かっしーのつぶやき
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数年前のこの時期、沖縄に旅行に行ったことがあります。本土はもう晩秋のおもむきですが、沖縄はまだ海水浴ができるくらいの暑さ。でも、さすがに真夏のあの強烈な陽射しはもうなくて、空気だけがまだぼうっと暖かくて、なんと言うか、おっきな夏のおっきな夕方みたいなとろりとした空気がゆっくり流れていたのが印象的でした。5月から8月までは観光のトップシーズン、9月は台風シーズン、遊泳禁止は11月からということで、この10月というのは沖縄を旅するにはなかなかよい時期なのではないかと思います。 さて、チャーちゃんが出演する映画『八月のかりゆし』は沖縄オールロケ作品で、既に10月中旬から撮影に入っているとか。すると当然、彼女もこの時期、沖縄に行っているわけですね。 あの、あったかいお風呂にゆーーっくり浸かっているみたいな、おっきな夏の終わりのような、そんな今頃の沖縄の風物の中での仕事が、彼女の心身の健康に少しでも良い方向に作用すればいいとしみじみ思います。
かりゆし、の語源は「かるいし(軽石)」だと何かで読んだことがあります。 古来、海洋国家だった琉球では、航海の安全こそがなによりも大事なことでした。そこで、軽石は海に落ちても決して沈まないことから航海安全のお守りとされ、やがてその「かるいし」が、幸せやおめでたいこと全般を表す言葉「かりゆし」になったのだとか。
チャーちゃんの人生、波は荒れても風が凪いでも、どんな時も沈まず流れて海を渡ってゆけるよう、航海安全を心から祈ります。 …縄舟だけに。<それが言いたかったんかい
ちょんまげチャンネル、もとい「時代劇専門チャンネル」というものがケーブルTVにあります。ラインナップが渋好みで、かつ粋な遊び心もあったりして魅力的なので、時々つけて見ては「うわー、殿ー」とか「うわー、親分ー」とか懐かしい顔に再会して楽しんでおります。 さて今日も何の気なしにつけていたら始まったのが「旅人 異三郎」という股旅もの。1973年放映東京12チャンネル、監督・マキノ雅弘、主演・杉良太郎。初めて見た作品なんですが、これが実に、正統派股旅ものという感じで実にシブく、かつカッコよかった。地味な話なんだけど、構成にツヤがある、とでも言うんでしょうか、自然と物語にひきこまれてしまうんですね。画面の構図もなんとも言えず「サマになってる」という感じで、とにかく見ていて飽きなかった。画面の芯になってる杉良太郎が、これまた若くてかっこよくて。知らなかった、杉サマってこんなにカッコよかったんだ!と素直に感動してしまいました。 余談ですがゲストキャラ役で出ていた俳優・池田秀一というのは、やはりあの「かつては赤い彗星と呼ばれた男」なのでしょうか。「路傍の石」は見たことがあるけど、こちらは知りませんでした。
…そしてその後にやってた「江戸特捜指令」というものすごいタイトルの時代劇は別の意味で凄かった。ある意味こちらも非常に感動いたしました。時代劇+特撮+妙てけれん風味。仮面の公儀隠密だよ!秘密のアジトだよ!色違いの揃いのコスだよ!カラー爆発だよ!いやー、「必殺」シリーズなき今、久しぶりに見たわこんなバカ時代劇。ごちそうさまでした。
| 2002年10月28日(月) |
匠ひびきファンに100の質問 |
というわけでとうとう出ました、「匠ひびきファンに100の質問」。ぐわー。 いざ出来あがって1から100までまとめて読んでみると、質問を考える手伝いをした私自身、ぐわー、濃い!なんて濃いんだ!ともう笑うしかない位にそれはそれは濃ゆい100の質問です。いったい誰が答えるんだこんな濃い100の質問、ってどうせ匠ひびきファンしか答えないんだからいいのか。いいんだ。
というわけですのでこの濃度を笑いとばしながらお気軽にお試しいただければ幸いです。 …って私もまだじぇーんじぇん全問答えられてないんですが(笑)。
というのは以前ヤクルトスワローズで池山とチームメイトだったクリリンこと今はNHK「男の食彩」等でお茶の間にもお馴染みの栗山英樹氏の公式HPの名前、なんですが彼がスポニチに連載している「熱中せんせい」の第15回目(10/4分)がバックナンバーから抜けているのは何故なのかどなたかご存知の方いらっしゃいましたらぜひ教えて下さい。 いやその、その回ってもしかしたら10/1に引退発表した池山のことをクリさんが何か語ってくれるのではないかなんてヒソカに期待していたんですがついうっかりチェックし忘れてまして…気が付いたらなぜか15回目だけが欠番になってまして…何も語らないならまだしもそこだけ欠番ってのが気になってしょうがないんですよう栗山せんせい(泣)!
