2003年09月17日(水)  Virginie Dedieu(ビルジニー・デデュー)

■フランスから来日中のシンクロ選手、ビルジニー・デデューさんが顔見せのために来社。まずは2003世界水泳・バルセロナでソロ金メダルを獲得した「芸術点オール満点の演技」をビデオで鑑賞。技の完成度といい、しなやかな動きといい、豊かな表現力といい、完璧。ソロはオリンピックの正式種目でないのがもったいない。シンクロにはつきものの鼻栓をしないことでも知られる彼女、鼻に水が入って息苦しくなったことはなく、鼻や耳の炎症に悩まされたこともないとか。(フランスでは「鼻が悪くなければ耳、耳が悪くなければ鼻、どちらかが悪くなる」と言うらしい)。恵まれているのは身体だけではなく、類まれな美貌の持ち主。広告業界が放っておくはずはないが、映画からもオファーがあったそう。ただし本人は演技することにはあまり興味がないようで、「広告出演で世界を広げたい」意向のよう。■長い手足を活かした演技からは大柄な人を想像していたが、身長164センチと日本人にも親しみやすいサイズ。「ピチェンヌ(おちびちゃん)」と呼ばれる小柄な体に秘めたパワー。顔には知性があふれている。大学では建築を学んでいて、絵を描くのが好き。ふだん持ち歩いている手帳は、町の風景や建物や人物など味わいのあるスケッチで埋めつくされていた。「水の女王」でありながら、それだけにとどまらない。アスリートでありアーティストである彼女は「"possibility"の人」。名前のVirginie Dedieuはフランス語で「聖なる神」を意味するのだそう。■集まった社員は興味津々。次々と質問が投げかけられた。「ソロの振り付けは自分で考え、コーチにチェックしてもらった。曲を聴いていると自然にイメージが浮かんだ」、「演技のときは、いつものメイクをちょっと濃い目にするだけ。でも落ちない」「水に長時間入ると肌が乾燥しやすいので、気をつけている」など興味深い話を聞けた。世界陸上のおかげで、日本での知名度はフランス以上。シンクロ人気は日本のほうが上だし、フランスには日本のような大型ビジョンもないし、とのこと。今回の来日ではサインを求められることも多かったとか。話し方は落ち着いていて、年齢以上に大人っぽい印象を受けた。個人的にも心ひかれる人だった。

2002年09月17日(火)  宮崎映画祭『パコダテ人』上映と手話


2003年09月16日(火)  『冷凍マイナス18号』キャンペーン開始


■日本冷凍食品協会の『冷凍マイナス18号』キャンペーンがはじまった。キャンペーンの顔は、冷凍食品ソング『冷凍マイナス18号』とキャラクター『冷凍マイナス18号ファミリー』。作詞・キャラクター開発から関わっているので、成長したわが子の巣立ちを見守るような気持ちになっている。これから10月18日の『冷凍食品の日』に向け、各地の冷凍食品売場で歌が流れ、新聞広告や駅貼りポスター、ネット広告などが世の中をお騒がせしていく予定。今日編集を終えた30秒CMも間もなくCSでオンエア開始。キャンペーン期間は10月31日までとなっているけど、打ち上げ花火に終わらず、歌とキャラを育てていきたいと考えている。■先週金曜(12日)午後に立ち上がったキャンペーンサイトの制作は、大阪を中心に活躍されている永野デザイン室さん。時間がない中でのハードな作業にもかかわらず、楽しみながら作ってくださったのが伝わるサイトになった。オープニングのフラッシュアニメは何度見ても楽しいし、キャラクター紹介もかわいくできている。映像つきCDと飛び出す絵本目当てにアクセスした人も、ついつい長居してしまうのでは。アクセスは金曜中に3桁になり、月曜に4桁になり、本日火曜に2000突破。マスコミへのリリースは流れだしたばかりで記事や番組には取り上げられていないし、広告もこれからなので、今のところは口コミでアクセスが増えている様子。あとひと月半でどこまで数字が伸びるか、楽しみ。アクセスは日本冷凍食品協会のトップページからどうぞ。


2003年09月14日(日)  ヤッシー君、地震を吹っ飛ばす!

