ミドルエイジのビジネスマン
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2002年08月24日(土) Feel Fine !(写真)

九十九里浜の海水浴にはさらに続きがあって・・・

朝、民宿の2階から外を見ると穏やかな海が見える。快晴、絶好の海水浴日和だ。
テーブルとパラソルを持ち出して、さあ出発だ。

子供達も大きくなってきたので、放っておけば勝手にはしゃいでいる。この浜は九十九里でもマイナーなせいか、海水浴客も賢い息子の話によればキッチリ200人で、のんびりしたものだ。パラソルの下で、缶ビールを手にして海風を受け、水平線の向こうに目をやりながら取り留めもないことを考えているのは至福の時間。

だが、雰囲気を盛り上げようと海水浴場の流す音楽がうるさい。今年の夏はあれしかないだろうが、あのほら、可愛い女の子がホースを持って洗車しているのをテレビでやってるでしょうが、あのあの、シーなんとかいうのの宣伝で、ビートの効いたアレアレ、ソレソレ。アレ〜?

アルツハイマー気味のおじさんにはハッキリ言わなければ解らない。倉木麻衣の「Feel Fine!」だってば。

実はこの夏、通勤の途上でほぼ毎日のようにMai-kのFeel Fine!を繰り返し聞いていたので勤務時間中でも「I can feel fine! 打ち寄せる〜 波に漂って〜 もっとずっとこのままで 風感じていたい〜」とグルグル回っていたのだ。まあ、ときによっては男声バックコーラスの高音で「トゥッ トゥル フィ〜ル フィ〜ル ファ〜イン!」が反対周りに回っていることもあったが。

倉木麻衣については宇多田ヒカルのパクリであるとかないとか巷間騒がれたこともあったようだが(あの問題は結局どう決着したのだろうか)、個人的には自分の頭の中でクルクル踊ってくれるのであれば、どちらかといえばMai-kちゃんの方が嬉しいのだが、どんなもんだろうか。

いずれにしろ、この夏最大のテーマであった「真夏の海辺でfeel fine!を口ずさむ」という目的は達成したのでまずまずの成果と言えよう。

写真はパラソルからの情景


ところで、お父さんには「大部長」としての試練が待ち受けていて、夕方7時には銀座でお客様と会食の予定が入っている(こんな僥倖は滅多にない)。酒は強いので缶ビール1杯くらいは軽く飲めるのだが、しまった、さっき定量まで飲んでしまったではないか。ウエ〜ン、もう飲めないよォ。

かくして、楽しかった地曳き網と海水浴は午後2時には早くもお開きとなったのであった。


2002年08月17日(土) 小アジの味は?

8月6日記載の地曳き網には続きがある。会議は3時半くらいに終わると思っていたので、実は夕方5時に浜辺で落ち合い、民宿に泊まることにしていた。ところが、終わったときは既に6時、妻と子供は夕暮れの砂浜で途方に暮れているに違いない。私が到着するのはきっと7時半、いったいどうする。どうする?アイフル〜!

そこは百戦錬磨のサラリーマン、ではなかったビジネスマン、ちゃんと民宿の電話番号を控えておいたので早速連絡する。
本日予約してあるのですが、と言ったとたん民宿のおじさんが電話口で何か訴えておられる。どうやら、「6時になっても現れないので、お宅に電話したら留守番電話になってしまっている(うーむ、もっともだ)。料理を準備するかどうか、考えていたところだ。一体どこにいるのか。」と尋ねられているらしい。どこにいるかと言っても、車で1時間半の内陸部という正しい回答をしたら許して貰えるのだろうか。

あれやこれや、ご説明申し上げて、ようやく捜索隊を浜に出してもらうことができた。妻の話によれば、一家総出で探しに来ていただいたそうだ。えらい、ご迷惑をかけました。

7時40分にようやく民宿に到着。皆様に頭を下げながら入っていくと妻子は何事もなかったような顔をして、晩御飯を待っている。辛うじてセーフだ。食事はお刺身がメインのいかにも海の民宿というものであった。量もたっぷり。子供達は赤貝のお刺身が気に入って私と奪い合いになった(バカモン、父ちゃんが一番だ)。中に、小振りのアジを焼いたのが1匹素っ気なく皿に載っていて、何気なく食べたのだが、それこそあの地曳き網で獲れた「小アジ」だったのだという。民宿の方が親切にも焼いてくれたのだそうだが、知らずに食べてしまったので、感動も薄アジ(食う前に言えよ)。

泊まったのが月曜日だったせいか、お客は私たちだけの貸し切り。50人は泊まれそうな2階の宴会場に寝かせてもらうことになり、浜辺ではしゃぐ若者達の歓声や砂浜で上げる花火、そして何よりも、寄せては返す波の意外に大きな音を聞きながら眠りに就いたのだった。








2002年08月06日(火) 地曳き網(伝聞)

家族で九十九里浜に海水浴に行ってきた。
予定では8月5日に休みを取って私も「地曳き網」に加わるはずだったが、お客様との会議が入ってしまい、家族を浜に送った後、その足で会議に向かうというトホホな状況に追い込まれた。くそ暑い車の中でTシャツからスーツに着替え、コンビニの駐車場でパンをかじりながら時間調整をすることほど楽しいものはない。

ともあれ、参加した子供の説明によれば、昔のお父さんが想像するような、みんなで力を合わせてロープを引く、のどかな「地曳網」ではなく、強力ウィンチで巻き上げ、ブルーシートにぶちまけた魚を我れ先に拾うという代物だったらしい。「地曳き網というよりつかみ取りだね」という我が子の賢いコメントが全てを物語っている。それでも、一人20〜30匹はピチピチ跳ねる「小アジ」を手にすることができたようだ。全体では1,500匹獲れたというわが子の報告はこの上なく正確だ。

ところが、慈悲深い母親は自分たちが食べる4匹を残して、全て海に戻させたのだという。うーむ、ある日突然九十九里の砂浜及びブルーシートなる異次元世界とキャップをかぶった子供達というモンスターを目撃してしまった数十匹の小アジたちの経験はその生涯にいかなる影響を与えるのだろうか。そこでお父さんは鎖国の江戸時代にロシアはペテルブルグまで見てしまった大黒屋光太夫を紹介した井上靖の「おろしや国酔夢譚」を思い起こすのだが、その話はまた別の機会に。

最後に一つ確認しておきたい。お父さんは、会議があるのに海水浴に行こうとしたのではなく、子供より楽しみにしていた地曳き網を犠牲にして会議に駆けつけたのだと。くやしーっ。


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