rioshimanの日記
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2005年09月30日(金) 小杉小二郎展

先日、若松光一郎展を見に行って、画廊の主人から小杉小二郎展の招待券を頂いた。その事を今日になって思い出した。
帰郷する前日なので東京に見に行くのはどうかと思ったが、やはり以前から作風が気になっていた作家なので出掛けることにした。

私の場合、時間的な余裕があると何か他の事をすることに手が回り、気が付くととにかく時間ばかりが進んでいることが多い。
今日も駅に着いて電車の時刻表を見ると、入場可能な7時までに45分しかなく、行くのを諦めようかとも思ったが、とにかく行ってみて駄目なら仕方がないと観念した。
三越本店に一番近いJR新日本橋駅から駆け足で行くと、入口に到着したのは定刻7時を少し過ぎていたが、係員は愛想良く迎え入れてくれた。



小杉小二郎の作品は何と表現していいか、素朴派といえばそう、テクニックは余り感じさせないのに、この画面全面に漂う叙情的で懐かしい空気感は何だ? この感情こそが絵の芸術たらんところだろう。彼は30年間パリ、フランスに住んで制作を続けている。

巴里かぁ、いいなあ・・・・。


2005年09月27日(火) VAIOが帰ってきた

修理に出していたWINDOWS機・VAIOが帰って来た。
この間、お盆休みの旅行から帰宅するとパソコン・モニター全面に何か表示が出ている。英語で何か書いているが、最後にEnterキーを押せと書いてあるのでとりあえずキーを押してみた。そうすると今度はパソコン本体からカタカタという微かな音が出始め、新しい内容の表示がまたも英語で出て来た。大体の意味は分かるのだが意味を完全に正しく把握する自信はとてもない。あちこちキーを押しても同じ文が繰り返し現れ出るだけで、何せ起動は出来ないし、この怪しい音はきっと問題が起こっているに間違いないと思った。
そのまま数日放って置いたのだが、やはりWINDOWS機でなければ見ることの出来ないホームページがあって不便を感じていたのでヨドバシ・カメラに修理に出すことにした。

WINDOWS機でなければ見ることの出来ないホームページというのは旅行会社のもので、到着都市などを入力して索引ボタンをクリックしてもMACでは動いてくれないので会社にメールを打って訊いてみた。そうすると返信メールが翌日になってかえって来た。

返事の内容は、空港など公共機関のデータが全てWINDOWSで作成されているので、MACへの対応は当分のあいだ見込めないというものだった。このホームページは凡その出発日や航空会社名を打ち込むと、その候補に近い出発便が出発時刻とともにズラッと表れるというとても便利なもの、旅行に実際出掛けられなくとも眺めているだけでも楽しい。
銀行等もWINDOWS使用を指定しているところもあるが、MACで試してみても何ら支障がないことが多い。
またホームページをMACで見ていると、時々崩れてしまっている画面を見かけることがあるが、この場合は殆どWINDOWSでホームページを作成しているのでパソコンを切り替えて見直さなければならない。

故障の原因はハードディスクの破損ということで、ディスクを取り替えても良いかという電話がメーカーから掛かってきた。「それじゃぁ今までのデータが全部消えるということですね。仕方がありませんね。」とだけ返事をした。
仕事に使っているのは全部MAC機だし、WINDOWS機は今のところインターネットを見るためだけに使っているのでアドレスを又入れれば良いだけだった。
自動録画をしていたNHKテレビ番組・新日曜美術館や語学講座などは全て消えてしまったが、これはそれほど残念がることでもなかった。

話しにはデータのバックアップが大切だということを聞いていたが、私の場合この様な事故が起ったのは初めての経験だった。それ用のハードディスクを一つ購入しようか。


2005年09月26日(月) 若松光一郎展

正午に銀座で友人2人と待ち合わせ、今日が初日の絵画仲間M嬢の個展会場・井上画廊に行く。彼女は横浜教室に入ってまだ三ヶ月ぐらいだが、それまでに多くの経験を積んで来ていることは絵を見れば分かっていた。

会場に入ると50号大の絵がズラッと両側面を埋め、奥には100号ぐらいの作品が並んでいる。一見とてもカッコ良く思えた。入口付近に掛かっている2作品は今の作風とは全く違ったイメージのもので新鮮味を感じた。以前はこのような作風だったが、佐々木先生に逢って今のようになったという。今回の個展は初めてだとのことだが、後で訊くと額縁なども購入して費用は裕に100万円は越したとのこと。40代ぐらいなのによく頑張ったなあ。

