かっしーのつぶやき
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2007年05月31日(木) 左手親指創傷

仕事中に、ふとしたはずみで自分で自分の親指をカッターで切りつけてしまいました。
ぱっくり割れた傷口から血(以下自粛)指紋がズレ(自粛だって)

近所のお医者様(外科があってほんとうによかった…)に駆け込んで手当てしてもらいました。忙しいであろう昼時に、たかが指切ったってだけで泡食って飛び込んで来た患者をイヤな顔ひとつせず診てくれたクリニックの皆さんに感謝です。会計では労災の書類を出してもらうように指示されて、ひょええええ。痛み止めと化膿止めをすぐに処方していただいて飲んだおかげで、ほとんど痛みは感じずに済んだのが不幸中の幸いでした。

最近は仕事がいろいろ立てこんでまして、自分のペースではどうにもならないことも多かったりして休日出勤明けの今週などはどことなく心身の軸が定まらないような感じがあったのですが、そういう落ち着かない感覚が積もり積もって今日の怪我につながってしまったような気がします。

いろんな意味で、己が心身への過信や油断には日々気をつけよう、と改めて思いましたことです。


2007年05月27日(日) ニコイチ

TV版「地球へ…」のモブにおヤエさんやニナが出ててね、という話をしたら、timutaんから

「ダンは?」

と速攻ツッコミが。
いや、たしかニナだけが子供達の中に描いてあってダンはいなかったような、と答えたら

「あ、それじゃ全然ダメ。だってあの二人は、“ニコイチ”だもん」

…。

至言哉!

思春期の頃から現在まで『私を月まで連れてって』を読み込んでいる長年のファンの言うことは、さすが正鵠を射ているなと感服いたしました。

そういえば、私、おヤエさんには「わー、オヤエさんだー!」と反応したけど、ニナには「あー、ニナが描いてある」って思っただけだったなーと。
それって、ニナと一緒にダンが描いてなかったからピンとこなかったんですね。納得ー。


2007年05月26日(土) ウェンディはやがてオトナになりましたとさ

案の定、回を追うごとに私の感性とは甚だしくノリが合わない「TV版スタッフによる新解釈演出」部分が頻出するようになったTV版「地球へ…」でございます。

(遠い目)

さすがの私ももうこのごろでは、TV版「地球へ…」を視聴するにあたっては「果たしてこのTV版は、私の読んだ原作といったいどんだけ違ったものになるのだろうか」という恐いもの見たさのほうが先走るようになってしまいました。

それでも、できるだけあれこれ文句はつけないようにしようと思っているのです。
言いたいことはそりゃいろいろあるけど、私の感性とは合わないからってその部分をいちいちあげつらうのは、懸命に作品を作っているであろうTV版のスタッフさん達に悪いような気がするし。ああ、しょせん私は、『地球へ…』に関するものにはどーしても甘くなってしまうのでした。

たとえば、これがさほど思い入れのない他の作品のことだったら、「この人間関係は押さえとかなきゃダメでしょ?!」とか「ここをこんなふうに変えちゃったら原作の意図が丸つぶれじゃん!」とかあれこれグチが言えたような気がします。
でも、『地球へ…』については、私は、あまり強くは出られません。
TV版がたとえどんなに(私的には)ヘタレアニメになっていってしまったとしても、それでもそれがあの素晴らしい原作『地球へ…』の名に連なる作品であると思うと、やはり頭ごなしに全否定する気にはなれないのです。

なんたってほら、「初恋の人」が出てますので。(おお、なんて『地球へ…』的な思考!<処置なし)

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だから、いいのです。

たとえば今日放映のTV版「地球へ…」で、
セキ・レイ・シロエがジョミー(のイメージ)に向かって
「助けて、ピーターパン!」
とか叫んじゃったりしても。

…。

(ぐあー)

…。

(気を取り直して)
いいのです。
それはそれでTV版製作スタッフの皆さんの、熟考の末の、演出上のひとつの選択だったのだと、思うことにします。

そして改めて、先日書いたとおり「自分内ゲンナリ」を済ませておいて本当に良かったと。

私はほんとにすっかりオトナになってしまいましたのよ。
あの日のウェンディのままじゃいられなかったの、ごめんねピーターパン。みたいなー(棒読み)。

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で。
TV版シロエのそのあまりと言うにもあんまりなセリフにショックを受けた私は、その後、原作『地球へ…』を一気に全巻読み返してしまいました(苦笑)。

休日出勤帰りの疲れ極限で心が弱くなってたときに見たもんですから、ひどく不安に襲われてしまったんですよ。
ちょっと待って、あたしの大好きな『地球へ…』ってそんなに×××な作品だったっけ?と。

