たそがれまで
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2003年07月25日(金) いいひと




田口ランディの本に
「いいひとについての考察」というエッセイが載っている。
コレを読んだ瞬間に思わず大笑いをした。
うん、実に的を射ている。

なぜならば私の夫は究極の「JISマーク付きのいいひと」で、
エッセイの中に描かれたが虚像が、正に目の前に存在するのである。


エッセイの中で、「いいひと」はこう描かれている。



「いいひと」は誰にでも優しくて、それなりの自己主張をもっており、
頭もよく、ジョークもうまい。
「いいひと」は「善人」ではないので融通もきけば、いじめっこにもなる。
でも度をはずさない。
「いいひと」は聖人ではないので「損をしない限り」とても親切だ。
たまには損得抜きで親切もしてくれたりする。




うんうん、まったくもってその通り。
夫を知る誰もが、「あの人はいいひとだよねぇ」と口を揃える。
若かった頃も、おつき合いを断られる言葉の中に、
必ず「いいひと」だという単語が含まれていたという。(うん、私も使った)
それはそれで決して誉め言葉ではない。
「あなたには何かが足りないよ」と同意語なのだから。
それでも夫は「いいひと」をやめなかった。
いや、止めようなどと考えたことさえ無いのだろう。


エッセイはこう続く。


でも「いいひと」は「いいひと」であり続けようとする。
そこが問題だ。これこそ「いいひと」がもつダークな部分だ。
自分に都合が悪くなっても「いいひと」を演じようとする。


「いいひと」は「いいひと」であり続けることの「快楽」に気がつかない。
この快楽は麻薬のようなもので人の感性をシビレさせてしまう。
感性のシビレた「いいひと」は、自分の心に「イーヒト菌」を発酵させて、
「イーヒト菌」はふわふわと真綿のように他人の心を優しくしめあげるのだ。

「いいひと」は私のために「悪い男」を演じてくれない。「いいひと」は
「君が好きだ」と後ずさりしながら去っていく。はるか遠くに後ずさっても
「ほんとは好きだ」と怒鳴っている。





もうここで私は爆笑で転げ回った。
そうなんだ。そうなんだ。

「いいひと」って、いつでも「いいひと」であり続けようとして
絶対に「悪いひと」にはなってくれない。
夫曰く、「悪いひと」になってくれないのではなく
「悪いひと」に成りようがないとのこと。 そうか?




その後のエッセイの中に、「いいひと」とつき合うと
自分はどんどん「悪い女」になってしまうとあった。
「いいひと」同士にはなれないのだと。
相手が「いいひと」であり続けようとするならば、
自分は「悪い女」でいるしかない。
そうそう、それってけっこう疲れるのだ。


人は対峙する相手によって、いろいろな役割が与えられる。
時として「いいひと」であるこも「悪いひと」であることもある。
だからじぶんの中のバランスだって保てるし、相手とのバランスも保てるんだろう。

でも相手が「いいひと」であり続けると、自分には損な役しか回ってこない。
いつも我が侭を言って、いつもいつも困らせて、
結局自己嫌悪に陥って、どうしようもなく疲れてしまう。


それは「悪い」私のせいでもあるけど、
「いいひと」にも責任がないか?




私は常々、人に「NO」が言えないと書いてきた。
でも夫にだけは、はっきりしっかり「NO」を言う。
なぜ俺だけに「NO」と言えるのかと夫は首を傾げるのだが、
それは夫が「いいひと」だったからだと気付いた。


いつも夫が「いいひと」で、
私が「悪いひと」という図式が出来上がっているからだ。
うん。そうだ、そうだ。絶対そうだ。


つまりね、夫に対しての甘えも我が侭も
全部夫の身から出た錆。
そんなことを言ってみたらば、究極の責任転嫁だと笑われた。

そう、「怒る」でもなく「笑われた」のだ。
「いいひと」もここまでくれば見上げたものだ。
日記に書いていいかと尋ねたら、これまた「書きたいだけどうぞ」ときた。

こうやってわが夫は、日々「いいひと道」を極める為に
精進に励む毎日である。
まあこんな妻がいるってだけで、既に免許皆伝でありましょう。





まあ、ダラダラと書いてみたけれど、一度読んでみて下さい。
田口ランディの「いいひとについての考察」を・・・


2003年07月16日(水) 友のこと 7



               6月16日までの「友のこと」の続編です。


ある日、いつものように彼女からイラスト入りの葉書が届いた。
いつもの私のリクエスト通り、裏面はイラストのみで
近況報告が表面にしてあった。



体調を崩し、診てもらったら隔離されちゃった。
なんかもう、人生、最悪です。



結核と診断され、入院という名の強制隔離をされた彼女。
奇しくも彼女がいる病院は、母がMRSAと闘っている病院だった。
すぐさま病棟に電話をし、面会ができるかどうか確かめた。

