たそがれまで
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2003年04月28日(月) ボールを投げるなら・・




「人間関係」
こう書くと、なんとも重苦しく感じるのは私だけだろうか。
「人間関係」というよりも、人とのつき合い方というべきか・・


私にはある友人がいて、
彼は何事にも直球勝負である。
それは大変素晴らしいことだと思うのだけれど
問題はいつも全力投球なのだ。

例えば、仕事や趣味ならそれもいいだろう。でも
人間関係、特に恋愛に関して云えばそれはどうかと。
だからといって変化球で勝負しろとは思わない。
そんな小手先で愛を手に入れたって、すぐに失うのがオチである。
それに彼の持ち味は、なんといっても直球なのだ。

ストレートが持ち味の名ピッチャーは
緩急を織り交ぜてバッターと対峙する。
いつもいつも早い球を投げたって、相手は球の速さに慣れるだけだから。

彼の豪速球はいつも相手を傷つけるらしい。
それで彼は悩んでいる。

彼はキャッチャーがまだ用意できていないのに
豪速球のストレートを投げているんじゃないだろうか。
まだマスクを被る途中であったり、座り心地が悪く足場を固めている最中とか。
そんな時に豪速球が飛んできたら、身体で止めるしかないじゃないか。
球が当たれば青あざができるし、なによりしばらく痛むのだ。

それで「なんで受けてくれないんだ」と言われても
返す言葉なんてあるはずない。
「もうあなたの球は受けられない」
そう答えたくなって当然なのだ。



自分に自信のある人ほど、自分の力を誇示しようとして
相手の気持ちや心の揺れを、察する能力に欠けている。
相手が今、何を考えているか、
どう状態に置かれているか、
自分なりに察してほしい。

言葉にしなければ伝わらないと
ここでも随分書いてきた。
だけれども
伝える事が下手な人も
伝える手段を持たない人も
伝えたくない人もいる。
人は十人十色。

「自分がこれだけしているのだから、相手は満足しているだろう」
「自分のしている事は正しくて、相手が悪いから上手くいかない」
なんて思い上がりも甚だしい。そんなのは自分の思いこみでしかない。
そしてそう云う人に限って、そんな自分に酔っている。
自分が一番で、自分が大好き。
違うだろうか・・・


「自分を好きになろう」と云われている昨今。
裏を返せば自分のことを嫌っている人が多いのだ。
自己批判の上で自分を許すという行為を経た人は
その苦しみも喜びも知っている。
だから他人の苦しみも喜びも察してあげることができる。と思う。

だけど自己批判をした事もなく、
自分が一番で過ごしてきた人は
他人の気持ちに疎くなる。

強引に豪速球を投げ続けたって
相手はどんどん引いていく。
それは自分を傷つけない為の防衛手段でもあるのだから。
それを非難することなんて誰もできない。

相手がマスクを被ってなければ
立ったままのキャチボールでもいいじゃない。
腰を落として座れるようになれば
相手の力量に合わせた球の速さでいいじゃない。
決め球はここぞ!ってう時だけでいいような気がする。




相手の状態を把握して、受け止めやすい球を投げる。
決して青あざなんて作らせないように、細心の注意を払いながら。
それでも期せずして、青あざはできてしまうもの。
だから人間関係って難しい。
でも、だから、人間関係って面白い。

壁を相手にボールを投げるより、
誰かに向かってボールを投げる方が楽しい。




2003年04月26日(土) お願い、助けて〜  






今の仕事を初めてもうすぐ3ヶ月になる。
相変わらず店のオーナーには辟易しているが、
仲間達とスクラムを組み頑張る毎日だ。

そんな中、少しばかり頭の痛い問題が持ち上がった。

それは世の中でも問題になっている「ゴミ問題」である。
まあ、店頭に置いてあるゴミ箱の処理の仕方で
主婦軍団が一方的に怒っていると言った方が正しいかもしれない。
(いつかの日記にも書いたけれど、私は現在、コンビニパート)

何が問題になっているかというと、全勤務帯で処理の仕方がマチマチなのだ。
それのどこが困るのかと云うと・・・・

私が勤務している午前中に、ペットボトルや空き缶の洗浄を行う事になっている。
自治体の指導で、事業ゴミとは云え、ペットボトルや空き缶は中の洗浄を
しなければ収集しては貰えない。