と他人事のように言ってますが私もここんとこ続いた諸事に呆けていて日記更新がすっかり滞ってます。すみません。 次行きましょう、次。
| 2002年10月17日(木) |
BASEBALL KID'S ROCK |
ヤクルトスワローズ・池山隆寛内野手、引退記念試合にして今季セ・リーグ最終戦ナイター。 仕事から帰ってきて慌ててTVをつけたら、ちょうど池山が第4打席に入るところでした。入れてて良かったケーブルTV。
消化試合とは思えないほど大入りの神宮球場、池山の現役最後のユニフォーム姿を一目見ようと集まった人々で鈴なりの一塁側スタンドをTV画面で見ていたら、「あのころ」の記憶がどうしようもなく蘇ってきました。私は1992年春からまったく球場に行かなくなってしまい、私にとって神宮の記憶というものはそこで言わばプツリと切れてしまっているのですが、それだけに私が一番足繁く球場に通っていたあのころの記憶はそのままフリーズドライされたように鮮やかに残っているのかもしれません。うまく言えませんが、今夜グラウンドの池山を万感こめて見守る観客席の中に、なんだか「あのころの私」がいるような気がしたのです。
右膝の怪我と左アキレス痛でボロボロの両脚、本当なら立っているものしんどいはずの池山は、その第4打席、結果的に現役最後のヒットとなった二塁打を放ちました。 満足に上げることもできない脚をそれでも必死に動かしてダイヤモンドを回り、二塁上で膝に手をついて息を切らしている彼は、脚が痛むのかそれとも感極まってなのか、とにかく涙が止まらないようで、何度も何度も歯を食いしばり目元をぬぐっていました。 代走は出されませんでした。
延長10回の裏、あと1人ランナーが出さえすればもう一度池山まで打席が回るという場面。なんとかあともう一度バッターボックスに立つ池山の姿が見たいという気持ちと、あんなにしんどそうな彼にもうこれ以上無理はさせたくないという気持ちと、どちらもひたすら胸に痛かった。きっとあの時球場にいたファンの多くが、やっぱりそんな切ない気持ちだったのではないかと思います。どんなに熱心に応援しているファンでも、バッターボックスに立つ彼を、実際に手を添えて支えてあげることはできない。そのどうしようもない現実の前に、ただただ、祈るような、悲鳴のような声援が続く。 そんなとき、飯田がやってくれました。バント安打。俊足の飯田でなければできない、まさにプロの技です。一塁審のセーフのジェスチャーに、観客席からものすごい歓声がわく。これでイケまで打席が回る!スライディングの土を払いながら一塁上に立った飯田は、実にいい顔をしていました。ベンチも大喜び。あいつ、本当にやりやがったよ、そんな声が聞えてきそうな顔また顔。 そう、そして池山です。応援団のトランペットも聞えなくなるほどの大歓声の中、彼は最後の打席に立ちました。フルスイング。ベンチでは何か支えがなければ歩けないような状態なのに、それでもフルスイング。脚の痛みに思わずバランスを崩しグラウンドに膝と手をついて、それでも立ち上がって、最後のフルスイング。
試合終了後に行われた引退セレモニーでは、もう最初から涙の池山選手。 真っ赤な目で、でも背筋をピンと伸ばして、時々あのやんちゃ坊主みたいな笑顔を見せながら彼は、最後の挨拶をしてくれました。
「入団以来19年間、ファンのみなさんに温かい声援をいただいて、こんなに幸せな男はいません。」 「これから第二の人生のバッターボックスに入りますが、これからも応援してやって下さい。必ず皆さんの前に戻って来ます。 こんな私を19年間、本当にありがとうございました。」
野球もスワローズも池山も終わらない。誰にでも、また明日が来る。 標題は浜田省吾、プロ野球好きなら涙なしには聴けない名曲です。未聴のかたはぜひ。
