ミドルエイジのビジネスマン
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2002年09月29日(日) 忠犬「サラリーマン」

会社の幹部が全国から集まって10月からの経営方針を聞く会合に出席した。

ほとんどサラリーマンのDNAともなっている全国を地方別にブロック化して管理する手法を放棄して、顧客層に合わせたセグメント別のマネージメントに変更するという。これまでも、成績優秀な店舗や社員を表彰する場合に比較対象のためのグルーピングにこのような考え方は採っていたかもしれないが、業務の指揮系統を変更するというのは思い切ったことだ。しかも、今度は東京から命令するのではなく、「アドバイス」するのだという。狙いはもちろん、お客様のニーズが第一ということだ。

日本中の企業がこのように考え方の変更を迫られているのだろう。一旦変更したからには思い切ってアクセルを踏んで、カーブを曲がり切って後戻りできないところまで行って欲しい。

会社にすがる「サラリーマン」という考え方はやめて、職業「ビジネスマン」でクールに行こうと思っていても、こういう話になると、俄然、忠犬「サラリーマン」の根性が頭をもたげてきて、みんなで頑張ろうという気持ちになるから不思議だ。そう言えば、会場に行く途中渋谷を通ったので、駅前で日本で一番有名な犬「忠犬ハチ公」の鼻をなでてきたのだった。こんなことでもしないと、花の東京は渋谷に来たという実感がわかない。

さて、もう一つのテーマは人事処遇と給与体系。一言で言うと、職種別、業績重視にするそうな。ごちゃごちゃと複雑な説明があったが、理解不能。そんな複雑にしなくても、全員年俸制、刻みは百万円単位にしてはどうだろうかといつも思う。隣に座っている同僚より月給が5千円高いから、出世競争でリードしているとほくそ笑む時代はとっくに終わったはずだ。


2002年09月21日(土) 息子たちの運動会

小学生の息子たちの運動会があり、キャンプ用のチェアをグラウンドの木陰に並べて最愛の(さりげないこの形容詞を忘れるとジゴクを見る)妻と仲良く見てきた。
少子化が進んでいるので観覧場所の取り合いなど心配する必要もない。「気持ちいいねえ」と背もたれに寄りかかって伸びをすれば、高い空にすじ雲がなびき、行き先を定めたジェット旅客機が時折ゆっくりと通り過ぎていく。

目の前を歩いていくお母さんたちに椅子に座ったままご挨拶の黙礼をすると、子供たちが生まれた頃公園で挨拶した日々そのままの若々しい姿に驚かされる。引っ越してきたばかりの頃、妻が近所の奥さんたちと撮ったという写真を見てびっくりしたものだ。美人ばっかりで、皆さんセンスも良く、ヘエ〜、こりゃ金妻の世界だと。

息子たちの走る姿や鼓笛隊の行進を見るのは面映ゆいものだ。あの時分のことは昨日のように覚えていて、息子が走っている姿にどうしても自分を重ねてしまう。レースの順番を待つ間、ドキドキした記憶や入賞の旗の下に並んだ晴れがましい気持ち、賞品にもらったノートや鉛筆の質感。バカモン、父ちゃんが走れば必ず1等か2等の入賞リボンを胸に飾ったもんだ(さて、本当にそうだったかどうか確信が今ひとつなのだが)、4等なんかになるんじゃない。

思い起こせば小学生の頃でも、既に自分の世界があった。息子たちも、もう、親の存在はほんの一部になってしまった自分自身の精神世界に生き始めているのだろうか。手がかからなくなったと喜んでいる間に、口答えする姿も可愛いかったペットから、自分に似ているが自分ではない不思議な生き物に生まれ変わろうとしている子供たち。そう言えば、親子の障害物競争では、引いた籤(くじ)の結果、三輪車に乗せて走るというハンデから入賞はできなかったが、せっかく協力したので、お互い良くやったよなと長男と肩を組もうとしたら手を振り払いやがった。バカヤロウ、誰に育ててもらったと思っているんだ。ショック!

今年の運動会最大のニュースは長男がリレーの選手になったこと。



2002年09月15日(日) 島耕作サンとの再会

曇天の3連休にとっておきのお楽しみは「街の温泉施設」。といっても、本物の温泉ではなく大きな銭湯と言うべきか、備長炭の湯やら薬湯やら色々あって、人気の筆頭はやはり露天風呂。

休憩用の広間には漫画も備えてあり、なつかしい「課長 島耕作」を発見したので、通い詰めることになった。巷の噂では、島サンは今や取締役に出世したらしいのだが、ページのはずれそうになった本で読み直す課長の島サンは相変わらずお若く、バリバリ仕事をしている。

漫画の中で老夫婦の電気屋さんが、大手家電販売店が出店してきても真心で売る商売で頑張ろうとしている場面があったが、その息子はもはや諦めているようだった。先日、テレビでちょうどこの漫画のモデルとなった松下電器の特集をしていた。その中で電気屋さんのセミナーをやっていて、店の経営をコンピュータで診断し指導していた。どうやら、経営の近代化について来れない電気屋さんは切り捨てられる運命にあるらしい。あの老夫婦の電気屋さんはどうなったのだろうか。今頃熱海の老人向けケアマンションに入っておられるのではなかろうか(もはや、漫画とテレビと現実が頭の中で混然一体となっている)。

