ディリー?闇鍋アラカルト
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2005年05月28日(土) 望み・・・4/DNA

望みというシリーズで書いているけれど、望みの根本について書いていなかったと思う。
望みの最も深い部分、それをを構成するのはDNAに存在する。
私たちは生まれる前から望みを持っていたと言える。
母親たちはおなかの中にいる胎児が動いたり蹴ったりする様子で胎児にも感情があるのに気付く。胎児が語る訳ではないが、モーツアルトは好きだがバルトークは嫌いであると感じたりする。それで、胎児の望みと思われるモーツアルトのCDを買ったりする。母親のおなかの中で胎児は成長している。成長そのものも望みの一つの表われだし、その為に必要なものを取り入れ不要なものを排出するという作業も体はしている。それに母親の体も同調している。生きたい成長したいと言う望みは生まれる前から存在している。ではその始まりはいつか?それは個人のDNAが決定する前から存在している。個人のDNAの半分を持つ母親の卵子と父親の精子は互いに求め合っていた。お互い希望する存在であり、行き続けたい成長したいという望みも含まれている。
生き続けたい成長したいという望みは生まれる前にまで遡れ、両親やその両親はもとより、ずうっと遠い祖先である生命の始原である原初生命体にまで行き着くのだろう。
意識しにくい望みというものがある。気づきにくい望み、失われて初めて気付く望み・・・それもまた生き続けたい、生存して居たいという事と関わっている事が多い。健康の有難味は失って初めて分かるとか・・・健康に生き続けたいという望みは大抵の人が持っているはずだが意識される事は少ない。おいしい水・おいしい空気などもそうだ。水や空気がまずいとか信頼出来ないとかであるなら、生き続ける事は困難になる。
信頼出来る人間関係もそうだ。ほっと出来る場所、生き甲斐を感じられる仕事なども望みと言えるだろう。これらはあらかじめ定められているものではないけれど、それらを得られない・感じられないならばどこか落ち着きを失うようであったり、殺伐とした状態になったりする。これらは、あらかじめDNAによって全て決定されているものではないけれど、それらを満たす方向へDNAは導いているとも考えられる。
農家の倅が百姓を嫌って都会に出たものの、ノルマノルマの営業の仕事に疲れてしまった時にコンクリートの割れ目に咲くタンポポの花を見る。それから彼は園芸屋に行って鉢植えを買い求める。鉢植えは次第に増えて行き、数年後、彼は農場で働く事に喜びを覚えていた・・・などというのはDNAが導いたとは言えないだろうか。


2005年05月26日(木) 望み・・・3

「望み」という文章を書き始めた時、考えていたのは自分の「望み」について書こうと思っていた訳ではない。僕は「闇鍋」の読者に、「あなたの今はあなたの望みと選択の結果なのだ。」と言いたかったのだ。
「有難うユーミンhttp://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99310&pg=200311」に書いた事の一つのテーマは望みの分岐点でもある。
「あの頃の生き方を あなたは忘れないで あなたはわたしの 青春そのもの」と言いながら「人ごみにながされて 変わって行くわたしを あなたは時々 遠くで叱って」と言うとしたら、意識されない葛藤があるのだと思う。
その葛藤を生じさせた分岐点はどこか?有難うユーミン・・・2」に書いたような状況がその一つであると推察する。
親や教師や社会の圧力に屈して平凡な道を選んでしまったのだと本人は感じたかも知れない。しかし、それは、本人が選んだのだ。親や教師の与える情報以上の情報を得ようとしなかったし、親や教師や他の人たちともそれ以上争いたくなかったのだ。漫然と考えていた理想をもっと具体的に考えてみたら状況は違ったものになったのではないだろうか?
そしてまた、もう一つ言うとしたら、卒業写真を眺めて「青春そのもの」と思っているその時もまた分岐点なのだと。青春は失われたのだろうか?まだ心の奥底でくすぶっているのではないのだろうか?それをもっと見つめた時に失われてしまったのではない事に気付くのではないだろうか?
遅過ぎるという事は無いのだと思う。いつでも、始めようと思うなら始められる事が有るのかも知れないのだ。職場で、家庭で、自分の部屋で出来る事がきっと有る。
望みを見つめる事。その為に適切な選択を心掛ける事。それが明日を作り出すのだと。
望みは今も生きているのだと!


