たそがれまで
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2004年01月27日(火) パワースイッチ



自分の中にある全てのネジを締め直しても
どうにもスイッチ入らない時がある。
何をやっても集中できない。
いつもどんよりした雲の中に居る感じ。

いろんなことが立て続けに起こり
自分の中でちょっと消化ができない。

そんな時は思い切って、
スイッチを入れること自体を諦める。


散らかった部屋にため息をつきつつ
テレビのリモコンを立て続けに押し続ける。
気に入った映像が映るとしばし手を止めぼ〜っと見る。
頭の中には何も入ってこない。
でもそれでいい。

何をやってもうまくいかない時はジタバタしてもダメ
今までの教訓を生かし、糸が絡まってほどけなくなる前に
自分のパワースイッチに切った。




どんなに身体や心がきつくても
自分を奮い立たせなければならない時もある。
「生活のために」や「自分のために」や
はたまた「家族のために」といった具合に。

でも現在の私は、最低限のことさえすれば
取り敢えず食べて寝て、仕事に、学校に送り出し
毎日を生活することだけはできる。

その環境に感謝しつつ、
ちょっとだけスイッチを入れない毎日を過ごさせて貰っている。


だけどこうしてキーボードに向かってみようと云う気になっただけ
栄養ドリンクを飲んでみようと云う気になっただけ
回復傾向にあるんだろう。


さぁ、ちょっとだけ頑張って、窓を開けて掃除でもしてみるか。






2004年01月20日(火) 母のこと 桜餅




先日夫を亡くした伯母と電話で話した。
最期のお別れも言えなかったことを詫び、
伯母の体調のことや、世間話、
それから昔話などをした。

本当にあんたのお母さんは我が儘だったからねぇ
あんたも苦労したねぇ

こういう類の言葉は、今まで何度も耳にしてきた。

養母は物をはっきりと言う人であったし、
自分の信念も曲げなかったし、
時には高飛車に見えたり、傲慢に見えたり
とにかくそういう話題には事欠かない人だった。

実の姉からでさえ、そんな言葉を投げつけられる。


確かに、母は我が儘に見えただろう。
だけどそれは他人にそう見えただけ。
確かに、母は謝るということが苦手だった。
だけど心の中でどれだけそのことを葛藤していたか。

そんな姿を誰も知らない。
そんな弱さを誰も知らない。

入院後、母はことあるごとに私に謝った。

ごめんね、いっつも来てくれて
ごめんね、リハビリもできなくて
ごめんね、洗濯物がたくさんあって

そして、元気な頃にはなかなか聞くことがなかった
ありがとうと続く

入院が長くなるとお見舞いも断っていたから
そんな母の弱い姿を、
そんな母の優しさを、
他人にわかって貰う機会を逃してしまった。

もっとたくさんの人に逢いに来てもらえば良かったね。


今日、和菓子やさんで美味しそうな桜餅を見つけた。
母が大好きだった桜餅。
家族の分にプラスして、母の分も買って来た。
一緒に食べよう。
仏壇に供えているお茶を渋めに入れ替えるから。







2004年01月14日(水) 時間の感じ方



職場に新しいメンバーが増えた。
もう半月になるそうだが、曜日の関係で私は今日初めて逢った。

流暢な言葉で自己紹介を受けた。
彼は中国からの留学生だ。

今まで働いたことのある職場でも
何人かの留学生と仕事をしたことがある。
彼らは皆まじめで真剣に仕事に取り組み
積極的に日本という国に馴染もうとしていた。

一部の人達の悪行に、彼らは迷惑を被っている。
中国から来たというだけで、白い眼で見られることもあるそうだ。

それにこんな話しも聞いたことがある。
日本からも多くの留学生が中国を訪れているが、
誰一人としてアルバイトなどしてはいない。
皆、親から送ってもらう仕送りで贅沢三昧をしているらしい。

確かに物価が大きく違うから、中国で生活するのに苦労することない。
ひょっとしたら日本の高校生のお小遣い程度で暮らせるのかもしれない。
(余談だが、店に来る高校生の財布を見て愕然とする。
 入っている金額もだけれど、その器の方。
 ヴィトンだのプラダだの一流ブランドの財布で
 買って行くものといえば駄菓子やスナック菓子ばかり。
 すごい人になると毎朝朝ご飯を買って行く。
 親に作ってもらえよと、もしくは自分で作って喰えと思う。)

