たそがれまで
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2003年08月25日(月) 歳時記的黄昏迄 今時の・・




外に出ると一瞬で燃え尽きてしまいそうな日差しだった宮崎より、
東風でございます。

今日はいつも「歳時記」を書いている日記のサーバーがパンクしてしまった
ようなので、歳時記的黄昏迄など・・・(なんか中国語みたいだな)


私が住んでいるこの宮崎という土地は、お世辞にも都会とは言えない。
だからと云って、前に住んでいた福岡が都会かと云えばそれも否。
福岡に関して云えば日本の標準的な場所らしく、よく新製品のモデル発売などに
利用されている。だから「福岡限定発売」なんて言葉によくお目に掛かるわけだ。

まあそれは置いておいて・・・

福岡と宮崎の違いを良く聞かれる。
とくに私の友人からではあるのだが、その時私はこう答える。

「子育てをするのに、こんなに適した場所はない。」

気候が温暖であるとか、物価が安いとか、そんな大人的理由ではない。
自然がたくさんあるのも理由の一つだけれど、それが全てでもない。

子供たちの目。

それが福岡とは違う。
先日も夫(黄昏迄では『おとう』ではなく『夫』であります。念のため)と
話していたのだが、子供たちがより子供らしい。

そして、今時の・・・と云われる若者達も、みんないい。本当にいい。
何を基準に「いい」と判断するかと云えば、まず素直さだろう。
見た目はいかにも今時の若者なんだけど、皆、挨拶がちゃんとできる。
蚊が鳴くほどの声で、何を言っているのかわからない挨拶ではなく
はっきり相手に伝わる挨拶ができる。


私は職場でいろいろなお客さんと接しているのだが、今時のイケイケな若者でも
商品を受け渡した後は、皆お礼を言って店を出て行く。
アラビアンナイトに出て来そうな、紫色のズボンを履いたとび職のお兄ちゃんも
みんな笑顔で「ありがとー」と言って出て行く。
「ありがとございました。」と言わなくちゃいけないのは私の方なのに。
(もちろんちゃんと言ってます。)

一緒の職場で働いている若者達も、みんな本当に素直な若者ばかりで
(私のように)ぶつぶつ文句を言うこともなく、与えられた仕事を一生懸命に
こなしていく。見ていて本当に気持ちが良い。

若者がそうだから、子供たちも皆それに続く。
それが当たり前。そう云う土地だ。

確かに、そうでない若者も子供も存在するのだろうが
取り敢えずまだ出逢っていないから、私の中では100%である。



今日の夕食後、陽が落ちたので近所のスーパーに買い物に出かけた。
(日中はとてもじゃないが、外に出ようとは思えないほど暑い。)
7時は過ぎていたが、仕事帰りの主婦や私のように夜行性の主婦で
レジは長蛇の列だった。

私の前に、今時の若者が牛乳パックを1本持って並んでいた。
その若者の前のおばちゃんのカゴには、食料品が山積みになっていて
こりゃ〜時間がかかりそうだなと私は諦めて待っていた。
その時、おばちゃんが若者に言った。

「あんた牛乳だけだから、先にいいよ。」

「えっ、でも・・。 そうですか、ありがとうございます。」

腰からチェーンがぶら下がっていて、動けば鍵がガチャガチャとうるさい若者。
牛乳代を払い終わるとくるっと後を振り向いた。
ゆずってくれたおばちゃんを正面に見据え、深々と一礼をし
「ありがとうございました。」とそう言った。
おばちゃんだけでなく、その後に並んでいる私にもはっきりと聞こえる声で
そう言った。