2005年05月25日(水) 望み・・・2

望み・・・1で文通をしていた事について書いた。その時期既にバンドマンとして仕事をしていた。
合格していた劇団のテストでは有ったけど、金がかかりそうで辞めた。バンドマンになろうと思ったのは、音楽が好きだった事と、表現する事をしたかったからだ。酒場バンドマンだけれど、バンドマンでいれば練習も出来る。金も貰える。
偶然飲みに行った酒場で、出演していたバンドマンと話したら、ヴォーカルを募集している所があると言う。そこで面接を受けたら、歌だけでは弱いので楽器もやらないとだめだと言うので、兄からフルートを借りて、6ヶ月練習してバンドマンになってしまった。ヘタクソなバンドマンでは有った。僕は吹奏楽部で金管楽器の腕前は高校生としては優秀な部類では有ったが、木管楽器をこれから練習して一流になれると思っていたわけではない。それよりも、練習さして貰えて金まで呉れるのが気に入ったのだし、労働時間が短いのも気に入った。酒場音楽はやりたい音楽とは言えなくても、音を出すだけでも指を動かすだけでも練習にはなる。そして、キャバレーのボーイの半分ほどでしかなかったが、給料だって貰えるのだ!
このサイトを訪れた人は筆者である僕の多方面に渡る知識に驚かされるかも知れない。それは、多くの人が大学を卒業してサラリーマンになると(或いは他の仕事でも)8時間労働残業2時間というのが当たり前になってしまうのに、僕は短い労働時間で自分の為の時間が持てたからという状況を選んだというのがあるからと言える。バンドの休憩時間に練習をし、本を読み、手紙を書いた。アパートには鉢植えがあったし山にも行った。やりたい事は幾らでもあった。
僕は仕事に自分の望みを反映させる事はあまり出来なかったけれど、自分のやりたい事がある程度出来るくらいの状況は手に入れる事が出来たのだった。こういう形で望みの幾らかは実現出来たとも言えるだろう。
その後バンドマンからピアノ弾き語りに転向し、収入は並みのサラリーマン程度にはなり、本を買うのにもさほど不自由を感じなくなった。
フリースクール研究会に入ったり、ブーメランにも取り組んだ。
また、バンドマン時代、低収入で、どのように生きるかという工夫、つまり、食生活を切り詰め、それでいて病気にならずにやりたい事をやる為に必要な知識と実践が、現在のこのサイトの健康情報にも反映されている。


