2003年03月16日(日)  Q.生まれ変わったら何になりたい?

■「生まれ変わったら何になりたい?」と、小学生の頃、友達と聞きあった覚えがある。当時の職業は「小学生」だったので、「男になりたい・女になりたい」「金持ちになりたい」「芸能人の子どもになりたい」といった他愛もないことを言いあい、そんな「もうひとつの自分」を想像して笑ったりしていた。大人になってから、この質問をされることもすることもなかったけれど、先日『エッジ』を読んでいて見つけた宮崎あおいちゃんのインタビューにこの質問を見つけて、懐かしくなった。早速ダンナにぶつけてみたところ、「生まれ変わったら何になりたい? それは男か女という意味か、動物という意味か、職業のことなのか、何なんですか。質問の範囲が広すぎて答えられません」と、夢のない返事。「なんでもいいから、今の人生以外の選択肢があるとしたらってことで答えてよ」と言うと、「生まれ変わったら美人と結婚したい」とのたまった。「生まれ変わっても美人と」ではなく、「生まれ変わったら美人と」というのがミソ。「つまり、わたしとは二度と結婚しないと?」と追及すると、「いろいろ検討させていただいた結果、そういうことに落ち着く可能性もあるかと……」。まずはあがいてみたいという本音のようだ。ちなみに『エッジ』で見たあおいちゃんの答えは、「生まれ変わっても自分になりたい」。今の人生が幸せで、今の自分が好きということが素直に気持ちよく伝わってきて、いい言葉だと思う。この話を聞いたダンナは「君も『生まれ変わっても自分になりたい』って言いそうだね」。ああそうさと言うと、「あおいちゃんが言うのはわかるけど、君は本当に今の君でいいのかね?」と問題提起。つくづくニクタラシイ。■ここまで書いて、夜見たドキュメンタリーで同じような言葉が出てきた。「生まれ変わっても私になりたい。今の私が好きだから。今の私以上のものを望まない」。DNAの突然変異により人の何倍ものスピードで老化が進むという難病に冒され、11歳にして肉体年齢は百歳を超えている少女の台詞だった。「生まれ変わったら何になりたい?」は、いろんな意味で考えさせられる。

2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目


2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記


どぼどぼな日々の合間に食べたfrou-frou(フルフル)のデザート盛り合わせ(イチゴに顔が描いてあるのに注目)と東京ディズニーシーのブルーベリージェラート。frou-frouは、青山一丁目にあるカジュアルフレンチ。驚くほどリーズナブルな値段で幸せにしてくれる。ランチのカツレツは最高!

2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2003年02月12日(水)  ミヤケマイ個展 MAI MIYAKE EXHIBITION2003

いまいまさこカフェではinfoseekのアクセス解析をやっているので、お客さんがどこからお店のことを聞きつけてやってきたのか足跡をたどることができるのだけど、「どの検索エンジンで何というワードで調べてカフェにたどりついたか」もわかって興味深い。検索ワードは人名が多いのだが、「いまいまさこ」でやってくる人はほとんどゼロ。昨年末以来の圧倒的首位は「黒川芽以」で毎日数人のペース、それに次いで多いのが「三宅麻衣(ミヤケマイ)」。

元同僚のイラストレーターさんなのだが、まだサイトを立ち上げていないので、彼女のことを知りたい人が情報を求めてカフェにやってくる様子。美術手帖に注目の新進画家として取り上げられたり、『トマト魔女の魔女修行』というおちゃめな児童文学の挿絵を描いたり、多方面で活躍している彼女、英語と着付けのプロでもあり、料理の腕もプロ級。おまけに美人ときているので世の中がほうっておくわけはなく、これからますます飛躍してくれるのではと元同僚のわたしも鼻高々。

彼女が会社にいたときはトランスレーターとコピーライターという間柄だったのだが、イラストレーターと脚本家という形でいつか仕事できたら面白いなと思っている。2002年8月の日記に登場しているほか、PRページにてアルファベットカードの宣伝もしているので興味のある方はのぞいてみてください。そのミヤケマイより個展のお知らせ。
MAI MIYAKE EXHIBITION 2003

