ミドルエイジのビジネスマン
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2004年12月31日(金) 2004年を振り返って

2004年の経済動向は、ほぼ予想されたとおりとなった。すなわち、これまで採っていた施策が明確に効果を発現し、外部環境、とりわけ中国の活況に支えられて素材産業から持ち直した。春先に某素材産業の会社の方とお話して、その業界のプロの予想さえも上回る価格の急上昇が目前に迫っていると聞いて腰を抜かすほど驚いたものだった。そのあと、輸出関連の方とお話していると、今度は輸出用の船舶の予約ができないという。何ヶ月かすると、それらのお話は本当だったことが判った。

UFJ銀行関連の企業再建案がパタパタと決まると各銀行の社債格付けも上がり、年末には金融関係の株価も高値をつけた。大手銀行の不良債権処理は峠を越えたと皆が認め、過去の話になろうとしている。

大部長の仕事振りはどうだったろうか。昨年同様、11月までは本当に忙しく、長期の休暇は取れないほどだった。部のメンバー交代などもあったが、それはチームワークの良さでカバーしてもらった。そういえば、社員の満足度調査アンケートがあってその結果を見せてもらったが、前回調査同様、わが部のメンバーは業務への誇りと同僚との切磋琢磨に生き甲斐を感じ、プアなインフラ整備状況や、「平均的」な上司のできにもメゲず、仕事に邁進しているということだ。ケッ、こっちだって一生懸命やっているんだぜ・・・という気もしないではないが、同僚の皆様が、仲間に信頼を寄せ、互いに刺激しながら競い合っている姿には頭が下がる。

秋には、ふと思い立ってダイエットに挑戦したところ、ピーク時より5〜6キロ減で安定している。ただし、食べることを心の底から楽しむことができなくなったような気がして仕方がない。必ずしも、細心の用心をしているわけでもないのだが、無意識のうちにお腹一杯食べないようにしているらしい。これでは、ストレスで早死にしてしまうではないか。

来年も、公私共に平らかな年でありますように、と願いたいのだが、実は波乱が待ち受けていることが既に分かっている。せめてお手柔らかに、と祈っている。


2004年12月26日(日) 24(トゥウェンティフォー)、シーズン3

パソコン故障の件、とりあえずインターネットとメールは家族のマシンにアカウントを設けて同居させてもらうことにしたので、人様と連絡がつくようになった。ただし、開けられなかった4日間に来た数十通のメールはほとんどが「人妻」や「女子高生」からのお誘いだった。多少はネットショッピングの案内もあったかな。内緒にするためパスワードも設定した。

子供が寝てから彼等のパソコンを使って書いているが、雑然とした部屋の中、小学生の息子の机の隣でゲーム機など横目にしながら高尚な文章を書こうとしても落ち着かないことこの上ない。

この数日、人様の日記も見ることがなかったので、帰宅してからはシンプルな生活だった。それで、ふと魔が差してレンタルビデオ屋さんから「24(トゥウェンティフォー)」の第三シリーズを借りてきたら、例によって、息をもつかせぬ展開に、やめられなくなってしまった。今度はロサンゼルスにウィルスが撒かれてしまうという。あっという間に感染が拡がってしまうのを何とかしなければ・・・。それにしても、映画ではなくテレビ番組でこんなにスケールが大きくてしかもリアリティのある作品を作ってしまうのだから、ハリウッドの底力を感じる。しかも、リアルタイムで進行する事件だというのだから恐れ入ってしまう。24時間のうちに事件が起きて、その日のうちに解決してしまうということか。まとめて見られるように、早くお正月休みにならないかな。



2004年12月22日(水) 友人知人の皆様にご連絡

パソコンの「Windows XP」が起動しなくなりました。セーフモードでは動きますが、インターネットとメールができません。

改めてお知らせするまで、メールは会社または携帯までお寄せ下さるようお願いいたします。

一般的な内容ならば、HPのBBSにいただいても結構です。


2004年12月19日(日) また優勝しちゃった

「いやいやゴルフ」の話は何回も書いたので、その話題は次の展開があるまで暫らく遠ざけようと思っていたのだが、土曜日のゴルフコンペで優勝してしまったので、今日の日記は部内報告のようなものだ。

はっきり言って、優勝した。しかし、それは「ダブルぺリア方式」とかいう隠しホールの打数によってハンディキャップを後で決める方法により現実離れしたハンデをもらったためであって、当然、実力を誇示するような結果ではない。

まさか、自分が優勝するとは思わなかったので、プレー後にお風呂に入り、赤い夕日を眺めながら今年のゴルフからようやく開放された思いを満喫していた。その後、打ち上げパーティの部屋に入っていくと、みんなで大部長が優勝だと騒いでいるではないか。とっさに、これは冗談だ、調子に乗って「優勝の弁」などビール片手に語り始めたところで、残念、「どっきりカメラ」でした、という展開になるに違いないと思って周りを見回すと、皆さん真面目な顔をしている。どうやら本当らしい。