2005年05月23日(月) 望み・・・1

人は望みを抱く。
どのような人も抱いた望みを実現させる為に生きている。そしてその人の現在はその結果とも言える。
高校時代に医者になろうと決意したとする。それでもなれる人もなれない人もいる。医者になる事が第一の望みであるなら医者になれる可能性は高い。しかし、人には望みが一つとは限らないし(と言うより数限りない望みがあるのだ)、気付かれない望みや失敗もある。
僕は高校時代に昆虫学者になろうと思っていた。
しかし、僕の望みはそれだけではなかった。それ以外の世界も知りたかったのだ。
ウィンパーの「アルプス登攀記」やバード少将の南極探検記を読んで心ときめかせたのは未知の世界への憧憬があっただろう。
小中学時代に高い山に登りたかったのは低い山にはいない昆虫を見たかったのだけれど、成長するにつれて昆虫以外のものも知りたいと思うようになった。
一方幼い時期から歌が好きで、吹奏楽部にも所属したので音楽への望みも出て来た。しかし、僕が担当した楽器がユーフォニウムだったので、プロの演奏者という事はあまり考えなかったけど。
大学時代には合唱団にも在籍した。でも、僕は自分の好きなように歌いたい人なので、誰かの指揮によって歌いたい人という訳ではなかったので一年程でやめてしまった。
いろんな歌の歌詞に抵抗を感じている事を意識するようになったのはこの頃からかも知れない。
自分の中に表現したいという思いがあるのにも気付いた。僕の思いは、今までに誰かが表現している思いと違う。それならば自分で表現するしかない。それでいて、どのような表現なら自分で納得出来るのかは???というしかなかった。
劇団のテストを受けた事もある。「どのような役をやりたいですか?」と聞かれて「存在感のある通行人」とか何とか答えたような気がする。僕は演技力に付いては面接官を感心させられるレベルではあった。しかし、僕は「あなただけを愛します」なんて言いたくない人間でも有るのだ。演劇を仕事とするには既成演劇では重要人物の役にはなりにくいとも思っていた。
文章を書く事もしていた。小説は書かなかったが詩のようなものを書いて雑誌に掲載された事がある。ファンレター?が来てそれから文通が続いた。
それまで書いていたのはエッセーのようなものだったが、相手がはっきりしている手紙の場合はポイントが絞れるし、反応が分かるので僕には向いているように感じた。不特定多数の人に向かって書く小説にはあまり食指が向かなかった。
それに、小説家としての登竜門である芥川賞を目指す人間とは言い難い面が有った。芥川龍之介に関してこの闇鍋でもhttp://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99310&pg=200208
(芥川龍之介3が9月1日)と書くような人間なのだから、小説家向きとは言えない。芥川風に言うなら、心の中の野獣をどうして良いのか分からずに模索していたのだと言えるだろう。
僕は望みを仕事に反映させる事の困難さを感じていたのだ。
ヘルマン・ヘッセは詩人以外になりたくなかったという。ヘンリーミラーは43歳で仕事を辞め「書いて生きるか、さもなくば死ぬかだ」というような事を言ったらしい。そういう気持ちが分かる。既成の仕事で、僕という人間がどのように生かされるというのだろう?望みとは関係の無い仕事でこの人生を費やしたくなかった。


2005年05月18日(水) 人生が二度あれば

きょう、お掃除のバイトをしている店で井上陽水の「人生が二度あれば」をカラオケで歌った。

父は今年二月で六十五 顔のしわは増えて行くばかり
仕事に追われ このごろやっとゆとりが出来た
父の湯のみ茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに映る自分の顔を見つめている
人生が二度あれば・・Oh
母は今年九月で六十四 子供だけの為に年とった
母の細い手漬物石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が誰の為にあるのか分からない
子供を育て家族の為に年老いた母・・Oh
人生が二度あればこの人生が二度あれば・・Oh
父と母がコタツでお茶を飲み 若い時の事を話し合う
思い出してる夢見るように夢見るように・・Oh
人生が二度あればこの人生が二度あればこの人生が二度あれば・・・

僕はこの歌を歌ったが、作者の視点とは違っているかも知れない。
また、この作者の父や母の気持ちも作者が想像しているのとも違う可能性も考える。
父は湯飲みに映る自分の顔を見つめて満足しているかも知れない。
母は漬物石を持ち上げている人生を否定的に考えているとは限らない。
無事に子供を育て上げた事に誇りを持っているかも知れない。
野菜を育て、それで漬物を作る事に大きな興味と喜びを見出しているかも知れない。婦人会では石鹸を作って多くの人に喜ばれているかも知れない。
この歌の作者はまだ若い(当時)。身近な生活の雑事にも大きな喜びの可能性がある事に気付いていないかも知れない。有名になる事、金持ちになる事、世間的に偉くなる事に意義が有るように考えているかもしれない。そうでないかも知れないけど。では、どんな生き方なら意義深いと考えるのだろう?
尤も、僕はこの歌の作者と語り合った事も無く、その両親とも会った事もないのだから、こういう視点の違いに付いて書く事は単なる想像に過ぎない。
作者は自分の両親をネタにして書いているのでないかも知れないし、愚痴ばっかりで何の為に誰の為に生きているか分からないような老いた夫婦をネタにしているかも知れないのだ。
僕は「前世療法」という本を読んだ事もあるし、自分が地球外のどこかにいて地球上で生きた生を回想し涙ぐんだという体験もしている(これは来世体験?幻覚のカテゴリーに含まれる)。それでいて、人生は一度きりであるように感じる事こそ意味が有るのだと思う。一度きりであると感じられるこそ掛け替えのないものとして生きるべきなのだと。二度目の生も有るのだとしても、二度目の生も一度きりなのだ。
誰かの人生を、他の誰か成功者と考えられるような人の人生と比べて、つまらないものであるかのように思うとしたらそれもまた人生。しかし、人生は一度きりだし、その人生の意味は本人にとってどのように感じられるのかという事が比較する事よりも一層大切だ。僕は貧乏であっても有名でなくても、虐待されるような事があったとしても、今に生きる意味を感じる。オジギソウをチョンチョンして嬉しくなる。一年に1mmだけしか太くならないサボテンの将来を夢見る。石鹸を作って喜んで貰える。それもまた人生!





