たそがれまで
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2003年05月25日(日) 今度こそ



ふと気付いたことがある。

私って、上司運に恵まれてない?
今回の上司も然り、前の職場の上司も、
前々の職場の社長も、前々々の職場の上司も・・・・


いつも同じタイプの上司で、
機嫌がモロに顔と態度にでる人達。

これだけの確率で同じタイプにあたると云うことは、
それだけそんなタイプの人が多いのか
自分にとって何か意味のある出逢いであるのか
どちらかである。と思う。


私の愛読書「生きがいの創造」という本に
人生の出逢いや事柄には必ず意味があり、
克服するまで何度も繰り返すとあった。
現世で克服できなければ、来世までにも引き継ぐのだと。


それを前提と考えれば、
私はこのタイプの人を克服しなくちゃいけないのだろう。

「私から折れた」
と書いたけれど、決して今までぶつかってきたわけじゃない。
ぶつかる前に逃げ出した。
言いたいことを自分の中にため込んで
吐き出した時には職場を去った。



そうじゃなく、もっと早く手を打てば良かったんだろう。
自分の気持ちを伝え、相手の真意を問い、
自分が妥協できるできる部分と、
相手に妥協してほしい部分、
そんな話し合いの場を作れたら、きっと違っていたんだろう。


なまじっか、調子よく相手に合わせることができるから
いや、それが出来なきゃ接客業は苦痛でしかないのだけど
そんな表面的な繕いで、肝心な問題を見て見ぬ振りをしてきた。

だからこそ何度も何度も、同じタイプの苦手な人と出逢う。

それに考え方を変えれば、機嫌が表に出るというのは
気持ちに素直な人だといういうこと。
機嫌を外にだせない私は、それだけ素直じゃないということ。
もうちょっと、素直になってもいいかもしれない。


これ以上、苦手なタイプの人と出逢いたくないから
今度はちょっと頑張るとするか。





最後に、一つ忘れてはいけないこと。
今まで出逢った上司達もまた、
部下運に恵まれてない人達だったってこと。






2003年05月24日(土) 相手に望むなら




今日、もう一つの難関に挑戦してみた。

苦手だと思う人への態度。
そう、職場の上司へ話しかけてみた。
他愛のない世間話など絶対にできない人だと決めつけていた。

いつも冷たい言葉を浴びせられる度、
この人には心がないと思ってきたのだ。

相手に望むなら、まず自分から。

いつも、出社してすぐにブラックの缶コーヒーを飲む上司のために
とっておきのコーヒー豆で、とっておきのコーヒーを
ポットに入れて持って行った。
飲み物には人を癒す力があると私は信じている。
ならば、人と人の縺れた糸をほぐす力もある筈だ。

無粋な顔をして遠慮の言葉を告げる上司を無視し、
カップにコーヒーを注いで目の前に置く。
コーヒーの香りが狭い事務所中に広がって、
上司はやっと口を開いた。

「いい香りですね。」

「でしょう? 味もいい筈ですから。
 なんたって、愛情を込めてドリップしましたから(笑)」

とびっきりの営業スマイルで、お茶目に言ってのけた私。
この時点で自分自身に「ブラボー」と叫んでも良いと思った。

少しだけ事務所の雰囲気が変わった。
確かに変わった。
それはいつも無粋な顔をした上司の表情が、
柔らかくなったことを意味していた。



もしかしたら、人はこれをおべっかと呼ぶのだろうか。
自分の心に反した行為。
だけど、私は職場の雰囲気を明るくしたいだけなのだ。
出勤時間が近づくたびに、胃が痛くなるのはまっぴらだ。

