバリで作っているという服なんです」「わたし、刺繍やるの。今度、自分の服にやってみようかしら」。そんな会話を交わすうちに打ち解けて、女主人も加わって三人で話が弾み、「この街もずいぶん変わったのよ」「この店はできて8年になるの」「向かいのお好み焼き屋がおいしいのよ」などと地元話を聞いているうちにスコーンが焼きあがった。せっかくなので、持ち帰り用とは別に焼きたてをいただくことに。粒々した食感で、添えられたクリームとロイヤルミルクティーによく合う。「人の縁って面白いわね。わたしがあなたの服を見て声をかけなかったら、どういう人だか知らずにすれ違っていたんだものね」と先客の女性。看板が気になってドアを開けたのは、出会いが待ち受けている予感があったせいかもしれない。お店の名前はティーベル(Tea Belle)といった。

2005年04月16日(土)  オーディオドラマ『アクアリウムの夜』再放送中
2002年04月16日(火)  イカすでしょ。『パコダテ人』英語字幕


2007年04月15日(日)  鎌倉で大人の休日

鎌倉にある友人セピー君のセカンドハウスを一家で訪ねる。電車を乗り継いで一時間ちょっとの旅。生後236日目のたまにとっては、はるか遠くに感じられる距離かもしれない。北鎌倉のおばあちゃんちを訪ねたことはあったけれど、海を見るのは初めて。波しぶき、砂浜、波の音、潮の匂い、未知の刺激がいっぱいだ。

江ノ電を降りると、セピー君がお出迎え。駅前のハワイアンカフェでグァバジュースを飲みながら、逆方向の藤沢から江ノ電でやってきたテスン君とユキコさんのカップルを待ち、合流。たまの12分の7才を祝ったメンバーだ。セピー君行きつけのトルコ料理店で海を見ながらランチ。魚のケバブを初めて食べた。

「これから何したい?」とセピー君が挙げてくれたオプションからピクニックを選ぶ。極楽寺という小さなお寺で一本桜を冷やかした後、極楽寺から江ノ電にひと駅揺られて稲村ヶ崎へ。海浜公園でレジャーシートを広げ、シャンパンといちごとチーズとパテを楽しむ。シートのはしっこで、たまがハイハイの練習をしている。子どもと一緒に大人の休日。とても贅沢をしている気持ちになる。空をゆったり旋回するとんびは、地上の宴のおこぼれを狙っているらしい。膝枕で昼寝のカップル、大型犬を散歩させる人、よちよち歩きの男の子の手を引くお父さん……海のそばは時間がゆったり流れて行く。

テトラポットを見下ろす海沿いの遊歩道を歩いて戻り、セピー君が腕をふるって、日の高いうちから早めの夕食。あさりのワイン蒸し、バジルバターで味つけしたエスカルゴ、バルサミコとしょうゆのソースが絶品のステーキ。テーブルにはキャンドルが揺らめき、窓の外は夕焼け色から少しずつ夜の色になっていく。チャイコフスキーに合わせて、ほろ酔いのユキコさんがバレエを踊る。見ているたまが喜んで両手を振り回す。いい光景だなあ、とわたしは夢見心地になる。線路でつながっているけれど、東京の日常とは切り離されたような浮世離れした感覚がある。日帰りでも、こんなに遠くへ運ばれることができるんだなあ。帰宅して布団に入ってからも、遠足帰りの小学生みたいに気持ちが昂ぶって、「楽しかったあ」「また行きたいなあ」を繰り返していた。

2005年04月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!
2002年04月15日(月)  イタリアンランチ


2007年04月14日(土)  京都の青春

7月に二人目の女の子が産まれた大学の同級生夫妻の一家と新宿三丁目の東京大飯店で飲茶ランチ。ここは子ども用椅子もあるし、おむつ替えシートもあるし、飲茶のワゴンが行き交って適度にがやがやしているので、子連れには打ってつけ。今日は初めてお会いする同窓で来月に第二子出産を控える夫妻の一家が加わり、総勢大人六人、子ども二人、乳児二人、おなかの中に一人というにぎやかな円卓となった。飲茶は大勢でつつきあうのが楽しい。

