ディリー?闇鍋アラカルト
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僕には日本人と言う意識があまりない。
日本人と言えば、外国では団体で行動し、眼鏡をかけて首からカメラをぶら下げている・・・というようなイメージがあるらしいのだけど、僕は外国に居ても一人で行動していたし、眼鏡をかけていないし、カメラは最小限の使用だから、普段はぶら下げない。 日本人の行動パターンというのとは違っている。 会議やパーティなんかでも、日本人の場合隅っこに固まる事が多いのだけど、僕はそんなことはない。
いつの頃からか、僕は日本人である事が嫌いになっていた。それよりも、津軽の人間である事はもっと嫌いだった。 今でこそ方言が見直されてきてもいるけれど、僕が育った頃は方言は「悪い言葉」とされ、標準語は「良い言葉」だった。 自分の話す言葉にネガティブなレッテルを貼り付けられた。小学校では「良い言葉」を話すよう奨励された。 僕が一歳になった頃から話し始めた言葉は当然津軽語だ。周囲は皆津軽語なのだから・・・・それが「悪い言葉」だなんて! その「悪い言葉」を話す人間は田舎者だ。ぼろを着て肥桶かついで大根の世話をしなくてはならない。 「良い言葉」を話す人間は都会者でスーツを着て、また、最新のファッションで恋を語り、体制に反逆する!!何とカッコいい事か!!!! 僕の小学時代・・・裕ちゃん(石原裕次郎)が寵児だった。 もし、裕ちゃんの映画が津軽語で話されるなら、裕ちゃん映画はどれだけの支持を得られるのだろうか? 津軽に育ち、津軽の言葉を話すという事は、それだけでハンディを負っているという事なのだ。薩摩語や大阪語の場合にはそれ程でもないと思う。 目に見えにくい差別があるのだと思う。 その差別をする人たちというのは、当然日本人であり、津軽語を話さない人たちだ。概して、東北諸語は差別の対象となる しかし、これは厳密ではない。町に住む津軽語を話す人は田舎のディープな津軽語を話す人に対して優越感を持っているかも知れない。 秋田や南部あたりでも同様の事はあるだろう。 標準語を話す人たちは方言を「なまっている」とみなす事が多いけれども、実はなまったのは都会の言葉の方なのだ。地方には古い言葉が残っている。 都会は人の出入りが激しい。どんどん新しい言い回しが出来、一方古くからある言葉が失われて行く。 たまたま、支配する側の方の言葉を「標準語」としたという事に過ぎない。 僕の若かった日々、津軽を脱出する事は大きな望みだった。
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