たそがれまで
DiaryINDEXpastwill


2005年02月23日(水) 遅れて届いたプレゼント



今日娘がプレゼントの袋を持って帰宅した。
少し遅れたけれど、
友達からバースデープレゼントを貰ったのこと。

中には娘の好きなキャラクターの絵がついた文具がどっさり。
もちろん娘は大喜びで早速袋から出して使い始めた。

プレゼントをくれたのは
転入して来た年に同じクラスになった子で
放課後も土日も一緒に遊び、ついには塾まで同じにした。
家に泊まりに来たこともありとても仲良しの女の子。

だけど最近はあまり二人が遊ばなくなった。
クラス替えで離れたこともあり、
お互いがそれぞれに別の遊び相手を見つけたのだ。

少し前、なぜ最近遊ばないのかと聞いた時
娘の口から彼女の悪口が出てきた。
少しだけ心配になって夫に相談したら
「子供だっていろいろあるさ」と笑われた。

だけど彼女は娘の誕生日を覚えていてくれて
娘のためにプレゼントを選んでくれた。
それもわりと離れた場所にある
可愛いものがたくさん売っているお店まで行ってくれたのだ。

お礼の電話をかけた時、お母さんから謝られた。

「私が風邪で寝込んでいたのでなかなか買い物に行けなくて
 誕生日から遅れてしまって本当にすみません。
 娘からずいぶん急かされたんです。」

とととんでもない。
プレゼントを貰っただけでも、
わざわざ遠いお店まで行ってもらっただけでも充分すぎる。
充分すぎるほど彼女の気持ちを貰った気分。

お母さんとの会話を娘にきかせた後、少し自分の話をした。
私にも小学生から仲の良い友達がいること。
「こっちではモツ鍋をする美味しいモツが見つけられない」と愚痴ったら
毎年誕生日にどっさり送ってくれること。
友人の誕生日にも美味しいものを見繕って送ること。
その美味しいものを探す時は友達が喜んでくれる顔を想像しながら
一生懸命探すこと。

その探すという時間そのものもプレゼントの一部だと思う。
その人のことを思い、その人にあげる自分の時間。
そう、ラブレターを書くという行為と一緒かもしれない。

友達っていつもベタベタくっついているばかりじゃないよね。
少し離れても、うんと離れても
相手を思っていればそれが友達。
だから最近遊ばなくなったからってそれは心配し過ぎだったかも。

夜になって娘がすり寄ってきた。
来月友達の誕生日だから、何かプレゼント選びに行きたいって。
そう言う娘の顔はキラキラしていた。

うんうんプレゼントを選ぶって楽しいよね。
そんな時間をたっぷりと娘にも味あわせてあげたい。
週末に女だけで買い物に行こうね。
男って可愛いお店は居心地悪いらしいから。










2005年02月22日(火) 家族記念日 2005



今日は家族記念日
夫と私が夫婦になって3周年を迎えた。
と云うことは、子供たちにも父親が出来て3周年。

私達がステップファミリーだということを
この土地では職場以外で公言していない。
誰から見られても絶対に気づかれない。
そんな自信がある。

だけど恥ずかしいからだとか引け目に感じているとか
そんなことで公言していないのでない。
永住するはずのない土地で、無用な詮索はされたくない。
どこの世界でも噂が大好きな人達というのが居て、
うまくいっていればいるなりに、
いっていなければいないなりに、
尾ひれがついて一人歩きを始める。
それが嫌なだけ。
ただそれだけのこと。



本当は今夜ささやかなお祝いをする予定だったのだけど
押しつけられてしまった新年度の子供会役員の集まりで
私の都合がつかなかった。

すると娘は
「じゃいいよ。ママは話し合いに行っておいでよ。
 私達だけでお祝いやっとくから」

まあね、『結婚記念日』というより『家族記念日』だから
私が不在でも・・・・・よくないじゃん。
だけど私が不在でも、夫と子供たちの間で
ちゃんと『家族』が形成されているからこそ出た言葉だと思う。

多分、最初は私という接着剤がなければ
うまくくっつかなかったんだと思う。
でも今は私が居なくても、いや、居ない方が
うまくくっついている気がする。


3年はあっという間だった。
だけどまだ3年しか経っていないのかと云う気もする。
もうずっと夫と子供たちと一緒にいる気がしている。
本当に夫との間にできた子供のような気がする。