2005年05月16日(月) 切り取られて貼り付けられた歴史

歴史とはこの世が始まって以来の全ての起こった事を意味する。
記述された歴史の場合は、その起こった事のすべての内のほんのほんの少しの事に付いて記述している。間違いや書き手の好みも含まれている。
通常「歴史」と言うと、政府機関によって公認された教科書的な歴史を思い浮かべる人が多いと思う。それは歴史の全てではない。人類の歴史の概略でもない。人類はどのように愛し合ってきたのか?などという事に付いて書かれていない。どのように争ってきたのか?という事については書かれている。大きな虐待を加えた側の視点から記述される事が多い。殺戮とか虐待という言葉は通常使われず、征服とか治めるなどという表現が好まれる。例えば「ピサロはインカ帝国を征服した」という表現になり、以後スペインを母国とする人々に治められる訳だが、あなたが治められるor征服される側としてピサロ達と出会った以後の体験や経緯について記述するならかなり違った表現になるのではないかと思う。
また、インカではスペインにも負けないだけの文化が既に存在していたが、その事についても世界史の教科書では殆ど記述がないし、ピサロに出会う前にも長い歴史があったはずなのにそれについても記述される事は無い。滅ぼされる直前に現れ、滅ぼされて消える歴史なのではなく、そのように記述された歴史という事なのだ。
同様な事は日本史にも言え、日本史ではアイヌについての記述が殆ど無い。また、庶民がどのように愛し合っていたかなどという記述もない。どのようにして鼻をかんだかとか、ウンチの処理はどうしてたかとか、何をどのようにして食べていたかとか生活に関わる部分については書かれない事が多い。だから、大抵の人は知らない。弥生時代に稲作が伝えられたとは教科書にはある(縄文時代に既に稲は栽培されたらしい)が、稔った米が口に入る過程は書かれない。どのようにして脱穀したのだろうか?玄米を食べていたのだろうか?消化が悪くまずかったのだろうか?
私たちが生活を考え直してみようとする時、過去はどのようであったかが分かれば大きな参考になるはずなのにそれは歴史の本では殆ど書かれる事は無い。
そして、「ヒトは、大昔から殺し合っていた・・・・このヒトの社会だけに存在する戦争と殺戮。それは、決して現代社会だけの事ではない。・・・・要するに、ヒトはその進化史の初期から、それなりに殺し合っていたという事だ・・・(栗本慎一郎著 パンツをはいたサル)」などという本が結構売れたりする。
大抵の歴史の本が支配という所に焦点を当てて書かれている以上、殺し合いによって支配者の変遷が有った以上、それが人類の歴史の本筋であると思い込んでしまう人が多いのは仕方のない事だと思う。栗本氏の場合にはそれを進化の初期にまで持ち込んでしまったのだ。同じ種を殺すという事はヒト以外にも存在するが、そういう事については論述しないし、どのような時に争いや殺人が起こったのか?全人口の何%が殺人を犯したのか?などの考慮も無く「ヒトは他の動物と違って殺しあうのが特徴である」という筋に従って論旨が展開される。
「歴史に学ぶ」という言葉があるが、私たちが与えられた歴史というのは切り取られて貼り付けられた歴史である事に気づく必要がある。そうでなければ与える側の論理に簡単に組み込まれてしまう事が起こるだろう。