学生時代を過ごした京都の話題になり、懐かしい定食屋や喫茶店の名前を挙げながら、どの辺りに下宿していたかを説明しあう。「そういえば、あれ読んだ?」と『鴨川ホルモー』と『夜は短し歩けよ乙女』のタイトルが挙がる。どちらも京都が舞台の青春もの。わたしは、あちこちで激賞されていた『鴨川ホルモー』を楽しく読んだばかりだけど、『夜は〜』も傑作なのだそう。自分が知っている地名が出てくる物語には親近感が湧くし、ましてや青春ものとなれば、自分の甘酸っぱい思い出と重ねて、それだけで点が甘くなってしまう。でも、どちらもよく売れているということは、京都に土地勘や思い入れがない人にも支持されているらしい。「京都と青春は相性がよろしい」のかもしれない。

2005年04月14日(木)  マシュー・ボーンの『白鳥の湖』
2002年04月14日(日)  おさかな天国


2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 

4月4日から毎日少しずつ時間を延ばして保育園に慣れさせてきた「慣らし保育」が本日で完了。来週からは、延長保育なしでめいっぱい預けられる18時15分まで預けられることになった。朝は7時15分から保育を受け付けているけれど、わたしは朝いちばんの打ち合わせでもたいてい10時以降なので、9時頃に預けに行く。約9時間の保育となる。9時間あれば、ハシゴで映画三本観られる。DVDなら四本いける。打ち合わせも短いものなら三本入れられる。子どもを抱っこしていると、どうしても子どもに意識が集中してしまうけれど、一人で街を出歩くと、なにげないネタが目に留まったり耳に入ってきたりしやすくなる。
店員「当店ではサービスでイニシャルをお入れできるんですが、お名前をうかがってよろしいでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
店員「そうしますと、イニシャルがT.T.となりまして、どちらが苗字でどちらが下の名前かわからなくなりますが、よろしかったでしょうか」
客「(ぼそぼそ)」
声の小さなお客さんは何と答えたのだろう。しょうがないですね、だろうか。どうしろっていうんですか、だろうか。

仕事はなるべく保育時間内に納めて、子どもと過ごせる時間は、子どもと向き合うことに使いたい。いくつかの仕事の依頼を断った。今までなら「徹夜してでもやります」と引き受け、よっぽどのことがない限り断ることはなかった。でも、今は少し余裕を残しておくぐらいの仕事量にとどめようと思っている。やっぱり受けとくべきだったんじゃないか、と後悔したり、もう声をかけてもらえないかもしれない、と不安になったりはする。けれど、母親という役割をいちばん大切にしたい。

保育園に通わせることで、増えてしまう仕事もある。名前付けは入園で一段落したけれど、園との連絡ノートは毎日書かなくてはならない。睡眠時間や食事の内容、気づいたことなどを保護者が記し、保育士さんは園での様子や気になったことを記す。手間と時間は取られるけれど、これはこれで交換日記のようで楽しい。後から読み返せる成長記録にもなる。週末ごとの布団カバー取替えをはじめ、洗濯物は倍増。すぐに洗って乾かさないと間に合わない。保育園に預けたらほったらかしでは……どころか、家にいるよりよく面倒を見てくれ、少しでも汚れたり汗をかいたりしたら、着替えさせてくれる。おむつもこまめに替えるので、やたらと減りが早い。家にいるときは「まだいける」とおむつが重くなるまで持たせたりしていたが、さすがに「おむつがもったいないので、ケチってください」とは言えない。さらに、こんなときだけくじ運の強さを発揮して保護者会の役員になってしまった。甘く見ていたら、けっこうやることがたくさんある。ひと月からふた月に一度の役員会に出たり、通信を書いたり。わたしは会計を務めることになったので、会費の徴収やら会計報告やらをしなくてはならない。ひさしぶりに書くコピーが「会費納入のお願い」のプリントとは。どうやったら会費納入率が上がるか、元コピーライターとしては工夫したくなる。カラーの紙に印刷してはどうだろう、会費を投函するポストまわりにPOPを立てようか、などと考えている。

早寝早起きになり、家族以外に「おはよう」「行ってきます」と挨拶することが日課になった保育園通いは、わたしの生活に大きな変化をもたらしたけれど、7か月半の娘のたまにとっては、生まれて以来の大事件と言っていい。新しい環境の中で、はじめて会う先生や同級生に囲まれて、違う国に引っ越したような刺激を受けているに違いない。わずか8日間の保育園通いで、ハイハイも離乳食の食べっぷりも飛躍的に進化した。連絡ノートには、家では見たことのないたまの姿が綴られている。おもちゃのピアノを得意げに弾いていたり、トンネルくぐり遊びに夢中になったり。他の赤ちゃんに興味津々で、ハイハイで近寄っては手を伸ばして触っているらしい。「たまちゃんは人が好きみたいですよ」と保育士さん。病気はもらわず、いい影響だけ受けて欲しい、と親は調子のいいことを願っている。