3月5日〜15日 11:30〜19:00
(3/11は閉館 最終日は16時まで)

ピガ画廊
(東京都港区南青山2-14-12ヴィラ青山1F 銀座線外苑前駅より徒歩3分)

◆◆LOVE FOR SALE◆◆
世界で太古の職業は春をひさぐ(愛を売る)女達だと、いつか誰かに言われて思った。全ての仕事は、最終的には愛を売る商売なのではないかと。愛は買えないくせに、売る事は出来るみたいだ。今回のタイトルLOVE FOR SALEはジャズの同名のスタンダードナンバーから取っている。

Love for sale,
Appetizing young love for sale,
Love that's fresh and still unspoiled,
Love that's only slightly soiled,
Love for sale!

Who will buy?
Who would like to sample our supply?
Who's prepared to pay the price
For a trip to paradise?
Love for sale!

Let the poets pipe of love,
In their childish way,
We know every type of love,
Better far than they;
If you want the thrill of love,
We've been through the mill of love,
Old love, new love,
Every love but true love!

Love for sale!
Appetizing young love for sale,
If you want to buy our wares,
Follow us and climb the stairs;
Love for sale!

この曲はタイトルどおりの内容である。この曲を聴くと私はいつも源氏物語の中で源氏が舟で春をひさぎにくる女達をみて、あれは売り物の愛だと源氏が教える一節を思い出す。ビリーホリデイあたりが歌うと「ちょっとよごれちゃいるけど、まだ売りもの私の愛を買う気はない?」と脱力系のコケットな感じで誘う、諦め中に薄く漂う希望がだからこそ、どこかはすっぱを通り越して切ない感じがする。ジャズの歌詞は悲しかったり、切なかったりがするものが多いが、酸いも甘いも、花も嵐も踏み越えた人間だけが持つ、優しさやがいつも行間に漂っているところに惹かれる、絶望的に見える恋や人生に翻弄されているようでいて、どこか動物としての生命力や土くささ、女の持つ原始的な強さがあるような気がして、私は安心して身を委ねてしまう。暖かい部屋の臭い、お正月晴れの高い青い空、まどろみかけた時に聞く遠くのやかんの蒸気のコトコト、高速道路に登る朝日、夏の終わりの虫の声、みんな私の知ってるジャズに似てる。どこか懐かしいのに鮮明な、子供の日の思い出のようである。それはどこか春にも似ている、春は地中深く眠っている冬を越せなかったもの達の楽しかった思い出が雪解けと共に地上に現れ、みせる幻想のような気がする。桜の花だけが人を酔わせるのもみなそのせいに違いない。子供の頃から古い歌ジャスばかりに反応していた女の子が大きくなり昔聞いた歌に捧げる個展である。


2003年02月09日(日)  何才になっても祝うのだ

何才になってもうれしい誕生日。京都に住むメグさんからは「自家製ドライフルーツのシフォンケーキ」が届く。箱を開けると、ふわっとリキュールとフルーツの香りがこぼれた。半分いただいたところで、「おいしかったよー」と電話すると、「ちゃんと生クリームつけて食べた?」と聞かれる。「まさかクリームなしで食べたんじゃないだろね?」。料理のプロである彼女は「おいしいものを最高においしい状態で味わってもらう」ことには人一倍こだわる。「アイスクリームでも許す」ということなので、残り半分は急いで買ってきたハーゲンダッツのバニラとともに。やっぱりクリームと一緒のほうがおいしかった。

仲のいい同僚たちは念願の赤坂のNINJA AKASAKA(千代田区永田町2-14-3 TEL03-5157-3936)で祝宴を開いてくれる。なりきりクノイチに「おや、行き止まりです。でも大丈夫。私の忍術で道をつなげます。エイヤッ!」と案内されて座席(個室になっているのがうれしい)へ。食べる前から気分が盛り上がる。料理の盛り付けも遊び心があふれていて楽しい。華道状態でやってきた「黒蝙蝠〜ごぼうの素揚げ」は、味も感激。