その後、12月に開催する自分たちの展覧会場を見るため京橋まで歩く。この会場は一つの建物にギャラリーが6つもあって、今も一つ増設しているとのこと。女性オーナーとグループ展への打ち合わせをしているうち、開催期間が12月18日からの今年最終週なので隣のギャラリーが空いているとのこと。そこでその間の廊下壁面10mを使っても良いというお許しを得た。とてもありがたいことだ。

一旦、渋谷を廻ってから再び戻り、一人で白銅てい画廊の若松光一郎展を訪れる。
若松氏については、今から20年ほど前、私が絵画活動に最初に足を入れたリトグラフ仲間が同じ福島県・いわき市出身だということで紹介を受け、偶然に見に行った。作品は和紙上のカラフルな画面に、黒い線が自由気ままに踊っているという風だが、絵に良質のセンス、音楽に通じるものを感じて一度に好きになってしまった。タイトルも私が当時夢中になっていた作曲家・マーラーの作品名を使うなど凝ったものが多かった。

「不協和音」1989 162×162cm



後に分かったことだが、奥様はやはり芸大を出られ、ピアノを教えている方だった。


2005年09月25日(日) 手作り額

展覧会に出品する絵の額は、以前から「白馬」というアルミの仮縁を組立てて使用することが最も多かったが、作品によってはやはりバリエーションに富んだものが欲しくなり、絵によってその場で勝手に選んで来た。作品も30〜50号が最も多いので、この大きさで既製品を買うとなると数万円かかり驚く程の金額になってしまう。

個展を開いている友人は自分で額を手作りしている。何十点という額を自分で揃えるとなると本当に大変だ。絵描き屋さんなんかはギャラリーの方で用意してくれるか、レンタルで開催期間だけ借りて来ているようだ。

友人の制作した額を見て、自分も作ってみたくなった。
そこで友人に作り方を教えてもらい、凡その設計図を描いて、先ずはどんな材料が実際にあるか確かめる為にホームセンターに出掛けた。

幸いなことに自宅から車で10分ぐらいの距離に、とても大きなホームセンターがある。たいていの材料は揃っていて木材もそこで見かけていた。
だが実際にその場に立ってみると、あまりの種類の多さに驚いてしまう。材料肌に節目が出ていないきれいなものは高価だが、それを気にせず節目を模様のように取り扱うとなれば本当に安く購入できる。勿論、自分が求めている額は後者の方で充分だ。

あれこれ見ているうちに最初に頭に思い描いていた設計図も、あっ、こういうようにした方がより好都合じゃぁないか、こうも出来るなとか、案・デザインが頭の中でどんどんと変わって行く。
木を45度の角度で切断できる電動ノコギリも欲しくなった。5万円ぐらいで卓上用のしっかりしたものがあった。店員さんに尋ねると、額を作るにはこれくらいのものは最低必要だと言う。だが物が溢れて困っているマンション部屋に、それを置いて工作するスペースがはたして確保出来るのかなぁ。頭が痛い問題だ。

このままでは駄目で、一旦自宅に引き上げ、ゆっくりと今日分かったデータを元に設計図を組み直し、またやって来よう。出直しだ。


2005年09月24日(土) PC周辺機器にガタが来た?

印刷にパソコンが取り入れられるようになってもう何年になるだろう。15年ぐらいだろうか。
私は器械好きなので割合に早く仕事に取り入れたと思うが、それまでは製版屋さんとの戦い、文句を言われながらの仕事だったので(デザイン物といって一般の印刷物とは違って手数が多くかかるので歓迎はされなかった)、自分のかかわる仕事の殆どがパソコン画面上で出来るようになって正直なところ本心ホッとした。それに続いて刷版用フィルムも不必要になり、印刷スピードも随分と速くなったものだ。同時に印刷料金もぐっと安くなったが。

私ところにも写研の小型写植機があった。写植料があまりに高かったので自分で最後の方に購入したものだ。小型だが文字盤を合わせると400万円ぐらいはかかったと思う。現像のために暗室も必要だった。
その時のことを考えると今のパソコン環境は夢のようだ。10万円で美しい文字が打てる。