2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー


2007年04月12日(木)  『ドルフィンブルー』と『ヘレンケラーを知っていますか』

今日は映画を二本。映画を観るのも仕事。ママズクラブシアターでの子連れ鑑賞もいいけれど、子どもを預けて作品に集中して観られるのはありがたい。まず、午前中は松竹試写室にて『パコダテ人』の前田哲監督の新作『ドルフィンブルー』。病気で尾びれを損傷したイルカに人工尾びれをつけるという実話から生まれた作品。主役のイルカ・フジをモデルとなった本人(本イルカ)自ら演じ、今もフジが暮らす沖縄美ら海水族館が実名でロケ地として使われ、人工尾びれ再生プロジェクトに関わったブリジストンも実名で登場。ドキュメンタリーのようなリアリティと映画ならではのフィクションのストーリーがうまく絡み合って、切実さとかわいらしさをあわせもった愛せる作品に仕上がっている。驚いたのは、イルカの演技力。表現力と呼んだほうが正しいだろうか。何かを語りかけるような豊かな表情、流線型のボディが描くなめらかで優雅な軌跡、泳ぐさまも宙を舞う姿も実に絵になる。ずっと眺めていたいぐらい、見ていて飽きない。正直、ここまでイルカに引力があるとは思っていなかった。

イルカに限らず、一生懸命に生きている命って美しいということに気づかせてくれるのが、この作品。尾びれを失って「浮いているだけ」のフジを何とかしてやりたい、と奔走する新米獣医(松山ケンイチさんが熱演)や、その熱意に応えようとするブリジストンの開発者(田中哲司さんの演技とは思えない演技に、「本物?」と思ってしまった)、ときには喧嘩もしながら尾びれプロジェクトを支える水族館の館長(山崎努さんが実に楽しそうに演じている)やスタッフたち(池内博之さん、坂井真紀さん、利重剛さん。この三人もなりきってます)……それぞれがプライドを持って自分のやるべきこと、できることに取り組む姿を見て、命は張り切っているときにひかるんだなあと思った。水族館を囲む風景も音楽も、交わされる言葉も、全編に美しい空気が満ちて、観ているうちに気持ちがまあるくなってくる。イルカのつるんとした背中みたいに。『パコダテ人』の脚本作りをしていたとき、前田監督が「動物映画で成功する、と占い師に言われた」と話していた。「動物映画じゃないけど、しっぽが登場するから、パコダテ人のことを予言したのかも」とそのときは思ったけれど、占い師が見た未来には、イルカが映っていたのかもしれない。

前田監督は女優さん、とくに少女を魅力的に撮るのがうまいと思う。フジに自分を捨てた母親を重ねている不登校の少女ミチルを演じる高畑充希さんは、この作品が映画デビュー作の15才。心を閉ざした役なので台詞は最小限だし、怒ったようなすねたような「笑ったらかわいいんだろうなあ」という表情が続くのだが、それゆえラストの台詞と表情がしあわせな余韻となって残った。主題歌『大切なもの』でデビューする「みつき」さんとは写真を見ると同一人物なのだけれど、プレス用パンフにもそのことは記されていない。女優としても、歌手としても、これからの成長に注目したい。

もうひとつ、前田監督らしいと思ったのが、エンディングのクレジットロール。フジをはじめ出演しているイルカ全員(全頭)の名前が連なり、地元のエキストラ出演者の名前も『パコダテ人』に負けない行数でしっかり刻まれている。同じ苗字が五人も六人も続くのは家族だろうか。大家族が多い沖縄ならでは。プレス用パンフの出演者のコメントには、「この作品に関われてよかった」という思いがあふれている。とても雰囲気のいい現場で、前田監督が伸び伸びと撮っているのが目に浮かぶよう。自信を持ってすすめたい作品で、自分のことのようにうれしくなる。松竹の制作部に顔を出し、「キツネもすごいけど、イルカもすごいですよ」と宣伝。公開は2007.7.7と7づくしの日。