だけどこの作業が手間がかかり、一苦労なのだ。
なんとか手早く作業をする為には、他の時間帯の人達の協力が不可欠なのだ。
水(飲み残し等)が出るゴミに関しては、厚手のビニール袋を使用。
(袋からゴミ箱に漏れると、とんでもなく臭うから)
洗浄済みと洗浄前のゴミは、明らかに分かる状態で保管。
(ゴチャゴチャだと分からなくて、洗浄済みをもう一回洗っちゃうから)

こんな当たり前で簡単な事が、できない人達ではない筈なのに・・・
何しろ大人数なので、連絡が行き届いていないのが問題なのだ。

それで、午前中からブツブツ文句を言うことになる。
特に、ある一人の主婦が毎朝大爆発をする。

「あんだけ何度も言ってるのに、なんで皆なやってくれないの!」

それはね、直接言ってないからだし、押しつけだから。
そうは思っても、口には出せない。

24時間営業中だと、私だって店に行かない時間帯のバイトに逢ったことが無い。
勤務表で名前だけは知ってても、顔を見た事もなければ話した事もない。
先日もたまたま夕方に買い物に行くと、マジでキャンペーンのチラシを
手渡された。私は従業員だって、慌てて挨拶したくらいである。
そんな顔も知らない人から押しつけで、人が動く筈もない。


その主婦の人に、ちょっとだけ提案をした。
「オーナーに頼んで、ミーティングを開いて貰わない?」
全員が揃えなくても、時間帯別に代表者がいればいいと思った。

それを聞いた主婦の人が、
「あっ、それいいねぇ。で、文句を言うんでしょ。
 ちゃんとやって!って念を押すんでしょ?」


「あっ、ごめん。そうじゃない。」
私は言葉を慎重に選びながら、自分の考えを話してみた。

結局のところは、厚手の袋と管理をしっかりやって貰いたいんだけど
押しつけるんじゃなくて、知恵を貸してもらうの。
私達はこんなふうに考えて、こうして欲しいのだけど
他にいい知恵があれば、教えて下さいって。
三人寄れば文殊の知恵って言うし、もっといいアイデアが出てくるかもしれない。
もしも出て来ないようであれば、私達に力を貸して下さいって。

顔を見て、話しをすれば親近感って湧いてくる。
親近感がある人の頼みなら、利いてあげたくなるのが人情。
(人情が高校生に通じるかどうかは分からないけど・・)
それに、自分達が考えてアイデアが採用された場合は、率先して実行してくれる筈。

だから、
店の向上の為、
皆の連帯感の為、
オーナーにミーティングをお願いしよう。


「ふ〜ん、なるほどね。それいいかもね。
 物は言いようって云うけど、こういうことよねぇ。」

良かった。そう言ってもらって、内心ほっとした。
「なによ、生意気」なんて言われたら、どうしようかと思った。




どんな仕事も、作業も、
「自分だけが」とか、「私達だけが」と思うと辛くなる。
だから「こんなやり方してるんだけど、上手くできないの。誰か助けて〜」
って叫んでみると、何かしら良いアイデアを貰えちゃったりするものだ。

もしも良いアイデアが出なくても、
この人、困ってるんだなぁ〜ってことだけでも伝わる筈だ。
そしたら一緒に困ってくれる人が現れるかもしれないし、
少なくとも、それ以上、悪い状態に陥ることはないと思う。


感謝の気持ちも、伝えないと相手には分からないけど、
苦しんでいることも伝えないと分かっては貰えない。

一人で抱え込まないで、
皆なに助けを求めてみる。

それでもダメだった時、
ブツブツ文句を言うのは、それからでも遅くはない。

「お願い助けて〜」。
あくまでも軽く。気軽に気軽に。










で、週明けにもオーナーにお願いしてみるつもりです。
そこで却下されたら、次はどんな手を使おう・・・・(笑)




2003年04月23日(水) 日記だけがその人じゃない





あんたさぁ、日記を二つに分離させない方がいいよ。

と、仲の良い友人からメールを貰った。
本人の承諾ももらっているので、一部を引用させてもらうと・・・

どちらかの日記しか読んでない人には、そういう人だと思われちゃうよ。
喜怒哀楽が混じり合って、やっと一人の人間になる。
「歳時記」のおバカな東風も、「黄昏迄」の真面目な東風も
              (注)マジで真面目と云う言葉が入ってました。
私はどっちも知ってるけれど、どっちも混じってるから東風だと思ってる。


