生きる。を消費する

2010年04月29日(木) ぐずぐず、じめじめ

例えばケンカをしても、その時の怒りとかイライラを相手にぶつける事で
何かが解決したり和解したりする事は難しいのではないかと思う。
相手が自分よりも冷静であればいいのだが、売り言葉に買い言葉で
どんどんヒートアップしてしまう事がよくあるのではないか。

私はそれで過去「しなくていいケンカ」をした事が何度もあるので
最近はそういう事がある場合は、なるべく冷静になり落ち着いた気持ちで
現状をどのように楽しい方向に落ち着かせるかを考えられるようになった。
まだまだ未熟だが、つまらない事で大切な関係性をダメにしたくない。

ちょっとだけ、間を置いて。
深呼吸すると開けてくる、新しい考えと未来。

それは私にとってとても有益で、素晴らしいものだと信じて。
これから少しづつだが、こうしてみる。
今までの失敗を胸に、より明るい未来を創るのです。

とかいってるけど、結局同居人と一緒に住みだしたときの
暗黒の日々を思い出すだけで死にたくなるから、それを回避したいって
それだけなんだよ(笑)やあねえかっこつけちゃって、私。


2010年04月28日(水) 生きる喜び

ふと、幸せってなんだろうなと考える。

私が生きてることで誰かが幸せになれたらうれしいな。
「そこに存在することの素晴らしさ」に価値を見出さなくなっている昨今
存在だけでは駄目、何か成果を出さなくては生きる資格が無いのだ!と
強迫観念にも似たものを感じることに、とても苦痛を感じるのです。

毎日が辛い。私が居ないと困るんだ、とでも言われたいかのような。
私はこのままぼんやりと生きて、そして何処に行くのだろう。
その手をちょっとでも離されることで、不安になる癖に。
私はその握った手を信用しない。「この手はいつか離れてしまうんだ」と。
自分の人生を、他人事のように消化している私がずっと自分を見つめている。
さて、いつになったら自分の出来事として認識するのだろうか。
愛も、憎しみも、悲しみも。全てが自分じゃない気がしているが、それでいいのか?

私が死んだら、誰かが泣いてくれるのだろうか。
それを試す時期はもう終わった。死んだところで何も変わらない。
そう、私が居ないことで多分何も変わらないのだ。影響力があると思ってた自分が
とっても傲慢で自意識過剰な、可哀想な子だってのが解ったという事だけ。

時々、自分が漆黒の闇に向かってじっと見つめてると想像することがある。
その闇から、果たして光が見えることがあるのだろうかと。


2010年04月19日(月) 中身は誰?

最近「hanazerは実は着ぐるみで、中身はオッサン説」を考察する事が多いのだが
この説を唱えると、過去に私が経験したよくわからない事がクリアになったりして
面白いので、ちょっと書いてみようかと思った次第でございます。

着ぐるみについて、よくある話として「ミッキーの中身は云々」とかあるでしょ?
でもあれって別にどうでもいい事じゃないかなって思って。
中身が人間だろうが何だろうが、自分の目の前にいるのはミッキーです。
ハイ終了。という思考の人ってなかなか居ないと思う。
たいていの人は、その中身が本当は何なのか知りたがる。大人?子供?男?女??

私がよくされる質問で「えーなんでそんな事を?」っていう位深い事を
(悪く言えば下世話な詮索でしかないのだが)
大して仲が良くない人にされる事が多いのは長年の疑問であったんだけれど
もしかして、私の中身がオッサンなのでは?と疑い出して来て、気になるから
その人的に「お前、正体はオッサンだろ?」って確かめたいのかな?って考えると
それはとても納得がいく行為であって。見えてる私を素直に信用出来ないんだなと。
「hanazerお前本当は何者なんだ?」と。

それなら、しょうがない。
そんな下世話な内容を質問したくなる気持ちはよくわかる。
でも、着ぐるみの中身が貴方の目の前に姿を現す事はないのだから
聞いてもしょうがないのになあ、と思う。

でも、人って秘密が大好きだから聞きたいんだろうね。
聞いた結果がその人の望んでるものじゃなかったとしても。

聞かれてる私の立場から言えば、中身がオッサンだという方が
色々と都合がいいので、今後はこれを有効に使っていこうかと思ってる次第であります。


2010年04月06日(火) ようやく落ち着いたかな

いやー、春は色々不安定です。

ここ数日でやっと落ち着いて来て、自分の精神状態が
キチンとコントロール出来る様になってきました。
頭掻きむしる程イーッとなる事も無くなって来たし
そろそろアッパーなものも大丈夫な気がします。

夏に向けて活動再開、って感じですかね。

会社帰りに、ちょっと寄り道して隅田川をボーッと眺めたり
桜を楽しんだりする日々が楽しかったりするけれど
そんな「独りで過ごす時間」だけでは、私の人生は豊かにならない。
だからこそ、他人と過ごす時間に真剣に対峙したいのです。
他人同士だからこそ、理解しあえない事だってあるしケンカもする。
でも、それを経て得る物を私は信じたいと。そう思っているのです。

甘いのかな。
結局「もうお前にはうんざりだぜ」って言われるのかな。
でも、それはそれでしょうがない。
受け止められたら、それだけ私は全力を尽くした結果だと思える。

だから、後悔の無い様にしたい。


korekara doushiyo
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