あー、嬉しかった。
そのレジに並んで良かったと思った。
思わず「ブラボー」と叫びたくなった。

まだまだ捨てたもんじゃない。
『今時の』と言われ続ける若者達。

どうかこれが、『土地柄さ』で終わってほしくない。
私も見習わなくちゃなぁ。
どっちかと言うと、おばちゃんの方をね。








2003年08月16日(土) ひとりごと 2




昨夜遅く、元姑からメールが届いた。
予想していた通り、「NO」という返事のメールだった。

まあ仕方が無い。
人はそれぞれに考え方が違う。
またいつか機が熟す時が来るだろう。
それまで待つしかないようだ。

考えてみれば、私も子供が可愛い。
だから姑の気持ちもわかる。
子を思う親の気持ちに非難はできない。
例えどんな子供であろうと。

だけど元舅姑の二人の子育てから、反面教師で学んだことがある。
「我慢」のできる子供、
自分で自分にブレーキをかけることの出来る子供に
我が子を育てようということ。

「我慢」を知らなかった元夫は、最後には全てを失ってしまった。
いろいろな物を手に入れたと思っていたたろうけど
すくってもすくっても指の隙間からこぼれていたのだ。





眠りにつくまでの間、夫といろいろ話しをした。
これまでのこと、これからのこと。
確認し合ったことは、私達はこれからも今までのスタイルを崩さない。
ということ。

私達の方から縁を切ると言い出すことはない。
例え誰に非難されても、私達はこのスタイルを変えるつもりはない。
もしも気が変わったら、我が家にだって遊びに来てほしい。
まあそんなことは到底叶うはずもなさそうだけど・・・。


夫と話していると、あることに気がついた。
「ほんとお前は、明らかに問題のある人を好きになってきたよな。
 それでも許せるっていうのだから、すごいと思うよ。」
そんな夫の言葉から、思い当たることが出てくる出てくる。

問題があるか無いかは別として、どうも私はマイナス要因、
つまり欠点の方に共感するようで、自分と相手の共通の欠点を
見つけだしては好きになってきたみたいだ。

自分に無いものを求める人は多いけど、
相手にも無いからと安心するのは私くらいか。
だから相手の弱い部分がよく分かる。
分かり過ぎて怒れない。

相手を非難することは、私自身を非難するのと同じ。
無意識でそうだったんだろうと今更ながら思う。

明らかに非がある相手を許すということは、
結局自分自身をも甘やかしているのと一緒。

そうやって甘やかし続けてきた結果が、
現在の私の人生だろう。






「許す」と「甘やかす」は違う。

そんな簡単なことに、昨日気がついた。
まだ遅くはないよね、人生はまだまだ半分残ってる。








2003年08月15日(金) ひとりごと





人の悪口を子供達の前では言わない。
ずっとそうしてきた。
これからもきっとそうするだろう。

でも、吐き出したくなる時がある。
今夜のように。






独り言です。
どうぞ読み飛ばしてやって下さい。



こんや用事があって元姑に電話をした。
息子が海水パンツを忘れてきたようで、送ってもらおうと思って。

もちろんそれが本題だったのだけど、
昨日の日記に書いた、現夫との面会をやんわりとお願いしてみた。

最終的な判断は舅でしか下せない家なので、
今夜のところは答えを貰えなかったのだけど
おそらく「NO」という返事だろう。
そしてそれをきっかけに、今までの関係を白紙に戻すという
ところにまで及ぶかもしれない。



なぜ逢わなくちゃいけないのかと問われた。
なぜ逢わせたいのかと問われた。
まさかそんなことを聞かれるとは思わなかった。


私としては、娘がそれを望んでいること、
言葉にはしないけれどおそらく息子も同意だということ、
それに・・・・
血の繋がりのない親子の関係を必要以上に心配している二人が
夫を見れば安心してくれると思っていることを告げた。

姑の返事は、
夫と私の再婚を100%喜べないという言葉だった。

それを聞いた私は頭に血が上った。
私は怒った時は、口数が減る。
それでも口を開いた時は、相手をとことん追いつめる。
辛辣な言葉で相手を傷つける。それが分かっているから口を噤む。
それを指摘され、言いたいことがあればはっきり言えという言葉に
今まで押さえていたものがあふれ出した。



じゃあ、あなたの息子は親として子供達に何をしてあげたのかと。
親としての義務を果たすどころか、自分の遊びの為に多額の借金を残して
何度も何度も蒸発しては舞い戻って来ただけじゃないかと。
あげくの果てには私の養母が亡父から残された
数千万のお金も使ってしまったじゃないかと。
それを止められなかった私にも落ち度があると、
慰謝料も養育費も要求しなかった。いや正確には出来なかった。
要求したところで払える能力などあるはずもないし、
もし能力のある人ならば、遊びで借金などするはずもない。