池山と時を同じくして、ヤクルトスワローズの控え捕手・青柳進も今季限りでユニフォームを脱ぐこととなりました。今日が最後の公式戦出場だったよし。 いやしかし、イケとヤギが同じチームに在籍してしかも同じ年に引退することになるなんて、10年前には考えもしなかったなあ。 当たり前なんですが。
| 2002年10月15日(火) |
せめて目の前の一杯のお茶が |
松高が見られなかった仇とばかりに歩いては名物を食べ歩いては名物を食べ。お芋に蕎麦にチーズケーキにりんごケーキに地鶏弁当にえーとえーと。まさに「食べて寝てこそまた明日がある」ツアー。
帰ってきて実家の親に空き巣の報告電話。思いのほか優しくされて泣きそうになる。
いろいろ済んでほっとして夜半過ぎ、ようやっと星組退団者のことを考える心の余裕が出来る。 自分も通りすぎてきた道だから、今回退団を表明した生徒のファンの皆さんの心境を思うともはや一言もない。 苦しいことや悲しいことなんて、ないに越したことはない。それでもつらいことは起こってしまうから、だからせめて今日、泣いている人の目の前にある一杯のお茶が、その人の心を温めてくれることを祈ります。
皆さん、家の鍵はピッキング防止タイプになっていますか?あなた自身の名義で損害保険に入っていますか?…と思わず保険屋のセールストークみたいなことを言ってみたり。鍵屋さんはすぐきてくれました。施工時間はわずか15分。
「転ばぬ先の杖は何十本も用意しておきなさい。」by美輪明宏先生。(平伏)
空き巣に入られた翌日に旅行に出るのってどうなんだろと思いつつ、現場検証済みの部屋であてもなく犯人を呪っていても何ら実りがないので、意を決して松本へ。あずさに乗って座った途端に猛烈な睡魔に襲われ、まさに地の底に引きずり込まれるように眠りました。やっぱり部屋にいる間は無意識のうちに緊張してたんだなあと実感、そして実感すればするほど、ちゃんと働いて自力で家賃払って住んでる部屋に居てどうして緊張なんかしなくちゃいかんのだ〜〜とまたしても怒りがよみがえるのでありましたよ。
宵闇の松本に到着、お宿は和風ミニマム&モダンな造り。余計な飾りが全然ない部屋でなんだかほっとする。おいしい晩御飯とゆったりお風呂、すこしずつ肩の力が抜けてお湯に溶けてほどけていくみたいで気持ちがなごむ。 元気な時はあまり解らないのが温泉の底力なのだなあ、と四万温泉に続いてまたしても恐れ入った次第です。
| 2002年10月13日(日) |
雨曝しなら濡れるがいいさ |
空き巣にやられました。 実家から帰ってみると部屋が(以下相棒timutaさんの日記参照)、というわけでピッキング窃盗団の悪口なんか言わないわだって下品な言葉じゃないと表現できないから。 …。 刑事さんもお巡りさんも帰った後、荒らされた上になにもかも指紋採取用のアルミの粉だらけになった深夜の部屋の中で、それでも何か温かいものをお腹に入れなきゃ片付ける元気も出ないからとがんばってお湯を沸かしてカップラーメンなぞ食べてみたんですが、本当にうすぼんやりとしか味が判らなくて、なんだか他人事のように「あー、これはいわゆるショックのあまり味覚が麻痺してゐるというやつだらうか」なんて思ったことでした。
今年は、公私共にどういうわけだかしんどいことが続くようです。 愛しの匠ひびきさんの退団発表そして病気休演、半年間の心労がたたって頚椎は歪むわ顎関節症になるわひどい貧血&夏バテで足腰立たなくなるわ、やっとのことで夏が過ぎ復活しかけたかと思ったら池山隆寛引退のニュースで日記書く気力も失うほど落ち込み、それでもいつか立ち直れる日もあるさと思い耐えていたらば今度の空き巣騒ぎです。いくら鈍感な私でも、こうまで続くとさすがに心身へこたれ果てて言葉も出ません。 …というのはきれいごとで実のところはこの今にも目から口から溶岩のように噴出しそうになる呪詛怨念愁苦の類を何の罪科もない人様に対し無遠慮に並べ立て論うのはあんまりみっともない気がしてとりあえず差し控えているだけなのでした。