盆栽をかたどったアイスクリーム(その名は「水菓盆栽」)や白鳥のケーキなど、デザートもあっぱれ。肝心のダンナは出張をこれ幸いと国外逃亡。大きな袋を抱えて帰ってきたので特大プレゼントかと期待したら、大量の韓国海苔で、ガッカリ。

2002年02月09日(土)  シモキタ(下北沢)


2003年02月03日(月)  納豆汁・檜風呂・山葡萄ジュース・きりたんぽ

■8:30の目覚ましで起きられず、9時過ぎ起床。さくらの間を出ると、昨日の夜から噂に聞いていた納豆汁のにおいが廊下に垂れ込めていた。納豆をすり鉢ですり、味噌と混ぜて作るお味噌汁。これはおいしい。昔は納豆がダメだったけど克服してからは大好きになった。東京に帰ったらやってみよう。すりこぎを大根や山椒にすると風味が出るんだとか。■「ぜひ貸切風呂を体験して」と映画祭の吉村さんにすすめられ、檜風呂に入る。フロントで鍵を借りて離れにある風呂に着き、風呂の栓をしてからフロントに電話を入れると、ドドーっとお湯が噴き出て湯船を満たす。し、しかし…熱すぎて足をつけただけで限界。床にお湯を打ちつけてスチーム風呂で我慢することに。うーん、もったいない。

■10:30チェックアウト。宿の外は絵に描いたような雪景色。目の前の家の屋根では男性二人が慣れた腰つきで雪おろし。昨日のわたしたちとは大違いで、ものすごい勢いで雪をどけていく。足元がすべらないように数センチ分残しておくのがコツなんだそう。昨日からいたずらばっかりしている前田監督がわたしや一沙ちゃんを雪山に突っ込ませようと押してくる。全身雪だらけになった仕返ししようとして後ろから回ったら、再び雪山に突撃。雪と遊ぶのは去年の夕張以来。なんだかよくわからないけど、おなかの皮がよじれるほど笑った。
■昨日の夜、おいしくておかわりしてしまった山葡萄ジュースはこの辺の名産のようで、宿の近くの民芸屋『重兵衛』の喫茶メニューにもあった。昨日よりもすっきりした飲み心地。こちらもゴクゴク飲み干してしまう。このお店、内装も置いてある物もとってもセンスが良かった。店の外で小松先生にかんじきを履かせてもらう。新雪の上をすいすい歩けて、足が水すまし(雪すまし!?)になったよう。これは便利。
■車で40分走って十文字町に戻り、割烹『勝巳』で昼食。つい先日、地元出身の俳優・長島敏行さんの案内で自慢のきりたんぽがテレビで紹介されたばかりというお店。お話上手でおちゃめな美人ママが作ってくれるきりたんぽは史上最強の味わいだった。本場のきりたんぽを食べる夢が最高の形でかなってしまった。その前に手をつけた小鉢も絶品。朝食を食べて数時間しか経っていないというのにペロリとたいらげてしまう。それにしても二日間でよく食べた。ふと時計を見ると、「もう行く時間だ!」。記念撮影して一路空港へ。映画祭の小川さん、藤原さん、吉村さん、十文字西中学校の小松先生、後藤先生は空港ロビーまで見送ってくださる。みなさん冗談好きな楽しい方ばかりで、短い滞在時間ではあったけれど、話が尽きることはなかった。映画に、教育に、それぞれ情熱を燃やされている姿から、いい刺激をもらった。秋田は初めてだったけど、ずいぶん近い町になった気がする。■「パコダテ人はたくさんのプレゼントをもたらしてくれた」と今日発売の『月刊シナリオ』作家通信に寄せたコメントにも書いたけれど、またひとつ、宝ものにしたいプレゼントが増えた。映画って、ほんとにいいな。

