ミドルエイジのビジネスマン
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2004年02月29日(日) 恒例の家族スキー

恒例の家族スキーに行ってきた。

栃木県のハンターマウンテンスキーリゾートは、リフトから眺めている息子に言わせると滑っている人の7割がスノーボードに乗っているという。幼稚園児くらいの子もボードをしているのには驚いた。

今年のスキーの詳細は来週ということで。


2004年02月22日(日) 町内会役員は1期で任期満了

2週間に及んだ町内会役員の選出は議論百出の末、結局アミダ籤となった。籤運良くというか悪くというか、次期役員にはならなかった。当たった方はどうしようかなと言っておられたが、実は資質として適任の方なので気持ちよくやっていただけるはずだ。

お父さんももう1期役員をやればある程度深い友達もできるし町内の動静にも精通して、自分自身市民として成熟するのではないかと思ったのだが、なにせ昼間は家にいないのだから、家族に負担がかかるのは目に見えている。やはり自分から手を挙げることはできなかった。もし、アミダで当たったらそのときは受けるしかないと思っていた。そのように肝が据わっているときには却って、当たらないものだ。

別のグループからの選出に立ち会ったときも、商売をしているから夜は集まりに出られないという人や介護しなければならない家族がいるという人にばかり当たってしまうのだった。さりとて、やる気のある積極的な人に任せようとすれば、ボスの素質たっぷりの人に牛耳られてしまうし、と先人たちはボヤいていた。





2004年02月15日(日) 町内会役員の改選

週末の土曜日に町内会役員改選の打合わせがあった。町内会長はじめ役員は女性中心で稀に見る民主的且つ活動的なリーダーの方々だが、やりたいことがあったり、エネルギー補充のため今回は身を引いて、本年度アミダで役員をした人の中から何人か居残って来年度もやって欲しいという意向だ。奇特にもお一人の女性が手を挙げられたが残りが決まらない。

会合の時間は延長され、会社に行って仕事でもしようかと思っていたプランも流さざるを得なくなった。結局それでも決まらず水入り、来週も町内会について考えなくてはならない。リタイアした直後で体力もあり、損得抜きで社会貢献をしようという人でもいればいいのだが。


2004年02月08日(日) 吉村昭の「海の史劇」を読む

先週のある日、心が荒れていたので誰かと飲みにでも行こうかと思ったが、みんな忙しそうだった。またひとりで丸ビルに寄った。本当は、美味しいお蕎麦でも食べて帰るつもりだったが、満員で入れなかった。ハンバーガー屋さんでさえ、行列ができる始末だ。

そこで再び本屋さんに行くと吉村昭の「海の史劇」が目に入った。今年は日露戦争開始百年に当たるというのは新聞で読んでいた。以前、別の本で読んだこともあるし、二百三高地の映画も見たことがある。今さら乃木将軍や東郷元帥でもあるまいと大分迷ったが、結局新潮文庫を手にした。

ロシア皇帝に見送られ、フィンランド湾のクロンスタット港というところからアフリカの炎熱地獄を越えて喜望峰経由で極東まで、ようやくたどり着いたロシア海軍の事情が詳しく冷静に記載されていて面白かった。

自分たちは安全な指揮所に居ながら、堅固な要塞攻撃に碌な偵察もせず、面子を重んじて単調な攻撃を何度も命じては犠牲を拡大していく乃木と、歴史的な「大回頭」により、戦艦の戦力での劣勢を接近戦に持ち込むことで巡洋艦等の中距離火力を生かした態勢に持ち込んだ東郷のコントラストも印象的だった。この作戦、本の中では東郷がロシア軍の砲撃の精度や波浪の高さを計算し尽くした上で反転したことになっているが、やはり、大きなリスクテイクをしたのだと思う。

遠い、百年も昔の海の物語が吉村昭の抑えた筆致の中に昨日のことのように浮かび上がる。そうして、百年前の幾多の犠牲の上に今の平和な日本が築き上げられたかと思うと自然に頭が下がる思いだ。









2004年02月01日(日) 大部長、エリート弁護士と食事をする

一緒に席に着いた二人の仲間は都心の夜景を見渡しながら高層ビルの最上階のレストランで何を思っただろうか。

まだ三十代になったばかりの青年弁護士は、二十代の頃から、さらに若い女性弁護士や司法修習を終えたばかりの新人弁護士とベンチャー企業を顧客とした法律事務所を構えている。その法律事務所自体がベンチャーのようなものであるが、毎月数十万円の顧問料を取りながら、いざとなったら一般論しか述べられない先生と呼ばれる弁護士たちよりはるかに信頼され、会社の人たちの細かすぎる議論や遅すぎた告白にも耳を傾け、正解を捜し求める。

会話の中に、司法試験を受かるという頭の良さとうちの事務所で一緒に働いて欲しいと思う人の頭の良さは違うんですよという言葉があったが、頷けるものがある。何年もかかって合格する人の中には既に相当頭が固くなっている人もいるそうだ。精神の柔軟さは、気づかないうちに形もなく失われていく。

大部長は思う、いつの世にもこのような若者が次の時代を切り開くのだと。縁あって、熱意ある若手弁護士たちと仕事をすることになった同僚たちにも彼らに負けてもらいたくはない。そうして切磋琢磨した仕事の集積こそがこの国のスタンダードを創り上げていくことになる。その一部を自分たちが切り開いているという矜持をもって仕事に邁進するなら、いつか越し方を振り返ったときに、きっと、あの時はあんなに苦労の多いプロジェクトに携わったが、その成果はこの分野においてこのように位置づけられ、自分の主張した姿勢こそがその後の規範として採用されているという誇らしい事実に気づくこともあるだろう。そして、いつか再びこのレストランを訪れ、若き日にエリート弁護士と語り合ったことを懐かしく思い出すことだろう。

それにしても、食事の冒頭少壮弁護士が気を利かして「何か、食べられないものはありますか」と聞いてくれたのに、若い女性のいる前で臆面もなく「え〜、美しい女性ですネ」と訳の分らないおじさんギャグをかまして高尚な雰囲気をぶち壊したのは誰だ。

全面ガラス窓の洒落た展望レストランだったが、実際に食べたのは日本料理のコースで、メインは口の中に入れるとクリームのように内側から溶けていく佐賀牛のステーキだった。弁護士という人達は毎日こんなに美味しいものを食べているのだろうか。






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