故に、私は自分から折れることを選択した。
私が折れて、楽しく仕事ができるならそれも結構。
だけど今のところ(主婦仲間には)賛同者無し。

そしてゆくゆくは、皆が楽しく仕事ができる環境にできるのが理想。
自分だけが良い思いをしようとは思わない。





帰り際、上司に呼び止められた。
「今日はお疲れ様でした。
 それから、コーヒーご馳走様です。」

初めて上司の口から聞く「お疲れ様」であると思った。
いつもは声をかけてもチラリとこちらに顔を向けるだけ。

どうぞ、他の人達にも「お疲れ様」と言ってあげてほしい。
口に出さなくとも、行動で示さなくとも、
楽しく仕事がしたいと思う気持ちは一緒なのだから。


心がないと思っていた人から聞く労いの言葉は、
想像以上に嬉しいものだった。
心がないのではなく、心を表現するのが下手な人だったんだ。

相手に望むなら、まず自分から。

実践初日の手応えだった。





2003年05月23日(金) そこに居てくれるだけで・・・





相手を変えようとムキになっても、
相手はますますこちらの思いに反する態度を取る。


なぜ?
どうして?
こんなにも貴方を思ってるのに・・・

そんな気持ちが相手を追いつめ
がんじがらめにしていたようだ。

相手を変えたいなら、自分が変わること。
そんな当たり前のことに、気付かされた今日。
悲しい事実を目の当たりにして、
自分の愚かさに気が付いた。






「自分が、家族から好かれていると感じる時はいつですか?」
そう問われた娘の返事は
「助かることをした時」だった。

ごめんね。
いつも好きなんだよ。
いつもいつも大好きなんだよ。
ただそこに貴方がいてくれるだけで、
いつもいつも大好きなんだよ。

きちんと伝わっていなかったんだね。
きちんと伝え切れてなかったんだね。



それなのに、
どうして解ってくれないの?
そんな気持ちを押しつけてたんだね。



伝えることが大切なんだと、何度も書いてきたくせに
一番身近な大切な人に、伝えていなかったという事実。

そう、
伝えることが一番の、
距離を縮める近道なんだ。





2003年05月18日(日) 普段着





ストレートに言葉を発してみた。
相手があってのことだから、傷つけたかもしれない。

今までは傷つけたくなくて、言葉を選びオブラートに包んできた。
でもオブラートに包んだ言葉じゃ、私の気持ちは伝わらなかった。



私は、いつも言葉の裏を考える。
誰の口から出た言葉でも、裏の意味を読もうとしてきた。
そして私の口から出る言葉にも、裏の意味が含まれていた。

気付いてほしい。
察してほしい。
「YES」の裏に含まれる「NO」
「いいよ」の裏に含まれる「本当は・・・」

でもそれは無理なこと。
皆が私と同じではない。
良い人でいたいが為の、ずるい方法でしかなかったようだ。


だから、ストレートに言葉を発してみた。
とてもきつい言葉だったけれど、初めて相手に伝わったようだ。

申し訳ないが、すっきりした。
言いたくても言えないことだったから、とても軽くなった。


良い人でもないくせに、良い人の振りをするのは結構疲れる。
所詮、私はこの程度。
着飾ってみたって、この程度。


良い人になろうと無理をしなければ、
普段着でも胸を張っていられるようだ。



2003年05月16日(金) 元夫のこと 4  〜親になる〜





翌朝、一番でかかっていた内科を受診した。
妊娠したことを告げ、薬のことを根ほり葉ほり尋ね、
紹介状をもらって、産婦人科を受診した。

詳しいことは解らないが、薬を服用していた期間は
受精卵が着床する前だと考えられ、おそらく問題はないだろうと
そんな診断だったと思う。

そう聞いた途端、私の中で別の感情が生まれた。

母になるという怖さ、
私なんかが母になれるのかという自己否定が
襲いかかってきた。

嬉しい筈じゃなかったの?
幸せな筈じゃなかったの?



養母に報告すると泣いて喜んでくれたが
私はとても複雑だった。
養母ができなかったことを私は経験する。
養母が知らないことを、私はしなくちゃいけない。

横で無邪気に大騒ぎしている元夫には
決して理解して貰えない感情だった。
説明しようにも言葉が見つからず、
言葉足りずで話し始めても、
「俺にどうしてほしいわけ?」
そんな言葉が返ってくるだけ。


多分、
一緒に親になってほしかっただけ。
一人で母になるのが怖かったから、
一緒に親になってほしかっただけ。

今ならあの時の感情を言葉にできる。






これから先もずっと
「俺にどうしてほしいわけ?」
その一言に打ちのめされていくことになる。





2003年05月15日(木) 元夫のこと 3  〜親になる〜





元夫と養母と私の3人で
しばらくは穏やかな時間を過ごしていた。

結婚して1年ちょっと
「子供はまだ?」とよく言われた。

元夫は子供が好きで、知り合いの子供ともよく遊んであげた。
子供は本能的に構ってくれる人を嗅ぎ分けるから、
元夫の周りにはいつも子供が寄って来た。



肝心な私達の子供といえば・・・
正直、もう諦めていた。

生理不順でおそらく排卵が起こっていない私と、
病院の診察で子供を作るには精子の数が足りないと
診断された元夫。
私と再会する前の、長い同棲生活でも子供が作れなかった元夫。
おそらく子供が出来ていたなら、彼女と結婚していただろう。