だけど私は子供たちの前で、元夫の悪口を一言も言わずに過ごしてきた。
捨てられたことも、(いや厳密に言えば離婚届けを突き付けたのは私だから
捨てたのは私なのだろうけれど、借金を覆い被せて逃げたのだ。
家族を捨てたのと同じだと思っている。)何度も裏切られたことも
何一つ告げていない。



これは子供たちの為であると同時に、元夫の為だ。
いつか子供たちと再会する時のため、元父親の先入観を植え付けたくなかった。
そして、他人の悪口を言っている母の顔など、子供は見たくないからだ。
まして自分が好きだと思っている人の悪口など、絶対に母親からは聞きたくない。

友人がご主人だった人の落ち度で離婚をした。
友人もそのご両親も、子供たちに父親の悪口を毎日聞かせ続けた。
その子は私の前で父親のことを「あのくそオヤジ」と呼んだ時の顔が
子供なのに歪んで見えた。笑うと可愛いその子の顔が、憎しみの塊に見えたのだ。



先日姑と話した時は、現在の元夫の状況を聞いた。
商売を始めて3年が経ち、ようやく軌道に乗ってきたらしい。
同棲している女性はいるが、子を持つ父親として再婚に躊躇しているらしいということ。
それを聞いて「はぁ〜ん?」と思った。冗談じゃない。
父親の義務を一つでも果たしてないくせに、こんな時だけ父親ぶるなと。
だけど、心の底から幸せになって欲しいと思う。立ち直って欲しいと思う。
いつか子供たちと再会する時に、惨めな父親とは面会させたくないし、
惨めな父親のままだったら、再会させる気にもならない。






売り言葉に買い言葉では無いけれど、
これだけよくしてくれる夫に、夫の両親に、
感謝の一言でも言ってほしいのだとも伝えた。
これを夫に話すと叱られるだろう。
夫はそんなものを望んではいない。
自分は父親だから当たり前のことをしているだけだと。


姑は言った。
どんなにバカな息子でも、我が子が可愛い。
だからおそらく答えは「NO」であろうと。



そこで受話器を置いた。
これからの関係がどうなるかわからない。
だけど向こうが孫と逢うことを拒否しない限り
夫と私はベストではなくとも、マイナス要因の少ない道を選ぶ。
それは子供たちと祖父母を面会させ続ける道だ。

子供たちの意に反して、引き裂くようなことはしたくない。
大人が気持ちを抑えればすむことなら、どんなに苦しくともその道を選びたい。









支離滅裂の独り言です。
読んで下さってありがとう。

自分でも分かっている。
「私はこうしてきた」とか「こうしてあげているのに」とか
自分がしてきたばかりを書き連ねている。
こういう状況になったのは、元夫のせいではあるが
自分が至らなかったことも原因なのだ。
今更姑に思いのたけをぶつけるのなら、もっともっと前に
元夫に言うべきことがたくさんあった筈なのだ。
自分がそれを飲み込んできたくせに、今更口にすべきことじゃない。

自分がしたことの自責の念が、多分コレを書かせた。
悪口を言う人の顔は歪んでいる。
今、私は鏡を見るのが怖い。








2003年08月14日(木) 涙を流せる娘




先週が夫の夏休みだったので、帰省は早々と済ませて
お盆は自宅で過ごしている。
昨日には祖父母の家に泊まっていた子供たちも帰宅し、
久し振りに家族が揃った。


空港に子供たちを出迎えに行った時、
娘の様子がちょっと変だった。
帽子を深々と被り、なかなか私に顔を見せない。
無理に帽子のつばをあげると、大きな目にはうっすらと涙。

