rioshimanの日記
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2005年11月27日(日) 趣味と仕事の間



今日は午前中に青葉公園に行き昨日の風景画の続き。昨日は広い公園内を廻るのに楽かも知れないと現場まで自転車に乗って行ったのだが、途中に坂があったりして疲れてしまったので、今日は車で行く。自宅から車で約30分。駐車場代は4時間まで300円なので写生場所が決まるとこの方がよっぽど楽。このままずっと作業を続け絵を完成させたかったのだが、午後からは佐倉市民音楽ホールに行って県音楽祭に向けてのオーケストラ練習。このオケは県全体から集まって来たメンバーで構成されている。これから新しい活動や皆との交流が期待。

私はこれを機に新しい楽器を購入した。私の演奏するクラリネットはクラシックではB♭管とA管、この音程と音色も異なる二つの楽器を必要とする。このうち今回の交響曲に使用するA管を先日東京の専門店で数本を吹き比べて選ぶ。ドイツ・オーストリア製のものも魅力的だがとても高価なので、実際に購入したのはこれまでと同じフランス・メーカー製で出費約35万円。本心は古い楽器を使って節約をしたかったのだが、楽器のあちこちにガタが見られるし期待もあって少しでも良き条件で演奏したかった。

ところが送られて来た楽譜の中にはB♭管を必要とするのも含まれていた。さすがに又も30数万円を出すのは苦しい。今迄使用していた楽器を丁寧に調整し磨いてそれを今回は何とか使うことにした。だがこれからの状況によっては新しい楽器を購入することになるかもしれない。そのためには何より良い仕事を沢山こなさなくてはならない。私の場合、幸いにも音楽活動が仕事に結びついていることが多いので、その為の投資だと考えれば気が楽になるのだが、趣味のためとすればやはりこの出費はとても大きい。

今日吹いた感じでは新しい楽器はやはり素晴らしい。30年前に買った古い楽器では音程も音色もキーによりバラバラの感があるのだが、それがすべて楽にスムーズに連がる。演奏していて気持ちが良い。B♭管も新しい楽器が欲しくなって来たのだがどうしよう。


2005年11月22日(火) 案内地図

12月に開催する我々のグループ展会場の案内地図、今まで開催した人のハガキを参考にしたり、また東京地図を見て割合正確なものを作ったのだが、地図内の文字がとても小さく読みづらくどうもしっくりしなくて気にかかる。
そこで実際に現場に行って、何を目印にしてお客さんが会場まで足を運べば良いかをこの目で確かめようと、ただそのためだけに東京駅まで足を運ぶ。考えてみると他にも見ておきたい展覧会が丁度京橋であったのを思い出し、場所が近くなので立ち寄ることにした。

東京駅の八重洲南口に立ってそちらの方向を眺めてみてすぐに目に入ってくる建物は‥‥作成していた地図には殆ど名前が載っていないことが分る。これではいけないと何を地図に入れるべきかチェックしながら会場まで足を運ぶ。八重洲ブックセンターから地下鉄京橋駅に抜けて、中央通りから画廊に向かう道の入り口にははたして何が建っているか。
この間の画廊主との会話でその場所にあり目印になっていた老補店が無くなったと聞いて気になっていた。
そこには新しい銀行がとても目立つ黄色の看板を掲げていた。わざわざ足を運んで来て本当によかったと思った。意外と東京駅から歩いて分りやすい場所に展示会場があることも分った。

帰途、高速道路の脇ににある小野画廊に寄る。案内状をメールで請求して送ってもらった若者の個展だ。彼は一人でポツネンとお客が来るのを待っていたが、私が行くと嬉しそうに絵の説明を熱心に始めた。大体の人柄は彼のホームページから想像していたがそのイメージとの大差はなかった。必死に何かを掴みたいともがいている若者の姿がそこにはあった。ちょっとしたことを自分の手柄のように誇張したくなる若者に特有な癖も持っていて自分もこの年代には同じような性格があったなぁとなつかしく思い出したりした。よく頑張っている。