今日、印刷屋さんにデータ渡しをするためMOディスクをドライブに差し込もうとするが中に入ってくれない。途中でつっかえてしまうのである。力をいれて押し込もうとしても駄目。MOにデータを入れ、別のプリンターのところに持って行ってプリントアウトしなくてはならないのだがこれでは出来ない。私はあせってしまった。MOドライブがとうとう故障してしまった。これも10年以上活躍してもらったのだから、このあたりで引退も仕方ないことかと思った。

仕事に差し支えるので早速インターネットのヨドバシカメラ・ドット・コムで注文をする。仕事用は現在のUSB仕様ではなく一昔前のSCSI仕様である。SCSI用のは1種類しか売ってなかった。
発注したのは夕方だったが、仕事を続けていて、別のMOディスクを何気なくドライブの中に差し込んでみると、今度は何とスルスルと中に入るのではないか。よくよく調べてみると、故障していたのはMOドライブの方ではなく、たまたま差し込んだMOディスクが壊れていたことが分った。MOディスクは今迄よくミスも出なく本当にしっかりした記憶メディアだと感心しながら使っていたのだが、とっさの事で判断出来なっかた。

夜8時を過ぎていてドット・コム専門電話は終わっているので、メールで出荷停止願いをすぐに出したのだが、その時点で出荷したという案内メールがあちらから届いていた。

品物は翌朝10時頃に郵便屋さんが持って来た。日曜なのにご苦労様と思いつつ、事情を話し、返品と紙に書いて持ち帰ってもらった。

PSプリンターの動きもおかしいし、パソコンもあちこち働かない部分が出て来ていて、手持ちのパソコン何台かでカバーしているという状態である。少しづつ、新しい次次代の機器への変換をまた考えなくてはならない時期に来ている。


2005年09月15日(木) 絵画環境が主張をし始めた

11月銀座で開催する友人個展DMの手伝いをするため、画廊の情報を得ようとホームページ検索で名前を探した。以前2年ほど前、京橋界隈という情報ホームページを見たことはあるが、その時点では銀座の方のサイトは見かけないようだった。

上野の東京都美術館公募展情報などを通して、絵を職業としている皆さんが徐々に自分のサイトを持つようになって行く様子が分かり、画面上から彼らの作品を見させて頂きながら感慨深いものがあった。

友人の個展は銀座2丁目の画廊。そのサイト・リンクで多くの画廊のホームページが掲載され、全体が見渡せるようになった。銀座には画廊数は200ぐらいあるようなので(後でホームページに掲載されているのを数えてみると307だったが、デパートなどを加えるともっと多い)、そこからリンクされている情報量は計り知れないものがある。サイト名:銀座の画廊。このようになって来たのはこの1,2年のことだ。同種のサイトは他にもいろいろ見かけられる。

絵を趣味としている我々にとってはとても嬉しいことだが、この情報群の中から自分用のものを選択をして行くのが、今度はかえって大変になったことが分かる。あれほど情報に飢え奔走していたのは、ほんのこの前の事なのに。

改めてインターネットの発明による影響力の大きさに驚いている。


2005年09月08日(木) 迷惑電話・迷惑メール

最近は不景気のせいか、やたらに商品を売り込むような関係のない電話がかかって来る。畳屋、証券屋、冠婚葬祭屋などが多い。電話をかけてくるのはアルバイトで自分の収入を得るために、ノルマをこなすのに藁をも掴む感じで必死なのだろう。

このような種類の業者の考え方・方法は自分達の生活収入を得るために手段を選んでいられない。
これは毎日来る迷惑メールの方も同じで、現在は20通ぐらいが毎日入ってくるのだがドンドンと増えつつある。これにもとても困ったものだ。

以前には丁寧に断っていた迷惑電話も、この頃は「この電話は迷惑電話ですよ」と相手にハッキリと伝えることにしている。そうすると相手は「はい、分かりました。すみませんでした」と電話口の向こうで恐縮しているのがこちらに伝わってくる。とくに若い人は教育を受ける生徒のように素直で気持がよいが、やや年季の入った方はガチャッと腹まぎれに受話器を置いたり、「何よこの人!」とはけ口を思い切り吐いたりする。いやな気分になる。

だが皆が協力して「迷惑電話ですよ」とはっきり答えるようになれば、このような電話は段々に少なくなるだろう。が、迷惑メールの方はフィルターで自動的に振り分けられているとはいえ、これから先どうすればいいか解決方法を考えて行かなくてはならない。頭の痛い問題である。


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