rioshimanの日記
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2005年04月26日(火) 三岸節子展

 中国の反日デモ、尼崎でのJR福知山線脱線事故など、このところ良くないニュースが流れ、暗い気分が続いている。その中で気になっていた日本橋三越での「三岸節子展」を見に行く。



 三岸節子は私の好きな画家である。もう15年ぐらい前だろうか、油絵を始めて間もなく絵の先生に勧められて鎌倉近代美術館に彼女の大々的な回顧展を見に行った。その時に展覧会パンフレットを買って来たのだが、あまりに何度も何度も頁をめくるので、その冊子はバラバラに解体してしまって今は本の原型を留めていない。それほど彼女のように絵を描きたいという要求が強いのだが、特にヴェネツィアを描いたものはとても魅力的で絵を描く人にとってはたまらない作品だろう。
 彼女の他の絵画集やエッセー等も出版されたものは全て読んで来たし、その時の印象があまりに強烈だったので、今回は又見に行ったとしても…と会場に足を運ぶのを躊躇していた。が、やはりどこか気になっていて気分転換にも出かけることにした。

 三越日本橋本店は新館が出来てますます立派になった。一階には日本の情緒を感じさせる立派なショーウィンドも堂に入ったもの、この不景気な時期でもお金を掛けている。ここだけは別世界なのだ。

 三岸節子展は新館7階ギャラリー。絵は暗い部屋の黒パネル上に重厚な額に入ってきちんと飾り付けられ頓挫していた。これは三岸節子の感じではないな、とすぐに感じた。以前の鎌倉で見た時の、光が自由に当たっていて粗野とも思えるような展示方法が彼女の開放的なイメージの絵に趣きを与えマッチしていたと思う。そうして彼女の描いた風景画がぐいぐいとこちらに伝わって来た。外からの明るい光がいい具合に展示部屋にも入っていたようだった。そして周りを緑の木立に囲まれた自然的な立地場所が。
 今度の三越は東京都心のど真ん中、その様な雰囲気の全くない人工的な入れ物。

 彼女もこうして伝説の一人になって行くのだなぁと思った。

 ただ、彼女が63才になって初めてフランスに住み、絵画に全身の情熱をぶつけたというのが羨ましかった。隣で見ていた中年女性もそんな会話を友人と交してしていた。わたしも外国に住んで絵を描いてみたい衝動にかられている自分を感じていた。

 彼女の今回の作品中、シチリア・タオルミーナ古代劇場を描いた大きな作品の赤色がとても印象的だった。私がタオルミーナを訪れ、この劇場に立ったあの時から、どれくらいの時間が私の中を流れ去って行っただろうか。


2005年04月20日(水) 万年筆の世界(続)

 私は知らなかったのだが、紹介したナポリの万年筆メーカー・デルタ社はテレビ番組「世界ウルルン滞在記」で風間杜夫が出演して有名になったらしい。番組中、娘さんにプレゼントするオリジナル万年筆を材料を選んで制作したようだ。
 テレビ番組制作会社がいろいろ思考を重ねたのち、このメーカーを知り選択した理由は分かるような気がする。



 放映日は昨年(平成16年)3月28日。番組オリジナル万年筆は「FOREVER ー永遠ー」と命名され、放映日を記念して日本限定328本を作製、現在発売されている。



 販売価格は ¥120,000 。この中の一部にはきっと放映料も含まれているのだろう。


2005年04月18日(月) 万年筆の世界

 どうも私は万年筆フェチ入口に片足踏み入れそうである。

 今までに国産のもの数種類、外国物ではモンブランの安い奴も買ってきた。だが、どういうわけか万年筆は次々に目の前から姿を消して行ってしまう。
 恐らく部屋の中のどこかに何本かはあると思うのだが、どうも自分はそれらを管理をするのが苦手らしい。万年筆は部屋の隅々どこにでも居場所を確保していて、時々思い出したように顔を出してくれる。

 先日も手紙を書くのにどうしても万年筆が欲しくなり、ヨドバシカメラに直行して最低限書ければよいからとヨドバシのサービスポイントを使ってその範囲内で買える1万円ぐらいのパーカー・ソネットを手に入れて来た。

 だが最近になって一生使えるようなもう少し本格的な万年筆が欲しくなった。それで今までそうしたことはなかったのだがインターネット索引で国内販売店を調べてみた。10店ぐらいが出て来た。各店はそれぞれに特徴を出して売り込んでいる。価格はあまり大差はないが、何故かそれら店の多くは大阪市中央区に集中している。