2005年05月15日(日) 犯罪と精神障害

殺人などの重大な犯罪が起こった時に、裁判で問題になるのは、被告は精神に異常を来たしていなかったか・責任能力を問えるかどうかという事だ。精神鑑定され、精神異常・心神耗弱であると判断されれば、判断・責任能力なしとされ無罪、そうでなく、責任能力有りとされれば有罪となる。被告の未来にとってこの差は大きい。
この大きな差を齎(もたら)す判断は「責任能力がある」「責任能力がない」という二つの言葉だが、その二つの言葉の分かれ目というのはそんなにはっきりと分けられるものでないし、明確な根拠があるわけでもない。
 例えば大阪の池田小学校で児童八人を刺し殺してしまった宅間守は責任能力ありと見なされ死刑になったが(事件については沢山の記事が有るが、とりあえずhttp://www.kachijiten.com/news/murder.html)親や元妻や社会に対する怒りが如何に大きいとは言え、それを大量殺人の理由にするには飛躍があるし、宅間を傷付けた本人にではなく無関係の子供をターゲットにしたのは見当違いだし、一人の苦しみを八人の命で鬱憤を晴らすのはバランスも悪過ぎるのも誰の目にも明らかなはずだが、宅間本人だけにはそのようなレベルを超えて怒りや妬みや絶望的な苦しみが圧倒してしまった。
こういう彼の状態を判断能力を無くした状態と理解する人も居るだろう。
苦しみが個人的レベルの限界を超えると病気になったり、それまでやらなかった事をするかも知れない。自殺するかも知れない。鬱病になるかも知れない。正直な商売を止めてしまうかも知れない。ギャンブルに走るかも知れない。酒に走るかも知れない。限界を超えた時に本人がどのような道に行こうとするかは意識的なものとは限らない。苦しんだ挙句「観音菩薩が見えた」という事にでもなれば宗教家になるかもしれず、それを他の人に言ってしまえば分裂病として救急車を呼ばれる事も有り得るのだ。
宗教家も詐欺師も精神異常も自殺も殺人も苦しみから逃れる方向の違いと考える事もできる。
どの方向に行くかは本人の生い立ちや知恵や健康状態や余裕や苦しみの性質などによって変わるが、それも本人の意識的レベルを超えた総合的なものだと言えるだろう。


2005年05月14日(土) ゆとり教育

子供たちの学力低下が明らかになり、ゆとり教育の弊害だとか言われている。
その前に考える事は幾らでもあると思うのだが・・・
僕は、教える時間と内容の多さが学力と比例するのはその他の条件が同じ場合だと考える。つまり、内容と時間の減少が学力の低下を招いた可能性というのは理解出来るが、内容と時間を減らしたからと言ってそれが「ゆとり」になっているかどうかは???だと言いたい。
ゆとり以前に学級崩壊などと言われていた事は解消出来ているのだろうか?
教師と子供たちの信頼関係は出来ているのだろうか?
子供の問題が出て来ると、おとなたちはどのようにすれば子供たちは良くなるのだろうかと考える。僕はそのような発想をしているからだと考える。
子供たちはおとなの鏡なのだ。子供の学力が低下しているのは大人の学力が低下していることを示す。子供が荒(すさ)んでいるのならおとなたちが荒んでいるのだ。自分自身を省みる事無く子供をどうにかしようと思う事が既に過(あやま)ちなのだ。教える側が楽しく勉強しているなら、子供たちも楽しく勉強できる。教える側が和(なご)んでいるなら子供たちも和める。それが「ゆとり」という事なのではないだろうか?
大学では教職課程を選択すると心理学も学ぶはずなのだが、それが使えるレベルになっていない。講義を受けてペーパーテストで単位は貰えてしまう。しかし、それでは、講義とペーパーテストで水泳を覚えるようなものだ。教職課程の心理学であるなら、ロールプレイなどもみっちりやって、自分の言葉や行動が相手にどのように受け取られるのか実際に体験し合うようでなければ使えるレベルにはならない。
大学生に教職課程の心理学を教える側がその辺の所を分かっているのだろうか?
教える側と教わる側が心を通わせ合い、学ぶ事に喜びを感じられるようであるなら今よりも遥かに短い時間でより大きな学びが起こるだろう。しかも、それは永続的だ。学ぶ喜びを知るものは教えられなくても自ら学ぶようになるのだから・・・