標題はイースタンユースの曲名。最近心の中でヘビーターン気味。
| 2002年10月07日(月) |
池山に転んだいくつかの理由 |
標題は嘘です。池山に転んだ理由はひとつしかありません。それは、「顔が高杉晋作に似てたから」。それだけです。←匠ひびきさん風に(笑) プロ野球ファンにも幕末ファンにも思いっきり笑い倒されそうな理由ですが、本当です。あとは、まあこじつければなんとでも言葉は紡げますが、結局のところは単なる偶然、たまたまそこに居合わせたから、いわゆる「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら」ってヤツです(この期に及んで小田和正か!)。
顔の第一印象はさておき、彼の身体能力の素晴らしさにはまさに目を奪われるものがありました。 ありそうでありえないような、一種異様なまでの小気味よい動き。野球にはまったくの素人だった私にも、その「良さ」はストレートに伝わる質のものでした。彼のプレイは、本当に美しかった。全身の筋肉がバネのようで、走る姿、飛ぶ姿、フルスイングしたその真っ赤なグローブからパッと離れるバットの動きまでが、獣じみて敏捷で、実に小気味良かった。
思えば当時から、あんなに毎打席捻じ切れるようなフルスイングを続けていたら長持ちはしない、そのうちきっと足腰を痛めるだろうと評論家に言われていたように思います。 でも彼はいつでもブンブン丸で、それが池山隆寛で、そして彼のそんな野球こそが、私の足を神宮に向けさせた。 あのとき、現在進行形の時間の流れの中で、それだけがシンプルな事実でした。
…。 「池山に関する君の激痛な日記をどうにかし給へ」 と相棒timutaさんに言われ自分としても確かにどうにかせねばならんなーと思ってはいたんですが、今日のところはまったく改善できなかったようです。ううう。
今夜のテレビのスポーツニュースに、池山隆寛選手本人が生出演していました。涙の引退記者会見の様子や自分の若いころの試合ビデオが流されて、池山は泣きはらした真っ赤な目でそれを見ながら、あとからあとから涙が溢れて止まらないようでした。怪我に泣き、最後には2軍に落ち、彼としても言葉にできない様々な思いがあったことでしょう。 そんな彼が、それでも最後にこう言ったのです。赤い目のまま笑って、ハンカチでごしごし涙を拭いながら。
「いい仲間に囲まれて、…ほんとに、…幸せな選手だったと思ってます」
彼がそう言った瞬間、うまく言えませんがなにやら凄まじい既視感に襲われ、自分の足元の地面がぐらつくような気がしました。 よもや池山引退のニュースで泣くことはないと思っていましたが、この言葉を聞いていきなり胸をひしがれたような気分になり、そして更にそれに追いうちをかけるように特別ゲストとして元スワローズ監督・関根潤三がスタジオに入って来るわ、元イケトラコンビの片割れ・広沢克実のビデオメッセージは流されるわで、私の涙腺はとうとう決壊してしまいました。
相変らずな広沢のとぼけたようなメッセージを聞いた後の池山、「もう、ヒロさんには引退のこと、よう言わんで。…」そう言って一瞬、言葉に詰まって、また涙ぐんで。「…一番、最後に。…」
もうそれでお手上げです。考えが全然まとまらなくなりました。ああ本当に、イケが引退するのです。なんということでありましょう。
| 2002年10月01日(火) |
ブンブン丸!ブンブン丸!! |
私が最も愛したプロ野球選手、ヤクルトスワローズの池山隆寛内野手が本日、今季限りで現役を引退することを表明しました。
なんだか今年は、こんなことが多いです。 ちょっと参りました。
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