全部通しで読み返して、ああやっぱり私の『地球へ…』は私の『地球へ…』だ、よかった、とやっと安心した私でした。


後から思いましたが、この時の私の心理というのは、かのソルジャー・ブルーが心身ともに弱りつつあったとき、たまらずフィシスのところへやってきて「またきみの地球を見せてくれないか」とその手をとらずにはいられなかった、その気持ちの動きととても近いものがあるんではないでしょうか。

ことほどさように初恋とは、人ひとりの心にとって変えようのない何か、なのでしょう。


そんなふうにまたひとつ歳をとってオトナになった誕生日の夕暮れどきなのでした。


2007年05月10日(木) ステキな宇宙船地球号(半笑い)

本日のtimutaんの発言。

「こわいよー、ついうっかり『地球へ…』読破しちゃったよー!
 な、な、なんてこわいまんがなんだーー!!」

そうね、あれは少なくとも「ついうっかり」なんてタイミングで読んでいい話じゃないと思うよ…

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相変わらずTV版「地球へ…」見てはきゅんきゅんしとる私ですが、まさに今日この日に原作版『地球へ…』を初読してショックを受けているピュアなtimutaんを前にして、ふと、私も心の準備は早めにしておいたほうがいいなと思いました。

心の準備。

→今やってるTV版「地球へ…」が、今後ヘタレ展開になっていった場合の(笑)。

オープニングの映像の出来がとてもよかったのでそれに気を良くして忘れがちですが、しょせんこの枠は地上波TBSのしかも土曜の6時といういわゆる「子供が見てる枠」なわけで、「地球へ…」がその原作通りにやってもらえるなんて保証はどこにもないんだよなあと。

timutaんの読後の言葉からもわかるように、『地球へ…』というマンガは、底知れない奥深さを持つ作品です。
四半世紀前に作られた劇場版も、人間関係を変えていたり原作と違った結末になっていたりと、制作上さまざまな制約を受けていたのであろうことが伺える内容です。
それを今またTVシリーズのアニメにして放映する、それ自体が実はたいへんな冒険的行為なのです。

同じ枠の前番組だった「天保異聞 妖奇士」のナニでアレな終わらされ方とか思い返すと、私の大好きな『地球へ…』の世界が換骨奪胎のグズグズTVアニメにすりかえられて終わってしまう危険性は実は非常に高いのでしたよ。

だからね、今のうちに心の準備をしておこうと思います。

つか、ショック受けないうちに最悪の状況を自分で想定しておこうと。

現時点で既にいろいろ細かいところが原作とTV版では変わっています。
その中でも大きい違いとして挙げられるのは、ジョミーの育て親のジョミーに対するスタンスでしょう。
原作では、ジョミーの育て親はあくまでS.D.体制に身も心も適合しきった成人男女として描かれていますが、TV版の両親は原作よりもずっとウェットな感じになっています。原作の父親には殆ど存在感がありませんがTV版のお父さんは成長したジョミーにしみじみとした目線を投げるし、お母さんは原作の母親のようにジョミーの不審な言動に怯えて即座に「当局へ通報」したりせず、心理テストを受けさせられるジョミーが裸で運び出されようとするのに憤激してせめて何か着せてやってくれとパジャマを差し出したりする。
ずいぶん変えたなあ、というより、ほとんど「真逆」と言っていい位になってる感じです。
『地球へ…』という作品において、“親”と呼ぶべき存在やその意思のかたちとのそれぞれの関係性というものは非常に重要なファクターであるわけですが、その重要な部分をTV版放映第一回からすでにこれだけ変えてくる、ということは、もしかしたらTV版の製作スタッフは最初から、そのあたりを自分たちなりの解釈で作り変えようというはっきりとした意図を持って作品構成に臨んでいるのかもしれません。

…。

い○ぶちってば実はけっこうマッチョ志向なとこあるからなあぁぁ。

TV版「地球へ…」のオチが、実は「お父さんお母さんを大切にしよう」「赤ちゃんは母乳で育てましょう」「国民総背番号化反対」「母なる星・地球を大切にしよう」…みたいなところにまとめられちゃったりしたらどうしよう!(震
つか、ジョミーの両親の描写のあの変えっぷりを考えると、そういうところを前面に押し出したオチが待っていそうな気がヒシヒシとしてくるわけですが。

「地球へ…」って、つまり「みんなの素敵な宇宙船・地球号」のお話だったのね、みたいな!(爆

…(泣)


いやその。
なぜにそこまでイヤ発想をしてしまうかというと、先日、ケーブルTVでついうっかり
「伝説巨神イデオン 発動篇」
を見てしまったせいです。

なんてーかその…
「イデオン」の発動篇を見てから改めてTV版「地球へ…」を見るとですね…
オープニングの最初のとこで、闇に浮かぶソルジャー・ブルーのおなかのあたりが白く光って、彼が目を閉じて手を広げるとそこから白い閃光の高速粒子がパーッと放出される絵があるじゃないですか。
あれがね…
「では、メシア… たのみます…」
のパk…いや、翻案みたいに見えちゃったんですよね…


だからね!
思ってしまったわけですよ!

