生きる。を消費する
雨続きで憂鬱な日々が続いてましたが、今日はスカッとした天気。 こういう湿気が抜けるような天気があると、だいぶ気持ちが落ち着きます。
ココ数年で見事な頭痛持ちになった私は、気圧の変化とか天気とかに敏感になり 海の近くに住むようになってからは、特に空の澄み具合とかで推し量るようになり それがだいぶ感覚的に身についてきたのかなと思っています。
高校生の頃の私は、とにかく野生の勘で生きてるような女で 時計も持たずに大体の時間がわかるし、空気の匂いで天気の移り変わりが解る そんな野生児だったのですが、それから20年ちかくでだいぶその勘も衰えて 今となっては取り戻すのに一苦労している始末なのです。
時計をしていないのは相変わらずなのですが、それは金属アレルギーなのと 携帯があるから、時間はそれを見て済ませてるから。 昔のように、腹時計じゃ時間はわからないわけです。
勘が研ぎ澄ませられると、相手とのやり取りでも偽善や嘘が見破れるし 危険察知能力が自ずと高くなるので、サバイバルに向いた感性になっていきます。 とりあえず今のところ何かにサバイブしなきゃならんわけではないんですが やはり、ホテルに泊まった時に非常口の場所を確認するような私ですから そのあたりは鍛錬していきたいなと思っているわけです、ええ。
そんな自分が嫌いじゃない、むしろ大好きなので 積極的にスキルアップさせたい次第であります。
今までがんばった私へのご褒美だよ!
たぶん、ね。
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自転車漕ぎながら、色々考え事してたらすぐ家に着いちゃった。 そんな私はどんな顔して自転車漕いでるんだろうか。 嫌な事、楽しかった事、嬉しかった一言。 色々思い出しながらペダルを漕ぐと、何だか気分がすっきりする。
気がついたら、私は今年で36歳になる。 今まで自由気ままに暮らしてきたけど、それもそろそろ終わり。 出産だってあと数年で出来なくなる。出来なくなる事がどんどん増える。 だから、私はもっと「今できることをやる」事に真剣でなくてはならないのだ。
あ〜考える事一杯。 だから、朝目が覚めて本棚を眺めてると 会社に行かなきゃならないのに、そこにある漫画を読みたくなる。 現実逃避を、脳みそが欲しているのだ。いやだねえ。
忘れよう。 一旦、色々を忘れよう。 それから見えてくるものを掴み取ればいいんだ。
まだ、モヤモヤするけど でももう1歩を踏み出してしまったのだから、ね。
濃霧のように、直前の大切なものすら見えなかったのが ちょっとしたことで、すっかり霧がはれてきた。 もしかしたら、とても些細な事だったのかもしれないが 私にとっては全然些細な事じゃなく、もう全部忘れてしまって まるで全く最初から何も無かった体で過ごそうかと考えた位に。
そう、まるで先週見た夢の話を思い出すような気持ちで。 全部楽しかったことや涙が出るほど嬉しかったことや。 そんな事は全部現実じゃなく、夢だったのだと思う事で 目の前にある幸せを直視する事を止めたかったのかな。
気持ちは、いつでもとても細い糸で繋がれている。 それを沢山撚ることで、太い糸になっていくのかも。 私はまだガツガツと進んでいく事に躊躇している。 本当に、これでいいのかと考えあぐねている。
暖かい温もりが、すべてじゃないんだと。いい聞かせている。 でも、多分それが全てなんじゃないかな。ホントにいいのかな?
昔の日記を読み返すと、ここ2年でかなりスローライフになったことが解る。 2年前の5月の日記なんてジムでエアロビやってるんだよ私。 まるで別人・・・・・
当時はああでもしてないと気が狂うとか思ってたんだろうね〜。 恋をしてたから、自分磨きに一生懸命だった気がする。 んなことしても意味無かったけど。 まああんなの気の持ちようだから、取り敢えず頑張ったってことで 結果がどうであれ、自分が納得すればOKてのもあるよね。
当時は仕事も恋愛も何もかもがどよーんとしてて、とにかくアクセル全開にする事で 色々なものから吹っ切れる事だけを考えてた気がする。何に追われてたのか不明だが。 今の私は、大変だし辛いけど自分の力次第でどうにかなる気がしてるから 頑張ってみようとか我慢しようとか、そういう気持ちが出てくるんだけれど 当時は「なんで私が」ってそればっかりだった気がする。閉塞感に押しつぶされずに 如何に自分を見失わずにいるか、みたいなことばかり考えてた気がする。
恋愛も「枯渇防止(色んな意味で)&モチベーション上げる為のツール」として 一生懸命頑張ってたって感じで、その人とずっと一緒に居たいとかそういうのは 二の次で考えてた気がする。だから、当時の気持ちがちょっと思い出せない。
この2年間色々あったけど、結局は苦しんでもがいただけ得たものがあったし それをどうこれからの自分に生かすかみたいなことを試されてる今があるから まだまだ気を抜けないです。
よっぽどのことが無い限り飽きない私が、めずらしく飽きたと思った。
すごいぜ!