まぁそんな主旨だったわけです。
うんうん、ありがと。想いはちゃんと受け取れました。


以前はこの「黄昏迄」を書いてなくて、もう一つの日記の方に
喜怒哀楽を綴ってた。
それはそれで日常だったり、過去の想い出だったりもした。
始まりは「母のこと」だったのだけど、ふと気が付いた。

私の中に、「歳時記」だけでは書き足りない気持ちがあること。
日常生活とは切り離れた、感情が存在すること。

それが嬉しさである時も、哀しみ、悔しさである時も
なんだか分からない複雑なドロドロした感情である時もある。
おバカな日常の羅列の中には、似つかわしくない場合が多い。


それで、いつの間にか二つの日記のカラーが決まった。

「歳時記」の東風は本当におバカで、人に笑って貰うことに喜びを感じる。
芸人ではないけれど、ウケてなんぼだと身まで削る。
  (いやいや、一番の被害者は私の家族達に他ならないけど)
「黄昏迄」の東風は眉間に皺を寄せながら、言葉を慎重に選んでいる。
余計な言葉はなるだけ使わないように、と省きすぎてるかもしれないけれど。

どっちも私。
だけど、 
歳時記+黄昏迄=リアル東風 という式は成り立たない。
日記という枠には書ききれない、本当の日常までは綴ってない。





ある方のサイトで、
「いつもいつも飲み歩いて、子供の面倒はいつ見てるの?
 そんな時間があるなら、もっと仕事を子育てを一生懸命やった方がよろしいのでは?」
なんて書き込みを見つけたけど、それこそが愚の骨頂で
お前はその管理者の人の24時間を知っているのか、と思った。

日記に書いてあるだけがその人の生活でなく
むしろ、書き切れていない事の方が人生の大部分を占めるはず。

自分がそうであるからこそ、私は他の方のサイトでもそういう捉え方をする。
どんなに幸せな文面が並んでいても、どんなに悲しい言葉が並んでいても
その人の人生がそれだけでは無いと思ってる。

どんなに悲しい毎日の中にも、必ず笑いがあるはずで
どんなに楽しい毎日の中にも、必ず哀しさが存在する。

だから卑下することもない。
だから見下すこともない。




ただ一つ、羨ましいと思うのは、
きれいな、素敵な文章に出逢った時。
どんなに逆立ちをしてみたって、私には書けない文章に出逢った時。
自分の文才の無さに、キリキリ歯ぎしりしたくなる。






だから、今からもこのスタイルでいくよ。
どうぞお好きな方をチョイスして下さい。







2003年04月22日(火) 言霊






またやっちゃったんだろうなぁ。

傷つけるつもりなんて無いのにねぇ。

「一言多い」って子供の頃から言われていたっけ・・・



「言霊」って云うくらいだから、

言葉は時に凶器になり、

優しい包帯にもなるんだよね。







  人の言葉に傷つけられても どこへも逃げない

  傷ついた心を繕う糸は やっぱり人の言葉

    間違ってるかもしれないけれどそう思うんだ。

    間違ってるかもしれないけれどそう思うんだ。





むか〜し昔、
大好きだった人に教えてもらった海援隊の曲の歌詞
タイトルも他の部分も忘れちゃったけど、
ここだけは今でも時々思いだす。
正に今日はそんな気分です。



2003年04月21日(月) 言葉の重み



人から忠告を受けた時、素直に受け入れられる場合と
受け入れられない場合がある。

私の場合は仕事上の問題や、
職場での人間関係のことなどで忠告を受けた時は
素直に聞き入れられる。

だけど、多くの人もそうであるように
恋愛問題での忠告には、
「自分だけ(私達だけ)は、そうはならない」
と反発してきたような気がする。

障害が大きければ大きいほど、恋愛の炎は燃え上がる。
だけどその障害をクリアできる事の方が稀で、
結局は忠告をしてくれた人の言った通りになったりする。


言葉は無力だ。
どんなにシュミレーションしてみても
経験談を聞かせてみても、
その人自身が体験してみなければ
痛みも苦しみもわからないってこと。

考えてみれば当然なのかもしれない。
体験してみなければ・・・
というのは私自身もそうだったから。





あの時、
私に熱心に忠告してくれた友の言葉の重みが
今更ながらズシンときた。
理解できているつもりで、実は全然理解などできてなかった。
体験者の言葉の重みは、自分が体験しなくちゃわからない。




だから、
今日、
私の口から出た言葉もきっと無力でしかないのだろう。
あぁ勿論、人に意見するほどできた人間ではないけれど。


だけど、
だけど、
ほんの少しだけでも伝わっているといい。
ほんの少しだけでいいから・・・。













           ***********





こんな事を考えている最中に、世にも不思議な物語が始まったのです。
へっ?それなに?と思われた方、HPのもう一つの日記へGO!

