rokoのNotebook


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母子救出活動

2004年10月27日(水)


今日は午後から、新潟県中越地震で発生した長岡市妙見町の土砂崩れに巻き込まれた母子3人の救出活動を中継しているテレビに釘付けになった。
何気なくつけたテレビで、最初に飛び込んできたのは、「母子3人とも生存を確認」というものであり、レスキュー隊の呼びかけにも母親が応えたという情報だった。
数日前、父親がインタビューに「妻子3人の行方がわからなくて、各避難所の名簿を見て回っている」と、答えていた姿が思い出された。

巨岩がゴロゴロしている現場で、テレビ画面を見ているだけでも「余震」と直ぐに気がつくような状況の中で、レスキュー隊の必死の救出活動が続く。
約1時間後、優太君が救出された。
担架に乗せるまで、レスキュー隊員たちの手から手へ、優太君が大事に抱かれて、引き継がれていく。
それは、まさしく「命のリレー」のように思えた。
その間にも、ハンドルに腕がかかった母親の脈を陸上自衛隊の医師が確認したという情報が流れ、やがて、脈に触れなくなったとその情報は変化していった。
2時間後、担架と毛布と青い大きなビニールが用意され、ビニールに覆われた中での活動が続き、毛布に包まれて、担架に乗せられた母親が見えた。
私の心に嫌な予感が走るとともに「心肺停止状態」とアナウンサーの声が告げる。
でも、少し前まで、脈があったのなら・・・優太君も頑張って待っているよ、という祈りも虚しく、病院で死亡が確認された。

病院の会見では、母親は、事故直後、即死状態だっただろうとわかった。
優太君は、横倒しになったワゴン車の底部と岩の間にできた空間に、自力で車外に這い出したのだろう。
収容された病院で、看護師に「ママ」と言ったという。
この4日間、きっと、何度も「ママ」って呼びかけたんだろうね。
寂しかっただろう、寒かっただろう、お腹もすいただろう・・・
本当によく頑張ったね・・・

そして、一旦中断された救出活動は、再開され、真優ちゃんを救出するため土砂を取り除く作業が続いている。


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一方で、今朝、イラクで日本人が人質になったという衝撃的なニュースが流れた。
「イラク・アルカーイダ聖戦機構」を名乗る武装組織が、日本人男性一人を拉致し、自衛隊をイラクから四十八時間以内に撤退させなければ、殺害すると表明したのだ。
この男性は、日本政府のイラクからの「退避勧告」を無視し、ホテルのマネジャーの「イラクは危険だから行くな」と説得にも応じず「自衛隊が駐留するサマワを見に行く」とイラク入りしたのだという。
小泉総理大臣は「あらゆる手を尽くして無事救出しなければならない」と強調したが、それなら何故、自衛隊を撤退させないのか。

識者と言われる人たちは
「勝手に入国したのだから不可抗力ではなく、国の政策を変更することはないし、その交渉の余地はない」「自業自得なんて言えないが、この先どうなっても文句は言えないのでは。(自衛隊の)撤退なんて有り得ない」
と言っている。

確かに、余りにも甘く軽率で無謀な話ではある。
しかし、だからといって、このまま、自衛隊を撤退させずに、彼の命がなくなってもいいのだろうか。
馬鹿な事をしちゃった人間の命は助けてもらえないの?


新潟県中越地方地震

2004年10月25日(月)


土曜日の夕方、PCを閉じようとしていたところへ強い地震が起こった。
東京で震度4。
かなり長目で、揺れが静まってほっとしていると、暫くたって又揺れた。
テレビを付けてニュースを見る。
新潟からの中継中にも余震があると、数分後我が家も揺れた。
少し前にも震度4の地震があったが、段々揺れ方が小さくなってもそれが続くと、怖かった。

震源地が 浅いのと 逆直下型と言うことで、分散して大きな揺れが続くらしい。

専門家に言わせると、阪神大震災で初動の遅れに比べて、今回は首相に通報メモが届くより早く官邸対策室を設置。
自衛隊の派遣も阪神大震災の時とは、比べ物にならないほど早いという。

