rokoのNotebook


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変漢ミス?

2004年09月27日(月)


ある恋人同士の話。
彼女の就職が決まって、地元を離れなければならなくて、結婚
を考えていた彼は「同棲しよう!」というプロポーズを考えてい
たんだって。
だけど、その言葉は言えないまま、彼女から別れを宣告され、
彼の最後のメールは、「同棲しよう!と言いたかった。でも家
なかった。」
正しくは、「同棲しよう!と言いたかった。でも言えなかった。」

IT化が進んで、便利になる一方で、よくあるのが、漢字の変換ミ
ス。
単純に気がつくものから、見過ごしてしまうもの、違和感があり
ながらそのままにするもの、全く誤って覚えているもの・・・色々
あるけれど、日本漢字能力検定協会が数ヶ月前から「変換ミス
コンテスト」を行っているの。
上に書いたのは、そのエントリー作品の一つ。
このメールが原因かどうかわからないけれど、これ以降彼女か
らのレスは全くなくなったというのだから、彼にとっては笑えない
ミス。

逆に、エントリー作品の中から思わず笑っちゃうミスもある。
「私、出不精なの」→「私、デブ症なの」
映画の感想を聞こうと「感想聞かして」とメールしたつもりが
「乾燥機貸して」になっていたこと。
担任の先生へのメール「うちの子は耳下腺炎でした」→「うちの
子時価千円でした」

でも、上の文章を打ってみたけれど、どれも一度の変換で自然
に(ミスの方に)変換されたものないけれど・・・。

最近、私がやりそうになった変換ミスは・・・
某掲示板に「痛いのはかわいそう」と打とうとして「遺体のは
かわいそう」と変換されちゃった。
マ、こんなミスだと、直ぐに気がついたけれど、「遺体」なんて
縁起が悪いったらないよね。

ところで、今日のNotebookにもミスがあるのだけどわかったかしら?


パウエル国務長官の発言

2004年09月23日(木)


もう10日前になるけれど、アメリカのパウエル国務長官が
イラクでの大量破壊兵器発見を断念する考えを示した。
やっぱり・・・という思いが強い。
これで、対イラク戦の大義名分がなくなった。
(元々、どんな大義名分があろうと、私自身は、全ての戦争に
反対だが。)
しかし、そんな事をあのブッシュ大統領が認めるわけないと、
思っていたが、案の定、大量破壊兵器が存在しなかったとし
ても、フセイン政権を転覆させ、イラクを残虐な独裁者から
救った。
また、フセイン(元大統領)にはこれらの兵器を造る能力が
あった。仮に存在しないことが分かっていても同じ決定をし
ただろうとして、イラク戦争の正当性を繰り返し主張している。
造る能力があったのと、実際に造ったのでは、わけが違う。
それに、独裁者から救った?
その結果、多くの国を巻き込み、イラク人同士が殺し合い、
悪くすれば内戦状態に陥ると、アメリカ情報局も報告している
ではないか。
小泉総理大臣も、イラク戦争の正当性をブッシュと共に確認し
たという。
過去の戦争に於いて、戦争を始めるのは簡単でも終わらせる
のは難しい事、戦争はどの国にとっても悲劇しか生み出さな
い事を身をもって知っている国の代表である総理大臣のする
事とは思えない、無責任な発言・行動である。
日本には、幾らでもこの戦争を食い止める、日本は参戦しない
チャンスは幾らでもあった筈である。
アメリカ(ブッシュ)に追随しているだけで、そんな事もせず
に(出来ずに)今度は、国連の安全保障理事会の常任理事国
に、なりたいという。
安全保障理事会は「国連憲章に基づき国際平和と安全保障の
保全に主要な責任を負うもの」である。
日本に、果たして、その資格があるのだろうか・・・。
常任理事国を望む前に、自衛隊を引き上げ、イラク戦争を
終わらせる努力をする方が、大事な事である。





早かった死刑執行

2004年09月14日(火)