優勝賞品の江戸切子グラス2脚セットが欲しくて、あえて辞退はしなかったが、月曜から早速「ハンデ○○の男」と呼ばれるに違いないと思うと、会社に向かう足取りも重い。

電車で帰りがてら若い人と話していると、ブランド品ではあるが最先端の流行から型落ちしたクラブを買って使い、同世代の友人たちと2ヶ月に1回くらいコースに出ているという。かくのごとく賢くスマートに遊ぶ若者達に幸あれだ。



ところで、今日から「斉藤そよ」さんの「そよ日暮らし の そよふぉとノート」にリンクさせていただいた(右下のHomePageをクリック)。美しい自然の写真と詩が一体になっている。斉藤さんのメインのホームページにも行けるようになっているので、是非ご覧いただきたい。心が洗われる。


2004年12月12日(日) 忘年会で八重洲仲通りを歩く

先週末は部の忘年会であった。東京駅の八重洲口方面、八重洲仲通りにあるお店で、分類すれば居酒屋だ。名の通った地酒や焼酎を出す新しいが良いお店を同僚が紹介してくれた。

八重洲仲通り、日本橋仲通りにはもとから飲み屋さんがかたまっているのだが、先日テレビを見ていると、マッサージなどが進出して街の格式が落ちていると商店会長さんが嘆いていた。たしかに、以前はビジネス街の趣があったのだが、今回忘年会の参加者としてフラフラ歩いてみると歓楽街のように思えたのは気のせいだけではあるまい。

東京のいたるところで再開発が行われ、新しいビジネス街ができている中で、オフィスを持つ会社が出て行ってしまった後、リノベーションの遅れたビルに玉突き現象として飲食店やサービス業が続々と入ってきているのではあるまいか。



2004年12月05日(日) カエサルのガリア戦記を読む

紀元前58年にカエサルがガリアで戦ったとき、ヨーロッパの覇権を握ろうとしていたヘルウェティイ族の総人口は26万人、彼らはアルプス山脈の北側レマン湖付近の狭い土地を捨て、周辺の部族10万人を誘って大移動を開始した。だが、カエサルに阻止されて敗れ、元の土地に追い返された。その後人口調査をすると、合計36万の人口がわずか11万人になっていた。しかも、カエサルが元の土地に彼らを帰したのは、慈悲心というより、奥地からのゲルマン民族の侵入を許さないために、荒廃した空白地を作りたくなかったからだ。戦いに敗れることは、ほぼ部族の滅亡を意味し、戦闘員ばかりでなく、老人、女、子供も殺戮されてしまうという命の安い時代だった。

ガリアの地は諸部族が対立していたので、ある部族がゲルマニアの「癇癪持ちで無鉄砲な野蛮人のアリオウィストス」という王の率いる傭兵を雇ったら彼らが居座ってしまった。ゲルマニア人は最初は1万5千人だったのに、あっという間に12万人に増えてしまい、結局ガリアは彼に乗っ取られてしまう。カエサルはアリオウィストスとも戦うのだが、ゲルマニア側は戦列の後ろに四輪馬車や二輪車をぐるりと置いて、兵士の逃亡を防ぐばかりかその馬車の上に女たちを乗せた。女たちは自分たちがローマに奴隷として送られないようにして欲しいと手を差し伸べ、涙を流して訴えたという。結局、カエサルが撃破してしまい、ゲルマニア、ガリアの連合軍はレヌス川まで7.5キロを敗走し、大半が殺されるか、大河で溺れ死ぬ運命を迎える。アリオウィストス自身は小船に乗って逃走したが、二人の妻は逃亡中に死亡、娘も二人いたが、ひとりは死亡、ひとりはローマ軍に捕まってしまったという。

ローマ時代のヨーロッパといえば森林ばかりで、戦いの規模はせいぜい数千人単位くらいで、戦術としても森の中から弓矢を射るくらいではないかと勝手に想像していたが、あまりに大規模な戦争なので驚いてしまった。「ガリア戦記」などと勿体をつけたタイトルで、しかも、英雄の書いた本ということなので、よほど難しい内容かと思っていたら、記述も具体的な記録ばかりで大変解りやすい。

もともと、学校の歴史で習った「カエサルがガリアを平定した」とか「ゲルマン人の侵入」という抽象的な表現が具体的にどの程度の規模やどのような形態で行われたのかという興味で講談社の文庫本を買ったのだった。当時の戦略や戦術も学ぶことができて、当初の期待を超えるいい買い物だったと思う。


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