ディリー?闇鍋アラカルト
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2003年05月27日(火) 夢・・・3

僕の悪夢体験の、その後の話を書こう。

空手部の先輩の夢の後も悪夢は見た。
その数ヵ月後の悪夢の時には、夢の途中で夢の中だと気付いた。
そして、その時にも悪夢を克服する事に成功した。
その後は悪夢を見る事が少なくなった。
今も覚えているのがバスに乗った夢だ。
どういう事かバスはブロック塀に向かって進んでいる。
このままではぶつかってしまう!
気持ちが昂ぶった。しかし、冷静さも持ち合わせている。
どうせ僕は乗客だ。バスの進路を変える事など出来はしない。
おとなしく、ぶつかるに任せるしかないのだ。
その時どういう事が起こるか?
僕は重症を負うだろうか。死ぬだろうか。他の乗客はどうなるのだろう。
それを、この目で目撃出来るのだ。
何という得難い体験!
僕は覚悟を決めて見届けようとした。
バスは塀に激突した!
場面がパッと変わった。
夢だったのだ。
この夢以後、悪夢でパニックを起こした事は一度もない様に記憶している。


2003年05月22日(木) 夢・・・2

僕はドラム缶のような物が並んでいる所の陰に隠れていた。
何で隠れているのか・・・それは空手部の先輩が僕を探し回っているからだ。
何をしてそんな事になったのかは覚えていない。
とにかく隠れなくちゃ。
先輩たちに見つかっては何をされるか分からない。
しごきか?リンチか?説教だけで済むとはとても思えない。
まだ遠くにいる。
こちらは息を潜めてじっとしている。見つかっちゃならない。
向こうに行ってくれ!
しかし、あぁ!段々近付いて来る。
先輩たちは何かごちゃごちゃ話し合っている。
僕をどうしようかという相談だろうか?
話の内容までは分からない。
考えたくもないが不安になる。気になる。
話し声が段々近付いて来る。
こうして向こうを覗いたりすると、却って見つかるかも知れない・・・
胸の鼓動が高まってくる。ドキドキ。
近付いて来る。ドキドキ、バクバク。
もう見つかるのも時間の問題か?ドッキンドッキン。
ウアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!
僕は恐怖に耐え切れなくて目覚めてしまった。
しかし、この時に大学時代に見た夢、ヤーさんと争った夢を思い出した。
恐怖の中でパニックになっちまっちゃあの時と同じじゃないか。恐怖の中に居てこそ、そこに踏みとどまってこそ万が一にでも助かる可能性があるのではないか?
僕は再び夢の世界に戻ろうと決心して目をつぶった。
そして、戻る事が出来たのだ!
恐ろしい先輩は近付いて来て・・・その先は覚えていない。
もう十年以上前の事だ。あの時僕は見つかったのだろうか。
それとも先輩が僕を発見できないで行過ぎてしまったのだろうか?
しかし、僕は恐怖の中、そこに踏みとどまる事が出来たのだ。
大学時代にヤーさんの夢を見た時には踏みとどまる事が出来なかった。
夢から逃げ出してしまった。その時には寂しい気持ちになった。
空手部の先輩の夢では逃げ出さず踏み止まれたという事が、あの時の自分とは違うという密かな自信に繋がったのは言うまでもない。


2003年05月14日(水) 夢・・・1

夢について語る時、「あなたの夢は何ですか?」というような場合の夢と実際に見る夢とはかなり違っている。
「あなたの夢は何ですか?」と問われて、答える内容は「宇宙飛行士になる事です」とか「看護婦さんです」とか将来の自分の希望の職種を答える事が多いだろう。所が、実際の夢というものは誰かに追いかけられる夢だったり、性的なものだったり、飛んでいたり・・・と、前者とはかなり違っている。
僕自身が夢について語る場合は、実際に見る夢について語る事が多い。夢のトレーニングをした事もある。実際に、夢はトレーニングの場としてかなり有用だ。
僕が参考にしたのは、キルトン・スチュワートの「マラヤの夢理論」だ。
「マラヤの夢理論」は白水社から出版されている「夢学(ユメオロジー)」に載っている。「チベットのモーツアルト」にも載っているが、採り上げ方がつまらないという印象だった。
夢のトレーニングの対象として、悪夢に取り組むというのがある。
僕自身の思い出す悪夢。それは大学生の頃に見た夢で、ヤーさんと争う夢だった。
僕はやーさんと争い打ち負かした。ヤーさんはへなへなと崩れ、しりもちを搗きこちらを見ていた。そこで僕は詰め寄り「どうだ、もうこんな事はしないな。」と言った。そしたら打ち負かされた筈のヤーさんが懐から刃物を出して僕に突きつけたのだ。僕はギョッとして心臓バクバク、ウアーッという感じで目が覚めてしまった。夢で良かった。しかし、僕の勇気というのもこの程度なんだろうなあ・・・という寂しい気持ちが残った。夢から覚めてしまったのはその状況に精神が耐えられないという事を表しているようだった・・・・
この時期にはフロイトの「夢判断」くらいは読んではいても、夢のトレーニングなど考えた事もなかった。
そして、夢のトレーニングというものを知って、再び悪夢を体験する事になる。この次にはその事について書いてみよう。


2003年05月13日(火) 植物性100%という欺瞞2

石鹸を売っていると、「植物性の原料だけの石鹸はありますか?」と聞かれる事がある。僕は「有りますけど、植物性の原料だけの石鹸という事が、肌への適性という点でそんなに積極的な意味を持っている訳じゃないですよ。」と答える。
実際の話、「植物物語」などというネーミングは植物性の商品なら肌に優しいだろうという自分で原料の性質を調べた事もない人たちを相手にすれば受けるだろうという下心丸見えと言えるし、その製品が出回る事で一層誤ったイメージが普及してしまうのだ。
石鹸の場合オーソドックスな市販の石鹸は牛脂80%ヤシ油20%である事が多いらしい。殊更(ことさら)に植物性をうたった物では、牛脂の変わりにパーム油を使っている。
それで肌にやさしい石鹸になるのだろうか?
使い比べてみた方なら、優しくなったとは感じなかったのではないかと思われる。
実際、牛脂とパーム油の脂肪酸組成を比べてみるなら、石鹸にした場合の肌への適性が△のパルミチン酸はパーム油の方が多いのだから当然の話だ。
この肌への適性△という評価は前田京子さんの「オリーブ・マルセイユ石鹸を作る」という本の表に載っている(るるるん手作り石鹸にも書いているので見てね!)のだが、前田さん自身がこの表を有効活用しているかどうかはなはだ疑問だ。何しろ前田さん自身が植物性油脂100%の石鹸だけ作っているようなのだ。
オーソドックスな石鹸に使われる事が多いヤシ油には、肌への適性×のカプリン酸カプリル酸が含まれているし、泡立ちをよくするが肌への適性△のラウリン酸が多い。それだったら、大きな泡は立たなくても、小さい泡が立つラードの方が肌への適性はよほど優れている。TAOさんが書くようにラードは名脇役と言えよう。値段もリーズナブルだしね。
前田さんは匂いが悪いような事を書いていたが気にする程の事もない。
動物性の脂でも馬油やミンク油も肌に優しい。僕の場合は高価なのであまり使おうと思わないが。

植物性100%というキャッチフレーズは自分で真実を調べようともしない人たちをターゲットにしたものに使われるという事を覚えておこう。


いなっち |MAILHomePage

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