答えはYES。
次に母を見舞う機会に、彼女の元へ寄ってみた。

原則として面会は面会室でなら許されるのだが、
患者が少なく6人部屋を独りで占領している彼女に、
ナースの方は部屋での面会を許して下さった。
もちろんそれは、彼女の容態が安定していて
他人と接触しても大丈夫だという診断が下っていたからだ。

病室のベッドに座っていた彼女は、一瞬目を丸くした。
まさか来るとは思っていなかったようだ。
どうして?と尋ねると
「病気が病気だから・・・」
そう答えた。


実は私の母も結核菌のキャリアで、
そう診断が下った時に、私自身もレントゲン撮影を受けたし
私の子供たちもツベルクリン反応をし、BCGの予防接種を追加でされた。

「あれだけ毎日母と過ごしても、感染しなかったんだよ。
 お見舞いくらいで移るわけないよ。」

そんな屁理屈を並べ立て、心配する彼女を説き伏せた。


結核だと診断された時、彼女は人生がこれで終わったと思ったらしい。
広い病室に独りでいると、つい悪い方へ思考が向かうと言った。
そして、「弱いねぇ、自分が弱すぎて嫌になっちゃう。」
そう言って笑った。


いや弱すぎるんじゃない。
彼女の立場に立てば、誰だって悪い方へ考える。
やっと愛息の「死」というものを、受け入れきれたばかりだというのに、
神様は容赦なく次の難問を彼女にぶつけたのだ。


いくら本を読むのが大好きな彼女でも時間を持て余し気味で、
もしも、もしも、また気が向けば、お母さんとこの帰りにでも寄ってね。
そんな彼女の言葉にもちろん頷いた。
帰りではなく、母に逢いに行く前に彼女の顔を見に行った。

正直、これはどうかと思った。
結核で入院している彼女と、MRSAで入院している母、
同時に面会をしていいものかどうか、
はたまたどちらに先に行けばいいのか。

母の担当のナースの方に相談しようと思ったけれど
結局は言い出せないまま、彼女の入院生活6ヶ月が過ぎた。


現代では良い薬ができて、結核は不治の病ではなくなった。
だからその病気自体を怖がることはないし、
広い意味で人生が終わりになるなんてこともない。

退院後の彼女もなんとか元気を取り戻し、
日常生活を取り戻しつつあった。


でも、体力の無い彼女には日常生活をこなすことでさえ大変だった。
退院したとはいえ、身体の中の結核菌がすべて死滅したわけではない。
専門家ではないので正しく書くことは難しいけれど、
身体の中に保菌している状態、つまりキャリアであることは違いない。
ただその菌が悪さをするかしないか、ということらしい。


体力の無い彼女は、家でできる仕事をしようと考えた。
好きなイラストを描く仕事が良いのだけれど、
そうそう現実は甘くない。
一緒に遊びに行けるようになるまでと、
私も始めたばかりのパソコンで、彼女とメール交換を始めた。

手紙がメールに代わった。
ヒマな時は一日に何通もやり取りをした。
キーボードを打つ練習は、彼女とのメールのやり取りだったくらいだ。



彼女の悩みも不安も、私の悩みも不安も
全てがあのメールの中にあった。







目の前に果実が落ちてきたら、受け止めてもいいと思うの。
しっかりと枝に付いたままの果実なら、無理やりもぐことはできないけど、
あなたの胸目掛けて落ちて来たのなら、しっかりと受け止めていいと思うの。

あなた達は結ばれていいんだと思うよ。
本当なら、昔に結ばれる筈だったと思うよ。
だから今、こうして時間が経って、あなたの前に落ちてきた。

その実を食べる資格があるとか無いとか、
もうそんなことは関係ない。

素直に受け止めていいと思うよ。





何度も何度も読み返したメール。
ここだけは空で覚えている。
主人と私がつき合うことに、背中を押してくれたのが彼女だ。

でもあの頃のメールは、今では私のパソコンに残っていない。
アクシデントが起こって、私のPCが真っ白になってしまったからだ。
とてもとても悔やまれる。


かろうじて主人のPCの中に、彼女からのメールが一通残っている。
主人への短い近況報告だけなのだけれど
無機質な活字なのに、なぜだかとても暖かい。
茶目っ気たっぷりで書かれたメール、
今ではもう一通だけ。