2005年05月13日(金) 衝動と羅針盤・・学校教育の欠落と理想

一般的に学習というのは教え、学び、習うという形で考えられている。
しかし、実際に何か行動や知識を身につける場合に、これらの全てが不可欠というわけじゃない。
乳児が乳房に吸い付くのは誰から教えられる訳じゃない。寝返りはどうだろう?這い這いはどうだろう?「学び」という言葉が「真似る(まねる)」という言葉から来てるとするなら、寝返りや這い這いは親が手本を示してそれを真似る事によって身についたという訳でもない。這い這いの手本を示す親など僕は知らない。乳児の中に既に衝動は有るのだ。それを乳児自身の活動・試行錯誤によって習熟して行くのだ。子供自身の中に衝動は有るとは言え、自身の行動によって習熟する必要があるけれど、成長するに従って子供を取り巻くものの影響は大きくなって行く。真似るの要素が少しずつ大きくなって行く。子供の遊びは年長の子供が遊ぶのを真似て覚えて行く。年長の子供が教えるという要素もここには有る。学ぶのは楽しい!遊ぶのは楽しい!子供の遊びの世界というのはおとなの世界とは違った独自のものを持っている。ままごとやかごめかごめをするのは子供であり、おとなの遊びではない。おとなも参加する事はあるけれど、主体ではないし、かごめかごめをするおとなをみて子供が覚えたという訳でもない。子供時代は遊びの時代だという事をおとなが教えた訳でもない。子供の中に衝動や羅針盤のようなものが潜んでいるのだ。
衝動や羅針盤は固定的なものではない。
例えば、身近な生物に対する興味の芽生えが「ダメ!ダンゴムシなんか触ったら汚いでしょ!」の一言で挫けてしまう事も有り得る。「泥んこ遊びをしたり、ダンゴムシさんに遊んで貰ったら御飯の前に手を洗ってね!」であれば挫かなくて済むだろう。強化されたり挫かれたり教化されたり移り変わったりするのだ。
教育・学習を考える時にこの衝動や羅針盤の存在を考えないなら、その成果は非常に貧しいものとなる。現代日本の学校教育では実にその点がほとんど考慮されていないのだ。子供は成長する存在であり、好奇心に富み、おとなのような力を得たいと願っている。衝動も羅針盤も存在している。
「勉強しろ」と子供に言う教師やおとなは勉強嫌いを作る。無理に勉強してもテストの後は忘れてしまうような底の浅い学習となりやすく、弊害も多い。
羅針盤を教科に向け、衝動を挫かせぬように配慮する教師やおとなは自然な秀才を作る。「ドラゴン桜」はこのような試みの一例とも言える。しかし、羅針盤の向きは学校教科にむける必要がいつでも有る訳でない。
自分自身の羅針盤を大切にし、衝動を発揮させるなら独自の文化を切り拓くだろう。