切れた電球の交換もできない家に電気屋さんが新しい電球を持ってきて取り替え、ついでに冷蔵庫のパンフレットを置いていく時代は終わってしまった。今、自分で使っているデジカメはインターネットで価格を比較し、秋葉原のはずれ、ショールームもないオフィスのような店で品番を指定して受け取ったものだし、息子に買ってあげたソニーの液晶ディスプレイはカニ料理屋の2階でお金を払い、宅急便で送られてきた。

時代の歯車がもう一回転し、グルッと回って、価格性能比ではなく、一緒に近所のお祭りを手伝う人柄の良い街の電気屋さんから買う日は果たして再来するのだろうか。町内の電気屋さんの笑顔も自分の幸せのうちだと思う時代が来るのだろうか。

課長島耕作は超有名人のため、インターネットの世界では彼の行動規範まで分析している方もいる。ここまで来ると、来週の頭には、会社の廊下で島サンとすれ違いそうな気がしてきた。


2002年09月08日(日) ケータイの恋

2日がかりで「北の国から2002 遺言」を見た。どちらかといえば、前編の方がいつもの「北の国から」の雰囲気が出ていて良かったような気がする。

一番心に引っかかったのはメインストーリーとは関係のないところで、竹下景子の息子がフラッとやってきて、ものも言わず携帯のメールばかり気にしてピポパポと打っていた場面。実は、見知らぬ女の子のメル友と会うことになっていたが彼女はやってこない。大人達には彼の行動は不可解だが、半年も前からメールだけで付き合い続けているのだという。

相手の顔も住んでいる場所も、本当の名前さえ知らないが、交信する度に心の距離は急速に狭まっていく。心のつながり以外の夾雑物は全くないので、こちらも心を開いて素直に想いを連ねていけば、それがまたストレートに相手の心を打ち、互いの気持ちはさらに近づいていく。

お父さんが、赤い顔をして膨れたお腹を隠しもせず、晩酌のビールを飲んでいる隣の部屋では、息子や娘がこんな世界に住んでいるかもしれない。

インターネットを見ていても、「遠距離恋愛」という言葉によく出会うのは、彼が遠くの大学に行ってしまったとか、転勤で遠隔地に勤務しているようなケース以外に、もしかしたら、もともと遠くに住んでいる人に恋をしているという場合も結構あるのではないだろうか。

作者の倉本聰は生身の人間の匂いのしない恋などバッサリと切り捨てていたようだが、未来における「好縁社会」を標榜するわが堺屋太一先生はどんなコメントをされるのか聞いてみたい気もする。

それにつけても、メールの使える携帯電話が欲しいものだ。



2002年09月01日(日) 北の国からはいつから

田中邦衛主演「北の国から」の特別編を今年放映することは前々から知っていたので楽しみにしていたところ、愛しの妻(いとしのつま)が甲斐がいしくビデオに録画してくれたと言う。今回の特集で番組は最後になるという話なので「良い母子(ははこ)は8時に寝るものだ」と妻子を早々に寝かしつけ、ひとり画面に見入った。

番組が始まってしばらくは以前に見た場面を映していた。一通り過去のおさらいをしてから新しい展開が始まるというのは特別番組の定石だと頷きながら見入っていた。
1時間位して、「このエピソードも知っているような気がするのだが」と思いながら、「そうだとすると、これだけイントロが長いからには本編はきっと3時間くらいあるに違いない」といやが上にも期待は高まっていく。
およそ2時間経って、9月6日〜7日に「北の国から2002」を放映するという告知があったので、聡明なお父さんは今まで見てきたのが単なる「総集編」であったということに気がついた。

それにしても宮沢りえは美しい。彼女は物語の中で、失意の息子「純」の前に突然現れた謎の美少女として登場する。普段は富良野の美しい風景以外はストーリーを追って行くだけのお父さんも宮沢りえの出てくる場面では思わず巻き戻しボタンに指が行ってしまう。

写真集「サンタフェ」が出たのはバブルも爛熟期を過ぎた頃だったろうか。大騒ぎした挙げ句やっと手に入ったとオフィスに持ち込んだ奴がいて、いやだ〜と言いながらも女子社員までが覗き込んでしまうくらいの健康さと圧倒する神秘性を持っていた。今振り返ってみれば「サンタフェ」こそは旧世代の人々にとってはバブル時代という豊かさと幸せの絶頂の象徴であり、宮沢りえと同世代以降の人たちにとっては彼等の新しい価値観が社会的に初めて認知されたファンファーレであったかもしれない。

テレビの予告によれば彼女も特別編に登場するようだ。9月6日は金曜日だが、夕方までかかる可能性のある全ての予定はキャンセルされなければならない。

ところで、万人の感動の涙と郷愁を誘う不朽の名作、北海道に生きる一家の、この、胸を締め付けられるような愛と人生の物語も妻にかかれば「貧乏むさいので嫌い」という一言で片づけられてしまう。北の国からの感動を分かち合えない、というのは「性格の不一致」に該当するのだろうか。







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