しばらくすると、彼女からのメールがパタっと止んだ。
パソコンの前に居るのがとても疲れてしまうのだという。
無理をさせていたことをとても後悔した。

だけど彼女と私が一番深く語り合った時間は、
このパソコンという媒体を通した時間だった。


彼女は闘っていた。
とても小柄な身体で闘っていた。

もう一度、元気になるんだ。
もう一度、ピクニックに行くんだ。
もう一度、しっかりと自分の人生を歩くんだ。

彼女の闘いの勝敗の行方を、おそらく彼女は知っていた。
私が貸した本や雑誌を取りに来てほしいと言ってたくらいだから。









彼女が入院中に送ってくれたイラスト。
モデルは私だと表書きに書いてあるが、
私は天使なんかじゃない。










2003年07月15日(火) 事件について思うこと  言いわけ





前回もこの日記に
「長崎幼児殺害事件」のことを書いたけれど
あちこちでこの事件について書かれた日記なりコメントを拝見した。


少年法の改正を声高く訴えておられる方、
被害者側の意見の方、
加害者側の意見の方、
人それぞれに価値観があり
思うところも願うところも違っている。



親の育て方が悪い。
少年法を改正して厳罰に処すべきだと訴えられる方の多くは、
独身者、もしくはお子さんが小さい方が多かったと思う。
そして、子育てが終わって我が子が独立をした方々だった。

加害者よりの意見の方は、子育て真っ最中の方。
それも犯人と同世代か、私のように小学生を子に持つ親。

こんな事件は許されるべきではないと思いつつ、
でもどうしても一言、言いたい。


子育て未経験の方に言いたい。
子育てって、自分の思うようにはならないんだよ。
なぜなら相手は小さいながらも人間だから。
心を、意思を持った人間なのだから。

そして子育てをしている親も人間なのだ。
完璧な人間などは居ないと思うから
不完全体の人間が、迷いながら子育てをしているのだ。
時には間違うこともある。
間違いを間違いだと気がつかないこともある。
時間が経って、ああ、そうだったのかと
取り戻せない時間を悔やむこともある。

あなたが親になった時、どれだけの子育てができるというのか。
理想を語るのは容易いことで、現実はそんなに甘くない。


そして、「今時の親は・・・」
と子育てを終わった人によく言われるが、
あなた方が子育てをしていた頃とは、環境がまったく変わっているんだ。
情報だけが先走り、バーチャルの世界が市民権を得、
子供ばかりでなく親さえも振り回される時代。

昔は子だくさんの家庭が多く、親は独り独りになんて
構っていられなかった。それでも子供がちゃんと育っていけたのは
近所や周りの大人が時として親代わりに成り得たからだ。

今の時代、現実にそういうことは望めない。
理想は確かに地域での子育てだけれど、そう叫ばれて久しいけれど
どれだけ踏み出せたというのか。

結局、各家庭の中で悩みながらの子育てが続き
ストレスを抱えた大人と、ストレスを抱えた子供が同居しているという
悲しい現実が続いているんだ。

親は不況やリストラで苦しみ、
子供は将来の不安や絶望感に押し潰される。
大人でさえ明るい将来を見いだせないでいるのに
子供に「夢を持て」と言ったところで絵に描いた餅。


言い訳を並べているんだとわかっている。
自分の不甲斐ない子育てを言い訳していると。
ほんのちょっとボタンを掛け違えただけで、
大きく道が分かれてしまう恐怖を感じる。

だから言い訳せずにはいられない。
毎日報道されるニュースを聴いてそう思う。


だけれども、被害者の方が尚一層の心理的被害を受けておられることを思うと
こんな言い訳は意味を持たないのかもしれない。





2003年07月09日(水) 事件について思うこと


今日のテレビニュースで流れた「幼児殺害事件」の犯人。
あまりにもショックだった。

おそらく中高生くらいだとは思っていたが、まさか12才の少年だとは・・・

「逮捕」ではなく「補導」。
少年法でしか裁けない。





私の息子は10才。
毎日ランドセルを背負って、元気に学校へ行く。
帰宅するとすぐ冷蔵庫を開け、何かないかと物色する。
テレビゲームをするのが好き。
プラモデルを作るのも好き。
友達と外で遊ぶのも好き。
宿題も嫌々ながらちゃんとする。
母の手伝もする。
妹と喧嘩もする。