2005年05月12日(木) 僕にとっての大学

きのうの記事で東大入試コミックを紹介したので、僕自身の大学に対する姿勢についても書いておこうと思う。

僕は大学生としてはロクに勉強しない人間だった。
大学紛争華やかなりし頃の大学生で、サボるには便利だった。
毎日電子顕微鏡室(そこに友人が勤めていた)でブラックジャックをして大負けしていた。
僕は昆虫学者になろうとして大学にはいったのだけれど、大学での勉強は好きな昆虫の勉強ばかりというわけには行かないし、昆虫の研究にしても、自分のやりたい研究というのとは違う気がした。僕はファーブルのような牧歌的な研究が好きなのだ。何千・何万という毛虫を温度条件や日長条件を変えてその影響を調べるというのはやりたい研究とは言えなかった(しかし、その研究結果は興味深いものであった)。
僕は大学の授業には殆ど出なかったが、昆虫学教室でお茶を飲み、他の人の実験を手伝ったりもしていた、やはり昆虫は面白かったから・・・
また、高山植物に惹かれてあちらこちらの山でお花見をしていた。フロイト以降の心理学や文化人類学やフリースクールにも興味を持っていたのだから、知的好奇心はあったと言える。しかし、こんな興味の持ち方ではどんな学部でさえもはみ出てしまう・・・
僕がサボってばかりいて、ロクに勉強をしないものだから亡父と知り合いの教授が心配して声をかけてくれた。僕はその教授に手紙を書いた。
内容は大学に対する失望である。
心理学の授業に何故心理学の成果が生かされていないのか?授業を受ける学生の心理が考慮されない授業のあり方について考えようとしない教官に心理学を教える資格があるのか?
他の授業にしても、大学の運営などに関しても、大学という最高学府の学問の成果が生かされているとは感じられない(こういう事を考える時、あなた自身が過ごしたor在籍している学校でも民主主義について教えるはずだが、民主主義が機能しているかどうかを考えてみると良い。学校の最大の構成員である生徒の意志がどれだけ学校の運営に反映されているのか、学習の形にどれだけ反映されているかを)。
こういう事は学校の授業だけを熱心にしている人たちには気付かれにくい。僕は授業に熱心でなかった分だけ、他に人が知らない領域に足を踏み入れていたのだ。
その教授は昆虫学教室の親分の助教授にその手紙を見せた。
助教授は教授に「稲村君は心配ないと思いますよ。」と言い、その理由は「手紙を見ると論理的だから。」という事だった。これは後で聞かされた話だ。
僕は幼い時から成人に至るまでに先生という人々何人にも出会って来たが、この助教授と習字の先生には肯定的な気持ちを抱いている。

そういう訳で、僕は殆どの既成の学校のあり方には疑問を感じている。最高学府の最高レベルの東大にしても同様だ。(東大の卒業生が沢山居る場である国会でどのようなやり取りがなされるかを見るならそのレベルを推し量る事が出来るだろう。正直である事や協力し合うという人間関係は希薄だ。民主主義を標榜するならそうした事を常に心掛けて行動して欲しいものだ。)
というわけで、僕は東大や一流校といわれる学校に入学する事に積極的な意味を感じないし、中卒だろうがやくざだろうがそういう事にネガティブな意味付けをする事も無い。おいしい御飯やアトピーや癌に関して学歴など何の意味も無い。そういう意味では世界は平等なのだ。
平等な世界に、乾杯!


2005年05月11日(水) ドラゴン桜

きのう書いた記事で、
・教える人間の知識・技術不足も大きい。
と書いた。
こういう事を書く為には、現在の教える側の人間の有り方とは違う姿も提示出来た方が良いと思うので、現在進行中の受験コミック「ドラゴン桜」を紹介しておく。
http://www.asahi-net.or.jp/~kr2m-nti/wound/next/dokusho55.htm
このコミックは落ちこぼれに一年で東大合格させる為の方法があれこれ描かれているが、紹介したURLの記事にもあるように、
東大にはいる互いのメリットをはっきりさせ、その為に互いに協力するという合意をし、個々のやり方・戦略を説明し、納得して進めるというやり方をしている。
大抵の学校ではこのような形になっていない。子供たちはわけも分からず勉強させられている。合意というものが無い。だから、教える側と教えられる側の交流は一方通行で、信頼関係も育たない。
勉強するのに動機というのは大切だ。大学に高校からそのまま上がった人間よりも、一度社会に出て大学にはいった人間の方がよく勉強する傾向があるというのは、大学で学ぶという事のメリットがはっきりしているからだ。
あなたは学校にいた当時教える側の人に対して信頼する気持ちを持っていただろうか?その人から学ぶ事のメリットを納得するだけの事をして貰っただろうか?
そういう今までの学校のあり方を再考する材料として「ドラゴン桜」は役に立つと思う。また、実際に勉強の効果的な進め方の参考にもなると思う。