私の子供を養母に抱かせてあげたかったけれど、
半分以上は諦めていた。
かといって、不妊治療に出かけようとは思わなかった。

生意気な言い方だけれど、
『神様におまかせしよう』という心境だった。
私達に子供を授けた方が良いなら、神様がそうして下さるだろう。
授けない方が良いのなら、そうなさる筈だから。

だからと云って、私は何かを信仰しているわけじゃない。
信仰については、いずれまた、書くことがあると思うけれど。



二人の時間。
よく出かけた。
よく外食をした。
二人だけの時もあったし、養母を含めて3人の時もあった。
そんなふうに時間は流れていく筈だった。穏やかに。



体調の変化に気がついたのは、平成4年の初夏。
微熱が続き、身体がだるい。
薬を服用するほどの熱ではないが、2週間くらいは続いていた。
そのうち頭痛が酷くなってきた。
さすがに病院で受診することに決めた。


いろいろ検査をして貰ったが、何も異常がないとのことで
頭痛とだるさを抑える薬を「妊娠はしてないね」と念を押されて渡された。
妊娠なんてできないと思い込んでいた私は、「はい、してません」と答え
しばらく薬を服用した。



それから2〜3週間が経ったけれど、やはり体調は快復しない。
もしやと思って市販の検査薬を使用してみると、陽性。
そう、妊娠していた。


妊娠できたら嬉しい筈だった。
皆の祝福を受け、幸せな気分になれる筈だった。
でもその時の私は、ずっと服用していた薬のことが頭から離れない。
翌朝になるまで泣いて過ごした。
きっとダメだ。と、それしか考えられなかった。






2003年05月06日(火) のんびりいこう




先日もう一つの日記で、子育ての愚痴を書いた。
他愛もない悩みだとは思うが、それはそれで真剣に悩んでた。

私は今までの日記の中で、仕事上の悩み以外はリアルタイムで書いてこなかった。
いつも、あの時はこうだった。とか、あの頃はこうだった。とか、
過去形でしか、悩みを書くことが出来なかった。

それはきっと、弱みを晒したくないことや、
今回のように、他愛もない悩みだこと。と思われるのが嫌だったんだと思う。

娘の愚痴を書いた後、何人かの方からメールを頂いた。
どなたも本当に、真剣に私の悩みを受け止めて下さった。
この場を借りて、お礼を言わせて下さい。
本当にありがとうございました。

頂いたメールの中には、ご自分の体験談まで書いて下さった方もいた。
それがある意味申し訳なくて、書いた自分を責めかけた時・・・
ふと、考え方を変えてみた。

見たことも逢ったこともない私に、貴重な体験を教えて頂いたこと、
申し訳ないと思うより、有り難いと思うのが先だと。
そこから学びとれることを、精一杯実践させてもらうことが
私にできること。



ネットと云う媒体は、とかく問題点が多く指摘されているけれど
血が通ったような、温もりを感じられるような
そんな道具にするもしないも、モニターの前に居る人だ。
顔も声も、どこの誰かも分からないからといって
ただの捌け口に使ってしまえば、それはもう凶器でしかなくなる。

リアルだとか、バーチャルだとか、使い分けるほど私は賢くもない。
だったら、いいじゃないか、普段のままで。
リアルタイムで愚痴ってもいいじゃないか。
いくら「幸せ」を連発してても、悩みの一つや二つはある。
なぜなら、私は完全体にはほど遠い人間だから。








で、娘のことは、劇的変化はないけれど
少しずつ前進していければ良いかなぁ。
そんなふうに考えられるようになった。
アドバイスを頂いたように、もっともっと誉めてあげよう。
今までの時間を取り戻そう。

時間的に余裕ができて、かえって焦りすぎたみたいだ。
のんびり屋の娘のように、私も、もう少しのんびりいこう。







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