たそがれまで
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2004年05月28日(金) おしどり夫婦




無事に祖父の葬儀も終わった。
空は限りなく青く、五月晴れというより真夏の空
・・・だったらしい。

結局、祖父の葬儀には参列しなかった。
理由はもう一つの日記にも書いたけれど、
「行く」にしても「行かない」にしても
何一つ気持ちがはっきりしなかった。

遠距離であるため、姉妹達は気を使ってくれた。
何処にいても祖父を見送ることはできるからと。
その言葉をはねのけてでも行く事はできた筈なのに、
最後の最後まで悩んで、行かないと決定したわけでなく
時間切れで行けなくなった。




祖父は白寿のお祝いをした10日後に入院をしたらしい。
どこがどうということではなく、熱が下がらなくなったらしい。
入院中はただ天井を見つめ、
5年前に逝った愛する妻が、すぐそこにいるかのように
ずっと喋っていたようだ。

「もうすぐばあちゃんが迎えに来てくれるよ」
という実母の呼びかけに、ただただ「うん」と答えた祖父。
本当に仲の良かった夫婦だから、
一人で生きる時間が耐えられなかったのだと思う。

その証拠に、祖父は妻の死の直後から心が子供に戻っていった。
それほどまでに愛された祖母、それほどまでに愛した祖父。
本当に素敵で理想の夫婦だった。



実は、祖父はもうすぐ老人保健施設に入所することが決まっていた。
順番待ちをしていたらしく、入所の順番が次ぎだというところまで迫っていた。
3年前に申し込みをして、やっと順番が廻ってきたというところで
祖父は逝った。

よく聞く話しだし、よく言う台詞だけれど
きっと家で死にたかったんだよね。

人生の大半を過ごした場所で、
愛する妻と暮らした場所で、
自分の人生を終わらせたかったんだよね。

怒られるかもしれないけれど、
あと少し寿命が延びて、施設に入ってからでなく
『今』で良かったんだと思う。



棺の中の祖父は、
とても綺麗で満ち足りた顔をしていたらしい。
大好きな花に包まれて、静かに静かに空に昇った。

今頃、夫婦でお茶でも飲みながら
一人で過ごした時間のあれこれを話しているだろう。

どれだけ淋しかったか、
どれだけ逢いたかったか。






2004年05月25日(火) 形見




ゴールデンウィークが終わってもう3週間ほどになる。
書こう書こうと思っていたのに、つい伸ばしてしまった。

先日の日記にも書いたように、祖父の白寿のお祝いに出席をした。
もう誰を見ても分からないほど年老いた祖父。
それもそうだろう。明治39年丙午の生まれ。
私よりちょうど60才上だ。

それでも楽しく宴は進み、飲むや喋るやでもう大騒ぎだった。
宴も佳境に入ると、祖父の面倒を見ている叔父がマイクを握りしめて言った。

「えぇ〜、今からビンゴ大会をやります。
 賞品はお祖父ちゃんが趣味で集めていた骨董などなど・・
 形見わけというわけではありませんが、賞品は全家族に用意しています。」

ビンゴで形見分けかぃ。
いやいや、まあまあ、形見わけみたいなものということで・・

そういう声もちらほらだったが、カードを握りしめた子供達は必死だ。
14家族争奪じいちゃんの形見分け合戦の幕開けである。
(まだ生きてるっちゅうのに)

一番にビンゴになったのは長女チームで、なんと象牙に彫られたお釈迦様だった。
全長1メートルはある大きな象牙に、細かく綺麗な彫刻がされていた。
2番目のビンゴは妹チーム。大きな大きな木のついたてだった。

しかしなんだかんだ言っても、私の姉妹達は強い。
3番目は余所の家族に持っていかれたが、4番目は私がゲットした。


なんと


なんと


亀のハクセイだった。
体長が70センチはあるだろう、大きな大きなカメのハクセイ。
(こんなんをどこに飾れっちゅうねん)




で、5番目も6番目も私の姉家族がビンゴを引き当てた。
とととんでもない勝負強さ。



















なんて笑っていたのに、あれから3週間で
本当の形見になってしまった。

今日、祖父が亡くなったと云う知らせが届いた。

今、私の目の前には出席者全員で撮った記念写真があるのだけれど
その中のお祖父ちゃんは笑っている。
なぜだかその横で曾祖母の遺影を抱いた我が娘も笑っている。
実母も姉達も叔父や伯母も、そして私も、
3週間前にはみんなが晴れやかに笑っているのに・・。

写真に添えられた叔父の手紙には
「お前の子供の頃の想い出はあまりないけど、
 お前がこの世に居るという事は、じいちゃんが居たからで有ります。」
そんな一文が綴られていた。

私の気持ちを見透かされているようで、
というより、私の気持ちを察してくれたことが嬉しかった。

ああそうだ。ここが私のルーツ。
例え想い出は少なくとも、ここが私のルーツであることに間違いはない。

みんなが集まれて良かったね。
みんなが笑顔で良かったね。

置き場に困りつつも大切にするから。
今となっては本物の形見になってしまった、大きな大きなカメのはくせい。


                             合掌










2004年05月06日(木) 2年間のお疲れさま。




今日からまた日常生活が始まった。
長い休みの後は、なんだかとてもリズムが狂う。
そんなことを言うと、夫から睨まれた。

今年のGWは、夫には休みが無かった。
長いサラリーマン生活でも初めてのGW出勤だったらしい。

実は今年のGWのために、この2年間の仕事があったと言っても過言ではない。
一つのプロジェクトの最終章が5日間に詰まっていた。
のくせに体調を崩し、咳が止まらないままの休日出勤を通したのだけれど。


あまり家では仕事の話しをしないので、詳しいことは知らない。
けれど、お客様の会社に常駐しての仕事はいろいろ苦労も多かったと思う。
知らない土地で初めて会う人達との仕事、大変だったろうなと思う。

無情とも思える会社からの要求に、決して首を横に振らない夫。
サラリーマンの宿命といえば宿命なのだろうが、
それは決してイエスマンではない。
それは弱さではなく、強さだ。 
何かを守る為の強さ。断固たる強さ。






お疲れさま。
本当にお疲れさま。

転勤になったことを、いつまでもぐずぐず言ったのは私。
でも良かったよ。ここで新しい家族の一歩を踏み出せて良かったよ。
今はそう思う。本当に楽しく倖せな2年間だったから。

明日からも頑張ってね。


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