勉強しなかった事を後悔する必要はないし、それは子供だったあなたの責任以外の問題が大きいのだ。しかし、それに巻き込まれてはいけない。あなた自身を勉強嫌いにさせたおとなたちと同じ様にならないように気をつけよう。
それよりも、あなたの中に眠っている好奇心をもっと見つめてみよう。もっと発揮させてみよう。
あなたの肌がカサカサなら、また便秘なら、また都合の悪い疾患に悩まされていたら「どうして?」と考えてみよう。簡単に誰かに質問しない事。出来るだけ自分で調べてみよう。それはあなたが自分と世界を考え、理解するために遣わされた天使なのだから・・・・


2005年05月10日(火) 勉強が出来ない

寝ながらラジオを聞いていたら、勉強をどうしてやれば良いか分からない、勉強を好きになれない、勉強しなかった事を後悔している子供が小学校〜高校と学年が上がるにつれて増え続けているという事で、学習の仕方を指導するなどの対策を講じるとか・・・・
これは今に始まった事では無いように思えるし、対策そのものもポイントがずれているようにも思える。
大きな問題点は幾つかある。まず、
・学校教科の内容が人間が必要でないものが多過ぎるのだ。
・教える人間の知識・技術不足も大きい。
・教えられる子を持つ親たちが既に勉強にアレルギー状態であり、学校や塾に任せたがっている。
子供が勉強が出来ないという問題は、主としてその子を取り巻く環境(育てる大人の行動や考え方のパターン)の問題であり、子供の努力が足りないからだとは考えないほうが良い。
今勉強をしなかった為に後悔している方がいたら、自分を責めないようにと申し上げたい。あなたは学ぶ楽しさに触れる機会が少なかったのだろうと、それを体現する人・組織に出会わなかったのだろうと、だから、勉強しようとしても出来なかった事は本人の理解を超えている力が働いていた事を理解しようと。
「勉強しろ」と言われて勉強したくなる人は、滅多に居ない。子供に勉強させたいおとなが居たら、どのようにしたら子供が勉強したくなるのかを考えてみなくてはならない。
勉強しなかった事を後悔している方には、自分を責めないようにと申し上げる他に、もう一言、子供に「勉強しろ」とは言わないようにと申し上げたい。
勉強する事の意味から問い直す必要があるのだから・・・・・



2005年05月05日(木) 信仰・宗教

僕は“Oh My God !!”というこのサイトを始める以前に同タイトルの宗教の本を書いている。残念ながら出版までには至っていない。
取り上げたのはキリスト教の聖書が中心になっているが、信仰・宗教という言葉の内容に付いてまで言及して根本的な変革を示唆している。
例えば信仰という言葉は、この本では「その本人が信じている事の総体」を意味させている。その人の信じている事の総体は、その行動にそのまま反映されるので、その信じている事や行動の総体を纏めてその人の宗教と定義する。
「右の頬を打たれたなら左の頬を差し出せ」というのが本当にその人にとって信じられる事であるなら、その人はそうするだろう。
「右の頬を打たれたら・・・」について言うなら、僕の場合はその言葉ををまるごと信じている訳じゃない。場合によるとしか言えない。もう一つ言うなら、イエスがそのような言葉を語った前後の流れを無視して、単独にその言葉を真実とする訳には行かないとも考える。そして、その言葉をまるごと信じるのには無理が有ると考える。
そして、信じにくい事を信じると告白しなければならないとしたら、それも無理と考える。
僕はキリスト教徒という訳じゃない。しかし姉はキリスト教系の学校に通っていたし、聖書も読んだ。
僕はイエスという人に親しさを感じたけれど、といって洗礼を受ける気にはならなかった。
処女懐胎も、死して三日のちの甦りも信じる事は出来なかった。それを信条として告白する事など僕には出来ない。
もし、それが真実であったとしても、それを信じない僕の事をイエスなら「そんな事を信じなくったって構わないよ。君だって、脳梗塞やアトピーの患者に誠を尽くしてあげてるじゃないか。そういう人たちの笑顔こそが、信じにくい事を信じると告白する事よりも大切だって僕も思うよ!」って言いそうな気がする。


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