で、留学生の彼らは日本に夢を抱いて来る。
だけど皆なその現実に愕然とするそうだ。

流れる時間が違うと彼は言った。
日本と中国では1時間が同じ長さではないと言った。

そうかもしれない。
だって同じ日本でも時間の流れ方が違う気がする。
でもそれは自分の感じ方、捉え方、置かれている状況
そんなものが複雑に絡み合って時間という感覚が変わっていく。



時間はゆっくり流れた方がいい。
その方がゆっくり景色を眺めることができる。
自分の周りのあれこれをゆっくり考えることができる。


中国からの留学生に会ったら、必ず私が言う言葉。
「いつか三国志の史跡を訪ねて中国へ行くから、その時は案内してね。
 だから必ず中国へ帰っていてね。」

もちろん本当に案内して貰える筈などない。
中国がどれだけ広いか私も知っている。
だけど、どうぞ、時間がゆっくり流れる国に、故郷に、
帰っていて欲しいと思う。


日本という国が大好きだ。
でもそれは故郷であるから。
日本という国の時間も、もっとゆっくりと流れればいいのに。





2004年01月12日(月) 成人式





はいはい。
今年も派手に報道されてました。
ここ数年は恒例となった「成人式」

派手な衣装を着て気が大きくなったのか
目立つことがカッコ良いと思っているのか
救急隊員を殴ったり、式典ジャックしてみたり、
市長に生クリームを投げつけた輩も居たとか。

その報道を見て、「来年はおれらもやるぞ〜」なんて
考えている19才も居るんだろうな。

集団でなければ何も出来ない。
そんな奴らにいくら人の道を説いてみたって
暖簾に腕押し、糠に釘。

親がこの日の為にと用意してくれた晴れ着の有り難さに気が付くのは
もっとずっと時間が経ってからだろう。
その晴れ着に泥を塗るようなことをしたことを後悔するのは
それまたずっとずっと先だろう。


5年後、10年後、20年後に振り返ってみた時
若さという勢いがいかに脆いものだということが解る。
それでも「あの時はカッコ良かったよなぁ〜、オレ」なんて思えるアホが居たら
それはそれで表彰ものだな。



という私も、成人式の式典会場にはほとんど居なかった。
会場の外で友人達とお喋りしてた。
成人としての自覚が足りない?
でも面白くなかったもの。

だから今の若い者は、なんて言わない。
それは昔も今も同じこと。

ただやり方が乱暴になった。
人の痛みに鈍感になった。
そのくせ自分の痛みにだけは敏感で
小さな傷でも大騒ぎをする。

痛いのは誰もが同じ
自分が痛けりゃ他人も痛い。
まだ小さい子供だった頃、
親に噛みついたら噛みつき返されなかったかい?




来年はどんな成人式の報道があるんだろう。
きっと、今年と変わらないんだろう。
私も含めて、親が、大人が
変わるのがきっと先決だよな。






2004年01月01日(木) 謹賀新年



新しい年になった。

子供の頃は
楽しみでしかたなかったお正月なのに
大人になるにつけ、ただ新しいカレンダーに
取り替える日だと思うようになったのはなぜだろう。

1月1日という日も昨日の続きでしかない。
そう思うことが悲しいことなのか
分別のあることなのか、どちらかも解らない。

ただ子供の頃より、1年という時間があっという間に過ぎていき
また次のカレンダーを取り替えることになる。

何かで読んだのだけれど、
10才の子の1年は、人生10年分の1
私の1年は人生37年分の1
大人になるに従って、1年という時間はどんどん短くなるそうだ。
時間という概念は、大人と子供に平等ではないのかもしれない。

子供の頃のように「お正月」にワクワクしなくなったのは
お年玉を貰えなくなったことも大きいけれど、
きっと「明日」というものが見えてしまっているからだ。




一年の計は元旦にあり

子供の頃よく父に言われた言葉だけれど、
日本人は、元旦に一度リセットボタンを押す。

どこにも逃げ場がない島国生まれ特有の知恵だと聞いたことがある。
昨日とは違う人間に生まれ変わる為の儀式

大掃除をし、餅をお供えし、しめ縄を飾る。
御来光を拝み、神に手を合わせた後で
屠蘇に口をつけ、一つ一つに意味のあるおせちでげんをかつぐ。
昨年の幸せを感謝し、今年の安全を祈る。
昨日の続きだと思いつつ、今年も母の教えを守った。

それでリセットボタンを押した気になれればそれもまた良し。

本当のリセットボタンなど存在しないことは誰もが知っているから。
そのボタンを押す時は、命の灯りが消える時だろう。




なにはともあれ、明けてめでたい。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。



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