 その中の一店に以前から欲しいと思っていたイタリアのアウロラ製・万年筆とボールペンを注文。するとちょっと凝ったものにしたものだから本国から取り寄せるのに時間がかかるという返事。仕方なく2,3週間待つことにして、全くタイプの違うペリカン製(これはドイツ)を注文。

 それからずう〜っと他店のホームページも閲覧してゆく。そうしているうちに万年筆の世界も色々と変化に富んでいることが分かって来た。今まで私の全く知らなかったメーカーも頑張ってくれている、と書くのは万年筆製造の世界はかつての日本のような大量生産をする会社から、真に工芸品を手作業で作るような家内工業まであって応援したいような気持ちが湧いてきたからである。その中でイタリア・ナポリにある「デルタ」の製品には、今の時代にこんな仕事をしている所もあるんだと一種の驚きさえ感じてしまって、全くのファンになってしまった。



 このメーカーの製品は発表されたと思ったらすぐに売り切れになってしまう、従ってなかなか手に入らない、そのような魅力ある製品が多い。世界中で新製品を楽しみに目を見張って待っている人がいるのだ。私もその仲間の一人になってしまいそうだ。


2005年04月10日(日) 世間は広いようで……と言うけれど(2)

 実はこの絵画グループに参加したのには伏線がある。糖尿病治療にこの診療所を訪れると玄関から入ったすぐの待合せロビーの壁面に大きな畳二畳ぐらいの風景画がかかっている。白樺林だろうか、主にグリーンと白色を使った清潔な画面で、私好みの絵である。そして静かな病院の雰囲気にとても良くマッチしている。その絵を待ち時間に何気なく見ていたが下隅に作者のサインらしきが入っているのに気付いた。アルファベットのサインを辿ってみるとどこか記憶ある名前だった。

 それで看護婦さんに尋ねてみた。「この絵を描かれた方は○○○で教えてられる方ですか?」「ちょっとお待ちください、訊いてきますから」

 しばらくして看護婦さんが戻ってきた。「そうだそうです。」「そうですか。どうもありがとうございました。」

 以前から風景画を描くチャンスも狙っていたので、とにかく教室を覗いてみたいと思った。そういうことで現場に出かけて行った訳である。

 気温も上昇し、今日あたり満開になった桜も、残念ながらこの風でもう花吹雪になって、はかなさの美を競うようになって来た。季節の移り変わりは速いものだ。これからはスケッチのため戸外に出て行く機会も多くなるだろう。


2005年04月08日(金) 世間は広いようで……と言うけれど(1)

 私はまだまだ自分の絵を当然の事だが模索中である。自分の絵の方向も分かっていないし、何でも掴みたいとモガイテいるのが実情だ。だから少しでも自分の絵にためになるものがありそうだと思えば積極的に出掛けて行く。

 今日も新しい所に顔を出した時のこと。
 アマチュアで絵を描いている仲間は、60才で定年を迎えた後に始めた方など割合に年配の方が多い。今日初めて足を運んだグループ内も見渡すとそうだった。でも良く観察すると一癖も二癖もありそうな個性を持った人格者が多いようだ。

 私は皆に自分からあいさつをしようかどうか迷ったが、新人の手前今日は大人しくしていた。こういう時には先生が口を開いて皆に紹介してくれるのが常だが、ここの先生も静かな方でデッサンの2時間半の間アドヴァイスをしてくれたのは一度だけだった。もっとも私の場合、描くことに集中している場合にあれこれ言われるのは余り好きではない。モデルさんと対峙している、その真剣な時間が与えられているだけで授業料を払った価値があると思えるのである。先生方もそれを感じとって適切な指摘をしてくれる。

 授業が終わり帰宅しようとエレベーターに乗った時、丁度乗り合わせた仲間に声を掛けてみた。

 「このクラスでは終わった後、皆で珈琲なんか飲まないんですか?」
 「以前にはそういうことがあったけど、このところないですね。良かったら二人で行きましょうか」

 ちょっと突飛だなと思ったが、その方が癌か何かで長期療養入院し、今日久し振りに教室に出かけて来たと話しているのを小耳に挟んでいたのでそのあたりを聞いてみようと思った。

 その方は私より一回りぐらい年長でこのグループでもベテランらしく教室の面々の詳細な情報を持ち合わせていた。現役時の職業は船舶会社で世界中を回っていたとのこと、話題は豊富だった。

 話しが病気のことになった時のこと、「この教室には名医がいるよ、○○さんと言ってね…」、と、すぐに先ほどの教室内の様子が私の脳裏を駆け抜けた。そして私の隣で絵を描いていてどうも気になっていた男性に思い当たった。意識はしていなかったがその人の服装、特に首にかけている紐状の個性的なネクタイがどこかで無意識に私の記憶に繋がっていた。その時には全く気付いていなかったのだが、その人は何と私がいま糖尿病で通っているクリニックの院長さん(東京大学医学部博士の経歴)だったのである。