っと、こんな事を書き足したりするから、
尚更私の言葉は軽くなるのか・・


2003年04月20日(日) 不完全


痛みを知らないと、他人の痛みはわからない。

痛みを知っている人は、例え自分が経験したことのない痛みでも
他人の痛みを察することができるようになるんだよね。

私は痛みを知っているのか
痛みを察することができているのか

たまに自問自答することがある。

ああ、まだまだ未熟
私の人生不完全。





だけど、だけど、許す術なら知っている。
この世の中に「こいつだけは・・」と思う人はいない。

自分が不完全だからこそ、他人の不完全さも理解ができる。
不完全が故の特典・・・か。
『不完全』も捨てたものではないらしい。










夫曰く、こうして自分を甘やかすから
いつまで経っても完全体になどなれないらしい。
それも又、一理。





        ******************



この日記を読んだ夫に言われた。
何を伝えたいのかわからないと・・・。
まるで小学生の日記みたいにただの言葉の羅列にすぎないと・・・。

今日の日記自体が不完全だ。

ああ、それは百も承知。
今日だけではない、昨日も一昨日も、その前もずっと。

ただある方の日記を読んで、自問自答の後に
勢いで書いてしまった。

私は人の痛みがわかるのか
察することができるのかと。

そして、
こんな言い訳を書き足している自分
カッコわるぅ。





2003年04月18日(金) 元夫のこと 2





元夫は高校卒業後、板前の修業の為にとある温泉街の老舗旅館に就職をした。
外見とは裏腹にとても手先が器用だったのと、厳しい修行のおかげで
どこへ出ても恥ずかしくない腕を身につけた。

私と再会した時期は別の仕事をしていたのだが、機会があれば
もう一度包丁を握りたいと、自分が頭になりたいとよく口にした。

つき合いだしてしばらくした頃、音信不通にしていた親元へ
私を連れて行きたいと言いだした。
親に迷惑をかけたことを反省している事と、今は一生懸命仕事をして
元気にしている事を伝えたいからと・・・。

同級生でクラスメートだったのだから、元夫の実家は近所だったのだが
初めて踏み入った実家は、古家だがセンスの良いインテリアで統一された
大きな家だった。

2年振りに逢う親子の狭間で、何も言葉を挟めない私。
やっとのことで、簡単な自己紹介と挨拶をするのが精一杯だった。

突然に現れた息子に動揺しつつも、決して怒ることもなく
私への対応も優しくして下さった。
半同棲状態であることを告げると、すぐにでも籍を入れなさいと言われた。
(同棲と云っても、我が家の隣のアパートに元夫が勝手に越して来ただけの
 話しだし、それも大家である私の養母が勝手に元夫に部屋を貸しただけの話し
 養母は元夫が養子に来てくれそうだからと、気に入ったようだ)

正直に言えば、私は全然結婚なんて考えても居なかった。
だけどはっきりと意思表示もしなかった。
今までの人生と同じ。
流れに身をまかせるだけで、自分で流れを変えることもしなかった。

周りでどんどん話しが進行していき、気がつけば入籍の日取りが決定していた。
結婚というものに何の期待もしていなかった私には、
どうにかなるさとそのくらいの認識しかなかった。
結婚というものに、冷めた感情しか持ってなかった。
仲の悪い両親を見て育ったことで、結婚って楽しいものではないらしい、
そんな感覚だったのかもしれない。



結婚してしまえばどうにかなる。
そう、どうにかなる。

だけどどうにもならなかった。
どうしようとも思わなかった。

一番悪いのは私。
自己主張もせず、後になって「こんな筈じゃなかった」と
相手を責めたってどうしようもない。



入籍後、同級生が親から代替わりした割烹料理屋を手伝うことで
板前に復帰した元夫。
私もしばらく仲居として店を手伝っていた。

あの頃が元夫と私にとって、一番平穏な日々だった。
ほんの1年だけの静かな時間。
いや、嵐の前の静けさだった。





2003年04月16日(水) 元夫のこと


先日、娘が宿題のわからない箇所を訊きに来た。

「ねえ、『おやをきる人』ってどんなひと?」

親を切る?
私は訳が分からずに、娘のプリントをのぞき込む。

そこには「親切な人」と書かれてあり、よみがなを書く宿題だった。
答えが分からなかったことにガッカリしたというよりも、
親を切ると書いて「しんせつ」と読む。
そんな当たり前の事に気がついてビックリした。
(この話しは書きようによっては「歳時記」のネタなんだけど・・)