どこにでもいる子供。だと思っている。
でも犯人と2才、学年でいうと3学年しか違わない。
それがショックだった。


おそらく、犯人の両親も、
我が子はどこにでもいる子供だと思っていたはず。
愛情を込めて育てていると思っていたはず。
生まれてきたことに感謝をし、育っていることを愛しみ、
立派な大人に、素直な大人に、心優しい大人にと願っていたはず。


どこでどう歯車が狂ったのか。




こういう少年事件が起こると
テレビやニュースでは評論家風の大人達が
原因や状況や対策なんかを議論する。
家庭環境がどうの。
他人とのコミュニケーションがどうの。

毎回同じ顔ぶれで、毎回〆の言葉も同じ。
そしてまた、いつの日か形を変えて事件は起こる。

もしも家庭環境がどうのというなら
私の息子だって娘だって、普通の家庭環境では育ってきてない。
大人のエゴで寂しい思いもさせた。
私も子供だけを見つめて生きてこられた訳じゃない。



こんな事件は許されることじゃない。
人の命はおもちゃじゃない。
リセットボタンなんてあるはずも無いのだから、
失った命が元にもどることはない。


解っている。
だけど、両親だけの責任なのか。
それが両親の責任なのか。

犯人の両親は、今どんな気持ちなのだろうか。
これだけ世間を騒がせた事件の犯人が我が子だと知った瞬間、
子供が連れていかれる時の気持ち。
いや何よりも、尊い小さな命を奪ったという事実を
どのように受け止めたのか。



何を悔い、何に祈るのか。
そして何を詫び続けるのか。




息子が、娘が、
将来何か事件を起こすなんて想像できないけれど
その可能性がゼロかと問われれば、正直自信が無い。
信じていないわけではない。
決して我が子を信じられないわけではない。

でも、多分、
私のこれまでの子育てに自信が無いのだ。
良い母ではない自分に自信が持てないのだ。
出来ることは全てしてきたと、胸を張って言えない。

なんと情けない母だろう。
だけど、思う。
もしも、もしも、子供が過ちを犯してしまっても
おそらく我が子のことを心配するのだろう。
我が子の健康を祈るのだろう。
犯人の親としてではなく、ただの母として。




だけど、そうなる前にすることはある。

命の重さ、
命の大切さ、
切られた痛み、
切る痛み、
せめてそれだけでも伝えていかなければ。

それが今からの私にもできること。







せめて駿ちゃんの魂が
迷わず空へかえれたことを願う。
どうぞ安らかに・・・







2003年07月01日(火) 独りで死ねないのなら死ぬんじゃない。




今日テレビを観ていたら、嫌でも何度も耳にしたニュース。
女子中学生二人が自殺・・・・・

残された携帯電話にメールで遺書らしきものが残っていたとか。

生きていくのが嫌になった。


まだ15年しか生きていない彼女達の人生に、何があったというのか。
嫌、それよりも「生きる」って楽しいことだけじゃないんだよ。
楽しいことはご褒美程度で、ほとんどは苦しみとか切なさとか。

だけど皆、一生懸命生きている。
生きることの意味とか、
自分の存在の意味とか、
一生かかって考えて、
それでも答えが見つかるかどうかさえはっきりしない。


最近はネットで仲間を募って、心中するという事件も多発しているけれど、
亡くなった人にかける言葉ではないと思うけど、
一人で死ねないのなら死ぬんじゃない。
連まないと死ねないのなら、死ぬんじゃない。

人間は生まれてくる時も一人。
死ぬ時も一人なんだよ。
誰かと一緒なら怖くないからなんて、
そんな勢いで命を粗末にするんじゃない。

死ぬことを怖いと感じるのは当たり前。
だから死なずにすんだ人が沢山いるんだ。
そして、あの時死なずに良かったと思っている人も沢山いる。
だから、だから、
勢いでその恐怖を乗り越えないで。






  自然な死が訪れるまでは、人は生きなきゃいけないんだ。
  これは義務なんだなぁって感じるようになったよ。
  どんな人生でもいいから、とにかく生きなきゃいけないんだ。

  とにかく生きなきゃいけないんだ。




そう書かれていた友人の手紙を、
今日改めて読み返した。



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