2002年06月01日(土)  フリマ

2002/06/01(土) フリマ

■ミナちゃん、ミキちゃん、サッピちゃんの美人トリオと明治公園でフリマ。ぶっ倒れそうになる暑さのなか、ひとつ10円まで下げた石鹸を「2つで10円」とさらに値切るオバチャンや、「そんなに値切るならいいです」と断ったつもりなのに「商談成立」と受け取ってしまう外国人と戦う。サッピちゃんのロペのワンピースは50円でおじいさんに買い取られ、「50円なら捨ててもいいし」とまで言われていた。約4時間粘って、わたしの売り上げは5000円と少し。内訳は化粧品3500円、キャンドル500円、石鹸・タオル・入浴剤それぞれ200円、ポストカード100円、マグカップ4つで80円といったところ。「物を売るってのは大変なことだなあ」と痛感。苦労して手にしたお金は、場所代と豪華ランチとなって、あっという間に消えた。

Friends #3

Great minds discuss ideas;
Average minds discuss events;
Small minds discuss people.
優秀アタマはアイデアについて議論し、
平凡なアタマは出来事について議論し、
退屈なアタマは他人について議論する。

2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2002年05月31日(金)  ワールドカップ

■会社の人たちが、そそくさと帰っていくと思ったら、今日からワールドカップ。同僚もダンナも電車の中もその話でもちきりだが、わたしは「最も興味のない1%」に入っている自信がある。なぜ興味がわかないのか、自分でも不思議だが、普段からサッカーを見ないせいかもしれない。■4年前のワールドカップのとき、ちょうどフランスにいた。カンヌで泊まった安宿には、いろんな国のサポーターが集まっていた。隣の部屋に泊まっていたイタリアからのサポーターと仲良くなったり、朝食のとき食堂でアルゼンチンからのサポーターと話をしたりしたのは楽しかった。「君もサッカーの応援?」と聞かれて、「ううん、広告を見に来ている」と言うと、「おかしなヤツだ」と言われた。■どこが優勝するかにはあまり興味はないが、どんな人が日本に来て、何が起こるのか、オフピッチ(というのか?)のワールドカップには興味がある。サッカーが、ユカイな出会いをたくさん日本に運んでくれますように。

Friends #2

Anger is only one letter short of danger.
If someone betrays you once, it is his fault;
If he betrays you twice, it is your fault.
怒り-anger-は危険-danger-の一歩手前。
誰かがあなたを一度裏切ったら、悪いのは彼だけど
彼があなたをもう一度裏切ることになったら、悪いのはあなた。

2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2002年05月29日(水)  SESSION9

■SESSION9の試写会を見てきた。怖い怖いと脅されていた上に、ネットで予告を見て「最後まで耐えられるだろうか」と不安になったが、次回作のためにもホラーを研究しておこうと思い、見に行くことにした。舞台は、閉鎖され、廃墟となった精神病院。暗い過去と記憶がしみついた建物に、アスベスト除去の作業員らがやってきて……という話だが、「リアルスリラー」と銘打つだけあって、実話と言われても信じてしまいそうなリアリティーがあり、薄気味悪かった。「廃墟は心の中にある」ということを言おうとしているらしい。セッションとは、かつて病院で行われていた「診療」のこと。■話はがらりと変わり、関西にいる友人たちにドバッとパコダテ人案内メールを送った。「応援するよ」「早速友達にメール回したよ」と返事が続々。しばらく連絡を取っていなかった友からの近況報告もうれしい。これもみんな、しっぽ映画のおまけ。■友だちといえば、パソコンのファイル整理をしていて『Friends』という英語詩を見つけた。アメリカのホストマザーがずいぶん前に送ってきたチェーンメールで、最後に「10人に送って友情を確かめましょう」とあるのが興醒めなのだが、詩の内容はとてもいいので取っておいたのだ。わたしはチェーンメールは嫌いだけれど、ホストマザーとホストシスターの母娘は大好きらしく、せっせとジョークやら画像やらクイズやら送ってくる。先週は「このメールを10人に転送するとビルゲイツから入金される」というのが来た。ジョークのつもりなのかトクする話のつもりなのか、わからないので無視している。さて、数少ない「当たり」のFriendsをあらためて読み返すと、やはりいい。数行ずつに分かれているので、今日から日記の中で何回かに分けて紹介しようと思う。いまいまさこ訳つき。