2002年02月03日(日)  教科書


2003年02月02日(日)  十文字西中学校映画祭


行ってきました十文字西中学校西中映画祭(ドリームアップ事業)。前日に宮崎から戻ってきた前田監督、一沙ちゃんと羽田で待ち合わせて、はじめての秋田へ。栃木の男体山はじめ道中ほとんどの間、機内の窓からは銀世界がのぞめて、眺めは最高。日本の冬ってきれいだなあと感心しているうちに秋田空港に到着。十文字映画祭スタッフの藤原さんと十文字西中学校の小松先生に出迎えられ、十文字町へ。


十文字町に入り、「白鳥飛来の地」に立ち寄る。2000羽の白鳥が飛んでくるとのこと。圧倒的に鴨が多い。「鴨飛来の地(白鳥もね)」という感じ。ちぎった食パンを投げるとグワグワ鳴きながら集まってくる。全然人を警戒していない。「今夜は鴨鍋ですよ」と小松先生。(冗談じゃなくてほんとだった)
十文字西中学校に着くと、巨大なかまくらがお出迎え。「昨日、陸上部員が作ったんですよ」とのこと。中に莚と座布団が敷いてあって火鉢まで用意されていてびっくり。ここで焼いたお餅を後でふるまっていただく。中学校側の窓口としてこまめに連絡をくださった数学の後藤先生、十文字映画祭の吉村さん、映画祭実行委員長の小川さんと合流。
校長室に入ると、お茶目な泉川校長がにこやかに迎えてくださる。名刺は十文字和紙に毛筆。かっこいいですねーとはしゃいでいると、「皆さんにもあります」とぽち袋に入った特製名刺をいただく。文字は校長先生の奥様の手書きで和紙は生徒さんが漉いたそう。手づくりの贈り物に早速心はポカポカ。
さらに雪かきで体ぽかぽか。一沙ちゃんとともに長靴を借り、校舎の屋上に上って真新しい雪をせっせと落とす。前田監督が下から雪球を投げてはしゃいでいた。職業として雪かきをやると日当15000円とのこと。10分ぐらいで息が切れてしまった。
空港で派手な「歓迎」の札で迎えられたときから「この身に余る歓迎ぶりはえらいことになっているぞ」と思っていたのだが、パンフ用写真を拡大カラー出力して作った看板には度肝を抜かれた。美術の先生がレイアウトされたとのこと。「こんな使われ方をするなら可愛く写っておけばよかった」と悔やんでいると、「どうしようもないことやん」と前田監督。
12:30、実行委員長の藤原さん(映画祭の藤原さんとは親子じゃありません、とキッパリ)の挨拶で西中映画祭が開幕。まずは秋田弁講座から。入門編の「おちゃっこ」は「お茶」。これはカンタン。ちなみに校長室で「この辺では何でも『こ』をつけるんですよ。美人ことか」と話題になったとき「みじんこみたいですね」と言ったら、「今井さんはそっちのほうが近いな」と前田監督。あいかわらず冴えていた。「ねまる」は「座る」、「ごっつぉ」は「ごちそう」、「がっこ」は「漬け物」。回答者用マイクを持っていた鈴木君はヒントを即興で演じてくれた。アドリブのきく彼は将来大物になる予感あり。

場も和んだところでパネルディスカッション。最初はあらかじめ用意してあった質問を順番に聞いていたのが、少しずつ緊張がほぐれてくると、その場で思いついた質問を投げてくれるようになった。質問に答えていると、思いがけない言葉が口から飛び出して、自分で自分を再発見することがある。「女優になりたいと思ったこともあった」ことを言ってから思い出した。「身の程を知れ!」と前田監督に突っ込まれたけど、お芝居を観るのが好きで、いつか舞台に立ちたいと夢見たこともあったのだった。そのうち自分の書いた芝居で役を作ってやるぞ。