飽きるってこういう事を言うんだな〜と感慨深くなってしまった。 やっぱり物事何でも程々が一番でございます。 我慢するのとか、努力するのとか苦手だから飽きないって思ってるんだけど 飽きたって事はもしかして我慢してたり妥協してたりしたのかしら。 そのあたりはまだわからないんだけど、新鮮な気持ちなので、 この気持ちは大事にとっておこうとおもいます。
| 2010年05月16日(日) |
愛するというには、まだまだ |
壮大なノロケ話と思って一笑に付すのもよろし、 読んでみて何か感じてもらえたら、この気持を これを読んでる人達と共有できたら、と思って書いてるのです。 私の脳内で済ませるにはあまりにも複雑すぎるし なによりこうして文章にまとめる事で自分の心に深く刺さる訳で。 だから、他の人からしたらつまらん文章かもしれないですが、 こうして書き綴るのです。
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彼と付き合い始めて3ヶ月くらいになろうとしている。 多分に漏れず、浮かれポンチだった私もそろそろ現実が見えてくるわけで。
頻繁に会っている上に、お互い個性的なキャラであるから 以前よりもぶつかる事も増えてきたのです。 ただ、普通にケンカという表現で済ますにはもったいない、 もっと沢山のヒントがある行為であり 私はそれをキチンと拾うために、感情的には済ませず 冷静になろうと努めてるところなのです。
だまされてるのではないかと思うほどの素敵な彼氏であったわけですが 私はそんな気遣いが出来て優しい人の好意に全体重を掛けて甘えていたわけで。
何が素晴らしいって、とにかく今まで味わったことの無かったのが その時、その瞬間に出来る限りの事をしてくれるのです。 自分の気持ちを犠牲にして。その一生懸命なその姿に感動してしまうのです。 超個性的で多分わがままでこだわり派なはずなのに、私に合わせて行動してくれる。 私はそれでもうお腹いっぱいなのです。足りない訳がない。
でも、私は愛情にとても飢えている人間で、とても沢山の愛が欲しいと叫んでいる。 だから、彼はそれに答えようと一生懸命になってくれて、それでも私が枯渇しているから 「これ以上どうしたらお前は満足するんだ?」となってしまっていたらしい。
私は、彼氏からの愛は超特別で、いくらだって満足できるはずなのに。 誤解を生んでしまい、気持ちがずれていってしまったのです。
とにかくとても繊細な人だから、ガサツな私はそれをバキッと割ってしまうんだけど、 それでもメゲずに何度もトライしてくれる所が凄く嬉しいし感動するんです。 愛されてるんだ私!って実感する瞬間。 私が足りないと思ってる事を一生懸命補おうとしてくれるし、 それにそんなに全力でパワーを使ってくれる人っていうのは今までに無かったので、 超絶嬉しかった一方、私も私でただ見てるしか出来なかったから、 彼独りで消耗してしまったみたいで、それは本当に悪かったなあと反省している所なのです。
こだわり派の彼は、多分嫌な事は「嫌だ」と口に出して言うはずだと思い込んでいた。 自分の気持ちはちゃんと表現してくれるはずだ、と信じ込んでいたのです。
でも、実のところは自分がどうしたいか、どうしてほしいかを口に出して主張出来る人なんて 少ないわけで(もちろん私だって出来ない)それは一緒に居る私がちゃんと汲んであげて、 ストレスの無いようにすべきだった訳です。なんて今更書いても遅いのかもしれないが。 あ〜私って超絶おバカさん!ホント自分が嫌になる。
とにかく吸い込んでしまう人でもあり、跳ね返してくれる人でもあったおかげで 色々沢山の事に気がつくキッカケを作って貰えて感謝しています。 何度も書くけど、この数カ月で沢山の事を学べたと思う。 行動が伴ってないのが非常に残念なのだが。 自分が如何に出来てないか、思い知らされる事になった訳で。
ホント思い知ったのは「出会わなければ良かったのに」と思ってしまいかねない事。 先日の時点では「僕は君のことが好きなのかどうかすら解らない」と言われてしまった。 まだ挽回の余地はあるのだろうか。起死回生を夢見ていいんだろうか。
出会わなければ良かったと、既に私は思っている。 彼は私の事が好きではない所から始まっているから 私がアクションを起こさなければ、こんなことにはならなかったのだと。
でも、それじゃ相手があまりにも救われないだろう。 もっと幸せに向かって、歩みを進めたいんだ。 だから私はこうして書き綴り、また熟考する。