距離にして数百メートル移動して、午後は銀座シネパトスにて『ヘレンケラーを知っていますか』。「実在の人物をもとにふくらませた作品」だと新聞で紹介されていて、興味を持った。うろ覚えなのだが、母親と暮らしていた中途盲聾障害者の女性が、母親の死によって、山奥に隔離され、不自由な暮らしを余儀なくされたというようなことが書かれていた。その女性の境遇を知った怒りが作品の出発点なのだという。小林綾子さんが一人で十代から78歳までを演じるヒロインにはモデルがいるわけだ。どこまでが実話に基づいているかはわからないが、実在の人物の半生を見るつもりで作品を観た。目も見えず耳も聞こえない人生がどういうものか、想像で推し量るしかないけれど、まわりに人がいて、何かが起こっていても、自分に触れてもらえなければ蚊帳の外に置いてけぼりになる。「わたしの孤独がわかりますか」と教室で先生やクラスメートに訴える主人公の叫びが、胸に突き刺さった。

盲聾者のために「触手話」なるものがあることも初めて知った。相手の手話を触って確かめる。触れた手から伝わるものは意味だけではないだろう。わたしは小学校六年生の必修クラブで手話を習ったのだけど、四半世紀前に週に一度かじっただけなのに、劇中で使われた手話のほとんどに覚えがあった。体で覚えた記憶は深く刻みつけられるのだろうか。あらためて手話を学んでみたい気持ちになった。上映後にはロビーで熱く手話で語り合う聾唖者グループの姿があった。この作品に限らず、字幕つき上映が広がれば、当たり前の光景になるのだろう。

2002年04月12日(金)  背筋ゾーッ


2007年04月11日(水)  ロバート・アルトマン監督の遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

テアトル銀座にて『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を観る。原題は『A PRAIRIE HOME COMPANION』。劇中にも登場するラジオ番組の名前で、この公開番組の最後の放送日のスタジオを舞台にした群像劇になっている。作品をすすめてくれたご近所仲間で映画通のT氏によると「これは実在のラジオ番組で、この番組の司会者兼製作者であるギャリソン・キーラーが自ら脚本を書き、アルトマンに企画を持ち込んだ作品。(映画のストーリーは勿論フィクション)」とのこと。番組司会者に妙なリアリティがあると思ったら、それがギャリソン・キーラー氏。役名は「ギャリソン・キーラー」で、本人が本人を演じている。司会をしながら歌も歌い、生コマーシャルのような感じでCMをさりげなく入れて歌につなげたりする。番組に出演するミュージシャンはくせものぞろいで、個人的には万段風に下ネタを連発するカーボーイ・デュオのお下劣さが気に入った。

ラジオ好きなわたしにとっては、手作り感と人間くささのあふれる番組の雰囲気を味わえるだけで幸せな作品。映画を観ているというより、自分も公開スタジオの観客の一人になっている感覚。楽屋での出演者の会話も、脚本に書かれた台詞をしゃべっているというより、いつもの何気ないおしゃべりのようなライブ感があり、これまたドア陰で立ち聞きしているような気分になった。映画の中では歴史を閉じてしまったラジオ番組『A PRAIRIE HOME COMPANION』は健在。実際の放送も聞いてみたい。

番組の進行と並行して、謎めいた美女が絡み、ちょっとしたサスペンスが展開する。謎解き的な面白さとは違うけれど、「一方、こちらでは……」というオンステージとバックステージの配分が絶妙で、最後まで飽きさせない。深みと奥行きを感じさせる映像の美しさにも引き込まれたが、カメラはT氏がこのところ贔屓にしているエド・ラックマン。T氏が入れ込み、ご近所仲間に勧めまくっているトッド・ヘインズ監督の『エデンより彼方に』の撮影もこの人だそう。「これが遺作なんて出来すぎ」とT氏。アルトマン監督の名前は聞き覚えがあっても、何を撮った人かは思い出せないわたし。プロフィールを見ると、「米アカデミー賞で史上最多の五度ノミネート」とある。挙げられた五作品のうち、『ショート・カッツ』だけは観たことがあった。「映画のお仕事されているんですから、勉強してくださいね」とまたT氏にお叱りを受けそうだ。

