ミドルエイジのビジネスマン
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2004年09月26日(日) 大部長、渦中の人と遭遇す

9月24日17時40分、大部長は出張先から東京駅に到着、中央通路の人ごみの中で次のミーティングに向け、時計を気にしながら足を速めていた。

と、そのとき前方から黒いTシャツ姿の青年が足早に歩いてくる。今頃の季節に元気な若者だがどっかで見たような気もするなと、ふと顔を見るとあの堀江君ではないか。あの堀江君と言っても、もしかしたら先方は大部長を知らないかもしれないので挨拶もしないで大変失礼した。

話題の渦中にあるライブドアの堀江社長の顔はツヤツヤと輝き、さすがにオーラを放っていた。もしオーラを放っていなくても、黒いTシャツの一団がテレビカメラを従えてラッシュアワーの東京駅を歩いていれば目立つのは当然だが。翌日テレビを見ると、その夜に浅野宮城県知事と会談したようだ。

最初にライブドアが名乗りを上げたとき、プロ野球界の人たちのみならずほとんどの人が、どこまで本気かと疑っていた。もしかしたら、何をやっているかよく分らない会社の単なる売名行為で、安い広告宣伝費のつもりではないかと。そこに楽天が登場してみんな一挙に本気モードになったのだった。

物事が音を立てて変わるとき、いつもこのように最初は誰も本気にしないのかもしれない。ヤクルトの古田が温かく誠実な人柄でヒーローとなり、プロ野球機構は悪代官役を割り当てられた。数年前であったら、2日間のストライキも17〜18億円ともいう損害賠償をチラつかせられただけで不発に終わり、筋書き通り10チームでの一リーグ制に移行していたかもしれない。

今回の一連の動向の発端は日本ハムの札幌フランチャイズに遡ることができよう。思い起こせば「都落ち」した日本ハムは誰もが北国札幌で寒い思いをすると見ていたが、冗談男のニューヒーロー新庄を擁してフランチャイズの醍醐味を札幌市民に与えてくれた。新庄、古田、堀江、そして楽天の三木谷社長とまるで明治維新のように、次から次へと思いもかけないヒーローが出現してくる。そして、そこに大きなエネルギーが生まれ、時代の歯車を回す。

三木谷社長率いる楽天の登場は一説には機構側のシナリオとも言う。大部長も何をするか分らないライブドアより楽天の方が信頼性があると思うが、後出しジャンケンで仙台を本拠地にするなどと言うなよという堀江社長の言い分に、この点では理がある。

もはや、「オーナー」達が密室の中で不透明な談合をして済ますことはできない。ライブドアVS楽天の勝負は、単に球団数や本拠地の問題にとどまらずジャイアンツ人気のおこぼれをもらうプロ野球全体の構造変革にまで進んでいくことだろう。

熱烈なプロ野球ファンでもないのに、堀江君との遭遇に触発されて本日も訳知り顔をしてしまった。


2004年09月20日(月) 好天続きの三連休

次男の運動会。
リレーの選手、しかもアンカーに選ばれたというので、チームの足を引っ張らなければいいがと心配していた。その前にバトンミスがあり、走る前から4位。やれやれ責任は免れたと思いながら見ていると、順位は上げられなかったが、そこそこの走りでまずまずの結果。よしよし。
今年は、微風の吹く快晴の空の下で運動会をすることができてよかった。木陰でキャンプ用の椅子にふんぞり返って昼間からビールを飲んでいると、その姿はまさにデイキャンプそのもの。

畑の様子。
遅れてはならじと早めに蒔いたダイコン。まだ暑いので、青虫のような幼虫がせっかく出始めた本葉を端から食べている。ガックリ。でも、収穫は来年からかと思っていたミョウガが4〜5本採れて満足。たまねぎとラッキョウを植える。