今日、大阪教育大付属池田小事件の宅間守死刑囚の死刑が執行
された。
あれ程残虐な事件を犯し、死刑が確定している以上、何時かは
この日が来る。
しかし、私がこのニュースを聞いた時、「死刑確定から1年、早か
ったな」というのが、偽らざる思いであった。

刑事訴訟法は、死刑執行は法務大臣の命令によると定め、原則的
には判決確定の日から六カ月以内に命令しなければならないとし
ている。
しかし、再審請求や恩赦の申し立てが考慮されることもあり、実際
の執行は確定から数年以降となっていることが多い。
最近のケースでは確定から少なくとも四年を要している。
それなのに、何故こんなに早く死刑執行がなされたのだろう。

宅間死刑囚は初公判で、罪を認め、一度は「自らの命をもって償い
たい」と述べたが、その後は反省や謝罪の言葉は全くなく、逆に被
害者や社会を中傷するような発言をすることも多かった。
判決のその日も「どうせ死刑になるのだから」と暴言を吐いてい
た。

被害者遺族は、早期の死刑執行を望む声が強かっただろう。
しかし、それと同時に、死刑執行は当然の事としならがも、その
前に何の罪もなく亡くなった子供たちに謝って欲しいという声が
あったのも事実である。

死刑確定後も接見を続けてきた臨床心理士によると、宅間死刑囚
は、思いつめた表情で「自分が生まれてこなければこんな事は起
きなかった」「自分のしたことで不幸になった人がいるのは分かる」
「何の罪もない子どもたちは無念だったろうなあ」と話していたと
いう。
また、彼は死刑確定後、支援者の女性と獄中結婚し、その女性も
宅間死刑囚から謝罪の言葉を引き出すために、努力を重ねていた
という。
時間があれば、宗教家の力を借りるという事もできたかもしれな
い。
それなのに、何故この時期に・・・と思ってしまうのである。

そして、もう一つの思い・・・
それは、今日仕事とはいえ、死刑を現場で執行した刑務官は、今
どのような思いでいるのだろうか。
刑務官は、過ちを犯してしまった人を正しく導くものとして刑務官
という職を選んだにも拘らず、たとえ少数派とはいえ、死刑執行の
現場に立ち会っているのである。
相手がどんなに極悪非道な人間であろうと、それが如何に合法的
な事であっても人間が人間を殺すという行為に手を貸している事に
なるのだ。
彼らの苦悩を思うとき、心が痛む。





赤い靴

2004年09月13日(月)


1 赤い靴はいてた 女の子
  異人さんに つれられて いっちゃった

2 横浜のはとばから 船に乗って
  異人さんに つれられて いっちゃった

3 今では青い目に なっちゃって
  異人さんのお国に いるんだろ

4 赤い靴見るたび かんがえる
  異人さんにあうたび かんがえる

先日、深夜にラジオから流れてきた日本の唱歌「小さい秋みつけ
た」を聞き、切なくなりながら、思い出した曲。
作詞:野口雨情  作曲:本居長世の「赤い靴」。
小さい頃から、よく聞いたり歌ったりした曲。
幼馴染のお父さんが、私に娘が生まれた時に
「日本の唱歌には、とても美しくいい曲が沢山あるよ。
そういう歌を、生まれたお嬢さんと一緒に歌うようなお母さんに
なって下さい」
と、沢山の唱歌をテープに纏めて、プレゼントしてくれた最初に
入っていた曲。

小さい頃、異人さんが「異人さん」だか「偉人さん」わからなかった
けど、「つれられて いっちゃった」というので、小さい赤い靴を
履いていた女の子が、人攫いにあってしまった・・・って勝手に解釈
をして、「怖い歌」って勝手に思い込んでいたの。

