ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2002年10月27日(日) 母の看病

母の看病のため、週末にあわただしい帰省をした。命にかかわりはないが、既にいくつかの慢性疾患を抱えている母が週初に入院したので、義姉と付添いの泊込みを一日だけ交代したのだ。

日本海に程近い地方都市の大きな川の向こう岸に最新設備の病院が移転したので、7階の病室から自分の十代後半の心の成長を育んだ街の全体を見渡すこととなった。変わりやすい天候は今年初めて初冬の趣を帯び、足早に雲が流れる夕暮れの大河の上空を雁が連なって下っていく。

老いた母が眠るベッドの横で自分の高校生時代を想い起こしながら、子育てをしている今の自分のことも考えてみる。最近、「世代を紡いで行く」ということを考えることが多い。

老いた母と成長した息子が空調の快適に効いた窓の広い病室で、言葉を交わすこともなく静寂の時間を一緒に過ごしている。これも親が子に与えてくれた恵みであろうと思う。


2002年10月20日(日) グリーンマイル

テレビの映画番組の録画でスティーヴン・キング原作の「グリーンマイル」を見た。スティーヴン・キングの小説が原作になった映画は、小説の世界そのままに再現されていて期待を裏切らないのだが、それだけに、小説を先に読んでしまうと映画で追体験するのが怖くて躊躇してしまう。いやいや、本当に恐ろしいのだ。

看護婦が自分の大好きな小説家を自宅に監禁して逃げられないように足を折って無理矢理小説を書かせてしまう「キャリー」など、ビデオ屋さんでパッケージを手に取っても決断がつかず、何度棚に戻したことか。ビデオを借りると決めた時の怖さを思い出しても手が震えるようだ。

その意味で、狂気に取りつかれた男と一緒に雪に閉ざされたリゾートホテルに閉じ込められてしまう「シャイニング」は、今でも怖くて見ることができず、思い出したくもない(でも、いつか見るんだろうな)。

「グリーンマイル」は、病気を治す不思議な能力を持った黒人の大男が登場する、電気椅子のある監獄の物語だが、なんと言っても冒頭で幼い姉妹が殺されてしまうのが許せなくて、他の物語のように恐怖におののくのではなく、かわいそうでならないのだ。善良な黒人は無実の罪を背負ったまま電気椅子に座ることとなるのだろうか。全体としては心の暖まる物語だ。映画の中で、善良な大男は自分が人々を癒す反面、人間の醜悪な内面を覗くことになるので疲れてしまったと告白する。

「グリーンマイル」とは全く関係ないが、出家した小説家の瀬戸内寂聴さんが先日テレビに出ていて、明るい顔で話をしていた。彼女のところにも、死ぬほどの苦しみを訴える人々が毎日やってくるに違いない。彼女も、日々、人の内面の奥深くを覗いているのだろうが、あれで疲れ果ててしまわないのだろうか。

映画の舞台は1930年代のアメリカだろう。森のはずれに刑務官の小さな家があり、夕暮れ時に優しい奥さんが食事を作っている。食卓の上の木製ラジオから流れてくる甘い歌声を聞きながら旦那さんが夕食のできあがるのを待っている。昔、普通にあったであろうそんな生活の一コマがさりげなく織り込まれ、現実感を高め、不思議な力の物語もいつの間にか現実のものとして受け止め、引き込まれていく。そう言えば、自分もなぜかあの時代の普通の人々生活を知っており、不思議な力を持つ大男を見たことがあるような気が、しないわけではない。





2002年10月14日(月) 炭のスミにサツマイモ(写真)

輝くような快晴続きの三連休も終わろうとしている。

週末にこのホームページについて熱心な読者から助言があった。「大部長、最近ホームページはちょっと読者を意識しすぎているんじゃないかというのが専らの世論ですね」。ウーム、言葉遣いからして助言してくれているのは、どうも同じ部のメンバーのようだ。

読者を意識しているのは最初からなのだが、確かに、ビジネスマンの日常は地味なもので、それほど面白おかしくないにも関わらず、無理して楽しいことを書かなくてはと思いながら、結局は面白くないというジレンマに陥っている。

本来の目的は等身大の自分の姿を映し出すことによって、何人かの共感を覚える方と時々メールの交換でもできればいいということなので、日々の評判を気にしていては楽しかるべき趣味自体がストレスの種になってしまおうというものだ。

写真は何年か続けている家庭菜園の芋掘り。サツマイモは放っておいてもできてしまうから面白味に欠けるし、蔓が伸びて狭い畑を占領するので閉口するが、子供たちのこの笑顔を見るために作っているようなものだ。今夜は庭で半月を見ながら夕食。バーベキューコンロで魚を焼き、その炭の隅に芋を並べれば勝手に焼き芋になる。ランタンの明かりの中で焼きながら準備をしていると、長男が昼間友達と語ってきたことなどをつぶやいたりして、いいこともある。


***今年も豊作だ!***


2002年10月06日(日) なし狩り、あまり感動ナシ(写真)

金曜日に同僚と軽く飲んでいて、週末にご家族で梨狩りにでも行こうと思っているという話を聞き、それはいいと手を打った。実は、梨の販売所なら近所の道路沿いに沢山あるのだが、一度買ってみたときにそれほど安いと思わなかったのとあまりに身近すぎて行楽という気分にならなかったのだ。この機会に行ってみよう。

天気予報によれば土曜日なら快晴、その後ゆっくり下り坂ということなので、是非とも土曜日に行きたかったが、ガキの一人はサッカー、もう一匹は無理矢理通わせている水泳教室があるという。天気にはこだわりがあって、梨狩りには抜けるような秋空が必須アイテムと思われ、曇天ならばやめようかという気持ちも一瞬よぎったほどだ。

日曜朝のお父さん向けのテレビ番組を見た後、満を持して出発。日は射しているが薄曇りというところだ。下のガキは喜んでドキドキするという。可愛い奴だ。

ところが、一軒目の梨園はお客さんを中に入れるのは8月の後半から9月くらいまでで、今は道路際で販売しているだけだそうな。どうせ天気も薄曇りだしとあきらめかけたが、まあ、他も当たってみようと走っていると、程なく「モギトリ」と無造作に板きれに書いた看板が目に入った。愛に満ちた妻がおばさんに聞いてみると、お客さんが梨園に入ってもぐのだという。

システムとしては、梨園の中で食べ放題というわけではなく、店先で二切れ三切れ振る舞われた後、実のなっている区画に入り、採ってきた分だけ代金を払うということになっている。高級な梨らしく、今日は1キロ700円だという。1キロというのは何個くらいかと問えば大きいのは1個で1キロあるかもしれないと、のたまう。ヒエ〜、千葉ではスイカが木になっているのか。しかも、安くないじゃん。

***** わーい、梨だ、梨だ! *****

他にはお客もなく、今ひとつ盛り上がりに欠けたまま梨園に入り、大きな梨を7〜8個採って来た。量ってもらうと5.7キロ。これを5キロにまけてもらって代金を払おうとすると、子供たちにおまけだといってレジ袋に詰めた梨を2袋もいただいた。ナニ?明らかにおまけの方が量があるじゃない。種類は違うし普通サイズだが、家に帰って数えてみると、おまけの梨が17個。買った梨は8個。高いのか安いのかよくわからないまま、無事、梨狩りは終了した。

このように書くと少なくとも半日がかりの行楽かと思わせるが、実は出発から帰宅まで1時間かかっていない。環境に恵まれたところに住んでいると感謝すべきか。


MailHomePage