息子のすることがだんだん夫に似てきた。
夫もまんざらではなさそう。
娘は私のクローンのようだし
これには夫も頭を抱えている。

そんなどこにでもあるような『家族』
今、とても幸せ










2005年02月17日(木) 止まらない溜息


自分はどんなに幸せだと思っていても
溜息が止まらない日もある。


例えばお気に入りのカップを割ってしまったり
例えば録画予約に失敗したり
例えば子供のランドセルから2週間前のプリントが出てきたり
例えばもうすぐ咲きそうだった花の蕾が突然に萎れてしまったり

そんな些細な積み重ねなのに
もう人生が行き止まりのような気になったりする。


もちろん人生晴れの日ばかりじゃない。
曇りも雨も嵐もあるし
雷が落ちることだってあるだろう。

分かってる
分かってる

だけど
止まらない溜息が部屋に充満して
窒息してしまいそうな気分

気分転換に窓を開ければ
少しだけ暖かくなった風がそよいで
ちょっとだけ春の気配を感じた

もうそれだけでOK
溜息がやっと止まった


なんて単純
なんて分かりやすい
単細胞を自覚した今日この頃












2005年02月11日(金) カウントダウン




時計をじっと見つめながら
久しぶりに膝の上に乗せた娘の重さを感じた。

あと1分。
あと30秒。

時計の針が午後10時56分を差した時
思わずぎゅっと娘を抱きしめた。

生まれてきてくれてありがとうね。
私のところに来てくれてありがとうね。

2月11日の今日が娘の誕生日

普段ならこんな遅い時間はとっくに寝ているはずなんだけど
ここ1週間、娘は私がうつしたインフルエンザで床に伏せていて
思いがけず母と娘で過ごす時間がたっぷりとあった。
で、今夜も昼寝をし過ぎて眠れなかった娘。

せっかくの誕生日を
布団の中で過ごさせることが可哀想だったけれど
だからこそいろんな話ができて、
娘と夫と私の三人で、誕生のその瞬間をカウントダウンすることができた。


娘が生まれる20分前にやっと病院に到着した話や
あまりにも早い出産に、若い看護師さんに羨ましがられたこと。
せっかちで3週間も早く生まれてきたこと。
娘の誕生を皆が心から喜んでくれたこと。

もう10年も経ったんだ。
あれから10年も経ったんだ。

あの頃、10年後の現在が想像できただろうか。
あの頃、それから7年の苦労を想像できただろうか。

過ぎたからこそ懐かしい出来事も、
もう一度経験したいかと問われれば応えは否。

もう子供たちに悲しい思いはさせたくない。
させちゃいけない。




娘の名前を考えるとき、字画を二つの姓に当ててみた。
元夫の姓と、私の旧姓。
娘が生まれた時点で、悲しい思いをさせることになるだろうと
そんな気がしていた。

娘は生後2ヶ月で『父』という存在を失った。
親の身勝手で人生を振り回されることになった。
それでもいつも明るくて、素直な女の子に育ってくれた。
娘の明るさに救われたことは、一度や二度じゃない。


幼いというのに何度も悲しい別れを経験した娘は、
人一倍優しさが溢れている。
父との別れ
祖母との別れ
そして大好きな祖父母や従姉妹、
仲良しな友達との別れ

だからこそ悲しさを自分の中に溜め込んで
一人で苦しんだこともあっただろう。
何もしてあげられなくてごめんね。
頼りない母でごめんね。

だけど人の痛みを感じることのできるあなたを
母は誇りに思ってます。
(だけどインフルエンザの私を心配するあまり
 何度も寝室を覗いてくれたばっかりに
 せっかくの誕生日を布団で過ごすことになってしまって
 母は心から申し訳なく思ってます)



膝の上にかかるずっしりとした重みを感じて
娘と過ごした10年間が愛しく思った。
あと10年、同じ時間が過ぎればもう巣立っているんだろう。
これからの時間をもっともっと大切にしよう。



誕生日おめでとう
生まれてきてくれてありがとう





東風 |MAILHomePage

My追加