10分休憩をはさんでパコダテ人上映。中学生は静かに見入っていた。泣いている子もけっこういた。上映後、再びパネルディスカッション。「しっぽはどうやって動かしているんですか」「いくらお金がかかりましたか」「あの後パコダテ人のしっぽはどうなったんですか」「衣裳は誰が作ったんですか」などと作品についての質問が続いてうれしかった。「こんなあたたかい部屋で映画を見ると普段は寝てしまうんですが…」と言う女の子にびっくり。タイツを2枚重ねしても体育館の床から冷気が昇ってきて、「これだけ寒いと寝られないなあ」と思っていたのに。「恋人はいますか」「スタイルを保つ秘訣は何ですか(←一沙ちゃんに)」などと質問も打ち解けてきて、いい感じ。全員の感想を聞きたくてマイクを回したら、遠慮しあってぐるぐるたらい回しに。シャイなんだなあ。発言は男の子のほうが活発だった。前田監督は「恋をしよう」としきりに言っていた。何だってできる十代、いろんなものに恋をして、いつもときめいていてほしいな。

最後に全校生徒が『マイバラード』を熱唱。150人からの歌の贈り物は照れくさかったけど、心のこもった歌にじーんとなる。思いっきり音が外れているんだけど声は人一倍大きな男の子がいて微笑ましかった。記念撮影が終わると5時前になっていた。質問タイムでは恥ずかしがっていた女の子たち、生徒手帳を持って「サインしてください」と校長室に続々やってきた。みんな色白でほんとにかわいい子が多い。秋田美人の噂は本当だった。「男の子がみんな若狭(秋田出身の大蔵省君)に見える」と一沙ちゃん。
名残惜しい中学校を去り、マタギ料理の店で先生方と映画祭のスタッフの皆さんによる歓迎会。クマの刺身(熊刺?)をはじめて味わう。しょうが醤油がよく合って何とも美味。鴨と鹿の鍋もおいしくいただく。前田監督が宮崎で撮影していた『棒たおし』を取り上げたテレビ番組(約10分)と十文字西中学校の生徒さんが作った短編『西中怪談』をビデオ上映。中学生から映画製作に関われるなんて、すばらしい環境。小松先生、後藤先生はじめ熱心な先生方にも恵まれている生徒さんは幸せ者だと思う。今はそのことに気づいていないかもしれないけれど。

宿に着いてからも夕食が用意されていた。おなかいっぱいのはずなのに入ってしまう不思議。山菜たっぷりでどれもおいしくいただく。朝早かったので12時を過ぎると意識が朦朧としてきたのに、修学旅行状態でしゃべっているうちに3時前になっていた。「ドリームアップ事業」と銘打った西中映画祭、わたしにとっても夢が膨らむ一日だった。

2002年02月02日(土)  歩くとわかること


2003年01月31日(金)  トップのシャツ着て職場の洗濯


職場のレイアウト替えのため大掃除。広告代理店の制作本部というのはとくに物の多い職場なのではと思う。資料の山にロケ土産の小物が混じって、どの人の机もすごいことになっている。それでいておしりに火がつかないとやらない集団(もちろん忙しいのもあるけど)なので、引越し当日になって朝から大騒ぎ。

自他ともに認める「かたづけられない女」のわたしも必死でモノの山からゴミの山を分別中。入社当時に写経した大先輩のコピーやら、化粧品のコピーを書いていた頃にかき集めた競合他社の広告ファイルやら、埋もれていた過去の遺産が続々出てくる。

びっくりしたのは96年に書いたドラマの企画書が出てきたこと。シナリオを書きはじめたのは97年。その前にテレビ局に企画を出していた事実など、すっかり忘れていた。そうそう、その頃知り合った男の子に「うちの妻がディレクターなんだけど書いてみない?」と言われて書いたんだっけ。それが思いっきりボツになったこともついでに思い出した。

内容は「広告代理店で働く若い女性が俳句作りを通して成長する話」。当時一緒に仕事していたデザイナーのおじさま、中原道夫さんが俳句界の芥川賞といわれる賞を受賞した俳人でもあり、黛まどかさんの「ヘップバーンの会」が脚光を浴びていたのに触発されて「青山ヒップボーンの会」というおバカな俳句の会を一瞬立ち上げた(すぐ消えた)のだけど、そんな実生活をそのまま書き起こしただけの企画書。そらアカン。