それでも、ラジオでニュースを聞いていたら、多くの避難所で配給されている食事は、毎食お握り1個かパン1個。
それも、人数分ない避難所が多いという。
かと、思えば今朝、テレビでは、昨日のパンの余りを、希望者に配っている避難所もあった。
アチコチで道路が寸断されていて、各々の避難所への食料の配給も侭ならないのだろうが、避難所によって、格差が出てしまっている。
避難所には行かずに、自主的にテントを張ったりして避難している人々は正確な人数さえも把握できてないというニュースが流れている。
新潟では、雨が断続的に降っていて、寒さも一段と厳しくなってきている。
気象庁は「寒さ対策にも充分気をつけて」と呼びかけている。
しかし、そのニュースを聞く数分前、ある避難所は500人の避難民に対して、15枚の毛布しかないというニュースを聞いたばかりである。

皆、各々の立場で、一生懸命避難している人たちのために動いているのだと思う。
でも多くの人たちが、空腹に耐え、寒さと余震の怖さに震え、きっと眠れぬ夜が更けていっているのだろう。
それは「言葉にならない」と避難している人が言っていたが、体験した者でないとわからない。

ただこんな最悪の状況の中でも、命の誕生もあった。
どんなに大変な時でも・・・人間は明日への小さな希望をもって生きていく。






Castleさんへ

2004年10月11日(月)


昨朝、Sakoちゃんの掲示板で、貴方の逝去を知って、とても信
じられない思いでした。
思えば貴方との出会いはSakoちゃんの掲示板だったでしょうか。
新参者の私に「rokoさんは、巨人ファンですか?」と声をかけて
いただきましたね。
カキコ&レスが苦手な私もその時からSakoちゃんの掲示板でも
気軽にカキコ&レスが出来るようになりました。

6月に貴方が奥様と共同のHPを新装開店した時に、神出鬼没
ぶりを発揮して、図々しくも「巨人ファンのrokoでーす」と、お
邪魔しました。
阪神ファンの貴方は「仲良く喧嘩いたしましょう」とレスして下さ
った。
その後「サヨナラ負けして悔しい〜」ってやり取りした事もあった
けど、お互い贔屓のチームは今年調子が悪くて、喧嘩も出来ま
せんでしたね。

そして、私のサイトの常連さんになって下さった。
昨日は、貴方が「みんなの掲示板」に残して下さった書き込みを
何度も読み直して、涙が止まりませんでした。
貴方は、私が何も更新してない時でも、近況やその日の思いを
「みんなの掲示板」に書いて下さっていました。
此処にいらして下さっている一日のうちの少しの時間、楽しんで
いただけていたのでしょうか?
>Chuさんの訃報への書き込みありがとうございました。
という貴方の書き込みから、1ヵ月後にまさか貴方の訃報を此
処で皆さんにお知らせしなくてはならない・・・なんて。
悲しすぎます。寂しすぎます・・・

さっちゃん@元気予報の掲示板で12月の大阪オフ会のお知ら
せがあった時に、「行きたいナァ〜。でも遠いナァ〜」という私の
カキコに貴方の「>roko おいで〜 おいで〜」というレスがありま
した。
カキコした時は、本音半分、冗談半分だったけれど、貴方のレ
スで、ちょっと頑張って大阪まで行けば、会いたかったさっちゃ
んにも、常連の皆さんにも、そして貴方にも会えるんだ、と思い、
「行きたい」が「行こう」になったのです。
でも、オフ会に参加する事を、貴方にお伝えできませんでした。
その事を書き込みに行って、貴方の入院を知りました。
オフ会まで後2ヶ月・・・それまでに元気になって戻ってきて下さ
ると信じ、その時に改めて「オフ会行きまーす。お目にかかれる
のを楽しみにしてます」と言おうと思っていたのに、とうとうそ
れも叶いませんでした。
今、その事が、とても悔やまれます。

人間って儚いものですね。
私のこれからの人生、出来るだけ後悔の残らないように、自分
の気持ちに素直に向き合って、生きていきたいと思っています。

Castleさん、昨日は貴方の事を想って、一日涙してました。
でも、何時までも私がメソメソしていては、貴方も困りますよね。
だから、これを書いた後は、貴方の事は大事に心の中にしまっ
て、また、普段どおりの私に戻ります。

一度もお目にかかる事はなかったけれど
一度もお声を聞く事もなかったけれど、
ネット上だけのお付き合いだったけれど
貴方の事、決して忘れません。
ありがとうございました。    さようなら    by roko

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