来るかもしれない地震に備えて、昨日は朝から大掃除。資料と衣料が地崩れを起こし、すでに地震後のようなわが家を地震前状態にしなくては。

「すて奥」作戦でワイングラスやら香水瓶やら家中のあらゆるガラスを花瓶にしてしまったので、倒れないよう箱に入れたり紙袋に入れたり、間にプチプチを詰めたり。牛乳パックはワイングラス梱包に便利と発見。テレビが凶器になると聞いたので、壁との隙間に座布団を詰め込む。

まあ気休めかもしれないが、「気休め」とはよく言ったもので、何かしていると、安全に近づいているような錯覚を起こし、気持ちが落ち着いてくる。

飲み水は買ったし、お風呂に水も張ったし、来るなら来い、となったところに沖縄出張からダンナ帰還。「おみやげ」と差し出されたのは、ガムテープをぐるぐる巻きにした道具箱。「何これ?」「ヤシガニ」「ヤシガニ?」「うん、生きてるよ」「生きてる!?」。なんでこんなときに面倒なもの買ってきたのとなじると、「酔っ払って、欲しくなっちゃった」とのこと。

大袈裟なカムテープをおそるおそるはがすと、中でガサゴソ。「うわ、ほんとに生きてる!」「ゆでて食うとうまいらしいけど、飼うっていう手もあるらしいよ」というので、『ヤッシー』と名づける。30センチ立方大のプラスティック衣装ケースに深さ3センチほど水を張り、放流。

ところが、ネットで育て方を調べたところ、「間違っても飼おうとは思ってはならぬ」と経験者からの忠告。想像を絶する怪力で金網さえも破るので、強固な小屋を作らなければ脱走されるとのこと。

「うちのヤッシーに限ってそんなことはないだろう」と勝手に決めつけたが、念のためダンボールとお盆2枚で蓋をした上に重しの電話帳を乗せ、ヤッシー小屋のあるダイニングのドアを閉めて寝る。

ヤッシーは一晩中ガサゴソ音を立てていたが、今朝ダイニングは不穏なほど静まり返っていた。「暴れまわって疲れたかな」と小屋をのぞきこむと、なんと、中はもぬけの殻。「ヤッシーが脱走した!」「ええっ」とわが家はパニックに。

ジュラシックパークの厨房シーンさながらの緊張が走る中、四方に目を光らせ、どこから飛び出すかわからないヤッシーに向かって投降を呼びかける。たかだか6畳ほどのダイニングの、どこに身を隠しているのか。沖縄ではゴミ箱を漁っているという噂なのでゴミ箱をひっくり返すが、いない。

と、棚の上にあったはずの箱が床に落ちている。椰子の木に登って実を食べることからヤシガニの名がついているので棚登りも楽勝なのかも、とのぞきこむと、棚の後ろのすき間にうずくまっていた。

決死のダイブをはかったのか。こうなったらゆでてやる、とバーベキュー用の火箸を構えるが、必死の抵抗に遭い、捕獲は難航。煮立った鍋まで持ち上げられず、鍋を床に下ろして、ひきずりこむ作戦に。命をいただくというのは戦いなのだと実感。


黒い猛獣と化していたヤッシーは、数分後、きれいに赤くゆであがり、おとなしくなった。すぐには食べる気になれず、冷蔵庫へ。「いつの間にか生き返ってさ、ドア開けたら襲ってきたりしないかな。冷蔵庫の中、食料いっぱいだし」とダンナはSF映画的空想を繰り広げる。

地震の恐怖は吹っ飛んでしまったけど、ヤシガニにはもう、うんざりがに!

