ミドルエイジのビジネスマン
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2004年08月29日(日) すいかの総決算(写)

種から育てたすいか栽培の総決算は写真のとおり。一番大きいのでも直径は15センチ位だ。もっと大きいのもあったのだが、どんな網をかぶせるか考えて一週間遅れたただけで鳥につつかれてしまった。二番目に大きかったすいかは子供達が里帰りしていたので、帰ってきてから収穫しようと思っているうちに蔓が枯れ、熟しすぎてしまった。なかなか、思うようにいかないものである。

大きさは15センチでもスプーンで掬って食べると中身は甘く、一人前の味だった。今年の暑い夏の天候がすいかに良かったのだろう。食べてしまうのはあっという間だが、早起きして会社に行く前に水をやったり、蔓が延びすぎないように切ってやったりした苦労が思い出された。手がかかる割りにあまり報われなかったので、はっきり言って、忙しいお父さんが手を出す作物ではないと思う。








こんな感じ小さくても甘い


2004年08月22日(日) 女子マラソン、アテネで優勝

いつもならパソコンに向かっている時間にアテネオリンピックの女子マラソンがテレビ中継されていたので、ずっと観ていた。

野口みずき、優勝おめでとう。


2004年08月15日(日) 夏の終わり

週末、最愛の妻の実家に夏休みの元気な顔を見せに行った子供達を迎えに行ってきた。アテネオリンピックや高校野球をテレビで見たりしてのんびりと過ごし、ご馳走になって帰ってきた。

確かに新幹線は混んでいたが、お盆のシーズンにもかかわらず、わずか2日前でも往復の座席予約を取ることができた。団塊の世代の、その子供達が大人になってしまったからには、もう、昔のように特定の日にふる里に殺到する時代は、終わってしまったのだろう。日本が、余裕のある豊かな時代を迎えているということだ。

雨が降って、40日にわたって続いていた東京の真夏日の新記録も終わった。


2004年08月08日(日) H君の異動

この度の異動で、主力メンバーのH君を送り出すことになった。戦力的に言えば「抜かれた」と表現してもいいだろう。彼が去った後、部がどのようになるか考えると、改めてH君に負っていたところの大きさを噛み締めることとなる。

大部長が来たときから、彼は主力部員であった。いつも大きな案件を担当し、法律や制度が変更になるごとに率先して調査研究し、関係部署に貢献することを当然のように考え、行動していた。そんな絵に描いたような立派なことを続けていれば、自分の時間はほとんどなくなる。実際、彼はそのような生活を送っていた。

時々、そこまでやらなくても、君が怠けていると思う人などいないから家族と顔を合わせる時間くらい取るようにしたらどうかと言っても、ニコニコ笑うだけだった。自分がこの部署を支えているという自負を強く持っていたから、あのような仕事振りを続けることができたに違いない。

彼の持っていた案件は、みんなで分けて分担しよう。問題は個別案件以外の研究や報告がこれまでのように黙っていても自主的に提案され、部内や関係部署に報告されるかどうかだ。ただでさえ、各自の分担は増加するのに、かてて加えて身を削る思いで文献を読み、事例を探してレポートを作成することが果たしてできるのであろうか。しかし、そうしなければ、ジリジリとレベルが低下していくので、何とかやり抜くしかない。

H君が新しい部署に行ったら、せめて朝か夜のどちらかは家族の顔を見ることのできる程度の生活になってもらいたいものだ。H君、いつも大部長が言っていただろう、今の半分しか仕事をしなくても文句を言う奴は誰もいないよ。


2004年08月01日(日) 茂木ツインリンクキャンプ

恒例の家族キャンプ、今年は茨城県と栃木県の県境にある茂木ツインリンクに行ってきた。

初日はサーキットで練習している車の音がブンブンとうるさかったが、二日目はレースもなく静かで、ホンダのロボット「アシモ」がいる施設もゆっくりとまわる事ができた。

遊園地のような施設では、様々なタイプのゴーカートを運転することができ、中には本格的なレースもある。高校生以上でなければできない本格ゴーカートに挑戦したが、途中でスピンしてしまい、タイムを大幅にロスしてしまった。

ゴーカートの後は近くの那珂川にかけられた「大瀬のヤナ場」に立ち寄った。おととし訪ねたときには肝心のヤナが工事中で食事だけしたものだったが、今年はちゃんとヤナも設営してあった。ヤナに入るのは無料だが、鮎を持って帰るのは有料とのことだ。那珂川は自然が保たれた大きな川で、休憩所の囲炉裏で鮎の塩焼きなんぞ焼いていると、カヌーの一団が川を下って行ったりして風情がある。








茂木キャンプ大瀬の簗場


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