Friends #1

Many people will walk in and out of your life.
But only true friends will leave footprints in your heart.
To handle yourself, use your head;
To handle others, use your heart.
何人もの人が あなたの人生を通り過ぎていく。
けれど あなたの心に足跡を残すのは 本当の友だちだけ。
自分に言うことを聞かせるには 頭を使いなさい。
他人に言うことを聞いてもらうには 心を使いなさい。

1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2002年05月25日(土)  イージーオーダー

■ダンナの紳士服のイージーオーダーについていく。わたしのカラフルな安物服10着分の値段で、ダンナは地味なスーツを一着買う。しかもボタンの数やシルエットはデータ保存されていて、毎回変わるのは生地だけだ。似たようなモノトーンの中からひとつを選ぶ。さて、生地を選ぶと「データを出力しますので、名前と住所と郵便番号を書いてください」と申込書を差し出される。ダンナが記入して待つこと三分。前回オーダーしたときのデータが取り出されてきた。それを店員の男性がマークシートに書き写していく……と、ダンナが一言。「これ、僕じゃないですよ」。見ると、名字は同じだが、住所は茨城県。アカの他人のデータだった。これじゃあ何のために郵便番号まで書いたのか、わからない。■間違って出された別人さんのデータは、そのままテーブルに放置されていた。本来なら、その場ですぐ畳むかどけるかして、客の目から遠ざけるべきだったと思う。逆のことを自分がされたら気味が悪い。住所、電話番号、前回買ったスーツの値段、はと胸かいかり肩かといったことまで記録されているのだから。目の前の客だけが客ではないのに、高級スーツを買った客も、紙切れになると杜撰に扱われるのは悲しい。百貨店のサービスもこんなものかと失望しながら、「これがドラマの1シーンだったらどんな展開になるか」を想像した。間違いに気づかずに別人サイズのスーツが仕上がってしまったら、コメディーになる。データが妻のかつての恋人のものだとしたら、妻はすかさず電話番号を覚え、何年かぶりに彼に電話をし、恋愛ドラマが生まれる。あるいは、憎んでも憎みきれない男の名前を見つけ、復讐の鬼となるサスペンスドラマもありうる。それとも、イージーオーダーはデータ管理もイージーだったという告発劇、いやドキュメンタリーがいいだろうか。

1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2002年05月24日(金)  清川虹子さん

■清川虹子さんの訃報を夕刊で知る。名前と顔を見て、「あの人では」と思ったら、やっぱりそうだった。二年前の第26回放送文化基金賞の授賞式、元気いっぱいのスピーチで会場を沸かせたあのおばあちゃんだ。出演した中上健次原作のNHKドラマ『日輪の翼』が受賞し、ディレクターとともに登壇した清川さんは、「生きててよかったー!」とマイクが割れるほどの大きな声と、両手を大きく広げる仕草で喜びを表した。その日に聞いたスピーチはどれも気がきいていて、笑ったり感心したり忙しかったが、清川さんのこの短いけれど勢いのある言葉が、他のスピーチを吹き飛ばしてしまった。年輪のなせるわざなのか、全身からただものでない雰囲気を漂わせていて、「この女優さんはすごい!」と圧倒された。「将来何になりたい?」と聞かれたら、「かわいいおばあちゃんになりたい」と答えるわたしだが、こんなにチャーミングな目標が目の前に現れたのだ。ちょうど「元気なおばあちゃんが主役」の企画を思いついたときだったので、「この人は、ぴったりじゃないか!」と膝を打った。懇親会でそばまで寄ってみたが、声をかける勇気はなかった。新聞記事によると、享年89歳。当時87歳だった。■あれから二年。忙しくしている間に、清川さんのことも、おばあちゃんの企画も、しばらく忘れてしまっていた。奇しくも今日、第28回放送文化基金賞の受賞作品が発表された。清川さんにご登場いただく夢はかなわないけれど、元気なおばあちゃんの話でまた賞を取ってみなさいと言われているのかな、と思ったりしている。