2002年09月14日(土)  旅支度


2003年09月12日(金)  ビーシャビーシャ@赤坂ACTシアター

■名古屋に住む行動派同級生・亜紀ちゃんが「学会で上京するときに観たいものがある」と誘ってくれたのが、『ビーシャビーシャ』。アルゼンチンから上陸した型破りパフォーマンスの評判は聞いていたので、早速チケットを取る。劇団四季のホームシアターだった赤坂ACTシアターが四季劇場移転のため取り壊されることになり、「最後だから何やってもいいよ」ということで呼んできたこの公演、それまでは日本では上演不可能と言われてきたとか。「天井から水が降る」「いや、人が降ってくる」「そうじゃなくて、客がさらわれて空を飛ぶ」といろんな噂が飛び交っていたが、とりあえずスカートは避けて会場へ行くと、ビーチサンダルの集団が。足元ビシャビシャに備えるのを忘れていた!開演までロビーで待っている間、床や壁に書き殴られたイラストやメッセージを見て楽しむ。取り壊し寸前なので落書きおOKらしい。「感動をありがとう」「忘れない」といった言葉にまじって、「一度ここの舞台に立ちたかった」「絶対女優になる」といった決意表明も。■会場に入ると、オールスタンディングの客はすし詰め状態。今日はとくに混んでいるのでご注意をとのアナウンス。でも、注意しろったって……。会場内は「何かが起こる」のを待ち受ける観客の興奮が渦巻き、巨大押し競饅頭をしているよう。ちょっとしたゆるみで将棋倒しが起きかねない状況で、期待感よりも不安が上回ってしまい、思わず亜紀ちゃんとギュッと手を握りあう。紙を張った天井を見上げること約10分。天井がスクリーンとなって影絵を映し出す感じ。猛スピードで横切る人影や転がってくる球体が見える。ライトがぐるぐる回り、幻想的。だが首が疲れる。後ろの男二人組は「引っ張りすぎ。早く始めようぜ」とブーブー。と、天井がプラネタリウム状態になったかと思うと、あちこちがビリビリと破け、パフォーマーが見え隠れする。そして天井が破け去り、命綱でぶらさがった男女の集団が頭の上を行ったり来たり、かと思うと、ミニスカートの女性二人が壁を全力疾走。この壁走りの力強さは、見ているこちらも力がみなぎるよう。鍛え上げた筋肉が弾丸のように駆け抜ける姿は重力を超越していて美しい。とにかくパフォーマーたちはあきれるぐらいエネルギッシュで全身ゴムまりのように弾み続ける。すぐそばをパフォーマーが通ったとき、その体は汗ぐっしょりだった。■遠吠えのような歌と太鼓、天井から水を降らせての足踏み鳴らしダンス、客をさらう空中闊歩男、壁をトランポリンに見立てて弾む男女……。あるときは壁、あるときは空中、あるときはバルコニー、あるときは移動式ステージが舞台になり、パフォーマンスが繰り広げられる。そのたびにスタッフが観客を強引に誘導し移動させるのだが、これでよく将棋倒しが起きないものだと感心するほど唐突で乱暴。「遠慮するとかえって危ないかもよ」と亜紀ちゃん。1時間ちょっとの上演時間はあっという間に終わり、後には破けた天井の紙が汚く溶けたビシャビシャの床が残った。その水たまりに点在する色とりどりのものは、プラスティック製の小さな飛行機やスパナ。これも天井から落ちていたらしい。床にかがんで拾い集める人たちの姿が目立ったが、ほとんどが踏み潰されてグシャグシャだった。

2002年09月12日(木)  広告マンになるには


2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る

遅ればせながら、見逃していた『戦場のピアニスト』をスクリーンで観ることができた。かなり気になっていた作品だったが、ここまで重くのしかかる内容だったとは。観ている間は打ちのめされっぱなしで、会場の浅草公会堂を出た後は足がふらつき、しばらく現実の「平和な日本」になじむまでに時間がかかった。

雷門の近くは小さな路地が密集しているが、そこから銃を構えたドイツ兵が撃ってくるような錯覚を感じたり、地面に死体が転がっていないことに胸を撫で下ろしたり、妙な緊張と安堵のくり返しを味わい、どっと疲れた。アウシュビッツの収容所を訪れたときの頭の中に鉛を置き去りにされたような感覚が残っていた。

SF映画やアクション映画なら、手に汗握り、心臓バクバク、悪を憎み倒しても、「これは作り物の世界だから」と、夢から覚められる余裕がある。けれど、「このような残虐な過去が事実としてあった」というのは逃げ場がなく、息苦しい。

客席から何度も小さな悲鳴が上がるたび、この何倍もの阿鼻叫喚を誘う地獄絵が、ほんの60年ほど前に現実としてあったのだと思い、その光景を数年前に訪れたワルシャワの記憶に重ね合わせ、何ともいえないほど気持ちになった。人が人に対して、これほど残酷になれてしまうことの恐ろしさ。こんなことは二度とあってはいけないし、二度と起こさないために何ができるのだろうか、と考えさせられた。

肝心のピアニストの人生については、ドイツ人将校との交流が意外にあっさり描かれていて、むしろ命を賭けて彼を匿った地下運動家たちの勇気に感嘆した。ドイツ人将校のその後はクレジットで紹介されたが、地下運動家たちとピアニストの家族はどうなったのか。ピアニストは80才まで生きたそうだが、命の恩人や家族には再会できたのだろうか。音楽以外にも友のいる人生だったのだろうか。

平和な時代の平和な国で、不条理な差別も迫害もなく、堂々と町を歩き、好きな場所へ移動できるありがたさに感謝しつつ、これが、いつの時代でも、世界のどの場所でも、誰にとっても、当たり前のことであってほしいと願った。


