たそがれまで
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2004年03月31日(水) 恩返し





昨日、子供達を連れて映画に出かけた。
一人連れていくも二人連れて行くも、三人連れて行くも同じだと
職場の同僚の子供も誘った。

前にも何度か家に遊びに来たことがある小1の女の子
私が娘に着せたいような、女の子らしい服が似合う可愛い子

映画に行って、お昼を食べて、そのまま我が家へ遊びに来た
しばらくは子供部屋で遊んでいたようだけど、
そのうち外へ飛び出して行った。

うんうん、子供は外で遊ぶのが一番。

な〜んて思っていると、娘だけお茶を飲みに帰ってきた。
グラスに麦茶をなみなみと注ぎ、息もつかさず飲み干して
大きな大きなため息を一つ。

私をチラリと見て何か言いかけたが、そのまま外へ出て行った。
恐らく、何が言いたかったのか私にはピンときた。

夕方、その子を家に送りとどけての帰り道
車の中で娘と話した。


今日の映画は面白かった?


うん、面白かったよ。


いっぱい遊べて良かったね。


うん・・・まあ・・・ね。
でもね、大変だったんだよ。疲れちゃったよ。


なにが?


だって・・・、子供は手がかかるね。


お前だって子供だろーがと思いつつ、娘の言い分を聞いてみた。


あのね、縄跳びしたいって言うから縄を取りに帰ったんだよ。
そしたら3分もしないうちに今度はボールで遊ぶって言うんだよ。
縄はぽ〜んと置いたままでさ。片づけは私だよ。
で、ボールの片づけも私がしたよ。
だって勝手に自転車で遊びだしちゃうんだもん。


なんとも微笑ましい話しで笑ってしまった。
だけど娘は真剣だから、一応フォローしとかないと・・・



あのね、小東風も前はそうだっよ。
従姉妹のお姉ちゃん達と遊んだ時、お姉ちゃん達大変そうだったよ。
後で疲れた〜って言ってたもん。
お世話が出来るようになったってことは、
小東風がそれだけお姉ちゃんになったってことじゃない?

ふ〜ん、そうなのかなぁ

そうそう、お姉ちゃんになったってこと。
まだ小東風が小さい頃してもらったことを、今度は小東風がしてあげる番。
お返しをする番になったってこと。

お返しするならお姉ちゃん達にするのが本当じゃないの?

う〜ん、そうなんだけどね。
自分より上の人にしてもらったことは、下の人にお返ししなさいって。

なにそれ?



そうだね、娘にはまだわからないよね。
昔、正社員で働いていた頃に、パートさんに言われたことがある。
トシは15も違うパートさんで、立場的には私の方が上だった。
でもプライベートではいろいろと相談に乗ってもらったり
お弁当を作って来てもらったりと、大変お世話になった。
何でも話せる姉のような存在の人だった。

何か恩返しがしたいと思って、パートさんの子供を遊びに連れて行ったり
誕生日にプレゼントを渡したりしていたのだけど、その時にこう言われた。

自分より上の人にしてもらったことは、下の人にお返ししなさい。
私も先輩にいろいろと教えてもらったし、お世話になってきた。
だからあなたも後輩に、自分より下の人にお返ししてちょうだい。
あなたが後輩にお返ししてくれるのが、私への恩返しになるんだからね。

それから笑ってこう付け加えられた。

あの頃先輩に言われたことを、そのまま言っちゃったわ私。うふふ。
これで先輩への恩返しもできたかな


それから、パートさんへの恩返しをしたいと思い続けてきたのだけど
どうだろう。できたんだろうか。
何度かこの話しをしたことがあるんだけど、
まだまだ足りない気がしている。

もしかしたら、一生恩返しをしながら生きていくのかもしれない。
この世に生んでもらった恩返し、育ててもらった恩返し、
お世話になった恩返し、愛をもらった恩返し。

生きていくというこは恩返しなのかもしれない。
いつか娘にもわかるかな。
そう教えてあげることが私の恩返し。






なんつって、ちょっとカッコつけすぎ(笑)