1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」


2002年05月20日(月)  ともだちの写真集デビュー

ともだちがはじめて写真集になった。そのともだちとは、クマのブラウン。写真集「brown diary」は、青山ブックセンターやパルコブックセンターなどに並んでいるとのこと。照れくさいので、変装して買いに行くつもり。webからも購入できるらしい。くわしくはブラウンダイアリーで。6月には写真展「brown diary photo exhibition」を開催するとかで、今年はクマ年になるかも。とってもかわいくていいヤツなので、たちまち人気者になってしまいそう。ともだちの活躍は、うれしいけれど、あんまり遠くに行かないでね。

1979年05月20日(日)  4年2組日記 はちがみねキャンプ場


2002年05月18日(土)  『パコダテ人』のかわいい絵の安井寿磨子さん

安井寿磨子さんに、やっと会えた。パコダテ人のポスターやチラシやパンフに使われている、あのかわいい絵を描いた人だ。


ふだんは大阪住まいなので、会えるとしたら大阪公開のときかなあと思っていたら、東京の京橋で個展をやっているという。「前田監督のところにDMを送った」と本人は主張されているが、「絶対送り忘れです」と前田監督。ともあれ、安井さんと前田さんの共通の知り合いである赤星さんから前田さんに連絡が入り、わたしもぎりぎりで見せてもらえることになった。

「もっと早く知っていればチラシを置いてもらったのにー」と前田さんが悔しがると、「そうやねえ。ごめんごめん」とおっと〜りした大阪弁で応じる安井さん。

「かわいい人」とさんざん前評判を聞いていたのだが、見た目は、かなりの美人、しかも長身。しゃべりだすと、ぽわ〜んとした間と雰囲気が生まれ、かわいい人になる。「頑張ってや〜」と言いながら猫じゃらしのように振っていたシッポストラップは、前田さんの鋭い突っ込みを受けるとハンカチに早変わり。「そこまで言わんかて…」と涙を拭くフリをする。仕草がかわいらしくて、見ていて飽きない。

肝心の展示作品は、パコの宣伝用のイラストよりもぐっと大人っぽいタッチ。ほのぼのしたあったかさは共通しているが、「こんな絵も描くんだ」と新鮮だった。イラストに添えられた短い言葉には詩のようなリズムがあり、ちょっぴり不思議で、安井さんを見ているようだった。

1979年05月18日(金)  4年2組日記 西佳先生好きょ


2002年05月17日(金)  人生最高の日〜『パコダテ人』最終日

人生でいちばん感動した出来事は何だろう。真っ先に思い浮かぶのは、高校3年の文化祭にクラスで上演した『オズの魔法使い』。わたしは台本・演出・サルの役(ドロシーたちをさらうサル軍団のひとり)だった。前日のリハーサルが大失敗し、「6組は大したことない」の前評判が渦巻く中で迎えた本番。リハのときは動いてくれなかった気球も、まどろっこしかった場面転換も、すべてが奇跡的にうまくいった。

カーテンコールになって、鳴り止まない拍手が体育館を包んだ瞬間、わたしは舞台に崩れ落ちた。全身茶色づくめのサルの衣装だったので、しゃがんだ姿は、巨大な唐揚げのように不様だった。客席で見ていた友人は「気分が悪くなった」と思ったらしいが、膝が震えて、立っていられなくなったのだ。

その4年後、奇しくも同じ『オズの魔法使い』で、わたしはもう一度崩れ落ちることになる。今度は、舞台の上ではなく客席の通路で。教育実習で受け持ったクラスの上演をビデオに撮っていたのだが、カーテンコールで満足そうな生徒たちの顔が並んだ途端、今までの練習を思い出して涙が噴き出した。生徒よりも教育実習生が頑張ってしまっていたのである。

頑張ったことが報われたとき、わたしの感動メーターは振り切られるらしい。今日、『パコダテ人』東京公開の最終回、エンドロールが流れる直前に劇場に滑り込んだ。「一度はお金を払って見よう」と決めていたのに、残業で間に合わなかったのだ。

いちばん後ろのドアを開け、客席に頭がぎっしり並んでいるのを見ただけで、もうダメだった。すぐ横に立ち見の人もいた。席を立つ人はほとんどおらず、皆が画面に見入っているのを見ていた。いいタイミングで自分の名前が画面にせり上がった。スタッフ一人ひとりの顔を思い浮かべながら、名前を追っていたら、熱いものがこみあげてきた。函館市民のみなさんの名前がずらーっと出てきて、涙が止まらなくなった。感動すると、体が震えるんだなとあらためて思った。よりかかる壁がなければ、崩れていただろう。

