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2011年12月26日(月)
歪みなく

Rモノばかり書いているアラサーの冬。ははははは。

読んで頂ける文章とは何でしょうね。

人様の文章を読んでいると本当に素直に分かりやすく書いてあるなーと思います。
(作家様に依りますよ、もちろん)
ひねくれたところから出ていけない自分の文章の拙さったらないですよ。
拙文をお読みいただいた方からも感覚に訴えかける文章と言われ、
まあそれはそれで嬉しいのですが、一方で素直なすとんとした文章というのは
一体どうして書いたものか全く思い出せません。ブランク怖い。

それに、昔に比べて文章を捻りだすスピードが格段に落ちました。
わずか3,000文字書くのに数日かかるんですよ。
文字(手書きでしたから)をたくさん書いていた頃は、2,000文字を数時間で書いていたと言うのに。
確か400文字書くのに大体30分。2時間半〜3時間もあれば原稿用紙5枚が埋まりました。
それが、今や、時間がない中で書いているとはいえ、数日を要するとは一体どういう事なの。

たくさん書きたいなあ。たくさん。
書かねば上達しませんしね。

とは言え、多分年内は11月末に仕上げる予定だった1本が精いっぱいです。
むー。



2011年12月13日(火)
凄い凄い。(自分の文章の酷さが)

書けば書くほど人を寄せ付けない文章になっていく。

読みやすさなんかいっそ度外視して、自分が書きたいように書けば書いただけ
「ああこれは人が読まないだろうな」という文章が出来上がっていくので、我ながらびっくりしています。

そうですか私はそういうのが書きたいのですか。
元より自分の熱放出のための文章ですし、それなら仕方ないんじゃあないですか、とそ知らぬ顔で続けておりますが、
本来文章なんぞ、よほどお仕事の文章でもない限り読んだ方が楽しまなければ存在する意義すら危ういとも思います。

読まないだろうなというより、読んで楽しんでくれないだろうな、と言うべきかしら。
読んでいる人の思考の流れをいちいち止める文章を書いている気がします。気がします、っていうか絶対そうなんだ。

この創作感覚、覚えがあります。
中学生の頃、初めて短編書いた時に校正して貰った時の感覚です。
確か、説明したくないが故に、これもいらんあれもいらんと削っていったら、
削りすぎて分かりにくい、説明不足と評されたように記憶しています。おお、ちゅうがくせい。

振り返って今の文章です。前々回で繋げたい文章をばさばさ切っていると書きましたが、
ついでに指示語もばさばさ切り落としているのでちょう読みにくい。
分かってるんですが、直前の描写をそのまま継ぐなら別に「その」とか「あの」とか書かなくていいじゃん別になどと
思ってしまうんですよね。説明したくない病。おーいえー、あらさーちゅうがくせい。

まあ、説明したくないと言うより、説明するのはむしろ逃げだという気持ちも無くはありません。
最小限の表現で伝わらないのなら、それはやはり私の文章が拙いだけのことなんでしょう。わあ悔しい。

あれだな。とりあえず書きあげて、読み直して書き加えるほかない。
じゃないとまた細部に迷い込む。文章ってむずかしい。



2011年12月08日(木)
細部の路地に迷い込む

お話を作る際、あらすじのあらすじ的なものを作って、荒書きをして、
それから細部を書きこんでいくという作業をするのですが(少なくとも私は)
荒書きを書いた後、細部を書きこみはじめたら何故か人物がちっとも動いてくれず
うんうん唸っている内に、ストーリーに直接関係ない細部を書きこみ始めてしまい、
結果的に二進も三進も行かんという
お話を作るにあたって最もやってはいけないパターンにはまりこんでしまいました。

多分、タイムラインの設定作りこみが荒かったので途中で変更を余儀なくされたのと、
文章上では表現しない人物の心情の詰めが甘かったのが敗因。
書いてる内に「この人そんな風に思わないんじゃね?」と自分で疑問を持ってしまうともうアウトですよね。
そこから先がまったく書けない。書けないからつい細部に逃げる。
詩書き歴の方が圧倒的に長いので情景描写とか大好きですし。やれやれ。

仕方ないので、ほとんどを没にして改めてあらすじのあらすじからやり直していますが
あたまの切り替えが難しくて困っています。
本当は11月の下旬に完成させるつもりだったのに、ずるずると今日まで引きずってしまいました。
今月末までに書きあげたいな。
放り出さずにやり遂げられますように。



2011年12月01日(木)
久しぶりに文章など書いているのですけども

それでまあ、mixiに書くのも違うしTwitterに流すのももってのほか、
そもそも今私を知る誰かに読んでほしい訳でなし、というわがままな感情を満たすために
久々にこちらで書いてみるのですが、何ですかね、前回書かなきゃ始まらないなどと言ってから
もう既に2年半以上経つ訳ですね。この大うそつきめ。

さて、タイトルへ戻りましょう。文章を、というか、15年ぶり位で二次創作というのをやり始めました。
絵も文章も自分の理想とは程遠いのですが、それが嫌でどちらもやめてしまったのですが、
不幸にして理想がどうこう言っていられないくらいの感情を揺さぶられる作品に出会い、
それにまつわる二次創作を数多見ている内に、私の中で燻り続けていた、
創作に対する自意識のようなものがどうにも御せないところまで来たようで
我が事ながら困り果てています。睡眠時間を削って何かを作ろうとするなんて、まったく中学生のようです。
でも創作を続けている方々はそれらの情熱を持ち続けて日々何かを作り続けているのですから
その隔たりたるや、私には絶望しか与えられません。しかし描きたい。書きたい。困ったものです。

もともと影響を受けていた幸田文の文体に加えて、文章をやらなくなってから読み始めた古井由吉の
意識が移ろってなかなか一文が終わらないような文章を書きたくてたまらないのですが
私は別に文章をそぎ落とした結果として長々とした一文を産める訳でなし、
読まされる方はたまったものじゃないだろうと思うので、小論文を書くつもりで
本来はつなげたいところの文章をぶった斬って文章を構築しているので大変ストレスが溜まります。
それでこのようにだらだらとした文章を書き散らしにこちらに来た訳です。
ああもっと長くもっと美しく文章が書ければいいのに。

それにしても他人の創作物に溺れると言うのは、非常にあまくてつらい行為ですね。
世界観も何もかも全てを用意されたフィールドで好き勝手にキャラクターを動かせるので
ともすれば作品読者の共通理解を期待した楽な方向に流れますし、
エンターテイメントなのだからまあそれでもよいのでしょうが、
どうにも私には馴染みませんで、むしろ元作品を離れても一つの作品として読めるようなものを
書きたい書きたいと思いながら毎日臍をかんでいます。
こうして書いてみると理想が無駄に高いのですね。

まあぼちぼち自意識と付き合いながら、頑張ります。

なお、子供はすくすくどっしりと育っています。重い。