そして来週から友人が個展をする銀座二丁目の藤屋画廊の前を通ると、ここでは彼が噂していた孤高の画家・藤崎孝敏の個展が開かれていた。若き時からパリに行って活動しているだけのことはあって強い絵だ。底辺に住む人たちを取り上げ、芯が入った心がこちらに伝わって来る。甘さのかけらもない本格的なものだ。友人が感動したわけも理解出来た。私の心にも十分に入って来た。これからも見続ける画家の一人になった。

その足で日動画廊に寄り蛯子真理央展を見、フランスの色彩詩人「ピエール・ルシュール」画集を買ってくる。


2005年11月20日(日) 人物画



土・日には県立美術館で朝10時から午後4時までモデルを使って人物画20号を仕上げる。
ところが、ある女性参加者がやってきて、あなたのキャンバスは20号なので規則破りだ、とこっぴどく叱られた。送られて来た資料に絵の大きさは15号までと書かれていたらしい。
知らなかった。私は講師がまだ空きがあるからと言われ、直接参加したので何ももらっていないのだ。
先生にその事を言うと、「君は後ろで描いていて皆の邪魔にはなっていないので問題なし」と許可をもらった。
充実した楽しい時間を過ごす。来週は郊外・青葉公園に行って風景を描く。


2005年11月14日(月) 県立美術館友の会

この土・日曜日に県立美術館に行って洋画入門講座で人物を描いてくる。先生から紹介されて初めてこの講座に行ったのだが、県立美術館は教室も広く、レストランなど施設などもあって利用していてとても気持ちが良い。周りにはグリーンの芝生も植わっていて目の保養にもなる。

以前からこの講座のことは噂には聞いていたのだが、オーケストラ練習もあるし、土・日を連続使用する時間的余裕はなかった。
行ってみてこのような絵を趣味とする会に参加する人はやはり年配の方が多いのだな、ということが一見して分った。自分より年長の人が殆どで若者はあまり見当たらない。オーケストラの方は年の経過とともに平均年齢は上がってはきたが、それでも若者が後から少しずつは入ってきている。

講座時間は朝10〜12時、午後1〜4時までの合計5時間の長丁場だ。それが2日間連続。自分は20号のキャンバスに描いたが、全身で打ち込んでいたため二日目の最後の方はさすがに疲労を感じてしまった。先生は横目で通り過ぎるのだが一度も指摘はなし。絵はなんとかそれらしいものが出来たがこんなに頑張ったのも最近珍しいこと。モデル近くには先生や生徒の頭が集中するので、私はその人たちの後ろに高さ30cmの台を置き、上に乗って頭越しに見て描く。これも緊張感があって良いものだ。
また今度の土・日にも同じモデルで衣装を替えて同様に2日間。そしてその次週には郊外に出て2日間風景を描くのだが、この最終日はオーケストラ練習とダブル・ブッキング。

この講座は講師が替わって年間14回ほど開かれている。申込者が定員30人を超えれば抽選になるらしいが、機会があればこれからもなるべく参加するようにしよう。

そう、「県立美術館友の会」にも入りK氏とも親しくなった。彼は現役時代には旅行会社に勤務していたらしい。世界の情報が聞けそう。


2005年11月10日(木) 夫馬基彦

真夜中に目が覚めて眠れない時はNHKラジオ深夜便「心の時代」を4時から聞く。

今日は作家・夫馬基彦がゲスト。一昔前、何度か芥川賞の候補になった名の知れた作家らしい。文学界を深く見て来なかった私にとっては初めて聞く名前だ。

だがアナウンサーとの会話を聞いていて、若い頃にパリからアジアを経由してインドに滞在したり、その破天荒な放浪経験が小説になって表れていることが分り興味を引かれた。写真家・藤原信也とも共鳴するものがある。