他にもOB訪問に来る学生のために書いた「履歴書の書き方」(毎回同じことを繰り返すのでマニュアル化することを思いついたらしい)やカンヌ国際広告際レポート座談会の掲載紙など思いがけないものを発掘する。コンクールに応募したシナリオのプリントアウトは、ワープロ感熱紙がすっかり色あせて文字が読めなくなっていたので捨てる。

気に入ったお菓子のパッケージやいつか行きたいお店情報もこの際ばっさり捨てることにする。三島出身の先輩にもらった『いでゆむし 極上栗蒸羊羹』、これはのけぞるほどおいしかった。また食べたくなったときのためにメモっておこう。伊豆柏屋(伊東市中央町三番七号 TEL.0557-37-1322。こんなことやってるので全然はかどらない。

プレゼンのためにスーツを着てた人たちも動きやすいカッコに着替えて荷物と格闘。わたしは作業に備えてTシャツとストレッチ素材のパンツ。営業のK君のマレーシア土産の『トップ』Tシャツは同僚に大受け。本物のパッケージをトレースしたっぽいデザインなのだけど、微妙に文字が反転していたり、ありえない漢字が出てきたりして、つい読みたくなるらしい。一応ディーゼル製となっているけど、ウッソーと信じてもらえない。このTシャツで得意先に行くときは、突っ込まれると「御社が業界でトップを取れますように」と返事している。

『トップ』といえば、『トップ』が強烈な印象だったENBUゼミ前田哲クラスの短編『はじめての白さ』が第1回国際ブロードバンド大賞の実行委員会特別奨励賞を受賞。というのは去年のニュース。引越しで2年前の領収証がどっさり出てきたり(泣いても無効!)、7年前に書いたきり投函し忘れていた手紙が出てきたり、に比べれば遅すぎることもないか。

いまいまさこカフェ fashion gallery

2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ


2003年01月29日(水)  清水厚さんと中島博孝さん

■お昼休み、『風の絨毯』プロデューサーの山下貴裕さんに『ねらわれた学園』などを手がけた映画監督の清水厚さんを紹介していただく。山下さんと清水さんは虎牙光揮君が出演している『武勇伝』(3月22日より新宿東映パラス2にて公開・他全国順次ロードショー)という新作で知り合ったそうで、前々から「紹介したい人がいるんです」と言われていた。三人でイタリアンを食べながら映画の話。清水さんは角川スニーカー文庫から出る前の単行本の『アクアリウムの夜』を読んでいた希少な読者の一人とわかる。『夢のチョコレート工場』が好きで本も持っていたという共通項も発見。他にもいくつか重なる映画や本があり、話が尽きなかった。映画監督になったきっかけを聞いたら、「監督になりたいと思って上京したら、なれました」と、探していたお店がありました、のような口調。話しぶりは穏やかで、人の作品のいいところは素直にほめる人だった。パコダテ人で知り合った宮崎あおいちゃんのマネージャー小山理子さんの紹介で山下さんと偶然ランチを同席したことが『風の絨毯』に関わるきっかけとなったのだけど、清水さんとの縁が次の作品につながるかもしれない。人と人のつながりが仕事を運んでくるんだなあとしみじみ思う。■午後は去年10月31日の日記に登場したノム君の紹介で、ラジオCMの企画・コピー・演出を一人でこなすという中島博孝さんが会社に売り込みに来る。ノム君が前の会社にいたときのインドネシア支店で一緒だったとのことで、ノム君に負けず劣らず第一印象から濃い人だった。「日本人に見られなかったでしょう?」と言うと、「でもノムはもっとすごくて、インドネシア人のフリして日本人観光客をナンパしてましたけどね」。間に共通の知人がいると、一気に場は和む。中島さんはインドネシア勤務時代は現地邦人企業のラジオCMを手がけていたとか。「インドネシア語に訳すのでわかってるようなわかってないようなだったんですけどね。ジャランジャランとか言ってるのを聞いてオッケー出してました」と笑うこの人、作るラジオCMも面白いけど話もむちゃくちゃ面白かった。週刊プレイボーイのもしもシリーズ(「もしも雪だるまになったらどうする?」「もしも総理大臣になったらどうする?」と男の子二人が他愛もない会話をくりひろげる)や今となっては懐かしい東京テレメッセージのポケベルCMなどの作品をラジカセで紹介してもらいつつ、話が弾んだ。「すぐに制作を依頼というわけにいかないでしょうけど、ちょっと離れた席 にいる同僚みたいな感覚で、気軽に声をかけてもらえたらうれしい」と中島さん。こういう言葉も気がきいている。■最近会社の仕事がバタバタしていて時間に追いたてられているような毎日なのだけど、その合間に舞い込む楽しい出会いがスパイスになっている。スパイスといえば、この冬凝っているのがショウガ。コンソメスープに丸ごと入れる(皮をむく手間が省けて手軽)と味と香りがしみ出して、体の芯からあったまるおいしさに。サブウェイの根菜スープ(期間限定)がお手本。

