rioshimanの日記
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2006年06月29日(木) 秋の旅行計画

秋のヨーロッパ・スケッチ旅行の計画がまとまった。

今回は友人2人と共に行くので、今迄の一人旅のように自由な冒険は出来ない。友人たちの喜びそうな場所を選び、ホテルも全てインターネットで予約して行くことにした。
このところ全てのホテルはホームページを持っていて大体の様子は判断出来る。ホテルの程度や雰囲気、地図により建っている環境など。随分と便利になったものだ。


凡その計画は

 アテネ 3日間

 クレタ島(ハニア、イラクリオン) 3日間

 サントリーニ島 フィラ 2日間

 サントリーニ島 イア 3日間

 ミコノス島 3日間

 ベニス 3日間

 ベニス リド島 2日間

(全20日間)


最低でも同じところに2日間停泊しないと満足に絵は描けないのだが、特にスケッチのために重要視した場所はサントリーニ島とベニス。双方とも5日間を確保し、2つのホテルを移動しながら何とか土地のイメージを絵にもってゆきたい。この二カ所は私の一番好きな土地柄でもある。何度行っても飽き足らずその魅力を友人たちに味わってもらいたい。最後に訪れるベニスのリド島は名匠ヴィスコンティ監督映画「ベニスに死す」の舞台にもなった高級リゾート地で、流れる時間にゆったりと身を任せたいと思う。
ホテルも素晴らしいアパートメントが見つかった。サントリーニではベッドに就きながら天窓を通して夜空に満天の星が見える。


2006年06月27日(火) 近況

この一ヶ月の間に色んなことがあった。
購入した製品からのパソコン・ヴィールスの感染。それによりパソコンのハードディスクを初期化しなければ機器が立ち上がらなくなり、せっかく作り上げてきたデータを失ったこと。
幸いなことにデータの大半はノートブックにも入れていたから重要なものは助かった。パソコンを使い始めて15年ぐらいになるが最初の感染。データ・バックアップの重要性を初めて知った。

そして強烈に痛かったのは行動を共にしている手帳を不用意に失ったこと。
先週木曜日にJR横浜駅でのこと。教室で描いた絵をいつもは自宅に持って帰るのだが、その日は少し疲れを感じていて棚に置いてきた。そのためキャンバスを運んできた入れ物を詰め込んだ私の荷物はパンパンに膨らんでいた。
電車に乗るまで少し間があるので、何時ものようにドトール・コーヒーに入る。荷物から財布も兼ねている手帳を出してお金を払う。エスプレッソを手渡される前に、座る場所を確保しようとカウンター上に手帳を置く。コーヒーを運んでくるとカウンターのスペースが狭いので私は手帳を無意識にカウンター下にある棚に回した。一瞬これは危ないかなと危険性を感じたのは事実だ。
コーヒーを味わうと私は後ろに置いてあったカート付きの大きな荷物を引っ張ってそのまま電車に乗ってしまった。手帳がカバンに入っていないのに気付いたのは千葉駅の改札口を出ようとした時である。時刻はもう真夜中の12時、引き返す電車はすでになく翌朝行くしか仕方がない。

日本は治安の良い国なので、あるいは店に忘れ物が届いているのではという望みを持っていた。しかしその期待は甘かった。
その後、横浜駅西口の交番に行って書類を記し、全てのカード会社や銀行に電話で紛失連絡を入れる。
これ等、銀行やカード会社は連絡して手数料を支払えば解決するから良いのだが、一番痛いのは住所録を失くしたことだ。この手帳に一番沢山の名が書き込まれていた。
現金は一万円少し。しかし100ユーロ札が一枚入っていたのをその後に思い出した。そしてJCBギフトカードを3枚。
運転免許証の再交付をしてもらわなくては車も乗れない。
現金はあなたに差し上げるから他の物は返してくれないかなぁ。持っていても役に立たない物だから。

便利だから全てを手帳に詰め込んでいたが、これからは失くす可能性があるものとして持ち物も考えて行かなくてはならない。
以前に一度、上野駅の切符売り場に財布を忘れたことがあった。その際は駅に届け出があって無事に返って来た。その時の経験で懲りたはずなんだがそのうちに気分が緩んでいた。


2006年06月04日(日) 和田画伯盗作事件(2)

私の絵仲間に和田義彦画伯の展覧会に行って直接画家に会い、教えを乞うて感激していた友人がもう一人いる。
彼は先月25日から外国に取材旅行で出かけていて(イギリス、スペイン、モロッコなど)現在日本にはいない。でもこの件に関してはとても関係があることなので留守中なのだが彼のホームページ掲示板に下のように書き込んだ。

現代美術には有名なマルセル・デュシャンの作品で「モナ・リザ」にひげをつけただけの(皆さんはどこかで見ているはず)ものや、男子用便器を単に商店から買って来て『泉』というタイトルをつけただけで立派な作品と認められているものもあるように、どこかに自己主張があれば作品となる、そんなことであるいはでしたが、現在所属団体から退会を勧告されていることから見れば結果は明らかなようですね。
授業の最後に皆の作品にコメントしてから佐々木先生はおもむろに話を切り出されました。とてもお疲れのようでお顔ににそのことは表れていました。いつもより長く真剣に話されましたが、絵に関する自分の考えは自著作『絵に描けない絵の話』に書いているからそれを読むように、絵で一番大切なのは……とかを重点的に話されました。このことについては次回からもまだまだ続きそうです。
絵の表現方法というものは各自の心身から生み出され、人生経験のようにそれぞれ異なるのが本当なのだ。そのことをしみじみ感じています。

私もこの秋9月には友人3人とギリシアなどに出かける予定だが、インターネットで調べてみると3ヶ月先のことなのにもう良いホテルは一杯になっていて泊まれないところも出て来ている。
そろそろ旅程を決定し、ホテルの予約を取らなくてはならない時期に来ている。


2006年06月01日(木) 和田画伯盗作事件

現在世間を騒がせている和田義彦画伯の盗作事件は他人事ではない。和田氏には昨年秋の我師・佐々木豊個展が日本橋三越で開催されている際にも会ったし、彼の安田火災東郷青児美術館大賞記念展も新宿まで見に行った。佐々木先生と同じ国画会に所属していて彼の名前もよく聞かされていた。

この事件の原因は、和田氏の経歴を見ても分るように、彼はイタリアに西洋古典絵画技法を学ぶため出掛けて6年間も模写を続け、いわばコピーの達人なのである。そこでイタリア人画家スギ氏の作品に出会い模写をしているうちに良い感触を見つけ、自分の作品と他の人の作品の区別がつかなくなってしまったのではないかと思う。
また日本ではイタリアの現在美術があまり一般に知られていなく、周りの人からちやほやされてそのまま自分の作品として発表する羽目に陥ったのではないかと推量する。
私もこの人の日本人離れした作品イメージはいったい何処から来ているのだろうかと驚きの目で眺めていた。その特異性は際立っていた。このイメージの強さが沢山の賞をもらう起因となったことはいなめないだろう。

横浜絵画クラブの仲間にも渋谷の和田義彦絵画教室で長いあいだ教えを受けている人がいる。きっと心中複雑な思いをしているに違いない。

今日は横浜・佐々木豊教室に行く日。現代美術界の隅々までを知り尽くしている先生は果たしてどのような話を我々にしてくれるだろうか。


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