2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦

雑誌「すてきな奥さん」を略して「すて奥」と言う。(「おはよう奥さん」は「おは奥」)。広告業界語かと思ったら、一般にも結構流通している言葉らしい。なるからには「すて奥」になるつもりだったのだが、整理整頓が大の苦手な「捨てられない奥さん」であるがゆえ、部屋は荒れ放題、このままでは「捨てられた奥さん」の危機。いかんいかん、そっちの「すて奥」になっては困る。で、心機一転「すてきな奥さんキャンペーン」を勝手に開始。

まずは「花いっぱい運動」。先日感銘を受けた伊豆の作右衛門宿を真似て、家中に花やグリーンを飾る。花瓶が足りないので、香水瓶やデミタスカップも花器に変身。身の回りの物にひと工夫加えるのは、「すて奥」の常識。もちろん「このお花、うちのお庭(といってもベランダ)でとれたものよ」とアピールも忘れない。

花を摘むついでにハーブも摘み、自家製ハーブティーなど淹れてみる。レモンバーム、ローズマリー、バジル、ラベンダーをブレンドした、自然の香りいっぱいの爽やかな味わい。「君にこんなことができるとは!」と驚いてグラスをのぞきこむダンナ。まさか毒でも盛っていると疑ったか。

心をとろかすには、何といってもアロマ。会社の近くのキャンドルハウス青山でアロマキャンドルを仕入れ、家中を甘いストロベリーの香りで満たしてみたが、「なんだ、暑苦しい匂いがするぞ」と不評。季節を間違えたか。茶香炉作戦に切替え、緑茶の香ばしいアロマを醸し出すと、こちらは気に入った様子。「おお、何だこれは。茶香炉っていうのか。ああ、チャコウログレーのチャコウロか」とご満悦。ダンナよ、それは違うぞ。こんなとき、すて奥は何と言って正すのだろうか。


2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動

■「うんざりがに」という言葉を流行らせようとしているが、どうも流行りそうにない。きっかけは、ダンナが猛暑とわたしの弾丸トークのたたみかけに参って、「もう、うんざりがに!」と悲鳴を上げたこと。この響きが妙に気に入り、以来、嫌気が差すと、「うんざりがに」と言い合うようになった。言うときには両手でVを作り、「ざりがに」のジェスチャーをするのだが、いかにもやる気のないVサインはバカバカしく、脱力した笑いを誘う。これは他人が見ても面白いのでは、ひょっとしたら流行るのでは、と二人して盛り上がり、「うんざりがに普及運動」が始まった。暑さのせいで、どうかしていたのかもしれない。■同僚で仲良しのT嬢が「かわいいー」とやや受けしてくれたのに気を良くして、『夢の波間』に出演してくださった上杉祥三さんと西凜太郎さんに再会した際に披露したら、「大丈夫?」と心配された。「あれ、おかしくないですか、うんざりがに?」「おかしいのは、今井さんですよ」。お二人に会うのはこのときが二回目、人間関係が確立されていない相手の前では危険なネタだとわかり、あえなく退散。■秋の訪れとともに「うんざりがに」熱も冷めつつあるが、ダンナは深夜番組をぼけーっと見ながら、「ある日突然うんざりがにが流行語になってさ、あれ言い出したのはオレなんだよって自慢したいなあ」と夢を見続けている。誰か、流行らせてくれませんか。


2003年08月26日(火)  アフロ(A26)

なぜかわたしの入社した年にはやらなかったけれど、それ以来毎年伝統のように続いている新卒パーティーの今年のテーマは「アフロ」!開催日の8月26日(August 26)を略してアフロ(A26)なのらしい。わたしの後ろの席に入れ替わり立ち替わり新卒君たちがローテーション配属されたおかげで、「店探し」にはじまり、「アフロというテーマ決定」「アフロのヅラ発注」「夜ごとのダンス練習」「必死のチケット販売」と繰り広げられた舞台裏を垣間見ていた。

途中、青春ドラマを見ているようなぶつかりあいがあり、その後のこれまたビバヒルもびっくりの熱い仲直りがあり、近所のお姉さんとしては、「この子たち、無事パーティーできるのかしらん」とおせっかいな心配をしながら出かけたのだが、蓋を開けてみれば、受付で渡されたアフロヅラを率先してかぶった瞬間、映画「ゲロッパ」を見たせいで疼いていたアフロ熱が一気に爆発。「今日はとことん楽しむぞ!」とフィーバーのスイッチが入った。