息子はいつものようにベラベラと喋り、
まだ車に着く前からどこそこで何をしたとか、何を食べたとか。
その間、娘は一言も発言せず。


理由は解っていた。
だから敢えて尋ねもしない。
だけど家に着いてからも娘は黙りを決め、時々目を拭き続けた。

今回はちょっと・・・
そう思った私は娘を2階に連れだして、寝室のベットに二人で横になり
しばらく黙っていた。


「どうした?」

そう聞くと、予想通りの答えが返ってきた。


「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに逢えないのが寂しい。」


娘の言うお祖父ちゃんお祖母ちゃんとは
私の別れた元夫の父と母、つまり元の舅姑のことだ。
離婚後もつき合いを続けていたし、私が再婚してからも
春休み、夏休み、正月などは逢わせてきた。
それは再婚と同時に転居したからであって、もしも転居しないままなら
もっと頻繁に逢っていたのだと思う。

「あと7ヶ月すればおとうの転勤も終わるから、
 たくさん逢えるようになるよ」

そう言ってみても娘は泣きやまない。
よほどこの6日間が楽しかったのだろう。
めったに逢えない現在という状況で、6日間のほとんどを
子供たちの喜ぶ事でスケジュールを埋めて下さった。

元舅姑は本気で子供たちに向き合って下さる。
遊びの時も本気、叱るのも本気。
娘が逢えないと悲しむ気持ちはよく分かる。
分かりすぎるほどに分かる。

ただ遠いというだけでなく、複雑な大人の関係も
きっと理由の一つだと思う。


元舅姑と現在の夫は面識が無い。
再婚する時に顔合わせだけでもと双方に打診したのだけど
元舅姑の方から辞退された。

それは、妻を、我が子を、捨ててしまった自分の息子への不甲斐なさを
他人の前で身に染みるのが嫌だったんだろうと想像する。
大好きな人達なのだけれど、高すぎる自尊心と
世間体を気にかけすぎるところが二人の欠点だと思う。


娘がポツリと言った。
「6月にね、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが近くまで旅行に来たんだって。
 だけど私の家には来られなかったって。」

姑は今のお父さんが居るから、お家には寄られなかったと言ったらしい。
その言葉が娘を傷つけた。何気ない一言だったと思うけれど
今までも複雑な大人の関係に振り回されてきた子供には辛い一言だったと思う。

祖父母の家に送り届けた時も、夫だけ車中で待っていた。
いつもはお客さんを外まで見送りに来る姑も、
その時だけは外へ出ない。

そんな不自然さが子供たちを混乱させる。
いや、そもそもこんな関係を続けていることが、
子供たちを混乱させているのかもしれない。と思う。

だけど、あれだけ大好きな祖父母を子供たちから取り上げることは出来ないし、
あれだけ孫を可愛く思っている祖父母から、孫を取り上げることもできない。

例え他人から見れば変な関係であろうと
子供たちにとっては掛け替えのない人間関係だ。
だからもっと改善しなければと思う。
もっと自然にできないものだろうか。

後7ヶ月で故郷へ帰る。
祖父母の家と車で10分かからぬ距離になる。
いつでも逢える環境にはなるが、それはそれで心配な事もある。




娘に言った。

「人ってね、大人になるまでに悲しいことや寂しいことを練習しておくの。
 大人になって初めて悲しいことに出合うと、どうしていいか分からなく
 なるからね。 人によって練習の方法は違うんだろうけど、きっとあなたの
 練習は、大好きな人達となかなか逢えないってことだよね。
 でもだからこそ、逢えた時の喜びは大きいし、逢えるために頑張れるよね。
 ほら、こんなことも出来るようになったよって言うためには、いろんな事を
 頑張れるよね。」


納得したように娘は「うん」と頷いた。
どれだけ理解できたかは分からない。
でも多分、おぼろげながら自分が置かれている状況については理解している。
だけど気持ちがついていかないのだ。
大人の私にだってよくあること。

