たそがれまで
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2004年04月28日(水) 老婆心




Web日記って、何の為にあるんだろう。
自分の為に書いてるんだけど、
読み手がいるのが前提で、
それを承知で書いてるんだから
いろんな感想を持たれて当然。・・・なんだろうけれど


ある方の日記を読んで、
老婆心ながらメールを送った。
ほんのちょっと見方を変えるだけで、
ぜんぜん違う良い状況にできるのだと・・

まあね、この「老婆心」というやつがやっかいではあるのだけど。
何日かしてメールの返信が届いた。
それまで何度かメールでやり取りしてきた文体とは大きく違った。
経緯の詳細は省略するけど
批判、忠告は厳禁です。
と言う文字を見て、????と思った。
 

どこまでがアドバイスで
どこまでが忠告で
どこからが批判なんだろう。


「あなたはお母様の日記で、 もっとこうすればよかったのに・・・と
 言われたらどうしますか?」 と疑問形を投げられたけれど、
もっとすべきことがあったのなら、かえって教えて欲しいくらいだ。

自分が悩み抜いて選んだ人生だけど、それが恥だとは思わないけど
もっと方法があったのなら、自分を省みる為にも私は知りたい。
それがアドバイスであろうが
忠告であろうが、批判であろうが。
それが嫌がらせでない。という前提の話しだけれど。


私とその人のスタンスが違うだけ。
それだけのことなんだろう。


でも・・・・・
日記を読むだけで、その人のことを好きになっちゃいけないのかしら。

何度かメールのやり取りをしただけで、私の何が分かるの?
そう書かれた文字に、とても悲しくなった。

確かにHPに書いてあることしか知らないけれど
彼女の書く文章の中の、優しい人柄が好きになったんだけど。
それもダメって言われたら、もう、お手上げです。


つくづく、私ってヒマなおせっかい人なんだと
確信した次第。

おせっかいついでにもう一つ、
自分は納得していても、犠牲になるのは子供。
気を使うのも子供。
だから、きっと、違うと思う。
私はそう思う。
















もう随分前に書いた文章です。
ちょっと別件で、自分のおせっかい加減がほとほと嫌になったものですから。
自分は良かれと思っても、そうでないことって多いよね。
あー、なんかすごく難しい。

支離滅裂な独り言。


2004年04月27日(火) 百という字から一を引く



いよいよ今週末にはゴールデンウィークがくる。
連休中も仕事が入ってしまった夫を残し、私と子供達だけ帰省する。

楽しみと云えば楽しみだけれど、実は気が重い行事も待ちかまえている。
親戚の集まりがある。総勢60人というから私には想像もできない。

実母の父、つまり私の血の繋がった祖父が今年数えで99才になる。
白寿のお祝いをすると通知が届いたのは年が明けてすぐだった。
その祝いの席がこのゴールデンウィーク中に催されるのだ。

実母も姉妹もその家族達も全員が出席するから
何も気に病むことはないのだけれど、どうもこの集まりは居心地が悪い。
そう思っているのは私だけで、私がそう思っていることさえ
多分誰も分かってはくれないだろう。

実の母が何人姉弟であるかもしらない。
伯父さん叔母さんの名前も知らない。
従兄弟達ともほとんど面識がない。
私が知っているのは実母と姉妹とその家族達だけ。

60人の集まりとは云っても、そのうちの三分の一が私達姉妹とその家族であるから
いつものように飄々としていれば時間は過ぎていくのだと思う。

私は1才の誕生日前から父や母や姉妹達とは一緒に暮らしていない。
姉妹達と比べれば祖父との想い出だって無いに等しい。
ただ血が繋がっているというだけ。
同じ血が流れているというだけ。

ただこの祖父がいなければ、現在の私はこの世に生まれてきてはいなかったんだろう。
と、そう思ったりはするけれど・・・




祖母がまだ健在であった頃、確か祖父と祖母の金婚式の祝いの席で
日舞を披露したことがある。
そのときはまだ私も子供で、それが何のお祝いか、
そこがどういう人達の集まりかということも知らなかった。
ただ養母に着物を着せられて、連れて行かれた。

それは、金婚式のお祝いの気持ちと
養母の意地が入り乱れた行為だったに違いない。

ふと今回も祝儀舞を披露しようかとも考えた。
養母はちゃんと私と云う人間を育てあげてくれましたという証に。
そして養母や伯母が残してくれた大量の和服のためにも。
だけどいかんせん、随分と練習などしていないものだから人前で踊る自信がない。
あっさりと断念。
それでも踊りの振りだけはしっかりと頭に入っている自分に驚いた。
「三つ子の魂百までも・・」とはよく言ったものである。

いろいろ思い悩んだが、とにかく目立たぬように2時間を過ごすと決めた。

本当に気が重い理由・・・
多分自分でも分かってる。


数えで99才の祖父と同じく「丙午(ひのえうま)」の私。
60年に一度しか巡ってこない干支。
つまり・・・・・
私も今年で39才。数えトシなんて大嫌い。







2004年04月22日(木) 自然が先生



最近何かと土いじりをすることが多い。
子供達が野菜を育て始めたことで、私も触発されて花など育てている。
借家だけれどちゃんと花壇なんかもあって、自由に使ってくださいと
大家さんから許可を頂いている。

この春故郷に帰る予定だったから、今まで花壇は使わずにいたけれど
夫の勤務が延びたことであと何年かここで暮らすことになったから、
花壇を手入れして花や野菜を植えてみた。


その時ふと気になっていた植木鉢二つを、一緒に花壇に植え替えることにした。
昨年の春先に購入した、娘と同じ名前を持つの木の苗と、
こちらに越してきてすぐ100均で購入した、息子と同じ名前を持つ木の苗。

どちらも帰郷した後の新居の庭に植えようと、大きめの鉢で育てていたのだけど
窮屈だったのだろう、大きくもならず、花もつかなかった。
娘の木に至っては既に枯れ木同然の状態で、一かバチかで植え替えた。


植え替えてわずか4日、もう枯れ木だと思っていた娘の木から
緑の若芽がいくつも出てきた。
毎朝夫が庭に出るので、今朝見つけて教えてくれた。

鉢が小さかったんだね。
窮屈で窮屈で仕方なかったんだね。
もっと早く植え替えてあげてたら、今年も花を付けていたかもしれないね。





人も、決まり事や約束事でがんじがらめに締め付けたって
大きくはなれないんだろうなと思った。
「桜」と同じで寒い冬や強い風に立ち向かってこそ、
大きく大きく枝や根を伸ばせるのだろう。
鉢だからと、日当たりの良い場所ばかり、風の当たらない場所ばかり
過保護という締め付けをしていたんだろう。

それに、枯れているように見えていたって、内にはまだまだパワーを蓄えていて
いつか来る日を待っていたようにも思える。
のらりくらりと過ごしている娘の中にも、
きっとすごいパワーが秘められているに違いない。

内に秘めた力を発揮できる場所が見つかったら
きっとぐんぐん延びていく。
それはきっと温室の中ではなさそうだ。


自然ってすごいね。
いろんなことを教えられる。


息子も娘も、自分が育てている野菜達から
いろんなことを学ぶんだろ。きっと。







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