親を切って『しんせつ』
なんか不思議だけど、そんな事も有りだと思った。

親ってとても有り難い存在なんだが、時として本人の為にならない事もする。
親側の立場としては、本人の為だと信じている場合が多い。



ふと思い当たる親子が居る。

ある男が居た。
両親は健在で、父は公務員として一生懸命に働いていた。
母も実家の店で仕事をし、男は祖父母にとって初孫の男の子だった。

忙しい両親に変わって、男を溺愛する祖父母。
欲しい物は買い与え、食べたい物をたらふく食べさせた。
いつの間にか男は「我慢」ということを学ばぬうちに大人になってしまった。

大人になった男は、お酒を飲むのが好き。
ギャンブルをするのが好き。
お金が無くなれば簡単に借金をするようになった。

借金が膨れあがり、自分で払えないようになると何処かへ姿を消し
両親が尻拭いをし終わった頃にふらりと戻る。
何度かそんな事を繰り返した後、一人の女と出会った。

その女は男にとって、同級生で気心が知れていた。
丁度、出逢った頃は行方不明中で、両親には勘当も同然だった。

自分の行いを悔い反省する姿を見て、女は男を可哀想に思った。
少しの時間が流れた頃、男は女を連れて実家へ戻った。

結婚という責任を負えば、立ち直ってくれるだろうと感じた両親は
二人に結婚を急かし、手作りでささやかな披露宴だけの結婚式をあげさせた。



その男は元の夫
その女は私


両親は息子を想い、尻拭いを続け
それが当たり前だと勘違いしてしまった息子。

親の心は届かなかった。
結婚という責任を負ったとしても・・・。


心を鬼にしてでも、親は助けちゃいけなかった。



親を切って『親切』
なんだか心に刺さった言葉。

      


2003年04月05日(土) 美肌の秘訣




先日テレビを見ていたら、
久し振りに見た美人女優が、美肌の秘訣を語っていた。

夜は仰向けで大の字になって寝ると良いそうな。
心をリラックスさせれば、顔に力が入らなくて
皺が出来にくいんだそうで。

つまり、いつもしかめっ面をしてたら
それが皺になるってことね。


う〜ん、確かに・・・。
昔の私は、いつもきつい顔だと云われてた。
本人にその自覚は無いのだけれど
無意識で身体中に力が入っていたんだろう。

あの頃より少し太ったことも関係してか、
久し振りに逢う人達から、顔が優しくなったと言われる機会が増えた気がする。
先日も久し振りに逢った姉から、そう言われたばかり。



昔、と云っても5年前くらいか
母の介護と、子育てと、仕事に奮闘してた頃
1ヶ月後の、半年後の、1年後の自分の生活が想像できなかった。
「明日が見えない」正に、そんな状態だった。


だけど漠然と思っていたのは、今と同じ毎日では嫌だということ。
嫌だと云うよりも、同じ生活をしているのが怖かったんだろう。
いつ終わるかわからないその状況に、いつも張りつめて過ごしていた。
気がつけば私の眉間には、クッキリと皺が・・・。


今の私にも、1ヶ月後の、半年後の、1年後の生活は想像できない。
でもあの頃と違うのは、今と同じであって欲しいと
心から願える自分がいるのだ。
家族4人が笑って暮らせていればそれでいい。

お金や名声はあっても困りはしないけれど、
そんな物が幸せの形じゃない。
誰一人欠けることなく、静かに日々が流れてくれれば
それでいい。


そんな私の顔は、少しは皺が減ったのか。
力を入れなくていい分だけ、緩んだ気がする。
皺が減ってたるんだのなら、それはそれで大問題であるけれど・・(笑)