娘と話せて良かった。
素直に気持ちを出してくれて良かった。
難しいことは沢山あるけど、皆あなた達の事を考えているから。




一晩寝て、おはようと起きてきた娘は
いつもと同じでハイテンション。
ちょっとうるさいけれど、静か過ぎて心配するよりはうんといい。












2003年08月13日(水) お盆  の話しだったのに・・



今年もまたお盆がきた。
亡き人の魂が、家族のもとへ帰って来る。
少なくとも、仏教を信仰する者にとってはとても大切な日である。

私は熱心な仏教徒ではないので、罰あたりかもしれないが、
お盆と云う日のことを昔からの風習として捉えている。

13日には白玉でお団子を作り、提灯を持って納骨堂まで魂をお迎えに行く
14日にはおはぎとお膳を上げ、15日はお素麺に7回ほどお茶を変える。
そして再び送り団子を供え、提灯の灯りで魂を送り届ける。

他にもお供え物や線香の上げ方など細かい約束ごとがあるし
地域や宗派でいろいろと違っているようだけれど、
忙しい日々の中で自分の先祖や愛しい人達のことを、1年に一度くらいは
ちゃんと思い出して敬おうってことじゃないのかな。
(こういう解釈はすごく大雑把でお叱りを受けるかもしれないけれど)

子供の頃には仏壇が無かった我が家でも、必ず祖母の家に行き
いろいろなしきたりを教わってきた。
一つ一つのことに意味があり、大切な事なんだと祖母に聞いた。
子供の頃には物珍しかった出来事が、いざ自分がそれをする段になると
ちょっと面倒になったりもする。

「お母さんごめんねぇ〜、自己流で」
なんて言い訳しながら、少しずつ儀式を省略してたりもする。
仏壇の中で、父も母も笑っているだろう。お前らしいねって。

ううん、正直に書いてしまえば
仏壇の中に二人が居るとは思っていない。
二人の魂は必ず近くに居ると思うけど、おとなしく仏壇に納まっているわけがない。
というよりも、二人はいつも傍にいる。だからお盆だけが特別じゃないんだ。

だけどお盆という風習(こう書くことに少し抵抗があるけど)が嫌いではない。
昔は親戚一同が揃い、食事をしたりお酒を呑んだり。
浴衣を着て近所の盆踊りにも出かけた。
そもそも盆踊りって、帰ってきた仏様の魂を慰める為の行事だった筈で、
それが今では夏祭りの余興に成り下がってしまった。



少しずつ日本が変化していく。
それは当然といえば当然のことで、私自身いろんなしきたりを省略している。
だけど、一つ一つの細かいしきたりを全部全うしようと思えば、私だけの
力ではもう無理なのだ。
一から十までを知る人が私の周りに居なくなってしまった。

だからその心だけは大切にしたいと思っている。
その心だけはきちんと子供たちにも伝えたいと思っている。
それは大袈裟かもしれないけれど「日本の心」「日本の文化」の継承にも
なるんだと思う。


私は「にほん」と云う国が好き。
敢えて平仮名にしたのは「ニッポン」という呼び方ではなく
あくまでも「にほん」に執着しているから。
イメージだけの話しだけれど、どうもスポーツでお祭り騒ぎしている時だけ
自分の国の名を連呼するのが好きじゃないから。

だからと云って右でもないし、当然左でもない。

純粋に、この国の文化や風習やしきたりっていうものに
愛着を感じているだけ。
春になると桜を愛でて、夏になると虫の声に耳を傾け
秋には大きな月を見上げ、冬には純白の雪を見ながら徳利をかたむける。
そんな、自然と共存して自然に感謝し続けてきた日本という国が
ただ単純に好きだというだけ。


これって「愛国心」だよね。
先日テレビを観ていたら、この言葉から連想されるものが
忌まわしい戦争に関するものばかりでがっかりした。

街角で若者にインタビューをしていた。
「日本という国が好きですか?」と。
答えは「嫌い」という返事が圧倒的で
政治家がどうのとか大人達がどうのとか。
自分達は楽をすることしか考えてないくせに、人にせいにするなって。
いやいやこれは自分も同じだ。


どうなったら若い人達は
自分達の住む国に誇りを持てるように・・
いや、好きになることができるのだろう。





兎にも角にも、明日は仏壇におはぎをお供えしよう。
母も大好きだったから・・・
難しい話しはその後だ。









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