ミドルエイジのビジネスマン
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2006年06月25日(日) 天使のナイフ

新幹線に乗って、推理小説を読むのは怠け者の楽しみの一つだ。大体往復で一冊か。薬丸岳の「天使のナイフ」を読んだ。

刑事罰を問われない未成年者の犯罪の輪廻のような小説だった。そこまで、いくつも「どんでん返し」を繋ぐとリアリティがなくなっちゃうよ、そうまでしなくても言いたいことは伝わるよ、というところもあったが、さすがに江戸川乱歩賞を取った作品だけあって、大変面白く読んだ。




2006年06月18日(日) 形の上ではのんびりした週末

2週間ぶりに畑仕事。ナスを4個収穫、あとは、ほとんど草取り。今年植えたのは、ジャガイモ、ナス、ゴーヤ、落花生、トマト、ワケギ。茗荷は勝手に増えている。

汗をかいたので、そのままスポーツクラブに行って少々ランニング。お昼は、去年植えたラッキョウを掘って、生のまま味噌をつけてビールのつまみに。

日曜の夜はワールドカップ、日本−クロアチア戦の観戦。力闘したが互いに点が入らず引き分けに終わった。

形の上では、のんびりした週末だったが、心の中はいまひとつ落ち着いていない。


2006年06月11日(日) ミコちゃんとの再会(最終回)

親戚中が集まったその場の格好の話題は専ら、三十になった息子に誰かいい娘はいないか、ということであったが、ミコちゃん自身は、特に大げさな話し振りをするでもなく昔のようにただ微笑んでいた。そうして、お膳の向こうから何度かビールを注いでくれた。

子供には重すぎて開けることも難しかった、幅の広い大きな引き戸は座敷の入口に今もそのままあり、かつてその向こうにあった土間は、もうなくなっていた。その土間に渡された、長い簾の子(すのこ)の上を走ると床のコンクリートに当たってカタンカタンと音がしたものだった。そのまた奥にあったお風呂は薄暗くて怖かった。

あるものは時を超えてそのまま残り、あるものはいつの間にか姿を消す。叔母は静かにこの世から姿を消し、ミコちゃんは昔の面影を残しながら、もの静かな息子と自らに生き写しの娘とともにそこにいる。

叔母の家に来るために乗った2両連結のディーゼル・カーはもう走っていない。周りに何もない田んぼの中の道を、蒸し暑い日中に母に手を引かれて駅から延々と歩いたことは幼児期のかすかな記憶として残っているだけだ。もう暗くなった帰りの乗換え駅で、待合わせの合い間に母がペコちゃんポコちゃんの絵のついたキャラメルを買ってくれたことも。

帰り際、そのうち手紙を出すからとミコちゃんの息子に無理やり住所を書かせた。どうしたの、と覗き込むように優しく微笑んでくれたミコちゃんの笑顔が、どうしていつも淋しそうに見えたのか、いつか聞いてみたいとずっと思っていたのだが、手紙はまだ、一行も書いていない。


2006年06月04日(日) ミコちゃんとの再会(3)

父の妹に当たる叔母はこの家に後妻として嫁いで来た。小柄で華奢な体つきの叔母にとっては労働力として期待される農家の嫁の役割は過酷であったに違いない。

読経が始まった。それは尼僧の木魚に合わせたご詠歌の詠唱であった。人々はそれぞれに経本を手にしていたが、ありがたいお経もひらがなで書かれてしまっては意味も解るまい。なんとなく意味が分ったのは西国の三十三ヵ寺を描写したご詠歌であった。

どこそこのお寺は庭の花がそれはそれは美しいとか、なにやらという寺は松林を吹き抜ける風が読経のようだとか、また、ある寺のそばを流れる川のせせらぎもお経のように聞こえるという単調なメロディの詠唱は村の女性たちによって延々と繰り返された。なにせ、三十三番まであるのだ。

女性たちのハーモニーは妙になまめかしくもあり、もしこれが薄暗い宗堂の中で行われれば次第に心は高揚し、ついには宗教上の恍惚に至ることも不可能ではないだろうと思った。長いご詠歌もようやく終わり、膳が運ばれてきた。隣に座ったのは、今もミコちゃんと暮らし、地元の堅い会社に車で通っているという三十歳くらいの息子と最近結婚したばかりだという、その妹だった。

ニコニコ笑っている娘の容姿はミコちゃんと、うりふたつと言ってもいいくらいだ。海辺の町で割烹を開いていた旦那さんは5年ほど前に亡くなったという。親父の夢であり形見でもあった割烹は何年も空き家にした後、今はお蕎麦屋さんに貸していると、息子はもの静かに語った。


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