今では、有名な話だけど、この歌にはモデルがあるって知ったの
は、大分あとになってからの事。

女の子の名は「岩崎きみ」。
きみちゃんは赤ちゃんの時、色々な事情で母親「岩崎かよ」に連れ
られて北海道に渡ったけど、母親に再婚の話がもちあがり、その
後、北海道の開拓地にに入植することになった時に、当時の開拓
地の想像を絶する厳しさから、3歳のきみちゃんはやむなくアメリ
カ人の神父さん夫婦の養女に出されました。
その2年後、開拓に失敗し、きみちゃんのお母さんたちは、札幌に
引き上げ、野口雨情と知り合ったそうです。
きみちゃんの事を聞いた野口雨情が、「きっときみちゃんは、アメ
リカで幸せに暮らしている」とこの詩が生まれたのです。

でも、きみちゃんは、赤い靴を履いてアメリカに行けませんでした。
養父の神父さんの任務が終えて、アメリカへ帰国する時、6歳だっ
たきみちゃんは結核にかかっていて、長い船旅が出来ず、東京の
教会の孤児院に預けられたのです。
きみちゃんは、実のお母さんとも養親の神父さん夫婦とも別れ、病
魔と闘い続けましたが、秋の夜、9歳で亡くなってしまいました。
その事を、おかあさんは亡くなるまで知らずに、きみちゃんは幸せ
に暮らしているだろうと信じていたそうです。

9歳の女の子です。
きっと、お母さんの事を恋しがって泣いた事でしょう。
その事を知ってから、この歌を聞く時、より一層、切なくなるの
です。





朝読書のすすめ

2004年09月06日(月)


ある小冊子を読んでいたら、「読書は脳を鍛えるために不可欠な方
法」という記事に目が止まった。

脳は筋肉とおなじようなもので、筋肉を鍛えるためには、自分が運
動するしかないのと同じように、脳も自分で鍛えなくてはならない。
脳を鍛えるためには、出来るだけ脳全体を使う方法が効果的だ
が、読書は多くの本から読みたい本を自分で選ぶところから始まって、
目を通して活字を脳に入力、言葉の意味を理解・・・ページを捲る
時の手触り、紙の匂い、時には声を出して読んだり、読後に感想を
話したり(書いたり)と、脳をフル回転することが出来る。
では、読書習慣を持たないとどんな影響があるのか?
痴呆症と違って、脳の機能は正常なのに、物忘れが極度に酷くな
る。
こういう人たちは、現在の若者に増加してきたが、共通している
のが、読書は殆どせずに、パソコンやテレビに費やしている時間が
多いことである。
テレビやネットは、膨大な情報を提供してくれるが、其処から得た
情報は読書と違って、記憶されにくい。
正確に記憶するには、繰り返して蓄積する事が必要だが、テレビ
やネットから得た情報は、不安定であり、長く保持出来ない。
読書をしない事だけが、物忘れの原因ではないが、その一つであ
る事は確かである。
同じ読書をするのなら、朝が効果的。
脳にも調子がよい時、悪い時があり、朝は睡眠によって、脳が最も
リフレッシュしている時間。
また、人間には体温やホルモンのリズムがあるが、朝は全てのリズ
ムが、活動を始めようとする態勢になっているので、朝読書をする
と脳の血流が益々よくなる。

「朝、授業の始まる前の10分間、先生も生徒も好きな本を読む」と
いう「朝の読書」活動が、全国の小・中・高校で広まっている。
全国朝の読書連絡会(こんなのがあるの、初めて知ったけど)事務
局長によると、集中した時間が生まれ、授業がスムーズに始まり、
一日の活動効率が上がるだけでなく、情操が豊かになる 学力向上
の土台が出来る など「朝の読書」の効果はたくさんあるとの事だ。

確かに我が家の息子、小学校時代は、教科書すらちゃんと読まな
かったのに、中・高校時代の「朝の読書」によって、読書をすると
いう習慣が出来、時には、「よくそんな言葉知っているね」という
難しい語句を正しく知っていると思う事もある。

年齢を重ね、気持ちは若いつもりでも肉体の老いを感じる事が多
い昨今、朝の家事が一段落して、家族が出掛けると、パソコンに
向かう毎日だが、短時間でよいから、本を読む習慣を身に付けて、
せめて脳だけでも生き生きさせてみようかな。
な〜んて事を、ちょっと思ったりしました。

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