人相は生活を映す鏡みたいなもののようだ。
力を入れずに生きていきたい。
自然体で生きていきたい。
それが美肌の秘訣なら、尚のことそう思う。




2003年04月04日(金) 二人のお祖母ちゃん



「ねえ、ママの本当のお母さんってだれ?」

後部座席に座っていた娘から、突然尋ねられた。
ほんの少し前に、大好きなお祖母ちゃんにバイバイを言ったばかり。
その帰り道での質問だった。

「ママにはね、お母さんが二人いるの」
いつものその答えでは、納得してくれそうにない。

仏壇の遺影で笑っているのも、お祖母ちゃん。
さっきまで一緒にいたのも、お祖母ちゃん。
小2の娘には、どう説明したものか。

「ママはね、さっきバイバイしたお祖母ちゃんから生まれてきたの」

「じゃあ、本当のお母さんだね。」

「ううん、そうじゃない。
 ママにはどっちも本当のお母さんだよ。
 本当の反対は嘘でしょ?
 ママには嘘のお母さんなんていないよ。
 ももにだってお父さんが二人もいるじゃん。
 どっちが嘘でどっちが本当?」

「どっちも本当のお父さんだよ〜。 そっか〜」
 
納得したのかしていないのか、しばらくは何も言わなくなった。
そしてまた思い出したように、私に問いかける。

「ねぇ、ママのお姉ちゃん達もみんなお母さんが二人いるの?」

「ん・・・と、お母さんが二人いるのはママだけ。
 ママはね、さっきのお祖母ちゃんから生まれてきて
 みーばあちゃんに育ててもらったの。
 だから、おばちゃん達よりお母さんが一人多くて、得しちゃったんだ。」

「ふぅ〜ん。で、なんで?」

なんと答えてよいものか、しばらく言葉が出なかった。

「なんでだろ〜ね〜。ママにもよく解らないよ。
 ママが、一番欲張りだったからかもね。」

「ふぅ〜ん、そっか」
そんなところで納得してほしくはなかったけど・・・


いつかね、いつかきちんと話す日が来るだろう。
私に母が二人いることを。
娘にお父さんが二人いることを。

そして、
私は本心で「得をした」って思っていることを、
娘にもわかってほしい。







夫に、娘との会話を教えたら
「本当のお父さん」って言葉に、とても感激していた。
私もそう、娘の言葉はとても嬉しかった。
まだ1年しか経ってないけど、
私達の進んでいる方向は間違ってない。
そんな気がした。
そんな気がした。




2003年04月03日(木) もう一人の母のこと 6





慌ただしく、3日間が過ぎた。
初めて、実母が私の家に泊まりに来てくれた。
枕を並べて寝たわけではないが、同じ屋根の下で寝ることができた。



花を見るのが好きな母のために、ハードなスケジュールを組んでいた私は
2日目に土砂降りの雨というしっぺ返しを食らった。
予定していた場所を何ヶ所かキャンセルして、自宅でのんびりする時間に充てた。

湯飲みを手で包み、ニコニコとテレビを見ている母の横顔に
老いを感じてしまったのは仕方のないことだが、
すぐ傍に母がいて、私の作った食事を食べて、
世間話を延々と続ける、なんとも穏やかな時間であった。


最終日、迎えに来た姉達と合流して、久し振りに皆で花見と洒落込んだ。
高原の老桜木であったために、まだ4分咲きだったのが残念ではあったけど・・

母とその桜を見るのは二度目だった。
3年振りの桜の老木。
あの時と何も変わらない老木を、この先、母と何度見られるのだろうか。
そんな事がふっと過ぎったが、縁起でもないので口にはしなかった。


別れ際、何度も何度も「ありがとうね」と言われたけれど
お母さん、それは違うよ。
「孝行したぞ」って思わせてもらったんだから
私の方こそ「ありがとう」。

私を養女に出したことで、あなたは苦しんだんだよね。
いつか姉がちらっと話してくれた。
そんな苦しみを与えてしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
もっと早く幸せになれていたら、あなたの苦しみを減らせていたはずなのに、
いいトシになってもずっと心配をかけてしまった事が、本当に悔やまれる。

でもね、私が結婚で苦労したことは、あなたの責任ではない。
養女だったから結婚に失敗したわけじゃない。
だから、早く安心して欲しかった。
早く私の新しい家庭を見て欲しかった。
綺麗に咲いている花よりも、見せたいものだったかもしれない。


「やっと安心したよ。」
その言葉が一番嬉しかった。
本当に、本当に、来てくれてありがとう。
久し振りの長距離運転で、さすがに身体は疲れたけれど
心はすっきりと軽くなったよ。
うん、そんな気がする。

疲れて食欲が無いと言いながら、母が持って来てくれた漬け物で
ご飯をおかわりまでしてしまった。
本当に母が漬けた漬け物は、いつ食べても美味しいよ。

でもね、漬け方は教わらない。
いつまでも母の漬けた漬け物を食べたい。
だから、ずっと元気でいてね。









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