2004年04月11日(日)  日暮里・千駄木あたり
2003年04月11日(金)  ちょっとおかしかった話
2002年04月11日(木)  ネーミング


2007年04月10日(火)  マタニティオレンジ105 産後の腰痛とつきあう

応援団時代の後輩かじかじ君のお嫁さんが訪ねてくる。8月にはじめての出産を控え、マタニティオレンジを読んで予習しているのだとか。かじ嫁さんにも、昨日会った6月出産予定の元同僚G嬢にも、ひと足お先に産んだわたしは先輩風を吹かせて、おすすめのグッズを紹介したり、トラブル対処法をアドバイスしたりしている。これまでは「出産後、けっこうすぐ遊びに出かけたよ。家にこもってると退屈だし」などと得意げに話していたのだけれど、最近は、「産んでしばらくはおとなしくしてたほうがいいみたい」と言うようになった。そのうちおさまるだろうと思っていた産後の腰痛が一向に良くならず、半年以上経ってもまだ残っているのだ。もともとわたしは腰痛持ちではなかったし、明らかに妊娠・出産の置き土産なのだが、産後調子に乗って無茶をしたツケだと思われる。

助産院での一週間の入院を追えて帰宅した二日後、母に子守を頼んで映画を観に行った。『あの子を探して』が近所の三百人劇場のスクリーンでかかるとあって、これは是が非でもと駆けつけたのだが、二時間を越える上映の最後のほうは座っているのが限界なほど背中から腰が疲れた。自分のペースでやりたいから、と母には一週間で大阪に帰ってもらい、首のすわらない新生児を抱きかかえて買出しに行かけた。通りすがりの年配のご婦人に「こんな重いもの持ったら、後で響くわよ」と声をかけられ、「鍛えてますから」と威勢よく答えたが、ご婦人の心配は予言となって見事的中。今頃になって「ひと月は寝てろというのはほんとだったか……」と悟っても、後の祭り。

腰痛に効くという温熱シップやスポーツ用テーピングなどを片っ端から試したけれど、効果なし。もぐさを燃やす赤外線でリンパの流れを良くするという療法に最近通い始めた。ここは、手の空いた人が子守りを引き受けてくれ、わたしが施術を受けている間、ずっと抱いていてくれる。整体やマッサージを受けようにも、子連れだとなかなか行き辛かったので、これはありがたい。リラックスすることだけに集中できる一時間は、横たわっているだけでも体に溜まった疲れが和らいでいくよう。わたしの体を触診した施術者は「むち打ちになったことあります?」と聞く。それほど首の後ろが板のようにパンパンに腫れているのだという。「首は痛くなくて、腰なんですけど」と言うと、「首はあまりにひどくて痛みが麻痺しているんです」。実際、施術後は首の後ろの痛みを自覚するようになった。とにかく、腹筋はぶよぶよで全然戻っていないし、体は冷えているし、満身創痍の状態だと脅される。かえすがえすも自分の体力年齢を過信した無謀な産後生活を反省。

もぐさ療法のおかげ(?)で、今は首から腰までが痛みベルト地帯となっているが、子どもが起きているときはだっこ、寝ているときは座りっぱなしでパソコンを打つ生活は、傷口に塩を塗りこむようなもの。せめて体への負担を少なくしよう、とスリングを卒業し(娘が軽いうちは良かったけれど、8キロ級になると肩が凝る)、たて抱きできて両手が空くだっこひもに。さらに、中のウレタンがすっかりスカスカになっている椅子の張り替えを検討。「ウレタン」を検索していたら、椅子生地の中のウレタンではなく、低反発ウレタンを使ったクッションを見つける。介護用品を扱う
セラピーショップ
の「車椅子専用クッション」で、「良好な体圧分散性 高密度でありながら低硬度のウレタンフォームを使用していることから体圧分散性が良好です長く座った時の疲労を軽減」と説明がある。車椅子に座りっぱなしでも疲れないというのは説得力がある。加えて、一枚7000円という0ひとつ多い強気な値段にも自信がうかがえ、購入。確かに座り心地は飛躍的に向上。映画館や劇場でも、椅子が悪いとすぐにおしりが痛くなってしまうけれど、このクッションを持っていけば快適かもしれない。

腹筋をはじめ筋力が落ちているから首やら腰やらに負担がかかっているらしく、筋力を鍛えることが腰背筋首痛の回復を助けるという。歩くときはおなかに力を入れ、たまをあやしがてら足の間に挟んで腹筋に励んでいるが、果たしていつまで産後のツケを払わされるのやら。もはや産後ではない、と思っていたのに……。

2004年04月10日(土)  大麒麟→Весна(ベスナー)
2002年04月10日(水)  なぞなぞ「大人には割れないけど子供には割れる」

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