新卒君たちが猛特訓したダンスは、テレながら一生懸命踊る姿がなんともかわいく、参観日のお母さん状態でウルウル。ダンスタイムに突入すると、アメリカのディスコで体に叩き込んだユーロビートにあおられ、パブロフの犬状態で体が動き出す。気がつけば、アフロから滝のような汗をしたたらせ、まわりがひくほど踊り狂っているのはわたしだった。終わってから「いやー、よかったよ」と新卒君に声をかけると、「僕たちのために盛り上げてくれてありがとうございました」と爽やかな返事。好きで楽しんでただけなんだけど、「なりふりかまわず、年も考えず、プライドを捨てて盛り上げてくれた先輩」に映っていたのだろうか……。

2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号

■最近、ふとした瞬間に「♪冷凍マイナス18号 マイナス18度でまーナイス ウー!」と歌ってしまっている。得意先の日本冷凍食品協会のお仕事で、冷凍食品の歌を作ったのだが、「消費者が思わず口ずさむような親しみやすい歌を作りましょう」という狙いに自分自身がはまってしまったことになる。作詞は担当コピーライターということでわたしが担当。作曲は数々のヒットCMソングをはじめ、NHK「おかあさんといっしょ」の「でこぼこフレンズ」でも活躍されているMAXMANの福井洋介さん。うたは同じくMAXMANの田中千架子さん。会社でデモテープをかけていると、まわりの同僚たちが「サビの部分が頭から離れない。なんとかして〜」と悲鳴をあげるほど、一度聞いたら忘れない曲に仕上がった。先週金曜に収録を終え、9月中旬頃から世の中をお騒がせするつもりなので、どうぞお楽しみに。■この冷凍食品ソング「冷凍マイナス18号」のキャンペーンがらみで、CD、カセット、絵本、テレビCF、ラジオCM、プロモーション映像、サイト、缶バッジ、駅貼ポスター、新聞広告などなど、おそろしい点数の制作物を作らせてもらえることになり、現在スケジュールと格闘しながら制作進行中。急ピッチで工事中のキャンペーンサイトでは、「映像つきCD&飛び出す絵本」が2000名に当たるプレゼントも実施する。今日はラジオCMの収録。「アクアリウムの夜」の高橋役で好演した有馬克明さんにナレーションをお願いすると、「よろこんで!」。アクアリウム以来の念願だった「いつかまたお仕事を」がかなう。「小泉総理 欧州訪問の記録」のナレーションも手がけるノーブルな声で「冷凍食品の歌、できたて!」とアナウンスしていただく。ちなみに有馬さんの声のラジオCMが流れるのは、文化放送にて毎週土曜日の「雄治・ナイクのSATURDAY NICE TRY」の中の「ランチ らんち LUNCH フリージング・クッキング」 のコーナー。12:05〜12:10という短いコーナーなので キャッチしやすいのでは。 オンエアは9/6 13 20 27の4回予定。

2002年08月25日(日) 1日1万


2003年08月16日(土)  6人で400才

■昭和4年生まれのT氏のお宅に招かれる。集まったのはT氏、T氏の幼稚舎時代の同級生のY氏、O氏、H氏と、Y氏の従兄弟のS氏、そしてわたし。6人あわせて400才の会となった。小児科医で、ドラマのアドバイスなどもされているY氏と放送文化基金のパーティーで出会ったのが3年前。以来、Y氏の友人知人を次々と紹介され、70代の輪に入れていただいている。集合場所に現れたわたしに最初にかけられる言葉が「お若いですねえ」。40才ほどかけ離れているからこそ当然なのだが、こんなに力を込めて言ってくださる男性は、なかなかいない。■わたしの作品の熱心で貴重なファンであるT氏は、感想文を絵手紙でくださるが、仏教をテーマにした絵を描かれている。「今井さんがいらっしゃるということで、普段なら3週間ほどかかる絵を1週間で仕上げました」と床の間に飾られた絵のタイトルは「鼓動」。「仏様はすべての生命に宿る鼓動だと気づきました」とのこと。■お酒とお茶を行ったり来たりしながら、話題もこちらからあちら、はたまたこの世とあの世を行ったり来たり。「腸にピロリ菌がたまると大腸癌になりやすいから除菌しないといけないんですよ」「我々にはジョギングならぬジョキング(除菌+ing!?)ですな。ハハハ」といった普段なかなか聞けない健康談義が飛び出したかと思うと、「ユビキタスを時空自在と訳すのはいかがなものか」「国民に投票させるべき!」と国語論になり、グルメな話題から時事問題まで守備範囲の広いこと。おまけに昔のことも手に取るように覚えておられるので、年代もぽんぽん飛ぶ。気がつけば、6時間しゃべりっぱなし。こちらが頭の体操をさせていただく。

2002年08月16日(金)  持ち込み企画

<<<前の日記  次の日記>>>