読書。
文庫の古本で山崎豊子の「沈まぬ太陽」全5巻を買ってきた。

テレビ。
ベスビオス火山の噴火で埋もれてしまったポンペイの特別番組を観た。知らなかったのは、死んだ人の数は人口の一割くらいで、後の人々は逃げていたということ。逃げ出すチャンスもなく、一瞬のうちに都市が全滅したのかと思っていたが、一晩がかりだったそうだ。噴火二日目の朝、「サージ」による火山性のガスと熱風により人々は死に絶え、街は埋もれてしまったという。この番組でも、最新の科学とコンピュータグラフィックスのお陰で、西暦79年の出来事がつい昨日のように再現されている。BBCが製作したという再現ドラマも当時の日常をリアルに描いていて面白かった。













2004年09月12日(日) 北オセチアの悲劇に寄せて

日記で自分の生活と意見を公開している一方で、日々十数人の方々の暮らしを拝見し、人々の知恵に感心したり物の見方を教わっている。

北オセチアの悲劇を目の当たりにして、日記の中で直ちに意見を公開したのは女性だった。しかも、一人や二人ではない。



子供を人質に取って、しかもハナから開放する気も無いという非道な行いに、遠くにいても恐怖と怒りで身が固まってしまう。亡くなった方に身内が10人いたとすれば、3500もの回復し難い悲しみと深い憤りが残ってしまった。

だが、チェチェンではプーチンの攻撃によって80万の人口のうち既に20万人もの命が失われているとも言う。テレビで放映しないからといって、世界に平和が続いているとは限らない。20万の人々に10人の身内がいたとしたら、既にチェチェンの人口を3倍しても足りない深い悲しみが彼の地を覆い、消すことのできない大きな憤りがロシアに向けられていることになる。

今回のテロ事件で、爆弾を身にまとった女性が二人、体育館とは別の部屋で自爆したという。最初は自ら命を絶ったのかと思ったが、その後、学校を占拠することに反対して見せしめの犠牲になったという報道もあった。

このような悲劇の中でも、子供達を犠牲にしてはならないという声が犯行グループの内部にあり、それが女性だったということがわずかな救いだ。互いに相手を抹殺しようとし、その手段を選ばないとき、それを止めることができるのはいきり立つ男どもではなく女性なのだと思う。

カスピ海沿岸の石油資源を獲得しパイプラインで運ぶために、また独立運動が周辺に拡大して国境の防波堤を失うことがないように、ロシアは力づくでチェチェンを占領し続けている。中東と同様、石油のもたらす富を適正に配分することができないのが根本的な原因であろう。イスラム教とキリスト教の文明対立などと訳知り顔な解説に逃げることなく平和のうちに共存する途を何とか探し出して欲しい。

自分では何もしないで、それこそ訳知り顔なことを書いたが、いち早く声を挙げた女性の方々に敬意を表して思うところを書き留めた。本当のところ、胸弾む入学式の日に恐怖のどん底を味わさせられた挙句殺されてしまった子供達のことを思うと言葉もない。日本では亡くなった人のことを思うことが供養になると言われている。今、遥か遠い外国の会ったことも無い子供達のことを思い、短かった一生は幸せだったかいと語りかけている。









2004年09月05日(日) お天気の冴えない週末

雨が降ったり曇ったりの天気となってしまった週末は、コーヒーを飲みに出かけた。要領が悪くて読む本も持っていかなかったし、出かけた時間も中途半端だったので、ただ飲んできただけ。幼児を連れた買い物客の姿を眺めてほのぼのと幸せを感じ、リフレッシュしてきた。

ついに畑は草ボウボウの有様となり、耕すと言うより、雑草を刈り取ってほんの一部を開墾したに過ぎない猫の額にダイコンを蒔いた。今年は、早めに手を打ったので何本か収穫できるだろう。雑草を増やさない秘訣は、はびこる隙を見せないように野菜を育てること。家族に邪魔にされても、サツマイモを植えておくべきだったのだろうかと思う。ふと見渡すと、人様の畑は見事なものだ。



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