早速中央図書館にどれだけ蔵書があるか索引してみる。10冊以上、殆どの作品が在庫していることが分かる。すぐにでも行って借りて来よう。


2005年11月06日(日) フランス若者の暴動

最近テレビでフランス若者の暴動の様子が流れている。このニュースを見ながら思い出すことがある。

第2回目の外国旅行では主にフランスを中心に廻った。飛行機も当時成田まで飛んで来ていたAOM機を利用していたが、予算の少ない私にはこの格安でヨーロッパに行けるフランス便はとても助かった。その後も3度ほどこの航空会社にはお世話になったが、突然日本への飛来が中止になると聞いてとても残念に思ったものだ。

初めてのパリ宿泊は、学生街近くサン・ミッシェル通りのホテルにしようと思い、飛び込みで交渉したのだが期待は見事に外されてしまった。満員だというのである。様子を見ているとホテルはまだ空いているように思われたのだが、そこから少し離れた宿に行くように紹介された。突然現れた東洋人を軽視しているような不自然な雰囲気をそのとき感じ取った。
しかしまだフランス語も自信がないし、パリも不案内、また宿を探すのも面倒なのでその指示に従うことにした。

宿はモンパルナス駅から東2つ目寄りの駅から南に歩いて5分ぐらいの所にあった。
入口で学生らしき若者が一人留守番をしていた。奥は暗く、階段下の電灯スイッチを入れると裸電球が灯り、階段を登って部屋にやっとたどり着く間もなく灯は自動的に消え真っ暗になるというものだった。うっかりのろのろしていると部屋に行くまでにあたりは真っ暗になる。(こんなことはその時が初めての経験で少しならず驚きを感じたが、その後の経験でそのような宿はあちこちで見かけられた)宿泊人は数えるほどしかいなく、鍵をもらって外に出るのだが昼間には殆どその青年の姿を見かけることはなかった。恐らくチェックアウト時の午前中と電話をもらって客の訪れる夕方時のみ居るようだった。白人の青年は知的なイメージをこちらに与えたが、ジーパンなど身に着けているものからは、いかにもみすぼらしさを感じた。

この頃日本がバブル期だったこともあってか、フランス若者たちのひ弱さがよけいに目立った。私は3日間、パリの美術館を中心に観光地をあちこち廻った。さすがにルーブル美術館は大きすぎて見る余裕はとてもなかったが、通り道の両脇に並ぶ小さなギャラリーなどに入って眺めるのはとても好きだった。

宿のチェックアウト時には困ったことがあった。旅ガイド本によるとチップは1〜2割ぐらいと書かれているが、3日間のホテル代を計算してみてチップ用の手頃な現金を持ち合わせていなかった。海外旅行もまだ駆け出しでガイドブックをそのままに信じていた。相手に少ないのは申し訳ないと思い、ちょっと多いがいいやと紙幣を置いてきたのだが後で計算してみるとチップ代は日本円に換算して5,000円ぐらいはあったと思う。何ということをしたものだと反省したが、驚いていた若者には良い懐銭になったと思う。

その後、リヨン駅より夜行列車でコート・ダ・ジュールに向かう。ここではアルルから数都市を廻ったのだが、とくにマルセイユ、ニースなど大きな都市駅周辺では外国人労働者の顔が目立ち、怪しい雰囲気が漂っていた。これらの都市で飛び込んで泊まったホテルはどこもアフリカ系黒人が宿番をしていた。恐らくホテル経営者たちは少しでも低賃金の彼らをアルバイトとして使っていたのだろう。そのようだった。多くの若者たちは仕事にありつけず、街のあちこちでたむろしていた。

このときの旅行では社会構造の複雑さを身に感じながら、国境を越してイタリアに入り、ナポリ・カプリ島〜アマルフィ〜ポジターノ〜シチリア島へと渡って行くことになる。

近年日本でも少しでも賃金のかからない労働力を求めて中国や東南アジアに進出して行く。その模様のようなものは、すでにヨーロッパやアメリカなど先進国では先行していた。


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