2002年01月29日(火)  年輪


2003年01月17日(金)  Lunettes du juraの眼鏡

■目は相当悪いのに、眼鏡はめったにかけない。映画館の場内が暗くなってからこそこそとかけたりしている。ただでさえ離れている目が余計に離れて見え、ただでさ存在感のある鼻が余計に強調される気がするので好きじゃない。できることなら使わないでおきたいぐらいなので二つ目の眼鏡を持つことなど考えてなかったのだけど、ダンナにつきあってLunettes du juraに行ったら、自分が欲しくなってしまった。会社の近くにあるので何度か冷やかしていたお店だが、2階と3階もあるとは知らなかった。色とりどりの面白いデザインの眼鏡が並んでいて、見ているだけでも楽しい。帽子屋さんと同じく眼鏡屋さんもちょっとした変身願望を満たしてくれる。いろいろ試してみた結果、「右目と左目が寄っている眼鏡だと、離れ目がマシに見える」ことを発見。3つに絞り込んでダンナの意見を求めたところ、「君って眼鏡似合わないねー」と笑いをこらえるのに必死で、まったく参考にならない。お店のかわいいお姉さんが「わたしはこちらですね」と押してくれた茶色いフレームのものを買うことにする。かけ心地をじっくり調整してくれて、いい感じ。レンズを入れて来週金曜日に受け取れるそう。眼鏡をかけるのが少しは楽しくなりますように。

2002年01月17日(木)  HAPPY


2003年01月16日(木)  ど忘れの言い訳

昨日の日記を読んだ妹から「雅子はジャーナリストじゃないから、間違ったままでもいいけど気になったから」とメールが来て、「教会に行ったのはクライストチャーチではなくダニーデン。ダニーデンに行ったのは、クライストチャーチで誰かに勧められたから。ダニーデンでの宿泊は、幽霊が出るとウワサのユースホステル」と指摘された。幽霊の出るホテル、なんだそりゃ。記憶にございません。「最初にホームステイさせてもらったのはダニーデンではなく、ゴーアという町」なのだそうだが、この町の名前にも覚えがない。ちなみに「美味しかったというアイスクリーム、ティップトップのホーキーポーキーだよね」とのこと。そんな名前だったような初耳のような。妹の記憶力がすばらしいのが私の物忘れが激しいのか。新しい情報を仕入れると、トコロテン式に古い情報が押し出されているのだろうか。最近売れている海馬(記憶をつかさどる脳の一部?)の本によると、「年を取ってド忘れが増えている人は記憶力が低下しているのではなく、脳に蓄積されている情報量が多すぎて、お目当ての情報を探し出すのに時間がかかっている」といったことが書かれていて、わたしと同世代やそれ以上のど忘れ世代に受けているらしい。その内容を受け売りさせていただくと、ゴーアやホーキーポーキーも頭のどこかにしまわれてあるはずで、「コピーやシナリオを書くたびに資料と格闘しているから、記憶ファイルが散乱していて、検索に人一倍時間がかかるのよね」と開き直ることができる。脳もADSLにならないものかな。

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