TV版スタッフの皆さんが、TV版「地球へ…」を
「平成のイデオン」みたいな感覚で作ろうとしてるんだったらどうしよう、とか!!

今度は“新生児の無垢”じゃなくて“少年期の憧れ”が母なる地球へ人類を導くんだよーん、みたいな発想入ってたらどうしよう、とか!!!

わああすみませんすみません。

いや、いいんですよ、それがTV版スタッフの皆さんが考えた「地球へ…」なら…
間違いじゃない、間違いじゃないんだ、そういうのも全部飲み込んじゃうくらいに大きい大きい原作だからたぶんそれはそれでいいんだと思う…

ただ単に私の好みのノリじゃないってだけで。


だから、そういうの見させられてからショック受けて落ち込んだりするのももうめんどくさいからいっそのこと先回りして自分からそういうイヤ想像して先に「自分内ゲンナリ」を済ませておこうと。

そんなふうに最近は強く思うようになってきましたです。
私もいろんな意味でオトナになりました。
なってしまいました。しくしくしく。

…。

まあそう申しましても私は、言わば『地球へ…』に魂奪われた人間であることは変わらないので、たぶんどんなものでもそれが『地球へ…』の作品世界へ連なるものであるのならあれこれ文句をつけつつも愛してしまうのだ、とは、思います。

…たぶん。

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というようなことを(原作を読んだばかりでまだフラフラ中の)timutaんに主張してみたところ、

「だってー!しょうがないじゃない、TVにはTVコードってもんがあるんだから!
あんな最後にはジョミーが○○○○だらけ(中略)、みたいな話、そのまま放映できるわけないじゃない!」

と半泣きで反論されました。そ、それもそうだよね…。全部原作通りだったら放映自体できなかったかもしれないし、そしたらこの機に乗じた形で昔の劇場版「地球へ…」や24時間TVアニメの「アンドロメダ・ストーリーズ」や、あまつさえ「夏への扉」なんてものまでがごっそりDVD化されるなんてこともまず有り得なかっただろうから、そう考えると今のTV版なんかもう、とっても良心的って言っていいくらいの出来ばえなんだよね… うん、そうだよね…

…私もいろんな意味でオトナになりました。
なってしまいました。しくしくしく。


2007年05月05日(土) 奥武蔵天空狼神社

たかが一見の分際で畏れ多くも武蔵御嶽神社のご祭神についてあれこれ語るなどという愚は犯しませぬ。
(timutaんの日記参照)

いやほんとに、あんな天空の山の頂上にぽつねんと浮かんでいるかのような修験道の集落、しかもその集落の人口のうち約4割が神主(!)なんてところにのほほんとケーブルカーで出掛けていった私のような一観光客が、そこのご祭神に対してあれこれ書散らすなんざまことに不遜の極みというものです。ええもうほんとに。

この天空の集落で代々暮らしているという人たちの圧倒的な存在感の前には、「あの狼神社に祀られている狼というのは実はヤマイヌで」とか「真言密教に比べて天台密教は分裂と対立を繰り返していて」とかそんなことを人に向かって賢しらに講釈たれるおのれというものがなんとも浮薄な人間に感じられましたです。

私は、自分が学生時代に民俗学だの文化人類学だのを生半可にかじったために、こういう特定地域の異文化や特異な風習を見聞きした時にさも自分のほうが物を知ってるんだみたいな所に立って事象を見下ろすような視点を持つことがあって、自分でも嫌だなあと思います。そこで暮らしを営んでいるのはそこにいるひとりひとりの人間の心と身体であるのだから、「論理的に正しい」結論なんて出すことに本当は意味なんかありはしないのに。


大学時代の恩師の言葉を思い出します。

「修験道には手は出すな。君らのような学生に手におえる相手じゃない」

今思えばこれは、もしかしたら、己の「知識欲」のようなものに自分で飲み込まれて目前のものの本質を見誤るような研究はするな、という遠い戒めであったのかもしれないな、と。


山菜の天ぷらなぞをおいしくいただきながら心ひそかに自戒を新たにした、端午の節句でございました。


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