2004年03月30日(火) さくら




テレビ番組の特集で、400年前に豊臣秀吉が愛でた桜が
クローン技術によって蘇ったというニュースが流れた。

京都の後醍寺にあるしだれ桜の組織を使い、
5年かかりでクローン桜が花を咲かせたというものだった。
クローンがどうのと云うつもりは全くないし、言えるほどの知識もない。

ただその研究の過程がいろいろと大変だったようで、
見ていてとても興味深かった。

最初の頃は、培養液につけてある程度育てた苗を地表に植え替えると
軒並み枯れてしまったという。
いろいろ検討した結果、ある園芸家の方の言葉で道が開けたらしい。

薔薇は冬を越さなければ花が咲かない。

桜も薔薇科であるから、冬の寒さが必要なのかもしれないと
一度低温の中で一定時間を過ごさせてあげたら、
今度は見事にスクスクと苗は育ったというもの。

桜は冬を経験しないと芽が伸びないのです。

培養液の中で常に25℃に保たれた環境の整った場所にいるだけでは
花をつけることができない桜。
四季のある日本だからこそ綺麗な花を咲かせられるという。

それに冬が寒ければ寒いほど、
花の色が濃くなるという話しも聞いたことがある。
最近の花が薄いのはやはり温暖化の影響だとか・・・




人も同じだなぁと思った。
環境の整った場所にいるだけでは大きくなれない。
悲しみや苦しみという冬を経験しなければ、心が育たない。
自分自身という綺麗な花を咲かせる為には
涙という栄養が必要なんだろう。

すごい人だなぁ、大きい人だなぁと
尊敬したくなる人と出会うと、その人の中にある冬の苦しみを思う。
決して表には見えないけれど、いや見えないからこそ
本当に大きな大きな人なんだろう。


私の花はどのくらい咲いているんだろうか。
後醍寺のしだれ桜にはほど遠い。
まだまだ苗木で蕾さえ付いていないかも・・・





2004年03月15日(月) 重みの違う「ありがとう」


春らしい陽気になってくると
つい掃除がしたくなる。
普段はなかなか気が向かないのだけど
お日様の光りっていうのは偉大だと思う。


夜、夫がお風呂に入っている時、
脱衣所で洗濯物を片づけていた私は中の夫と二、三話しをした。

会話の流れの中で、浴室の床を磨き上げたことを自慢げに告げると
思わぬ返事が返ってきた。


本当に綺麗になってる。
ありがとうね。




その言葉を聞いた時、
嬉しいというよりショックだった。
なぜ、「ありがとう」なんて言えるんだろう。

夫はなんにつけてもきちんとお礼を言ってくれる。
お茶を入れてあげても、新聞を取ってあげても
必ず「ありがとう」と返ってくる。
当然といえば当然なのかもしれないけれど、
その当然ができない人もいる。

お茶くらい入れて貰って当然。
新聞を取ってくるのは当たり前。
妻は夫に尽くすのが義務。

そんな考えの人だと、決して「ありがとう」なんて言葉はない。
だけど夫は違う。きちんと言葉にしてくれる。

だけれど、お風呂の床を掃除したのは決して夫のためだけではない。
頼まれていたわけではないし、強制されたわけでもない。
私も使う、子供達も使う、皆で共有する場所が汚れていたから
私が気になって掃除をしただけのこと。

それに・・・
掃除するのは、一応養ってもらっている妻としての
役目という考え方もできるわけだし。


なのに夫から返ってきた言葉は「ありがとう」
私には決して言えないシチュエーションの「ありがとう」

たった一言なのに、この人には勝てないと思った。
巷にも溢れている言葉だけれど、その厚みが違うと感じた。

まあそんな大袈裟な話しではないのだけど、
これってつまり・・・

惚気てるということですね。






というより、いつも綺麗にしていれば
こんな会話にはならないんだろう。








2004年03月06日(土) 15の春 姪へ





いよいよ春が近づいてきて、
花の便りがあちこちから聞かれるようになった。
と同時に、よく花に例えられる学生達の合否判定の結果も
耳にする季節になった。


今年は姪が高校受験だった。二姉のとこの次女。
長女の受験の時には太宰府まで願をかけを行き、
お守りを買ってきて渡したのだけれど、今年は距離的に無理だったため
お菓子の『キットカット』と『カール』の詰め合わせを送っておいた。