出てきた知人たちが次々と声をかけてくれた。はじめて会う人も声をかけてくれた。親しい人たちが「祝杯だ!」とごちそうしてくれた。パコダテ人を書いて良かったと心から思えた夜。人生でいちばん感動した出来事は決められないけれど、今夜は間違いなく、そのひとつ。

1979年05月17日(木)  4年2組日記 今日から日記


2002年05月16日(木)  パワーランチ

夜の予定がなかなか立たないので、ランチタイムを人に会う時間にあてるようになった。どんなに忙しくても、ランチはなるべく外で食べるようにしている。太陽を浴びて、おいしいものを食べて、ついでに刺激とパワーをくれる会話があれば最高。

月曜日は留学時代の友人たちと表参道に集合。会うと元気が出るので、定期的に「パワーランチ」を合言葉に集まる。妻だったり、母だったり、会社員だったり、フリーだったり、それぞれの立場で抱えている悩みや痛みを分かち合い、時には笑い飛ばす。現実はドラマの世界よりもずっとドラマチックで、登場人物も魅力的だったりする。あまりにありふれているせいで、ほうっておくと忘れてしまいそうな「いいシーン」や「いい台詞」を形にとどめたくて、シナリオを書くのかなと思う。

水曜日は応援団の先輩、Nさんの職場近くに行く用があったので、茅場町で会う。大学は違うが、飲み会で「お前ならもっと飲めるぞー」とかわいがってくれた人だ。三年ほど会っていなかったが、パコダテ人トークイベントの案内を出したら、大きな花束を持って駆けつけてくれた。そのお礼を言うと、「どんな映画だったか、わかんないんだよ。はじまってすぐ爆睡してさー、三十分ぐらい寝て、仕事戻っちゃったから」。「それはないでしょう!金曜までやってるんだからもう一回観てよ」と言うと、「今井の話が映画になったってだけで、俺はうれしいんだよ」。喜んでくれる気持ちはうれしいけれど、応援団は選手を応援するだけじゃなくて試合をちゃんと見届けないと。

今日はテレビ局のプロデューサーをしている同級生のY君と会う。電通の就職試験の帰りに新幹線の中で知り合って以来のおつきあい。彼がプロデュースした番組をわたしが書く可能性も、なきにしもあらず。人生何が起こるかわからない。


2002年05月15日(水)  パコの不一致

■ダンナがサッカー中継に見入っているので「パコダテ人とどっちが面白い?」と聞いたら、「サッカーに決まってるだろ!」と言われた。関係者試写で観たときは感動していたくせに、「ストーリーが荒唐無稽すぎる」「大人にはついていけない」と今頃になってあら探しを始めた。『海の上のピアニスト』を一緒に観たときも、「船に何ヶ月も閉じこもっていたピアニストが、こぎれいなカッコしてて、髪も伸びてないのはおかしい」と難癖をつけ、作品を全否定した人なので、ファンタジーを受けつけないのかもしれない。(ちなみにわたしは、あのピアニストの時間が止まっているのは、訪ねて行った友人の見た幻だからだと思っている。そうでなきゃ、ピアニストの乗った船が大破されるのは残酷すぎる)。人の作品で意見が分かれるのは許せるが、自分の記念すべきデビュー作をそんな風に思われていたとは。つじつまとか理屈とかすっ飛ばしているところがパコダテ人の面白さなのだが、それを欠点だと指摘する意見もある。でも、世界中を敵に回したって、自分の家族にはわかってほしいのだ。しっぽごとひかるを受け入れてくれた日野家のように。「あの作品はわたしそのものって言ってくれる人もいるのに、それを否定することは、わたしを否定することだ!」と暴れていると、サッカーから片時も目を離さないダンナは、「いや、君そのものは見てて面白いよ」。そんなこと言われてうれしいもんか。あーあ、パコの不一致、とスネた。■後日、友人E君に話すと、「サッカー観てるときに、そんな野暮なこと聞くのは、飼い犬がご飯食べてるときに手を出すようなもの」と言われた。つまりはタイミングが悪かったということ。「今度、目の前にごちそうがないときに聞いてみたら」とアドバイスされたので、あらためて同じ質問をしてみよう。

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