私も、彼もまた手探りで歩みを進めている。 その中で幸せになれると思えるようになるのだろうか。
今までの人生で、嫉妬に狂う事というのはしばらくなかった気がする。 若い頃はとても嫉妬深い女だったと思う。 勝ち負けで生きていた事もあるとおもうが、それで悔しくて 人を傷つけたり(精神的にも肉体的にも)した事があるので嫌だった。
だから大人になってからは嫉妬を表に出すのはカッコ悪いと思って 極力自分のそういったドロドロした感情を表現するのは抑えていた。
でも、その嫉妬心も恋愛に対しては感じたことが無かったと思う。 今までの恋愛はろくなもんが無かったけれど、多分嫉妬してたら 身が持たないようなものばかりだったからなのだろう。 大抵が他に付き合ってる人が居たり、浮気されたり、はたまた裏切られたり。 そういう事が多かったのかもしれないから、自分の嫉妬心は隠してたのだろう。
私は独りだ。誰も私を守ってくれる人など居ない。 戦場に取り残されても、誰も手を引いて「逃げろ」と言う人は居ない。 だから、今の私はとても固い殻で覆われている。自らも割ることが出来ないくらいの。 最近、感情がうまくコントロール出来ないのは多分それが原因なのかもしれない。 固い殻に亀裂が入り始めたのかもしれない。もしかしたら。
ずっとずっとそればかり考えてて、答えなんて出る訳ないんだけれど。 自分をだましだましてここまでやってきたんだもの、外に出してあげる時が来たのかも。
嫉妬に狂うのはみっともない、と思ってセーブしてきたが 今回嫉妬する事で、その相手に対する愛情の度合いを図ることが出来た。 私は多分もう後戻り出来ないんだろう。今までそれが怖くて、船を漕ぎ出さずに 目の前の大海をただ眺めて想像して、それで終わってたのかもしれない。
何かが変わった。うまく口に出して言えないけれど。 より良い私が現れる事を祈って。流れ落ちる涙を拭いて。
愛するって何だろう、とずっと考えている。 昔の話や人の話を聞いて、何度も考えている。
答えが出ないが、そんなの当たり前だ。
そんなにスグに答えが出たら、誰も苦労しないわけで。 だからこそ、私はずっと頭の片隅でループさせている。 ずっと、ずっと。時には回転数を変えたりしながら。
気持ちが伝わらないって苦しい。 嫌な気持ちはスグに伝わるのに、いい気持ちは伝わらないんだ。
どうしてなんだろう。 もっと、ちゃんと相手に気持ちを伝えたい。 そればかりをずっと考えている。
私は自分が思ったことを話したい。 面と向かって話せないことはあまり無いと思ってるつもりだが 受け手が理解できない内容の事も多くて、そういう意味で話さない事もある。 だから、わからないことをちゃんとわかるように噛み砕いて話したいとも思う。
でも、私の言うことはどれも難解で判りにくいらしく 発言に誤解を生むことや、他人を不快にさせることが多い。
だから、私はまずこうして文章に気持ちを起こす。 それで何度も読み返して、推敲してみたりして。 もちろん遭った出来事や友人の話なども、色々聞いた上で変わる事もある。 他人を見て思ったことだってそうだし、自分自身のことについてもそうだ。 それはとても非常識な内容かもしれない、誰かが傷つくかもしれない。
で、そういった思考をまとめるツールとしての場所であったインターネットだが ここ数年は「書きたいことが書けないジレンマ」に陥っている。 しがらみであったり、社会的な制限であったり・・・色々なことが私を束縛する。 だから、物を書く頻度が減ったなあと感じるのである。
大体にして、ネットをやりだした頃ってのはみな「自分が知ってる人の書いたもの」を 進んで読みたがる。私が長くネットで文章を書いてる事を最近は知ってる人も多く 「あなたの書いてる文章を読んでみたい」と言われる。でも、見せると大抵1度はこう言う。 「あの日の文章は、私の事を言っているのか」と。大抵違うんだけど、よく言われるのだ。 書いた私からしてみたら、そう思ったらそう思ったで結構だし、嫌なら読むなよ。 私の事を言ってるのか?と思ったなら、どうしてそう思ったか考えて その答えを私に聞かせてくれ。 それは、書いた私にとって大いに得るものがあり、 その人との関係もより深くなるきっかけになるのだから。 それを「読む」と云うのではないのか?と。
いちいち言うのも面倒なんで、対処の仕方もその時によって違うのですが やはりこういう事が続くと、ガラパゴスなテキストエリアでひっそり生きていきたいと 切実に願ってしまったりするのであります。
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