余談だが、『きっと勝つ』と『うか〜る』のゴロ合わせなのだが
なかなかの商売上手である。最初は口コミで広がったらしいが
今年は鉛筆が同封された合格セットなるものまで販売されていた。


で、お菓子の詰め合わせを送ったらメールで
お礼が返ってきた。

学校推薦が貰えたから、学科試験はパスなの。
あとは面接と作文だけ。こんな時期に何もすることがないんだよ(笑)

聞けば、私達の時代と違って学校推薦制度なんてものがあり
私立だけでなく、公立の学校でも学科試験が免除されるとのこと。
学年でも5名だけらしいので、驚いた。
で、嬉しかった。
本当に嬉しかった。




姪は3人姉弟の2番目で、上に社交的でお調子者の姉と
やんちゃでガキ大将的な弟を持つ。
一番上の子が私達姉妹にとって初めての姪だったこともあり
随分あちこちに連れて行ったり、いろいろな物を買い与えたりと可愛がってきた。

二番目の姪が生まれたら生まれたで、
赤ん坊の世話に忙しい二姉を助けると云う名目で、長女の姪を連れ回した。
当然父親である義兄もそうだった。

そのうち長男である甥が生まれ、二姉は長男の世話で忙しくなる。
長女は父親が面倒をみてきたからそのままの状態で・・・
2番目の子供の性として、彼女は親の手をかけられずに大きくなった。

父親は少し迫力のある人だから、父親の前で萎縮した。
見ていて可哀想になるくらい父親の前で緊張していた。
家族で買い物に出かけると言っても、一人家で留守番をしていた。
小学校の低学年の頃の話しだ。

少しおどおどしている。
そんな印象の彼女だけど、中学に入って部活を始めて変わった。
私は忙しくてなかなか逢えなかった時期なのだけれど
姉から話しは聞いていた。

部活は放送部を選んだようで、アナウンサーのように表に出る仕事ではなく
裏方のミキサーなどを好んでやっていたらしい。
先輩が引退した後は部長として頑張った。
ラジオドラマやテレビドラマなんかも作ってコンクールに出場し
全国大会にまで行った。
卒業間近の現在でさえ、授業中に先生にかり出されることがあるという。
配線がわからない先生を後目に、ちゃちゃっと繋いであげるんだという。
そんな話しをしてくれる姪の目はキラキラ輝いていた。

あの姪が・・・
父親の前で萎縮して、何も話せなくなってしまっていたあの姪が・・

それだけでも嬉しかった。
そしてその部活での働きが認められて、志望校の推薦をすんなり貰えたらしい。
もちろんそれだけの学力も必要だから、勉強も頑張っていた筈である。

それに、とても家の手伝いをよくしている。
というよりも、ほぼ姉の代わりをしている。
家業のほかに仕事にも出ている姉の代わりに、
食事の支度や買い物、洗濯物を干したり畳んだり。
本当に中学生だろうかと云うくらい、よく手伝っている。
家族からはリトル母さんと呼ばれ、頼りにされている。


先日、法事のために里帰りした時に姉と義兄と夜更けまで話した。
もちろん姪の話にもなった。
部活であれだけ頑張れたのは、自分の居場所を確保できたからだろうねと。
自分が認められたことが嬉しくて、どんどん力を発揮できたのだろうねと。