 対面したのは昨年夏に私が初めてクリニックを訪れた初診時の一回だけ。それから後はおそらく息子さんだろう若い副院長にずっと診てもらっているのでそれ以来直接的には会っていない。だからすぐには気がつかなかったのだ。

 私の血糖値の方はギリシアから帰国した直後には118とかで全く問題のない数値に下がっていた。これは旅行中は自分の思うように自由には食事が取れず、自ずと食事の制御が効く状態になっているのが理由なのだろうが、日本に帰ると又も元の食生活になり血糖値も以前の状態に近くなって来ている。そのことは頭の中では分かっているのだが長い慣習はなかなか換えられない。病院からもらっている薬ももうすぐ無くなるので近く診療所を訪れなくてはならない。
 
 とにかく絵と病気に、環境が良い方に後押ししてくれそうで、これからがますます楽しみになって来た。


2005年04月05日(火) 運転免許証更新

 運転免許証更新の知らせが届いて更新に行く。本当は国際運転免許証も欲しいのだが確か有効期限が6ヶ月だったと思うのでやはり海外に行く直前に免許を取りに行くしかないだろう。

 手続き期間も今回からは誕生日前後一ヶ月づつ計二ヶ月となり、顔写真も持って行かなくて良くなったので随分と楽になった。なぜ今まで免許証に使われない顔写真を持って行く必要があったのだろう。これまでも疑問に思っていたのだが。

 知らせには [更新後の免許証の色はブルー、有効年5年、講習種別:一般講習、講習時間1時間、最新の違反:平成13年9月16日 指定場所不停止] とある。交通違反はこの時の1回だけである。

 運転免許センターまでは車で約30分だが、そこに行く途中この只1回の交通違反で捕まった場所を通った。珍しく一方通行ロータリーのある場所である。地元の土地を知った人だけが通るような道で車は殆ど通っていない。が、そこに5本の路が入り込んで来ているので車の通行方向を決めるのに自然にロータリーというかたちになっている。

 その日、警察はロータリー入口横に身を潜め、眼前を通る車が入口停止線で一旦停止するかどうか、その一点だけを凝視していた。もちろん運転者が一番引っ掛かりそうな場所を選んでである。
 私はそのロータリーに入る時、左右を見渡して車の姿が全く見えなかったので、ゆっくりとスムーズにロータリーを回った。すると自転車に乗って警察が後を追いかけて来た。声を掛けられたので何事だろうと好奇心から車を止めた。

 「いま停止線で一時停止しなかったネ!。標識が見えなかった?交通違反だヨ!。ハイ罰金7000円!」

 「えっ、標識があったの?」 私はわざわざ引き返して標識の確認に戻った。ロータリーに入るところに木が植わっていて、見上げてみると成るほどその葉先の横に標識がある。が停止線頭上4〜5mの位置にあって下にいる車内からは勿論よほど首を上げない限り見えない。つまりロータリー手前15〜20mの位置において、そこに標識があると"意識"して見ない限り目に入って来ないのである。私はこの都市に数10年間住み、この道も月に数度通っているが、そんな所にそんな標識があろうとはその時点まで思い出そうとしても頭に浮かんで来なかった。


 警察は人を捕まえ罰金を取ろうとするよりも、運転者の心理を考え事故を防ごうとするのが先にすべきことではないのか。(車もあまり通らないこのような場所では路肩を踏み外す以外に事故の起きようもないが)

 免許センターに向かいながらその時のことを思い出し、又も怒りが込み上げて来た。


2005年04月04日(月) ポルトガル

 絵画教室の友人が先月末にポルトガルから約3週間の旅行を終えて帰国した。彼は教室でも最も活動的な人だが、今度の旅行でスケッチを何と60枚も描いて来たという。(私のギリシア旅では30枚ぐらいだった)そして今度の絵画教室で先生に見てもらうために持参するという。とても楽しみだ。


 ところで彼の訪れた村がどんな所だろうかと索引で調べていると、偶然にも素晴らしいホームページに出遇った。この作者はどっぷりとポルトガルと鉄道に魂を入れ込んでいて、撮った写真を眺めているとポルトガルの臭いがこちらにプンプンと伝わってくる。本当に見事だ。特に列車好きの男性にとっては堪らないものがあるだろう。ここに紹介させて頂く。(右/作者撮影写真)

サイト名:Nakao's Photo Room


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