私も口を挟んだ。
あれだけ家の手伝いをしているのは、そこに自分の居場所を見つけたからだと。
家庭内で自分の存在感を発揮するにはそこしかなかったんだろうと。

一瞬だけど姉も義兄も変な顔をした。
気がついているのかいないのか解らないけれど、
私が姉家族のどこまでを知っているのか解らないけれど、
これだけは確かだ。

子供の頃の姪は本当に親の前でおどおどしていたんだ。
その姪は家の中で自分の居場所を探していたんだ。
存在していても許される場所。
それが母親の手伝い。




姉の家のPCから自分のHPをいじってきたから、私のHPの履歴が残っている。
「今度探して見よ〜う」と言っていた姪が見ていることを前提に書く。
(履歴をたどることができるのは姪しかいないから、気が向いたら
 見てくれると思うんだけど、もう1週間が経ったけど見ている形跡は無いなぁ)



高校合格おめでとう。
それから毎日のお手伝いご苦労様。
どれだけ家族が助かっているか、喜んでいるか解ってるかな?


でもね、手伝いをしてくれるからあなたを好きでいるわけじゃないんだよ。
もしも何も手伝いなんかしなくったって、皆あなたのことが好きなんだよ。

親はね、近すぎてなかなか言えないことがある。
子供が大きくなればなるほど言いいづらくなってくる。

私も、娘によく「お手伝いしてくれて嬉し〜い。大好きよ〜」なんて言ってしまうけど
本当は違う。
そこに居てくれるだけでいいんだよ。
そこに存在してくれているだけで嬉しいんだよ。

自分がやってきたことを自信を持って、
これからは楽しい高校生活を送ってほしい。
楽しむんだよ、たくさん。
頑張ることも必要だけど、たくさんたくさん楽しむんだよ。


本当に本当に合格おめでとう。







2004年03月01日(月) 法事





先月は二度の帰省をした。
最初は伯母の三回忌で、
二度目は養父の十七回忌の法要をするために。

養父母の法事は私が行わなければならないから行って当然なのだけれど、
実のところ、伯母の法事には私に声が掛からなかった。
遠いという理由と、家族だけで行うと云う理由。

どちらの理由も納得なのだけど、私は押し掛けるように出かけた。
無論、歓迎はされたのだけど、いろんなことを考えさせられた。

私は今まで、親戚の葬儀や法事などにはほぼ皆勤賞で参列している。
子供の頃も養母は必ず私を連れて出かけたし、ある程度のトシになれば
充分手伝いとしての役目をこなせるようになったから。

母の体調が優れなくなった頃からは、母の代理として参列しつづけた。
だけれどもその場所で、同じ立場である従兄弟達に逢うことはなかった。

私は法事に拘っている。
多分誰よりも拘っている。

法事のしきたりなどにに拘っているのではなく、
参列することに拘っているようだ。


私は母方の叔父伯母達からとても可愛がられた。
皆、我が子が男の子ばかりで、私一人が女の子だったということもあるだろう。
血の繋がらない姪を、皆が娘同然に可愛がってくれた。

だから、
私は伯父や伯母の娘のつもりでいたし
今でもそう思っている。
だからこそ、月日の区切りでもある法事で
感謝の意を込め合掌したいと思う。

だからといって、決して信心深いのではない。
宗教に、現在の葬儀のあり方に、
一番疑問を感じているのは私自身だ。

現に私が死んだら、葬儀も戒名もいらないと言ってある。
言葉だけではダメだろうから、ちゃんと文字として綴ってある。

あの長々しく響きわたる読経というやつに
どんな有り難い意味があるかは知らない。
だけれども、それを聞かなければ極楽浄土にいけないなどとは思えない。
ましてや極楽浄土の存在さえ信じてはいないのだと思う。

だけど読経は心を落ち着かせてくれる。
聞くのが苦痛ではなく、むしろ好んでもいる。

私の中で、法事や読経というやつは
現世を生きている人達の為にあるものだという認識だ。
決して死んでしまった人のためのものじゃない。

もともと宗教というものが、そう云う類のものであると思う。
『死』という、経験したことがないものへの恐怖を
念仏を唱えることによってうち消そうとするものだ。


ん・・っと、とても堅苦しい話しになってしまったけれど、
とにかく、これからも私は法事といえば駆けつけるだろう。
感謝の意を込めて・・・と云えば聞こえは良いが
血の繋がりがないからこその意地も混じっているのが本当のところ。











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